表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲のうえとした  作者: 汪海妹
5/10

初めての片思い

(現在)


「もう、お母さんには関係ないでしょ。わたしが決めたんだからそれでいいの。」

家に帰ると、直子と梨花が言い争っていた。

「許しません。縁は切ってるんだから。式に参加なんかさせません。」

「お母さんは縁を切ったのかもしれないけど、わたしにとってはお兄ちゃんはお兄ちゃんだから。」

直子は僕が帰って来たのを見て、僕をにらんだ。

「あなたが梨花に何か言ったんですか?」

「なにも言ってないよ。」

直子はまた梨花に向き合う。

「昔、いろいろあったこと忘れたの?あなた、弄ばれたのよ。」

またか。聞きたくないことをいつまでも聞かなければならない。樹のにこにこした顔と、千夏さんの笑顔を思い出す。浮き上がっていた気持ちがひきずりおろされる。

「ねえ、昔のことは昔のことだよ。わたしにも悪い所はあったし。」

「あなたに悪いところなんて1つもないわよ。悪かったのは向こうでしょ。」

「ねぇ、お母さん」

梨花の声音が変わった。

「わたしも忘れたいの。もっと前向きになりたいの。だから、お兄ちゃんの結婚式も出たいの。それなのに、いつまでもいつまでも昔のことを繰り返し話してわたしを責めるのはやめてよ。」

「責めてなんかないわよ。お母さんが責めてるのはあなたじゃないわ。」

「だから、そういうの全部やめて。」

そう言って自分の部屋へこもってしまった。

「うちの子はいつまでも不安定なままなのに。自分だけ結婚するなんて。許さない。」

直子がぶつぶつつぶやいている。いつまでもこの人は許してくれない。

「あなたが悪いんですよ。あんなに反対したのに、樹を引き取ったりするから。」

直子がこっちをにらんでいる。何度も何度も言われてきた言葉。

「そうやって俺のせいにして気が済むなら、いくらでもしろよ。」

疲れた。この女と暮らすのにも。責められるのにも。

とことん疲れてしまった。息子の悪口を言われると、翔子さんを痛めつけられているみたいで、やっぱり苦しい。

守ると思っていた自分がはるか遠くに思い出される。翔子さんのことを守るって。それがどうして、本人を守れないばかりか、2人の大事な子供まで、こんなにひどく言われて何も言い返せない。


「あ、なんだ、お昼ここだったんだ。なに?奥さんと一緒じゃないの?」

昼、コーヒーでサンドイッチ流し込んでるときに声かけられた。山崎さん。

「会社ではできるだけ近寄らないようにしているんです。」

「なんだ、それ?」

笑われた。

「どこにいても、下手すると会社の外でも、誰かに見られてて、なんかいろいろ言われるのが怖すぎて。」

「すぐみんなも飽きて言わなくなるって。だって、そりゃもう、びっくりしたもん。」

「すみません。」

「まぁ、上条君の嘘のつきっぷりにも正直驚きましたけど。」

「ごめんなさい。」

「後からよく考えたら、まぁ、あの時点ではぺらぺらしゃべれなかったよなと思って。」

山崎さんはサラダを食べてた。

「お昼、それだけですか?」

「ああ、ダイエット。最近太っちゃって。」

そして、ふとこっち見る。

「ああ、ごめん。何も考えずに同じテーブル座っちゃったけど、一緒にいるの奥さんに見られたらまずい?」

「まさか。そんな嫉妬深い人じゃないですよ。」

「ふうん。ね、どんな人なの?中條さんって。」

もう、上条なんですけどね。ま、いっか。

「どんなって?」

「なんか、さ、家でもおしゃれなの?こう、ヨガとかやってそうだよね。スタイルいいし。」

「いや、全然。だらしない人ですよ。」

「え?そうなの?」

「外でいい自分演じてる分、疲れてて家ではだらだらしてますよ。普通に。」

山崎さん、なぜか残念な顔をする。

「なんで、山崎さんがそんながっかりするんですか?」

「だって、なんか憧れなのに。」

女の人でもこれだもんなぁ。外面と内面のギャップが激しすぎるんだよ。千夏さん。

「ね、じゃ、家でどんな食事してるの?こう、自分でスムージーとか作って飲んでそうだよね。美容のためとかいって。肌にいいじゃない?」

「あの人は、基本的に料理しないんで。」

「え?」

しばらく沈黙になる。

「じゃ、誰がご飯作ってるの?」

「僕です。」

「え?」

リアクションに困ってる、山崎さん。

「いや、そんなの嘘だ!っていうか、お前はなんで中條さんのことをディスるんだ。」

急に僕の頭の後ろで声が……。どういうこと?

