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⑸家族

 異なる人間を繋ぎ合わせる猟奇殺人犯、通称ソーイングマン。名称が付くことでアンダーウェブの匿名掲示板は殺人事件の話題で持ちきりだった。


 根拠の無い憶測おくそく、根も葉も無いデタラメ。有益と呼べる情報は少ない。ミナは無数に散らばった情報の中、砂鉄を拾い集める磁石のように調査を続けた。


 ノワールを連れた状態では事務所に戻れない。携帯電話での情報収集とミアからの手掛かりを整理しながら、ソーイングマンの人物像を考察する。


 死体の状態や現場状況が確認出来なかったことは痛手だが、死体発見現場が整然としていて、警官達の撤収が早かったことから或る程度のことは想像出来る。

 ノワールの話では、死体は手首を切り落とされていたが、それ以外の大きな外傷は無かったという。死因は分からないが、恐らく、毒物だ。


 犯人は被害者を拉致し、毒物で殺害。それから手首を切断し、縫い合わせた。犯人の行動を頭の中でシミュレーションする。最初は男女、次は女性同士、それから成人男性と少女。一見繋がりが無いようだが、犯人が縫うことに異様な執着をしているのが気に掛かった。


 犯人の目的は繋ぐこと。――それは、家族や友人、恋人と心的な繋がりを持てなかった劣等感の表れだ。クリスマスとは本来、イエス・キリストの降誕祭である。クリスマスツリーを飾ったり、家族と過ごしたり、プレゼントを贈るのは、親しい人へ愛を示す為である。転じて、この国のクリスマスは一種のお祭りで、恋人達の日のように認識されているが、ミナにはその文化の起こりはよく分からない。


 ただ思うのは、寂しかったのだろうということだった。

 街行く人々の幸せそうな笑顔が、明るく賑わう街が、恨めしく、その場にいられない己に寂しさを抱いていたのではないだろうか。


 ミアからの追加情報。

 最初の被害者は兄妹だった。次はセクシャルマイノリティの女性カップル。成人男性と少女は親子だが、両親の離婚により離れて暮らしていた。犯人は彼等を繋ぎたかった。其処に被害者の意思は関係が無かったのだろう。他者に共感しない自己中心的なその様は、典型的なサイコパスである。


 ソーイングマンはこの街の何処かで獲物を探している。それとも、既に捕え、処理の真っ最中かも知れない。


 死体を遺棄した場所から、犯人の行動範囲が読める。二人分の遺体だ。大きな車が必要だし、繁華街の側は目立つ。




「ソーイングマンの居場所が分かる」




 携帯電話を片手に言うと、立花とノワールが目を向けた。

 遺棄した時刻、場所、犯人像。あとは不都合が生じないように条件を足して、犯人の立場を思考する。


 ミナは携帯電話をかざした。

 示す地点は二つ。一つ目は港の倉庫、もう一つは郊外の冷凍倉庫だ。この二つを管理する物流会社は死体遺棄地点を通過する。朝方と夜中を荷物を載せたトラックが通行するのだ。


 もう少し時間があれば、犯人の正体も掴めるかも知れない。




「冷凍倉庫の方が有力だと思う。遺体の出血量が少なかったし、肉の解体もしているみたいだし、遺体を保管しておくのに都合が良い」

「犯人の顔が分かるのか?」




 立花が尋ねた。尤もだ。

 ミナは目を伏せる。




「多分、顔を見れば分かる」




 サイコパスの人間は、良心の呵責かしゃくや倫理観を理解せず、巧みに嘘を吐く。けれど、ミナには他人の嘘が分かる。

 それを敢えてノワールに教える必要は無い。ミナが黙っていると、何故かノワールは笑った。




「じゃあ、二手に分かれるか。俺は港の倉庫、ハヤブサとミナは冷凍庫に」

「そんなの、ノワールが危険だ!」




 たまらず言い返すと、ノワールは不敵に笑った。




「俺がこんなところで死ぬか。任せろ。……まあ、ハズレだったら、お前等の方に助けに行ってやるさ」




 その時になって初めて、ノワールが何者なのだろうという疑問を抱いた。彼はミナにとってこの国に来て初めて出来た友達だ。素性は知らないし、訊いたこともない。だけど、この人は恐らく。


