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Ace in the hole. ー最後の切り札ー  作者: 宝積 佐知
19.空を見上げて夢を見る
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⑷光明の悪魔

 航のバイクの後ろに乗っている時、湊はいつも気分が良かった。鮮やかな運転も、サイドミラー越しに感じる弟の視線も、エンジンの拍動はくどうも、風を切る感覚も大好きだった。


 航と二人、バイクに乗って何処までも走って行けたら、きっと楽しいだろう。天気は晴れでも雨でも良い。びしょ濡れでこごえていたって、鼻歌の一つでも歌ってやる。


 航がいたら、俺は無敵なんだ。何も怖くないんだ。

 けれど、目的地が近付くに連れて、胸を突き上げるような興奮は緊張に変わった。第六感、虫の知らせ。それは湊自身の緊張ではない。航の鋭敏えいびん感覚的知覚かんかくてきちかくを共有しているのだ。




「もう少しで、向こうの射程圏内しゃていけんないに入る」




 ヘルメットを被っているので、少しだけ声量を上げた。

 航は振り返らず、僅かにあごを上下させた。


 高層ビルを根城ねじろにしたSLCをたった五人で制圧する。その為に重要になるのは事前準備と作戦だ。攻城戦こうじょうせんには幾つかセオリーがあるが、戦力差が大きいので向こうの援軍は無いだろう。念の為、対策はしておくけれど。


 監視カメラのたぐいはハッキングしたかったのだが、湊の手元にはノートパソコンが無かった。この国で、自分以上にコンピュータに精通した味方はいない。海外から手を回すとタイムラグが生じてしまうし、不確定な情報におどらされるのも御免である。




「来るぜ」




 航が言った。

 湊は身構えた。破裂音が木々のざわめきのように響き渡る。金色の閃光がコンクリートをえぐり、火花が散る。航がアクセルを回し、転倒ギリギリの角度と速度でかわして行く。

 凄まじい重力が掛かり、湊は荷物を守りながら航の腰にしがみ付いた。


 銃弾をかわしながら、瓦解がかいしたコンクリート片の影に滑り込む。湊は後部座席から飛び降り、バイクにくくり付けた荷物を背負った。大きなリュックに手提てさげの袋。山籠やまごもりでもするような大荷物である。