「そんなに愛していないんなら離婚してしまえ!みんなが喜ぶ。」

出た。千夏ファン。同じ会社の別部署の人。なんだよ。さっきから黙って聞いてたのかよ。お前は忍びかスパイか。

「別に愛してないなんて言ってないじゃないですか。というか、結婚式まだなのに離婚なんて……。いたっ!」

頭はたかれた。

「山崎さん、見ました?今のパワハラですよね。」

「うーんと、暴力ではあるけど、軽暴力?でも、上司部下の関係になければパワハラではないと思うよ。」

真面目に答えすぎだよ。山崎さん。

「どうして、ほんとのこと話してるのに、みんな信じてくれないんですかね。」

「ね、上条君、中條さんのこと嫌いなわけじゃないでしょ?」

「もちろん。嫌いじゃないです。」

「じゃあ、なんで、中條さんの不名誉なことをぺらぺらしゃべってるの?」

「え?いや、不名誉って別に、料理しないとか、家でだらだらしてるってフツーのことで、別に不名誉でもなんでもないと思うんですけど。というか、別に千夏さんって普通の女の人だし。」

「いや、違う。お前が間違っている。」

千夏ファンがうるさい。

「うん、なんか上条君の言っている中條さんって嘘っぽい。とてもほんとには思えないわ。」

山崎さんまで。一体どうしてなんだろう?この人たち千夏さんのこと美化しすぎだって。


「ただいま。」

「お帰り。」

家に帰ると、千夏さんが珍しく早かったみたいで、テレビの前でのんびりしてた。

「なに?あ、カップラーメン食べてる。」

「だって、お腹すいたんだもん。待ってられなかったの。久しぶりに食べたかったし。あ、でも、まずったな。ばれないように先に捨てときゃよかった。ごみ。」

小学生かよ。

「別にたまに食べるくらいは怒らないよ。だけど、結婚式前ってさ、もっと、女の人は肌とか気にして、こういうの我慢するんじゃないの?」

「ほら、やっぱり怒ってるじゃん。」

はぁ~、ため息が出る。

「え?ごめん。怒った?もうしないから許して。」

僕の方に寄って来た。

「手作りスムージー」

「ん?」

「お肌のために家で手作りスムージーとか作ってる人に見えるんだってよ。千夏さん。」

大笑いした。本人。

「どうやって作るの?それ?あんなん家庭で作れるの?」

スマホで検索してる。

「え?なんかおいしそう。すごい!」

そんで、画像僕に見せる。

「ねぇねぇ、ジューサーわたしが買うからさ。今度お休みのときにこういうの作ってよ。」

「……」

「だめ?」

「たまには自分で作ったら?」

「だって、樹君が作るほうがおいしいんだもん。あなた、手先器用じゃん。」

「おだててもだめ。」

「なんで?なんか今日冷たいね。」

ちえーと言いながらあっち行っちゃった。寝室でスーツ、部屋着に着替えながら、しょうがないなと思う。肌にいいって言ってたじゃないですか、山崎さん。結婚式の日は一番きれいでいてほしいし。