 その時、携帯電話が鳴った。

 咄嗟に取り出すと、翔からの着信が入っていた。


 ノワールが手を振っている。

 引き止める言葉を見付けられないまま、ミナはあえぐように溢した。




「Please stay safe」

「当たり前だろ」




 ひらひらと手を振るノワールが、街の雑踏に消えて行く。

 ミナは携帯電話に触れ、着信に応じた。









 7.ツナグ

 ⑸家族









 クリスマス当日。

 深夜零時を迎えた街は、相変わらず呑気に、愚かに賑わっている。それを見ると体から力が抜けるように心が安らぐし、腹の底から形容し難い怒りみたいなものが込み上げる。




「メリークリスマス?」




 翔が言うと、ワタルは白い目を向けて来た。

 先程の戦闘で気が立っているのだろうかと思ったが、むしろ、このぶっきら棒で無愛想な態度が彼の本質なのかも知れない。


 はなればなれだった弟に会う為に遥々来日したというのに、訳の分からないトラブルに巻き込まれて、散々だろう。せめて会話が成り立てば少しは不満も解消出来るだろうが、生憎あいにく、翔にその能力は無い。


 何か出来ないかと携帯電話を取り出して、ミナに電話を掛けた。これまで幾ら掛けても繋がらなかったのに、今度は拍子抜けする程、あっさりと繋がった。


 危うく取り落とすところだった。ディスプレイにはミナの名前が表示されていて、まるで夜の街に太陽が昇ったかのような安堵を抱いた。




「お前、何処にいるんだよ」




 開口一番に詰問きつもんすれば、電話口でミナが笑った。

 そういえば怒らせたんだった。先に謝るべきだったと後悔していると、ミナは何事も無かったかのように喋り出した。




『今、悪い事件が起きてる。危ないから事務所にいて』

「お前に言われたくねぇんだよ」

『レンジと一緒にいるから、俺は大丈夫。それより』




 ミナが何かを言おうとした。だが、その時、後ろからワタルが手を伸ばして携帯電話を奪い取った。


 翔が呆気に取られていると、ワタルは不機嫌そうな低い声で何かを言った。英語だったので分からない。だが、ミナの無防備な声が聞こえた。




『……ワタル?』




 信じられないと、ミナは聞いたこともないような幼い声で溢した。本当に知らなかったのだろう。驚愕に目を見開くミナの顔が見えるようで痛快だった。


 ワタルは英語で何かをまくし立てる。スラング混じりの早口だったので全く聞き取れないが、釣り上がったまなじりや口調には隠しようもない怒りが滲んでいた。


 途端、弾かれたようにミナが感情的に言い返す。殆ど怒鳴り声だった。二人共英語なので何の話をしているのか分からないが、目の前にいたら取っ組み合いの喧嘩を始めていたんじゃないかと思う程の凄い剣幕だった。


 クリスマスに見合わない不穏な会話に、通行人が何事かと足を止める。翔が愛想笑いと意味不明の謝罪で受け流していると、ワタルは八つ当たりみたいに通話を叩き切ってしまった。




「Fuck you!」




 ワタルは吠えるように言って、深呼吸をした。白い面にイルミネーションの光が散っている。その瞼が開かれた時、濃褐色の瞳はぎらぎらとした怒りに染まっていた。


 深呼吸しても、全然冷静じゃない。

 気持ちの切り替えはミナの方が早いらしい。




「ミナトのところに行くぞ」

「場所が分かってんのか?」




 ワタルは鼻を鳴らした。

 機嫌が悪いと一目で分かる。他人だったなら絶対に近付かない。だが、ワタルは怪獣みたいに足を踏み鳴らして、路上にたむろする若者の一団に近付いた。

 今にも殴り掛かりそうな怒気を漂わせているものだから、若者達も腰を浮かせた。からみ付くような喧嘩腰の若者がワタルの鼻先で挑発する。ワタルは、いきなりその鼻っ柱をぶん殴った。


 真っ赤な鼻血が路上に迸り、辺りに緊張感が走る。

 殴り掛かる若者達を軽く躱しながら一人ずつ殴り倒し、ワタルは路上に止められた単車に手を伸ばした。


 鍵が差しっぱなしだった。

 慣れた手付きでエンジンを掛けると、サイドミラーに引っ掛けてあったフルフェイスのヘルメットを翔に投げて寄越した。


 エンジンの拍動が勇ましく響き渡る。向けられる奇異の眼差しも、遠くから聞こえるサイレンも、ワタルはまるで気にしていない。




「殴ってやる」




 ワタルの力で殴られたら、青タンじゃ済まなそうだ。

 翔は後部座席に乗り込んだ。半帽と呼ばれるヘルメットを首に引っ掛け、ワタルがアクセルを回す。排気音が小気味良く響き、車体はミサイルみたいに一気に走り出した。


 ごみごみした街中を飛び出して、駅前の大通りを抜ける。信号待ちする車の間をり抜ける手際の良さは、身体能力だけではなく、運転に慣れているようだった。


 容姿も整っていて、背も高くて、性格は粗暴そぼうなところもあるが正直で、喧嘩にも慣れていて、バスケットボールをする大学生で、バイクの運転が出来る。こんな兄貴がいたら、自慢だろう。ミナもそうなのだろうか。


