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⑴閑話

「行きたい所があるんだ」




 湊がそう言ったのは、夏真っ盛りの朝だった。

 辺鄙へんぴな田舎の山奥に隠居している先代ハヤブサの住居に世話になり、一週間。自給自足の生活に楽しさを感じ始めた頃だった。


 うねを作る夏野菜の畑で、翔太はしたたる汗を拭った。

 朝方の涼しい時間帯に作業を終えてしまいたかったが、あれこれと気になって手入れをしている内に太陽は高く昇っていた。


 湊は畑の外で、まるで海でも行くかのようなラフな服装をしていた。いつの間に購入したのか、いかついスニーカーは新品のようである。




「何処に行きたいんだよ」




 翔太は真っ赤にれたトマトを眺めた。そろそろ収穫しゅうかくしても良いだろう。畑の持ち主は近江なのだが、彼はかなりいい加減な性格なので、立花の方が畑仕事は手際てぎわが良かった。栽培さいばいのノウハウも立花から教わった。殺し屋が畑仕事なんて、おかしな状況である。




「ノワールの家!」




 湊の声は拡声機かくせいきでも通したかのように山々に響いた。翔太はトマトを取り落とした。柔らかな土の上だったお蔭で潰れなかったけれど、危ない所だった。




「ノワールの家?」




 何で今更と訊きそうになって、翔太は口を押さえた。

 今更なんて、言ってはいけない。湊は今でもノワールを助けようとしているし、その為に動いてる。




手掛てがかりが欲しい。何でも良いんだ」




 湊は少しだけ困ったように言った。

 翔太は迷った。立花ではなく自分に相談していると言うことは、或る程度の危険をはらんでいる。

 ノワールはSLCに操られている。当然、彼の家も手の内にあるだろう。そんな場所にのこのこ出向くなんて、カモネギと言う奴ではないか。


 湊の気持ちも分かるけれど、安易あんいに許可出来ない。




「先に立花に相談しろ。何かあった時、俺じゃ手に負えない」

「蓮治は仕事でいないよ」

「じゃあ、帰って来てからにしろ。お前が勝手に動くと、ろくなことにならねぇんだよ」




 湊はほほを膨らませていた。

 見ているだけなら、可愛かわいい子供なんだけどな。

 そう思うと溜息が止まらない。綺麗な薔薇ばらにはとげがある。可愛い子供には毒がある。翔太は鉢巻はちまきにしていたタオルをほどき、顔をぬぐった。




「せめて、近江さんに相談しろ」

「近江さんは、翔太を連れて行くなら良いよって言ってたよ」




 酷い責任転嫁せきにんてんかである。

 食えないじいさんだと常々《つねづね》思っていたが、無責任もはなはだしい。

 湊は両足に根っこでも生えているみたいに突っ立っている。翔太が是と言うまで梃子てこでも動かないつもりだろうか。


 日が高くなり、気温も上がって来た。

 暑さだけならまだしも、湿度が高い。炎天下に放置したら、熱中症で倒れてしまうんじゃないだろうか。


 翔太は湊を見た。

 こいつ、言い出したら聞かないからなぁ……。


 結局、根負こんまけしたのは翔太だった。




「……分かった。付き合ってやるよ」

「You’re the best!!」

「でも、立花には連絡しとけ。何かあったら困るから」

「All right!!」




 湊はサムズアップして、山小屋に向かって走って行った。まるで祖父母の田舎に遊びに来た小学生のようだ。

 うさぎのように軽快に駆けて行く姿に、先日の影は無い。割り切れてもいないし、納得も出来ていないだろう。それでも、明るく笑う湊は、何処か痛々しかった。














 18.空虚な祈り

 ⑴閑話かんわ












 山を降りて駅に着いたのは、昼を過ぎた頃だった。

 田舎の駅は閑古鳥かんこどりが鳴いていて、駅員がひまそうにホームで煙草を吹かせている。陽炎かげろうの浮かぶホームには利用客もいない。


 翔太は日除ひよけの為に帽子ぼうしを被っていた。湊は帽子に加えて伊達だて眼鏡を掛け、ユニセックスな服装になっている。変装の意図もあっただろう。

 切符きっぷを買おうとしたら、湊に止められた。駅前で自転車を二台レンタルして、それであの繁華街まで向かうと言う。あまりに無謀むぼうな提案だった。




「夜になっちまうぞ」

「仕方無いでしょ」




 なだめるみたいに湊が言った。

 どうやら、湊は帰国した時にSLCに待ち伏せされ、襲撃を受けたらしかった。その時にペリドットに助けられて、公共機関はひかえるように忠告されたそうだ。


 ルールとは、実に不自由である。

 内側にいても外側にいても、制限される。


 マウンテンバイクを借りて、二人で大きな街道を走った。

 炎天下えんてんかのアスファルトは鉄板てっぱんのようで、かえしで脳味噌のうみそが溶けそうだった。こまめに休憩と水分補給をしていたが、折り返し地点を超えた辺りで湊がだこみたいに真っ赤になってしまったので、昼休憩を入れた。