「どれがいいの?」

ソファーの隣に座ると、ぱぁっと嬉しそうに笑った。

「ええっとね。」

嬉しそうにスマホいじってる。

「あ、そう言えばさ、今日梨花ちゃんから電話もらった。」

「え?千夏さんが?」

「うん。」

ちょっとどきっとした。関係修復中の妹。

「なんて?」

へへへと笑った。

「あのね、結婚式に着る服一緒に選んでくれませんかって。」

ちょっと驚いた。梨花、千夏さんのことどっちかっていうと苦手とか嫌いとか言ってたのに。

「そっか。」

「嬉しかった。」

そう言われて、じっと千夏さんの顔を見る。その笑顔は嘘ではないのだと思う。思うけど、どうして、笑えるのか、嬉しいと思えるのか、この人は。

「嫌じゃないの?」

「なんで?なんでやなの?」

きょとんとしてる。

「だって、俺といろいろあった相手だし。」

「ああ、そうだねぇ。」

小首を傾げてちょっと考え込む。

「あのね、もし、彼女が単純に樹君の元カノとかだったら、絶対会わないし、もちろん嫌いだけど、梨花ちゃんは妹だもの。家族でしょ?」

「うん。」

「わたし、家族って結構大切なの。あまり考えたことなかったけどさ。結婚すると、家族って増えるね。」

「うん。」

「生まれて初めてね。妹ができた気分で。わたし弟しかいなかったし。嬉しいよ。」

「無理してない?」

黙って僕を見ている。千夏さん。

「2人は、だって、別に好きあってるわけじゃないでしょ?今では。」

「昔も……、正確に言えば、好きではなかった。」

「うん。だから、いいよ。大丈夫。」

千夏さんの髪をなでた。何も言えないままに。


「あ、ごめん。ごめん。待った?」

ニコニコしながら、手を振りながら来た。待ち合わせの噴水の前。

「いや、別に。そんなに待ってません。」

そう言って、寄りかかっていた体を起こして立った。

「すみません。お仕事忙しいのに。」

「え?いや、そんな大丈夫大丈夫。」

何がそんなに楽しいんだろう。この人、いっつも笑ってる。

「じゃ、いこっか。」

ま、でも、ふと思いついて電話かけたわたしもどうかしてるわ。

「ね、今日はどうしてわたしに電話かけてくれたの?」

「結婚式みたいなとこ、いろいろな人来るでしょ?お兄ちゃんの会社の人とか。場違いな服着て浮きたくなかったんで。フォーマルとかよくわからないし。」

母親に頼むこともできなかった。もともと仲良くないけど、最近更に仲が悪い。

「こう、クールな感じが好き?それとも、かわいらしい感じ?」

楽しそうにしている。

「どっちのタイプも着てみようか。梨花ちゃんスタイルいいし、きっと何でも似合うよ。」

そういいながら、お店入ってワンピースいろいろ見ている。

「幸せそうですね。」

「え?」

こっち見た。

「あ、いや、おかげさまで。片付くことができそうなんで。」

「千夏さんって結婚願望とかあったんですか?」

「うーん。」

ちょっと考えてる。

「人並みにはあったかな。でも、結局は、結婚がしたいっていうより、お兄さんと一緒にいたいのかな。離れてるのが寂しかったから。」

ちょっと驚いた。

「こんな年下の女の子に、素直に話すんですね。」

「え?」

「大人なんだから適当に言っとけばいいのに。」

「そうかな?」

「普通は大人の女の人はそういうのぺらぺらしゃべんないですよ。」

「ごめん。耳障りだったかな?」

気を使ってる。こっちに。最初会った時から、千夏さんってわたしにびくびくしている。変なの。わたしなんかより全然大人で、きれいで、仕事とかバリバリしている人なのに。腰が低いんだよ。

ついでに、こうやってびくびくさせている自分、こういうの、やめようって思ってるのに。変わろうって、決めた。決めたからこの人に電話したんだ。

「おめでとうございます。」

「え?」

「まだ、ちょっと早かったですかね。でも、言ってなかった気がして。よく考えたら。」

「ああ、ありがとう。」

また、はにかみながらきれいな顔で笑った。嬉しそうに。ぱっと見た印象よりずっと子供っぽい人なんだなと思う。

それから、ばかみたいに次から次と試着して、買う気のないようなすごい派手な服とか、今日は一着はちゃんと買うつもりだから、それに千夏さんがそばにいるとなんとなく安心して、半分遊びでいろいろ着る。値札も見ずに。

