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⑷人探し

「Wait」




 刃のような鋭い眼差しで、ワタルが言った。

 月明かりを受け、睫毛まつげが頬に影を落とす。ポケットに突っ込んでいた手を出して、ワタルは目の前に迫る路地を睨んでいた。


 月明かりの下に、マネキンが二体、転がっていた。

 男性と子供に見える。衣服の類は身に付けておらず、何処かのアパレルショップが不法投棄したのだろうと思った。

 頭髪は乱れ、二体の人形は肩を寄せ合うようにして倒れている。何の素材を使っているのか、青白い肌はゴムみたいな質感に見えて、気味が悪い。


 ワタルは石像にでもなったみたいに動かなかった。翔は先陣を切って通り過ぎようとした。


 寒風が吹き抜ける。その時、鉄の臭いが鼻の奥を突いた。

 大人の人形を横目に見遣る。開き切った瞼の下、眼球は濁っている。半開きの口から微かに前歯が覗き、黒い液体が溢れていた。


 人形じゃない――。

 世界にひびが入ったかのような衝撃に、翔は一瞬、呼吸を失った。地表が揺れ動いているみたいだった。翔が人形だと思い込んでいたものは、人間の死体だった。


 胃が引っ繰り返るような吐き気が込み上げる。

 人が死ぬところも、死体も見たことがある。だが、目の前のそれは普通じゃない。寄り添った二つの死体は、手首が切り取られ、何かで繋ぎ合わせられていた。


 微かな呻き声がして振り向けば、真っ青な顔でワタルが口元を押さえていた。


 警察に――。

 翔が携帯電話を取り出そうとしたその瞬間、上空から空気を切り裂く音がした。翔に見えたのは、月光をさえぎる黒い影だった。


 それはギロチンのように容赦無く、一直線に落下して来た。


 瞬時にワタルが身を引く。しかし、それは動きを予測していたかのように身をひるがえし、落下の直前に肩口を引っ掴んだ。


 ワタルの身体が傾き、足元が宙に浮く。地面に叩き付けられる寸前、ワタルは空中で身をひねると襲撃者の腕を振り払った。


 着地の瞬間、ワタルの顔が痙攣けいれんみたいに歪んだ。

 襲撃者は体勢の整わないワタルの胸倉を掴むと、今度こそ地面に縫い付けた。


 くぐもった声が漏れる。

 馬乗りになった襲撃者が拳を振り上げる。翔はその顔面を狙って蹴りを放った。しかし、それは容易く躱され、襲撃者は軽い足取りで距離を取った。


 左右を壁に挟まれた路地裏で、翔は謎の影と対峙した。

 月光を背負った襲撃者の顔は見えない。




「Who are you?」




 荒い呼吸を整えながら、ワタルが問い掛ける。襲撃者は何も言わなかった。呼吸も気配も感じられない。まるで、幽霊みたいだ。


 背後には人間の死体、正面には正体不明の襲撃者。

 翔が庇って前に進み出ようとすると、ワタルの腕がそれを振り払った。横顔には不敵な笑みが浮かんでいる。濃褐色の瞳は爛々と輝き、この状況そのものを楽しんでいるようにさえ見えた。