 航はヘルメットのシールドを上げた。




「次の合流地点で待ってるからな」

「ああ。時間通りに行くよ」




 シールドを下げると、航はアクセルを回した。

 咆哮ほうこうを上げてバイクが銃弾の嵐を駆け抜けて行く。湊は荷物を担いで、目的地である排水溝のふたを目指した。


 航は、おとりである。

 弟が陽動を行っている間に、湊は罠を張り巡らせる。真正面から戦う必要は無い。立花たちの到着と、どちらが早いか。


 湿気と腐臭に満たされた下水道は、ロックダウンの影響で明かりが無かった。湊は手元のタブレットを操作して地図を確認する。


 追手が来られないように罠を仕掛けながら、準備を進めて行く。ゲリラ戦の罠なら兎も角、湊はそれを扱ったことが無かったので手間取った。

 なるべく見えにくい所にタイマーを設置し、湿気しっけに強い火薬を隠して行く。やるなら、徹底的に。叩くなら、折れるまで。


 予定より良いペースだ。

 航が囮として機能している内に、立花や翔太が建物に侵入してくれると有りがたい。そうしたら、航は早めに撤退てったい出来る。


 あと二つ。空になった手提げ袋を畳み、軽くなったリュックに入れる。下水道の角を曲がった瞬間、後方からうめき声がした。


 追手が現れたらしい。これは、想定よりずっと遅い。

 湊はリュックを背負い直し、道を急いだ。追手対策の罠はピアノ線しか用意出来なかったのだ。とどめにはならないが、四肢を切断するくらいなら出来るだろう。


 目的地を目指しながら、一つ、また一つと設置して行く。

 目指すのは高層ビルの機械室である。立花と翔太が侵入するタイミングで、航と合流して向かう手筈てはずになっている。俺は戦力になれないから、これくらい。


 航の携帯電話にメッセージを送った時、闇の向こうから足音が聞こえた。




「会いたかったよ、悪魔の手先」












 19.空を見上げて夢を見る

 ⑷光明こうみょう悪魔あくま












 それは生理的嫌悪感をもよおす、機械のような抑揚よくようの無い声だった。

 湊は咄嗟とっさに曲り角に身をひそめた。足音は近付いている。


 予想はしていたが、このタイミングは不味まずい。

 援軍には期待出来ない。相手は銃を持っている。此処で発砲されるのは、困る。


 湊は舌打ちを漏らし、声を上げた。




「そんなに俺とおしゃべりしたいの?」




 時間をかせぐしかない。

 救難信号を出しつつ、湊はタブレットをリュックに入れた。

 足音は止まらない。時間の問題だ。湊は覚悟を決め、姿を現した。




「良いぜ。お喋りしようよ。……俺もアンタには、言いたいことがあるんだ」




 闇の奥に青い双眸が光る。

 褐色の肌、六本指の左手。SLCの殺し屋、ベリル。ーーノワールのかたき


 湊は両手を上げた。

 此方の武器は腰に差した軍用ナイフ一本。銃を持った殺し屋相手に勝算は低い。さて、どうする。




「どうして、僕等の邪魔をするんですか?」




 ベリルが、言った。

 相変わらず、寒気がする男だ。何しろ、この男は伽藍堂がらんどうで、まるで人形のようなのだ。ベリルと言う名前も本名ではないのだろうし、正体は全く分からない。


 SLCの教主だったアンバーを崇拝すうはいするいかれた殺人鬼。

 けれど、その信念も情熱も借り物で、ベリルの意思は欠片かけらも無い。ーーまれに、いるのだ。こういう空虚くうきょな人間が。


 後方から追手の気配がする。挟まれている。

 ピアノ線のトラップはどのくらい持つだろう。

 湊は銃口と対峙しながら、笑ってやった。




「お前等が間違っているからさ」




 湊が言うと、ベリルは胡乱うろんな眼を向けた。




「何処が、間違っていると言うんですか?」




 ベリルは、仄暗ほのぐらい笑みを浮かべている。




「科学の発展は人類の未来に貢献こうけんして来ました。僕等の研究もそうです。SLCは多くの人を救済していますよ」

「その裏でどれだけの人を殺し、闇にほうむったんだ」

犠牲ぎせい無く対価は得られない。そうでしょう?」

「その犠牲者を、お前等が選ぶというのか」

「仕方ないことです。進歩と引き換えに犠牲を要求して来たのが、科学だ」




 腹の底で、怒りが火のを散らす。

 湊は拳を握った。


 こいつ等は、いつもそうだ。何も分かっちゃいない。耳障みみざわりの良い言葉にって、上辺うわべだけの理解で、その本質を知ろうともせずに、誰かの大切なものを物顔ものがおで奪って行く。


 科学は常に犠牲を要求し、発展の裏で多くの血が流れた。

 けれど、それは犠牲を切り捨てるということではない。犠牲者の血肉を、魂を、かてとして背負っていかなければならないのだ。科学は万能ではない。こいつ等は、それが分かっていない。