「やっぱり、これが一番すてきじゃない?」

飽きてきたころに、千夏さんが服の山の中から1つ取り出す。

「そうですか?」

「うん。肌の色にも雰囲気にもぴったり。ですよね。」

「ええ、お似合いです。」

店員さんもうなずく。

「ああ、そうだ。色違いもあるんですよ。お姉さんもどうですか?お揃いで。」

商売上手だな。流石。店員さん。

「ええ?でも、年の差あるし、同じようなの着て並んだらみっともないよ。」

そう言って笑ってる。

「そんなことないですよ。お客様ならきっと素敵ですよ。ご姉妹で。」

「ええ?」

のせられてる。千夏さん。

「じゃあ、着るだけ。着てみちゃおうかな。」

2人で並んで鏡の前に立つ。千夏さんが白いの。わたしが水色。不思議だった。なんか。顔だちとかは違うのに、同じ服着ると、雰囲気が似てくる。

「いや、白はやっぱ痛いわ。梨花ちゃんと並ぶと。黒とか別の色ならまだしも。」

千夏さん、そう言って顔しかめている。

「でも、結婚式の二次会とか、やっぱり新婦は黒より白じゃないですか?」

「まぁ、ご結婚控えてらっしゃるんですか?」

店員さんの目がキラリと光った。もちろん、商売チャンスと踏んだんだろう。立て板に水とばかりにあれやこれやと並べ立てる。それに押されて千夏さんもわたしとお揃いで買おうか迷い始めたみたい。

「千夏さん、お揃いはまずいです。」

「え?だめ?」

ちょっとだけがっかりしたような、傷ついたような顔をしてわたしを見たのに驚いた。あれ?もしかして……。お揃いで買いたかったのかな?

「あの、わたしと同じ立場の人がご親戚にいるでしょ?ええっと、千夏さんのほうのご兄弟のお嫁さんとか。わたしが実の妹ならのけ者とか思わないでしょうけど。繊細な人なら気にするかもしれません。」

「ああ……。」

感心している。

「梨花ちゃんって、なんか、やっぱり樹君の妹なんだなぁ。」

「え?どういう意味ですか?」

「すごいしっかりしている。思いいたらなかった。すみません。やめときます。そうだよね。晴れの日にはしゃいで、つまらない思いさせたくないわ。弟の奥さんにも。」

店員さん、がっかりした。そんで、フィッティングルーム戻って服を脱ぐ。

お会計のときに、

「じゃあ、これで。」

千夏さんがカード出してすまそうとする。

「え?いや、そんなつもりじゃないです。」

慌てた。

「お兄ちゃんに怒られちゃいます。」

「じゃあ、樹君にはないしょで。」

笑ってる。

「頼ってくれて嬉しかったから。妹とかいなくて2人で買い物なんてしたの、初めてだし。よかったら、払わせて。あ、それにさ、わたし無駄に年取ってるから、大人だし。」

はははと笑う。

2人で色違いのスーツ着て鏡の前に並んだ、ああいうの初めてだった。わたしも。友達と服買いに来たりとかはするけど、でも、お姉さんとは違う。それに、友達はお金を払ってはくれない。