 頬を風が撫でる。一切の予備動作も無く、襲撃者が拳銃を構えた。心臓に冷水が流れ込んだみたいに体が強張った。

 引き金が絞られ、銃弾が飛び出す。コンマ一秒に満たない刹那、ワタルは最小限の動きで避けると、一瞬で襲撃者のふところへ潜り込んだ。


 銃弾がコンクリートの壁を穿ち、襲撃者がはやし立てるように口笛を吹いた。


 雲間から顔を出した月が辺りを照らす。淡い月光の下、エメラルドグリーンの瞳が硝子片のように鋭く光った。

 翔は其処に既視感を抱かずにはいられなかった。


 ワタルの拳が襲撃者の鼻先をかすめる。避けるタイミングで翔が背後に回ると、ワタルが制止を叫んだ。向けられた背中、脇から銃口が覗いている。


 襲撃者は笑っている。その時になって、それが自分とそう変わらないだろう若い男であることに気が付いた。


 ワタルが右足を振り抜くと同時に、空気の抜けるような発砲音がした。サイレンサーが付いている。何者かは分からないが、素人じゃない。


 コンクリートに衝突した銃弾が耳障みみざわりな音を立てる。襲撃者は取り落とした拳銃にも構わず、ワタルの頭を両手で掴んだ。そのまま凄まじい勢いで膝を振り上げる。翔は無防備な背中に向かって蹴りを放ったが、まるで鉄板でも入っているかのような硬い感触が返って来た。


 襲撃者の膝に額を割られる寸前、ワタルは力業ちからわざで拘束から逃れた。翔はその隙を逃さず、ぶん殴った。


 手応えが無かった。

 背中に目が付いているのか、襲撃者の手の平が受け止めている。

 そのまま足首を掴まれて、力任せに投げ飛ばされた。背中からコンクリートの壁に衝突し、一瞬、息が止まる。


 襲撃者の前にワタルが立ち塞がる。

 何処か痛めたのか、姿勢が傾いていた。けれど、月明かりに照らされた横顔に焦りや恐怖なんてものは微塵みじんも無く、挑戦的な笑みが浮かんでいるだけだ。


 襲撃者も、ワタルに照準を定めたらしかった。

 格闘技とは異なる、純粋な身体能力による殴り合いだ。襲撃者の右ストレートを紙一重で躱すと、ワタルのカウンターがその頬をえぐった。


 襲撃者が僅かによろける。頬を殴られた衝撃で口の端が切れたのか、血が滲んでいた。




「Did you do it?」




 背後の死体を親指で指し示し、ワタルが問い掛ける。

 激しい格闘のせいか息が荒い。襲撃者は虚を突かれたみたいに目を丸くした。


 そして、悪童染みた好戦的な笑みを浮かべ、その男は答えた。




「俺ならもっと綺麗にやる」




 襲撃者はエメラルドグリーンの瞳を伏せて、笑っていた。


 この死体を作り出したのは、彼ではないらしい。だが、この男は不穏なことを言っている。その瞳は腐った沼の底を思わせる。足を取られたらもう二度と這い上がれないような、そんな不気味さが彼からは漂っていた。




「お前、名前は」




 ワタルが問うと、襲撃者は微笑んだ。




「ノワール」




 まさか本名とも思えない。

 ノワールは口の端を手の甲で拭った。




「お前も名乗れよ。こんな時間に迷子か?」




 ノワールのエメラルドの瞳は、ワタルを捉えて離さない。余程、気に入ったのだろう。殺し合いをした直後とは思えない穏やかな口調だった。




「Wataru」

「外人か?」

「I don't care. Just looking for people」

「へえ。――俺と一緒だな」




 ノワールの口元が三日月のように歪む。




「お前とはまた会う気がするなァ」




 そんなことを言って、ノワールは手を振った。

 そして、まるで何事も無かったかのように背中を向け、陽炎かげろうのように消えてしまった。

 追い掛ける気力は無かった。ワタルはその場に座り込み、腹の底から深い溜息を吐き出した。









 7.ツナグ

 ⑷人探し









 アンダーウェブを探っていたら、殺人事件の追加情報が上がっていた。

 クリスマスイブの夜、路地裏で二人の人間が殺害されていたという。詳細も記されていたようだが、暗号化されていた。暗号解読は得意だが、今は兎に角、時間が無い。ハッカーのミア・ハミルトンに解読作業と情報収集を頼み、ミナはクリスマスを迎える街へり出した。