 海の家みたいなさびれた定食屋の店先で、ラムネとかき氷を食べた。食欲は互いに無かった。だるような熱波に蝉時雨せみしぐれ鬱陶うっとうしい。両足はなまりでも巻き付いているみたいに重く、一度座るとまた自転車に乗るのが億劫おっくうだった。


 湊は尻をさすっていた。

 サドルが痛いらしい。見兼ねた定食屋の主人がクッション代わりにタオルをいてくれた。




「そういえばさ」




 風鈴の音を聞きながら、翔太は口を開いた。

 クーラーが無かった時代、昔の人は音で涼を取っていたと言う。それが今でも残っていると思うと、何だか感動する。


 青々とした山の稜線りょうせんを眺め、翔太は訊ねた。




「SLCとやり合ったって聞いてるけど、何があったんだ?」




 SLCは新興宗教の皮を被ったカルト集団で、湊は友人を殺され、教主を刑務所送りにしている。

 湊は真っ赤になったほほをラムネのびんで冷やしながら、団扇うちわあおいでいた。




「一年前ね、拉致されたんだよ。SLCの教主が俺の前に二人の男を連れて来て、嘘吐きはどっちか当てろって言ったんだ」

「意味が分からない」




 率直な感想だった。

 湊はほがらかに笑った。




「俺だって分からない」




 頬を紅潮こうちょうさせた湊は、まるで何でもないことみたいに語った。




「正直者は生かして、嘘吐うそつきは殺す。俺が間違えたら両方殺すって言うんだ。俺は答えなかった。答えたら向こうの思うつぼだと思ったからね」

「……」

「黙っていたから凄くなぐられたし、おどされたよ。結局、助け出されるまで、目の前で八人、射殺しゃさつされた」

「酷ェ……」

「その時の映像がネットに流されて、今はチャイルドポルノとかスナッフビデオとかと一緒に出回ってるらしいね。裏社会のド変態共のえさになってる」




 まるで、他人事ひとごとである。

 どういう神経をしているんだろう。




連中れんちゅうはどういう訳か、俺のケチな能力を過大評価してる。世界中に、俺の能力は本物だって認めさせたかったんだろうね」

「何の為に?」

「親父は、俺のクローンを作りたかったんだろうって言ってた。いかれてるだろ? 俺のこと、便利な道具かめずらしい動物だと思ってるんだ」




 三流のカルト雑誌みたいな話である。

 陰謀論とかオカルトとか、翔太にはそういう根拠不明の与太話よたばなしに聞こえた。そして、最も恐ろしいのは、そういう馬鹿げたことを本気で実行してしまう人間が、それなりの権力を持っていると言うことだった。




「俺をあおる為にね、同い年の男の子を捕まえて、黒ミサみたいな儀式で血祭ちまつりにしたこともあったよ。信者向けに動画を公開して、こいつは悪魔あくまだって吹聴ふいちょうするんだ」

「SLCは科学を信仰してるんだろ?」

「そうらしいね。でも、内容は兎に角めちゃくちゃなんだ」




 湊の話は血腥ちなまぐさく不穏なのに、その声はまるで世間話でもしているみたいだった。




「連中の狂った教義きょうぎの中に、一億年契約っていうのがあってね、高いお金を払って契約した信者は、一億年間、魂を守られるって言うんだ」

「そんなの、小学生だって信じないだろ」

「一億年後なんて人類だっていやしないさ。だけど、そういう普通に考えたら馬鹿な詐欺さぎを、崇高すうこうな教義と信じて、有難ありがたがって大金を払う人たちがいる。洗脳されているからさ」




 流石にくわしいな。

 翔太が零すと、湊は意味深に微笑んだ。




「カルトには三つの特徴があると言われている。神のようなリーダーの存在、洗脳すること、害を及ぼすこと。全部当てはまってる」

「ぞっとする」

「俺は本当に、連中が何を言っているのか理解出来ないんだよ。なんて言ったら良いんだろう。サバンナで遭遇そうぐうした生き物の群れが、雄叫おたけびを上げながらいきなり飛び掛かって来る感じなんだ」

「それは怖いな」

「怖いよ。しかも、襲って来るのに殺す訳でも無ければ、食べようとする訳でもない。俺のことを椅子いすしばり付けて、関係無い人を連れて来て、どっちを殺すか選べってせまるんだぞ」