「そんなことしなくても、別にもう、結婚反対とかじゃないですよ。」

「そんな意味じゃないよ。ただ、嬉しいだけ。妹を甘やかすっていうのをやってみたいだけ。」

「いや、でも。」

と、言いながら、ふと思う。こういうところがわたし、かわいくないのかな。

「じゃあ……」

わたしって人に甘えるのが下手なんだ。

「すみません。お言葉に甘えます。」

ぱぁっと笑った。子供みたいに。ほんとに喜んでるんだ。こんなことで。わたしなんかに服買うのが、この人は、嬉しいのか。


買い物終わって、ごはん食べてるときに話す。

「千夏さんって変わってますね。」

ははははは、それ聞いて嬉しそうに笑った。

「それ、しょっちゅう樹君に言われる。」

「そうなんですか?」

「意味がわからない、とか、変な人とか。」

「そうなんですか?」

「なんか、梨花ちゃんはさ、やっぱり兄弟だから樹君に顔だちとか似ているとこあるじゃない?それで、おんなじこと言われたから、デジャブみたいだった。」

「似てますか?お兄ちゃんと。」

「うん。目の感じがちょっと。梨花ちゃんも樹君も目の感じ、お父さんに似てるじゃない。」

千夏さんは自分の指で自分の目のところを指さして言った。

「そんなこと言われたの、初めて。お兄ちゃんと似ているなんて。」

「そうなの?」

「はい。」

でも、よく考えたらそりゃそうだ。血がつながってるんだもの。

「普通の家だったら、そういうの家族で話したりするのかもしれませんね。」

うちの母親はお兄ちゃんの話は嫌がるから。千夏さんがちょっと神妙な顔になる。

「千夏さんはお父さん似ですか?お母さん似ですか?」

「ああ、結婚式で会えばすぐわかると思うけどさ、父親に瓜二つって言われるよ。」

「男の人に?」

「うん。」

「千夏さんの顔で男の人ってなんか、想像つかないですけど。」

「まぁ、でも会えば、ああ、こんなんかって思うと思うけど。樹君も初めて会った時びっくりしちゃって。」

「そうなんだ。緊張してました?お兄ちゃん。」

ちょっと聞いてみたかった。

「それなりに緊張してたんだけどね、でも、うちのお父さんがさ、挨拶もなんもしてないのに、上条樹ですっていったら、じゃあ、千夏は中條から上条になるのかって、話の腰折っちゃって。」

「え?」

「そんで、結局あの、お嬢さんを僕にくださいって言わしてもらえなかったのよ。」

「ほんとですか?」

「一生で一回言うか言わないかじゃない。普通。でも、言わせてもらえなかった。タイミング外しちゃって。うちのお母さん怒っちゃって。」

その時のこと思い出したのか、涙にじませるほどに笑ってる。

「がちで夫婦げんかするのよ。もう、わけがわからないの。自分たちが結婚するんでもなんでもないのに、脇役が猛烈にけんかしてさ。しかも、別に結婚自体をするしないみたいなことじゃなくて、些細なことでさ。樹君、顔青くして、すみません。僕気にしてませんから、もうやめてくださいって。」

お兄ちゃんが困ってる様子が頭に浮かんで、わたしも笑ってしまった。

「なんか、お兄ちゃん振り回されてますね。千夏さんにも、みなさんにも。」

「ごめんね。わたしだけならまだしも、うちの家族もちょっと変な家族なのかも。」

指でそっと涙ぬぐってる。

でも、きっとそういうどたばたがいいんだと思う。寂しい思いをした人には。

「結婚って、そんなに悪いものじゃないのかもしれませんね。」

「え?」

「初めてそう思ったかも。」

また、神妙な顔をした。千夏さん。

「いい人が、きっと、梨花ちゃんにも現れるよ。」

結構真剣な目で言ってる。目力強いな、千夏さん。

「千夏さんのいい人はお兄ちゃん?」

ぱっと顔がゆるんで、だらしなく笑う。

「いや、それは……。」


「ただいま―。」

「お帰り。どうだった?買い物。」

帰って来た声のトーンでわざわざ聞くまでもないんだけど。

「なんか、すっごいよかった。」

はぁとため息をつく。ちょっと、なんか変。この人、今日。

「なにが?」

「好きだって告白して、でも、片思いで、そんでも、つくして、がんばって、やっと両想いになれた気がする。ちょっとだけ両想い。今日。」

なんの話をしているんだろう?映画か、漫画か、小説か何かか?

「よく考えたらわたし、片思いってしたことないんだよ。」

「はぁ。」

「初めてだったかも。片思い。」

「……」

自分の話なの?

「僕と結婚する予定の人が、誰に片思いしてるって?」

そして、どうしてその話を僕にするのか。

「え?」

興奮で少し赤らめた顔してこっち向いてる。酔ってんのかな?この人。

「ああ、梨花ちゃん。」

なんですと?