 ミナが家族を大切に思っていることは知っている。だが、何か理由があって、会わない約束をしているとも聞いている。ワタルが此処に来たのは近江の差し金なのだろうし、ミナだって寝耳に水だろう。今朝も妙に感情的だったし、今のミナは何か変だ。


 本当に会わせていいのか、翔には分からなかった。




「ミナは会えない理由があるって言ってたぞ!」




 エンジンの音にき消されないように、翔は叫んだ。サイドミラー越しにワタルと目が合う。

 ワタルは首に引っ掛かるヘルメットの紐をわずらわしそうにいじりながら答えた。




「そんなの、ミナトと親父が勝手にした約束だ。俺には関係ねぇ」




 彼等には彼等の事情があるのだろうし、他人の家庭のことまで口出しする権利は無い。しかし、ワタルの気持ちも分かるけれど、ミナの心情もんでやりたいのだ。


 単身異国の地にやって来た子供が、殺し屋の元で不本意な犯罪に手を染めている。それでも、大人ばかりの世界で何かを成し遂げる為に奔走ほんそうしている。それは相当な覚悟が無ければ出来ないことだ。


 それを家族だからという理由だけで、邪魔立てして良いのだろうか。


 ワタルが急に減速したので何かと思ったら、信号が赤だった。バイクは強奪した癖に交通ルールを守るところが妙に生真面目でみみっちい。異国の地でも交通ルールは同じなのか、彼が事前に備えて来たのかは分からない。




「アンタ、家族は?」




 振り返りもせず、ワタルが言った。

 翔は答えを躊躇ためらった。




「家族は、いない。殺された」

「……」




 ワタルがグリップを握り直す。

 態度は刺々しいのに、痛ましげに目が伏せられる。性根が優しくて繊細なのだろう。彼がそんな顔をする必要は無いのに。




「誰がやったのかも分からねぇ。ミナが調べてくれてる」

「……うちの兄貴を、危ないことに巻き込むなよ」




 ばつが悪いのか、ワタルの語尾は弱かった。

 家族を心配するワタルの気持ちは分かるし、ミナにも事情があることは知っている。彼等の間でどの程度の意思疎通が取れているのか疑問だったが、それ以上に、翔はワタルの言葉に耳を疑った。




()()?」




 今、ワタルは兄貴と言ったか?

 翔が聞き返すと、ワタルは顔を上げた。信号が変わろうとしている。




「ミナトは俺の兄貴だよ」




 あまりの衝撃に理解が遅れた。ワタルがアクセルをひねると、バイクは並走する車両を出し抜いて一気に加速した。


 ワタルは地図も見ず、自信満々に走っている。まるで、ミナの居場所が本能的に分かっているみたいだった。

 次の信号で止まるまで、翔はこれまで聞いて来た情報を整理するのに精一杯だった。




「We're twins」




 twins ――双子。

 ミナとワタルは双子の兄弟?

 しかも、この精悍な顔付きをした青年が弟だと言う。




「ミナトが決めたことはミナトの責任だ。あいつが家族を大切にしてることも分かってるし、その為に遠去けようとしてることも知ってる。でもな」




 信号待ちをしながら、ワタルは苛立ちを散らすようにエンジンを空吹かしする。通り過がる人が怯えた目を向けて来るが、ワタルは全く気に留めていなかった。




「俺が会いてぇって気持ちと、ミナトが守りたいと思う気持ち。どっちが正しいかなんて誰が決めんだよ?」




 翔は呆気に取られて、そして、笑ってしまった。

 そっくりだと思った。ミナは筋金入りのエゴイストで頑固者だが、弟も大概だ。


 家族の事情とか二人の意思疎通とか、自分が考える必要は無いのだろう。彼等のことは彼等が解決する。翔には、そういう関係性が羨ましく、眩しかった。

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