「……」




 真夏だと言うのに、背筋が寒くなる。

 SLCがどれだけ狂っているのか、おぞましい話は幾らでも出て来そうだった。翔太は溶け落ちそうなソーダアイスをかじった。

 棒の真ん中に『あたり』と書かれている。もう一本貰えるらしいが、二本も食べる気力は無かった。




「教主は最後、自殺を図った」




 湊が言った。

 その目には長閑のどかな風景は映っていなかった。何処か遠く、まるでもう届かない過去を見ているみたいだった。




「死んで英霊えいれいとなって、信者の心を永遠に縛り付けようとしたんだ。だから、法の下で裁きを受けさせなきゃいけないと思った」

「……それは、あの爆弾魔も?」




 湊の両親は爆弾テロで死んでいる。そのテロリストを捕まえたのは湊とノワールで、血の復讐ではなく、司法による裁きを選んだのである。


 どんな気持ちだっただろう。

 両親の仇を目の前にして、そいつを殺す手段を持ちながら、法による裁きを選んだ。しかも、湊は法を絶対視していない。何故、自らの手で復讐を果たさなかったか。


 翔太がアイスの当たり棒をもてあそんでいると、湊が店の主人に声を掛けた。二本目を食べる気力は無かったけれど、厚意を断るのも悪い気がして、渋々《しぶしぶ》受け取った。




「……色々、考えたんだけど」




 ぽつりと、湊が言った。




「あんな奴の為に、俺は何も捨てたくないと思った。俺が飛び切り幸せになって笑ってるのを、あいつは電気椅子でんきいすで眺めていれば良い」

「……お前は、本当にタフだな」




 すっかり感心して言うと、湊は柔らかに微笑んだ。




「航がいたからなんだ」




 その微笑みは、何処か泣き出しそうに見えた。

 湊はその先を続けなかった。翔太も掛ける言葉が無かった。湊は立ち上がると自転車の元まで行き、黙って整備をし始めた。


 守るべきものがある人間は、強いと思う。

 本当に追い詰められて、選択を迫られたその一瞬に、踏みとどまることが出来る。立花に言わせれば、それは弱さなのだろうけれど。




「君のお父さんの話をしても良いかい」




 背中を向けたまま、湊が言った。

 否定も肯定も求めない、独り言みたいだった。


 翔太はアイスを一口で頬張ほおばると、自転車の元に向かった。

 熱いアスファルトを随分ずいぶん走ったが、マウンテンバイクは無事だった。どんなものも手を尽くせば長持ちするものだ。




「君のお父さんは、公安の刑事だったよ。……俺はこの国の警察組織に詳しくないから、どんな立場だったのかよく分からないけど」




 それは既知きちの情報だった。

 寡黙かもくな父親だった。警察官であると言うことしか知らない。何処でどんな風に仕事をしていたのかも、分からない。




「ノワールとペリドットの家を襲った強盗がいただろ? ギベオンだっけ。そいつを追い払ったの、翔太のお父さんだったらしいよ」

「……はあ?」

「ペリドットをスカウトしたのも、翔太のお父さんだって」




 因果いんがめぐるというか、世間せけんせまいものだ。

 翔太はその程度の感想しか抱けなかった。父親がどんな人間だったのか知りたいと思っていたのに、聞いてみると全く知らない人のことみたいだった。




「どんなリアクションしたら良いの?」

「俺に訊くなよ」




 湊が笑った。

 自転車にまたがり、サドルの具合を確かめる。湊はクッション代わりのタオルが気に入ったらしく、定食屋の主人に礼を言った。




「公安の望月って、調べられる?」




 翔太はサドルにまたがりながら、訊ねた。

 喫茶店でノワールに会った時、一緒にいた男だ。父は同僚だと言っていたけれど、ただの正義の味方とは到底とうてい思えなかった。




「何者?」




 湊はブレーキとシフトの具合を確かめている。

 そういえば、無免許の初心者の癖に単車で二人乗りをしていた。彼は頭脳労働の方が多いので気に掛けていなかったけれど、身体能力やセンスは平均以上のものを持っているのだろう。




「親父の同僚で、ノワールと一緒にいた」




 湊がぴたりと動きを止める。

 振り向いた時にはいつもの柔和な笑顔をしていたけれど、にじみ出す警戒けいかいは、まるでつめを立てた猫みたいだった。




「Consider it done」




 湊は流暢りゅうちょうな英語で言った。

 よく聞き取れなかったが、多分、任せろと言っているのだろう。


 最近、また英語が混じるようになったな。

 ついでに、ちょっと口が悪くなった。


 誰の影響だろう。

 立花かな。ノワールかな。

 そんなことを考えている間に、湊の自転車は走り出している。翔太は見送りに出て来てくれた定食屋の主人に会釈して、ペダルをぎ始めた。

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