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Ace in the hole. ー最後の切り札ー  作者: 宝積 佐知
19.空を見上げて夢を見る
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⑶死者の為に出来ること

「……なあ、おい。ハヤブサさんよォ」




 壁に凭れたペリドットは、頭の後ろで手を組んでいた。

 エメラルドの瞳に蝋燭ろうそくの火が映り、まるで南海に沈む夕陽を眺めているみたいだった。立花は取り出した煙草に火を点けないまま、指先でもてあそんでいた。


 近江の古屋ふるやは山奥にあり、壁が薄い。納屋なやで話していた翔太たちの声は筒抜つつぬけだった。あの双子が幾つもの不測の事態を想定して、意味があるかも分からない悪巧わるだくみをしていることは知っていた。

 だから、聞くつもりは無かった。彼等が何の為に生き、何を成し遂げようとしているのかなんて。




「子供はタフだな。何処にそんなエネルギーがあるのかって思うくらい、全力で生きてる」




 ペリドットはそう言って、視線を落とした。

 ふたをされた囲炉裏いろりの上に、一台のタブレット端末が煌々《こうこう》と光っている。映し出されるのは、SLCの根城と思われる高層ビルの見取図だった。それに加えて周辺の地図や警察の動きまで詳細に調べ上げているのだ。一体、いつの間に。




「この後に及んで屁理屈へりくつねんのは、大人げねェな……」




 ペリドットはタブレット端末の電源を落とした。

 国家公認の殺し屋、ペリドット。本名、天神侑てんじん たすく

 立花には、彼のイデオロギーは分からない。けれど、この男が相応の覚悟を持ってこの道を選び、今この場所にいることは分かった。




「手を組もうぜ、ハヤブサ。俺は家族を奪った奴等を許さないし、テメェのプライドにも興味は無ェ。だけど、ガキ共が命を懸けてんのに、黙って見てる訳にゃいかねェ」




 そうだろ、ハヤブサ。

 さとすように、語り聞かせるように、殺し屋とは思えない程に穏やかな口調でペリドットが問う。




「あのガキ共が死にそうな時、テメェは黙って眺めてたろ。死んだらそれまでだなんて、お利口りこうさんなこと言ってよォ。……なぁ、おい。今はどうだよ」




 壁際には、近江が胡座あぐらいていた。

 うつむいているが、寝ているのか、狸寝入たぬきねいりなのかは分からない。最近、寝ていることが増えた。出会った頃は大きく感じた背中が、随分と小さく見える。


 近江は老いて、翔太と湊は大人になった。

 では、俺は?

 俺は一体、何になったんだ?




「守ってやれよ、テメェの身内だろ」




 立花は、奥歯を噛み締めた。


 身内。

 俺が、言った。


 家族がどんなものなのかなんて、知らない。誰かに守られたことなんて無かった。誰も頼らず、誰にもすがらず、たった一人で闇の底をい回り、塵芥ちりあくたのように死んで行く。そんな未来しか思い描けなかった俺の手の中に、いつの間にか居座いすわった子供たち。


 大切なものは、出来たか?

 近江が、何度も訊いた。意味は分からない。理由も、訊き返したことも無い。どうでも良かった。


 薬物に汚染されて死んだ両親、孤児院の同胞どうほう

 どうせ、手を伸ばしたって届かない。だけど、それでも失いたくない。どうでも良かったはずの人との繋がりが、まるで唯一無二の宝石みたいに光るから。


 立花は、その感情を表現する言葉が見付けられなかった。




「……納屋に、テメェの弟が描いた油絵が置いてある」




 立花が言うと、ペリドットは目をすがめた。

 ノワールは油絵が趣味だったと聞いた。翔太と湊がノワールの家で見付けたらしい。立花には芸術に関心が無かったので、よく分からない。


 湊が拉致されて、ノワールが死んで、立花が後日、持ち帰った。あれをノワールはどんな気持ちで描き、そして、湊はどんな思いで見たのか。


 立花には、分からない。

 だから、たくすしかない。せめて、彼の兄に。




「テメェの弟が何を願い、何を感じ、何の為に生きたのか、ちゃんと見てやれ」




 復讐に未来は無い。

 立花の意見は変わらない。ペリドットとは相容あいいれないし、議論は平行線のままだ。だけど、それでも良い。

 俺達は、そうとしか生きられないし、それ以外の生き方に価値を感じない。誰かに変えられる程度の覚悟で地獄を選んだ訳じゃない。


 夜が更けて行く。

 やがて、山の向こうから朝陽が昇り、深い闇を切り裂いて行くだろう。













 19.空を見上げて夢を見る

 ⑶死者の為に出来ること













 朝日の昇り切らない早朝の薄闇うすやみの中、六人の透明人間が車座くるまざになる。昨日の険悪けんあくさが嘘みたいに、室内は明け方の清浄な空気に満たされていた。


 翔太が居間に来た時には立花もペリドットもすでに座っていて、近江が台所で朝食を作っていた。湊と航はいつまで起きていたのか分からないが、一番最後にやって来て、寝惚ねぼまなここすっていた。