 珍しく、立花が付いて来た。猟奇殺人に殺し屋の集結という不穏な状況に心配してくれたのかも知れない。早く強くならないといけないなと自戒じかいしつつも、ミナは嬉しかった。

 立花にとって、自分が守るに値する人間でいられることが、誇らしかった。


 ネットに寄せられた情報では、現場は事務所の近くだ。犯人が早く捕まらないと、近隣の建物にも警察の調査が入るかも知れない。面倒だ。


 地図を見ながら目的地に向かうと、数台の覆面パトカーが停まっていた。回転灯は点いていない。体格の良いいかつい男達が、何やらけわしい顔で実況見分しているようだ。

 ミナは建物の壁から様子をうかがった。話している声までは聞き取れない。死体は片付けられてしまっているらしく、チョーク・アウトラインも無ければ、規制線も無い。


 本当に捜査をしたのかと疑いたくなる回収の早さである。

 せめて、何か聞き取れないかと首を伸ばしたら、立花に引っ張られた。振り返ると立花の呆れたような目が見下ろしていたので、ミナは小さく謝罪した。


 界隈で起きた猟奇殺人。

 被害者はこれで六名。少なくとも前四件は身元不明で捜査は難航していると聞いているが、それも怪しくなって来た。情報規制が厳しいのだ。遺体の損壊が激しいか、身元が知れると困る人物なのか。それとも、国家絡みで情報操作されているか。


 手掛かりが無いのでは、プロファイリングも出来ない。

 ノワールから聞いたのは二件目の犯行だけだ。裸の女性二人が、手首を切り取られ、手を繋ぐみたいに縫い合わされていたという。


 ノワールは、素人だと言っていた。

 だが、殺しのペースが早過ぎる。もしかすると、犯人は獲物を既に捕らえていて、ストックしているのではないだろうか。それとも、これは殺し屋を競合させる為の国家絡みの事件か?


 頭が働かない。色んな可能性が精査する間も無く次々に浮かんで、頭の中が一杯だった。眠いし、腹も減った。思考回路がび付いてろくな考えも浮かばないし、15分でいいから寝たい。


 限界を感じて、休息を求めて立花を振り返る。声を掛けようとして止めたのは、その金色の瞳が遥か後方をじっと睨み付けているからだった。


 繁華街の光を浴びて、その人物は此方を見ていた。

 通り過ぎる車のヘッドライトが網膜もうまくを焼いて、眩しくて目を開けていられない。


 その時、名前を呼ばれた。




「ミナ?」




 その声にはっとした。

 穏やかなテナーの声だった。ミナは睡魔を振り払い、その人物に駆け寄ろうとした。だが、立花の腕が伸びて来て、制止する。




「お前、何者だ」




 一段と冷ややかな声で、立花は彼を警戒していた。

 まさか、敵か?

 いや、まさか。だって、彼は、俺の。




「ノワールは俺の友達だ」




 路地裏の闇の中、エメラルドの瞳が灯火のように揺れる。


 彼が何者なのかなんて知らない。でも、少なくともミナにとっては敵じゃなかった。一人の味方もいない異国の地で初めて出会った親切な友達だ。


 互いのことは詮索して来なかった。だけど、彼は一度も嘘を吐いたり、誤魔化したりしなかった。


 ノワールの横顔がヘッドライトに照らされる。口元が腫れていた。殴られたみたいな傷だ。




「怪我してる。喧嘩でもしたの」

「……まあ、そんなとこ」




 ノワールは歯切れ悪く言った。

 彼が話したくないのならば、訊く必要は無い。詮索するという行為そのものが相手への裏切りになる。ミナはそう考えていたし、これからもそのつもりだった。




「アンタ、ミナの家族?」

「いや……」

「じゃあ、俺の敵?」




 ノワールは立花を見ていた。

 立花は警戒している。分かる。逆の立場なら、自分もそうする。だって、タイミングが良過ぎるのだ。猟奇殺人が起こって、その場にいきなり現れた第三者を疑わない理由が無い。