「科学は万能じゃないし、人は神じゃない。誰であろうとも殺して良い権利は無いんだよ」




 怒りで顳顬こめかみの辺りが痙攣けいれんするのが分かる。

 湊は怒りを呑み込み、冷たく言った。




「犠牲者をいたまないお前等は、科学者でも何でも無い。ただの殺人鬼だ」




 どうせ、分からないだろう。

 それでも、湊は伝えなければならなかった。

 科学者とは、そういう生き物だ。無理だと思っても、可能性がある限り諦めない。嘆くひまがあるなら、打開の方法を探す。




「お前等は、いずれ歴史に抹殺まっさつされる存在だ」




 リュックの中で、微かな振動を感じた。

 誰かから反応があった。航か、立花か。しかし、確認する余裕は無い。


 ベリルの口元が、三日月のように弧を描く。それはみにくゆがんだ、嗜虐的しぎゃくてきな笑みだった。




「君の父親も、そうでしたね」




 心の柔らかい所を、握られたみたいだった。

 分かってる。これは挑発だ。こいつ等はいつも親父を引き合いに出す。湊は奥歯を噛み締め、言葉をえた。




「どんな偉業を成し遂げても、英雄もいつかは忘れられる。遺伝子に人の歴史や記憶は残されない」




 ベリルは堂々と、まるで舞台演者が客席に向かって訴え掛けるみたいに話す。湊には、それが不快だった。




「ならば、僕等がその記録を作る。その為に今の君は邪魔だ」




 脳の毛細血管が、線香花火のようにぶつぶつと破裂して行くような感覚だった。恍惚こうこつと語るベリルに、一年前に刑務所送りにしたアンバーの顔が重なって見える。


 こいつは、俺の親父を同類だと思っているのか?

 紛争地で医療援助を続け、反戦の為に奔走ほんそうし、最期は家族や民間人をかばって爆弾テロで死んだ親父と、同列だと?


 腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。

 怒りで頭が沸騰ふっとうしそうだ。これ以上の論議に価値は無い。


 湊は、溜息を吐いた。




「はいはい、お得意のお人形遊び(ドールプレイ)ね」




 その瞬間、ベリルの眉間にしわが寄った。




お人形遊び(ドールプレイ)?」




 湊はせせら笑った。

 人形みたいだったベリルに、困惑と苛立ちが浮かぶ。なんだ、そんな顔も出来るのかよ。湊にはそれが小気味良く、そして、不愉快ふゆかいだった。




「どうでも良いんだよ、お前等のいかれた計画なんて」




 心底、どうでも良い。

 侮蔑ぶべつを込めて、湊は吐き捨てた。


 ベリルの指先に力がこもる。

 指先一本で人の命を奪う凶器。


 嫌いだ。こんなものは、大嫌いだ。

 銃も爆弾も、大嫌いだ。

 それを振りかざおろか者には反吐へどが出る。


 湊はベリルをにらんだ。




「お前の信じるアンバーはクソ野郎だった。部屋に閉じこもって人形に話し掛けるだけの、卑劣ひれつ臆病おくびょうな負け犬だ。だから俺みたいなガキに言い負かされて、勝手にキレて、馬鹿みてぇに自滅じめつして、今も俺が怖くて塀の中で震えてんだよ」

「……殺すぞ、お前」




 湊はわらった。




「何だよ、キレてんのか? 耳塞みみふさいでんじゃねぇよ、この三流の雑魚が。ーー何度でも言ってやるよ!」




 ベリルの額に青筋が走り、憎悪に満ちた眼光が射抜く。

 湊は鼻を鳴らし、声を張り上げた。




「テメェの信じる正義は()()で、テメェはただの()()で、SLCの教義は何の価値も無い()()なんだよ!」




 色褪いろあせてモノクロに染まった世界で、ベリルの憎悪だけが鮮烈せんれつに映る。けれど、恐怖は無かった。


 こんな奴のせいで、こんな馬鹿な人形のせいで、ノワールは。思い出そうとすると、頭の血管が切れそうだった。冷静じゃないと言うことは、自分が一番分かっている。下手したてに出て従順に振る舞った方が時間稼ぎには有効だ。だけど、止まれなかった。


 こいつ等はクソ野郎だ。

 こんな奴等の為に、嘘でも共感なんてしてやるものか!




「こっちはとっくに腹くくって地獄にいるんだよ! テメェ等は犬みてぇに同じ所ぐるぐる回ってりゃ良いさ、俺は人形とお喋り趣味は無ぇからな!」




 もう腕も疲れて来た。

 湊は腕を下ろし、青い眼球を睨んだ。




「テメェ等と分かり合える日は来ないし、納得することも出来ない。俺は逃げないし、負けるつもりも無い。理由が必要なら教えてやる」




 腰に手を伸ばし、ナイフのグリップを掴んだ。

 此処で死ぬなら、それまでの男だったと言うだけの話だ。

 湊は微笑み、声を上げた。




「ヒーローは必ず勝つからさ!」




 悪鬼あっきのような形相ぎょうそうで、ベリルが引き金をしぼる。湊がナイフを引き抜く。そして、破裂音が一発、尾を引いて響き渡った。

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