 近江が用意したのは、精進しょうじん料理みたいな質素な朝食だった。全体的に薄味だが、採れたての夏野菜は美味かった。朝食を早々に済ませ、湊と航が食器を洗った。この双子は生意気だが、しつけが成っているのである。




「俺達の勝利条件は、主要ターゲットの殲滅せんめつ。最低達成条件は、誰も死なないことだ」




 タブレット端末を操作しながら、湊が言った。

 画面に見取図が映る。地上17階、73mの高層ビルである。世間ではあのホロコーストを乗り越えた復興の希望としょうされているが、実際は悪党の根城で、危険薬物の製造工場だった。


 地下は駐車場が広がっており、建物は危険区域として立入禁止になり、街はロックダウンされているので無人のはずだった。だが、湊と航がドローンを飛ばした所、闇にまぎれてうごめく影が見付けられた。子供の悪知恵わるぢえとは、大人の想像を容易たやすく超えて行く。




「見ての通り、俺は足手纏あしでまといになる。戦力にはなれないから、後方支援しつつ遊撃隊ゆうげきたいとして場を撹乱かくらんする」




 なんか、言っていることおかしくないか?

 翔太の疑問は立花も同じだったようだった。立花は眉を寄せて指摘した。




おとりになるってことだろ? 動けるのか?」

「俺が付いて行くよ」




 航が言った。

 翔太は、其処でようやく航が此処にいる意味を察した。重傷で動けない兄の足代わりになり、サポートをしてくれるらしい。湊も航と一緒なら心強いだろうし、いざと言う時に暴走せずに済むだろう。




「恐らく、今のSLCの実質的な煽動者せんどうしゃはベリルだろう。こいつは早めに始末したい。そうすれば、SLCの指揮系統は或る程度無力化出来る」

「じゃあ、そいつは俺がやる」




 言ったのは、ペリドットだった。

 ベリルは、ノワールを殺した男である。反対する意味も、理由も無い。湊は頷いた。




「じゃあ、俺たちがベリルをおびき出す。後のことはペリドットに任せる」

「おう」

「一番厄介なのが、ギベオンだ。この人は多分、SLCに寄生きせいしているだけの殺人鬼だ。だから、行動が読めない。……取り逃したのは、蓮治だったかな?」




 湊が意地悪く言うと、立花は舌を打った。

 今考えると、その時にギベオンを始末出来なかったのは痛手いたでだった。いや、それはベリルも同じだ。もっと早く始末出来ていれば、ノワールは……。


 翔太がうつむいていると、立花が言った。




「じゃあ、俺がそいつを殺してやるよ。ついでに、望月っていかれた男もな」

「……俺も、行く」




 翔太が言うと、立花が嫌そうに目を細めた。

 怖くは無い。歓迎されないことも分かってる。立花でさえ仕止め切れなかった殺人鬼を相手に、自分に出来ることは無いのだろう。ギベオンは、立花に任せるしかない。




「俺は、望月さんと話したい。説得しようって訳じゃねぇ。ただ、話しておきたい」




 死んだら、答え合わせは出来ない。

 どうして、自分の父を裏切ったのか。どうして、自分の家族は奪われたのか。理由なんて無いならそれで良い。ただ、話しておかないと後悔すると、思った。




「……分かった。お前は俺と行くぞ」




 立花は溜息混じりに言った。

 大きな手の平が頭を押さえ付ける。その時、独り言みたいな小さな声で、立花が言った。死ぬなよ、と。


 当たり前だ。こんな所で死んでたまるか。


 作戦は、決まった。

 SLCの根城を襲撃し、ターゲットを捕捉ほそく次第始末する。

 湊と航は街中で雑兵ぞうひょうを誘導しながら、ベリルを誘き出す。ペリドットは護衛しつつ、ベリルを始末する。


 一方で、翔太と立花は地下から建物に侵入し、ギベオンと望月を捜索する。普段なら湊がナビゲーションしてくれるが、今回は手が塞がっているので援護には期待出来ないだろう。