 でも、ノワールは。




「ノワールは俺の友達だよ」




 立花は納得したようではなかったが、ミナが訴えると腕を下げた。ミナは立花の横を擦り抜けてノワールの元に駆け寄った。


 頬を殴られたらしく、腫れている。口の端は切れているし、相手は相当な力で殴ったのだろう。原因なんて知らないが、友達を傷付ける奴は許せない。


 ミナはポケットから絆創膏ばんそうこうを取り出し、切れた口の端に貼ってやった。ノワールはびっくりしたみたいに目を真ん丸にしていたが、絆創膏に触れると柔らかく微笑んだ。


 ミナとノワールのやり取りを見ていた立花は、一先ず警戒を解いたらしかった。その手が懐の銃に伸ばされていたことを悟り、ミナは冷や汗を掻いた。最悪の事態はまぬがれたのだろうか。


 ミナは立花の動きを観察しながら、ノワールに問い掛けた。




「こんなところで何してたの?」

「ああ、ちょっと、人探しをね」

「……危ないよ。最近、嫌な事件が起きてるだろ。さっきも警察が来てた」

「ああ。見たよ。また縫われてた」




 縫われてた?

 初めて聞く情報だ。ミナと立花が到着した時には、死体は既に回収されていた。ノワールはその前に死体を見たということだろうか。


 二件目の死体を目撃した時も、ノワールは通報をしなかった。警察が嫌いでわずらわしいという気持ちも分かる。だが、彼が死体を見たというのは、重要な情報なのではないだろうか。




「どんな死体だった?」

「前と同じだよ。裸の二人で、手首が切られてた。大人の男と、女の子だったな。それを無理矢理、縫い合わせてあった。……ああ、そういえば切り口が綺麗だったな。刃物を変えたか、上達したか」 




 三件目も、やはり縫われていたのだ。

 そうなって来ると、最初の犯行が重要だ。何か情報はないものかと立花に助けを求めると、あっさりと告げた。




「一件目も同様だ。裸の男女が、縫われてた。だから、俺達はソーイングマンって呼んでる」




 ソーイングマン――縫う男。

 殺人犯に呼称を付けるのは良くないのだが、便宜べんぎ上、仕方がないだろう。


 被害者に共通点は無い。少なくとも、ミナは被害者の詳細を知らない。だが、三件も続く犯行で、裸の二人を縫い合わせるというのは、キーワードだ。


 犯人の目的は縫うことだ。殺害はその為の手段だった。

 いや、遺体の状況を確認した訳じゃない。憶測は止めよう。何故、縫い付ける必要がある。それも、手首を。


 ――せっかく、別の人間に生まれたのにな。


 ノワールの零した言葉が蘇る。

 散らばった点と点が線で繋がる。其処に浮かび上がるのは星座なんて美しいものではない。人間の持ついびつで、残酷で、身勝手で、救い難い独善だ。


 縫ったのは、ただの手段。

 裸の男女、女性二人、男性と少女。恐らく、目的は。




「繋げたかったんだ」




 ミナが零すと、ノワールは意味が分からないというように眉を寄せた。

 これはミナの推測だ。犯人が縫ったのは手首だったという。それはまるで、手を繋ぐように。何故か。




「寂しかったのかな」




 立花とノワールが怪訝けげんそうに目を細める。

 構わなかった。自分の憶測は誰も傷付けない。間違っていたなら、修正すれば良いだけの話だ。


 そして、これが真実ならば、被害者の身元を調べる手掛かりになる。


 携帯電話を取り出すと、ミアからメッセージが届いていた。

 ヴィジュネル暗号にモールス信号を組み込むという念の入れようだ。余程、重要な手掛かりを掴んだのだろう。


 頭の中に立ち込めていたもやが晴れるように、急に頭が冴えて来る。ミナは受信したメッセージを夢中で解読した。

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