「千夏さん、だって、女の人とか好きになる人じゃないって言ってたじゃん。」

騙された。

「は?何言ってるの?ばかだなぁ。だから、疑似恋愛。別にまじなわけないじゃん。」

なんだよ、それ。もう。

「でも、こう、会うまでに緊張してさ。それで、怒らせたくなくて、気を使って、そんでちょっとだけ笑ってくれたり、前より心開いてくれると嬉しくってさ。何かに似てない?これって?って思ったら、そうなのよ。片思いだわって思って。」

意味が分からない……。本当に。

「そんで、ああ、そう言えば人生で片思いってしたことなかったなって思ってさ。すごいよかった。初めてだよ。こういうの。」

「僕相手にすれば、よかったのに。片思い。で、それから両想い。」

そんなにけなげに頑張ってくれたことなかったよね。千夏さん。僕に。料理だってしてくれないしさ。

「そんなの完全完璧に無理じゃん。しかも、自分でだめにしてんじゃん。」

「どういうこと?」

「出会ってから、何時間か後にはさ、あなた、年上が好きだとかなんとか言ってちょっかいかけてきたくせに。」

「ああ、はい。」

「それで、どうやって片思いできるっていうのよ。」

「それはたしかにそうですけど。でも、なんかつまらない。梨花だけずるい。」

「ばかね。疑似恋愛に嫉妬してどうするのよ。」

冷たいな……。

「でもさ。」

「なに?」

僕のことほっといて、テレビのスイッチ入れてる。

「僕から何か言ったりしたりしないで、それで、千夏さんが僕に片思いする可能性なんてあった?あの頃の僕たちに。」

天井の方をちょっと見上げながら、うーんって考える。

「ないな。」

「そうだよ。眼中になかったよ。」

それから、もう一度虚空を見つめながら、真剣に考える。

「わたし、男の人には片思いできないように生まれついてるのかも。だから、梨花ちゃんがいなかったら、片思いってこんな感じって一生わからなかったかも。」

「そんな体質あるの?」

意味がわからない。いつも、この人。

「あるいは、本当はわたし、女の人が好きなのかな。」

「いや、やめて。絶対。もう考えないでいいから、そういう変なこと。」

この人の場合、突き詰めて考えて、そんで、変なことしそうだもの。結婚式の日取りまで決まってるのにひっくり返すとか。他の人ならしないけど、この人ならしかねない。

「でも、自分が知らないだけで、そういうことってあるのかもよ。」

「今まで、女の人いいなって思ったことあるの?」

「ないけど。」

「じゃあ、違うって。」

「梨花ちゃんが初めての人?」

「……」

なんかむっちゃ落ち込みました。よくわからないんだけど。

「ね、樹君。冗談だって。ほら、顔あげて。」

ぽんぽん、肩たたかれたんだけど……。すぐにリカバれない。

「ね、なんか甘い物でも食べよ?コンビニでアイス買ってくるよ。なにがいい?」

本当にいやだ。短い時間だったけど、すっごい崖っぷちまで追い込まれたよ。迫真の演技かよ。本当に、僕をからかうことを生業としているんじゃなかろうか、この人。

「おーい」

「今日の冗談は趣味が悪すぎるよ。」

「あ、戻ってきた。戻ってきた。」

にこにこしてる。絶対悪魔だ。この人。笑顔がきれいな悪魔だ。

「ね、アイス食べよ。なにがいい?」

「そんなの、こんな時間に食べて、ドレス大丈夫なの?」

「え~。」

あからさまに嫌な顔した。

「なに?」

「気分がいいときは、アイス食べるのがわたしの習慣なのに。」

よくそんな習慣持ってて太らずにきたな。この人。

「ね、じゃあさ、一緒に買いにいこ。で、見ながら選べばいいじゃん。」

「僕も食べるの?」

「1人で食べると罪悪感がちょっとあるけど、あなたも食べると共犯者がいるから気にならない。」

「女の人のそういう考え、よくわからない。」

「わからなくてもいいよ。一緒に食べてくれれば。」

結局引きずられて、一緒にコンビニまで歩く。

「家族が増えるっていいな。」

千夏さんが酔っぱらったみたいにいう。僕と手をつなぎながら。

「人生って、あれみたい。ソロで始まって交響曲で終わってく感じ。みんなの人生がからみあいながら奏で合う。出会った人たちがつながってくんだよ。」

また、子供みたいな感性で独特なこと言ってる。

「今日もいい音楽を聴いた。あなたと出会わなければ聴くことのできなかった音楽。」

目をきらきらさせながら、興奮している彼女を見ていたら、つい道端でキスしちゃった。

「こんなところで。」

「いいじゃん。別に。」

アイスなんかより僕にはこっちのほうが甘いなと思いながら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