 目的地までは、航のバイクと立花のBMWで移動する。ペリドットが立花の車に乗るのは嫌だと言って、立花もお前なんか乗せるのは嫌だと怒った。作戦内容を考えると湊と航はセットにしておくべきだったので、翔太が仲裁ちゅうさいして、どうにか出発の準備が整った。


 航のバイクには大きな鞄が二つくくり付けられていた。

 中身はよく知らないが、必要なものなのだろう。エンジンを掛ける直前まで、湊がかばんの位置を調節していた。


 近江が見送りに来てくれた。

 古屋ふるやを背景に手を振る近江は、まるで昔噺むかしばなしに出て来る気の良いじいさんみたいだった。




「美味い酒を用意しておいてやるよ」




 だから、ちゃんと帰って来い。

 近江は見えなくなるまで手を振ってくれていた。


 目的地まで距離がある。順調に行っても到着するのは夕方だろう。ロックダウンの規制線を通り抜けるのは少し不安だったが、先導する航のバイクが迷いなく進んで行くので、少しだけ安心した。


 二人乗りであるにも関わらず、航は車の間をすいすいと擦り抜ける。此方が車であることを忘れているのか、待つ気が無いのか。

 いずれにせよ、この二人はしばらく別行動になる。遊撃隊として場をき乱すことになっているのだ。




「あいつ、運転上手いな」




 後部座席で、ペリドットが言った。

 翔太は助手席で、自分が褒められたみたいに嬉しくなった。

 航の運転は本当に上手いのだ。湊は、航の運転するバイクの後ろに乗っている時間が何より好きだと言っていた。戦場に向かう彼等が、少しでも明るい気持ちで走れるのならば何よりだった。


 高速道路は規制されているので、迂回うかいした。

 その間にバイクは完全に見えなくなっていた。大荷物を積んだ上に二人乗りだったが、航なら大丈夫だろう。




「そうだ、番犬。良いものやるよ」




 思い出したみたいにペリドットが言った。

 翔太が振り向いた時には銀色の銃のグリップが差し出されていた。ぎょっとして見詰めていると、ペリドットが早く受け取れと急かした。


 銀色の回転式拳銃。

 流石に銃は見慣れて来たが、いざ受け取るとなると抵抗がある。だが、それ以上に、翔太はその拳銃に見覚えがあった。




「これ、ノワールが使ってた奴だろ」

「よく分かったな」




 ペリドットは笑っていた。

 弟の遺品をこんな風に他人に与えて良いのだろうか。渋々《しぶしぶ》受け取ると、その軽さに驚いた。スチール製のフレームに、リボルバー。指先一つで人の命を奪う武器。


 使い込まれた拳銃は、不思議な程、手に馴染なじんだ。細かな傷が幾つもあるが、丁寧に手入れがされている。ノワールは、どんな思いでこれを握ったのだろう。そして、ペリドットは、今、どんな気持ちで。




「S&WのM686だよ。自動拳銃に比べたら面倒だが、連射も出来るし、素人しろうとにも扱い易いだろうぜ。装弾数は六発。補充用の銃弾もやる。無駄撃ちすんじゃねぇぞ」

「……良いのか」

「良いんだよ。俺が持っていても使わねぇ」




 ペリドットはそんなことを言った。

 弟の遺品を湊や翔太に渡してしまって、彼自身に残る物が何も無いじゃないか。それで良いのかよ、と言う言葉はのどの奥に引っ掛かって出て来なかった。


 ペリドットはシートにもたれ掛かると、窓の向こうを眺めて言った。




「納屋の油絵、見たぞ」




 翔太には、何のことか分からなかった。

 立花に目配せするが、ハンドルを握ったままフロントガラスをにらんでいる。




「全部終わったら、あのガキと話す。うらごとも全部聞く。……それが、俺のケジメだ」




 ペリドットの後悔。

 弟を守る為に遠去とおざけて、結果、弟の窮地に間に合わなかった。故に、弟がどんなことを思い、何を願い、何を大切にしていたのか、分からないのだ。


 死者は答え合わせをしない。だから、解釈するしかない。そして、それはノワールの一番近くで、最期の時まで側にいた湊にしか、出来ないことなのだ。


 俺達は、生きて行く。生きて行くしかない。

 死者の為に出来ることは、それしか無いのだ。

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