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Ace in the hole. ー最後の切り札ー  作者: 宝積 佐知
17.名前のない地獄
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⑸巡る因果

 湊が日本に戻って来る。

 それはまるで夜明けを告げる朝陽のように、翔太に希望を齎した。

 時刻は午前一時半。殆ど真夜中と呼んでも差し支えない時間帯である。航の話では、湊は海の向こうから飛行機に乗って、昼前に到着する。そして、其処にはSLCの悪意が回り込んでいる。


 遥か上空では電波も届かない。

 ノワールの状況、SLCの動き、目まぐるしく展開する現状を伝える術が無いのだ。湊が空港に到着する前に先回りするしか無い。SLCのベリルが不穏なことを言っていた。


 オキュロフィリアとは、眼球愛好のことで、目や瞼、涙などに性的興奮を抱く倒錯者である。

 説明してくれたのは、立花だった。喫茶店から事務所に戻り、愛車を引っ張り出してエンジンを掛ける。全力疾走をしても息一つ乱れていない。


 裏社会では、性的倒錯者が溢れ返っている。

 勿論、無害な場合もあるけれど、そうでない時、所謂、猟奇犯罪に繋がり易い。以前、港の倉庫で人を解体して死体を縫い付けたソーイングマンもそうだった。そして、そういった人間は世間には報道されず、闇の中に消されて行くのである。




天神てんじん家の事件について調べたんだけどな」




 高速道路のETCゲートを素通りした後、立花が言った。

 深夜の高速道路は長距離運転の大型トラックが多く、擦れ違う度に押し潰されるのではないかと冷や冷やした。真近に見るタイヤがやけに大きく見えた。


 赤いテールランプが星のようにまたたいている。

 時速100kmの鉄の塊を操りながら、立花は続けた。




「父親と母親、息子が二人。下の弟が産まれた時に母親が死に、父親は酒浸りになった。……アルコール中毒で、かなり酷い虐待をしていたらしいな」




 天神家とは、ペリドットとノワールの生家である。

 アルコール中毒のクソ親父に虐待されていたことは、ノワールから聞いていた。




「あいつ等の目、日本人とは思えないくらい鮮やかなエメラルドだろ。母親が北欧のクウォーターだったらしいから、その血を継いだんだろう」




 ペリドットとノワールは、正真正銘、血の繋がった兄弟だった。あの透き通るような鮮やかなエメラルドグリーンは、人工的には作り出すのも難しそうだ。




「アルコール中毒になった父親は、SLCに入会した。人の弱味に漬け込むのが、カルトの遣り方だ」




 SLCは海外の胡散臭い新興宗教としか認識していなかったが、立花はカルトと断言した。それはつまり、SLCは宗教団体ではなく、反社会的な組織ということだった。




「父親はSLCの人体実験に二人の息子を差し出した。その後、何があったか知らねぇが、天神家は強盗に襲われて、父親は殺された」




 ノワールの言っていたことと同じだ。

 父親がクソ野郎で息子を虐待していたことも、強盗に押し入られて殺されたことも。其処にSLCが関与していたというのが問題だった。




「SLCについては、湊の方が詳しいだろうさ。だがな、裏社会の秩序を乱す大馬鹿野郎については、俺の方が上だ」




 ハヤブサは裏社会の抑止力。

 翔太は運転席の立花を見遣った。闇の中で煌々と光る金色の目は、獲物をほふらんとする肉食獣のようだった。




「ギベオンと呼ばれる殺人鬼がいる。眼球に執着する異常者で、気に入った眼球はり貫いて持ち帰るらしい」

「まさか、そいつもSLCなのか?」

「さあな。どっかの組織に身を寄せたとは聞いているが、何処かは知らねぇ」




 そんな男が首輪も掛けられず、今も何処かで好みの眼球を探して彷徨さまよっているなんて、恐ろしい話である。


 立花が忌々しげに言った。




「一度、会ったことがある。俺がまだ駆け出しの頃だった。死神みてぇに陰気で不気味な大男だったよ。右目の上に火傷みてぇな傷があって、俺の目玉を欲しがってた」




 立花の瞳は、猛禽類のような金色である。昔罹った病気の後遺症で引き起こされた虹彩異常だと聞いているが、立花のその眼光は確かに、美しかった。


 翔太はその話を聞きながら、何かが頭の中に引っ掛かった。

 右目の上に火傷のような傷。陰気な大男。――俺はそいつを、知っている。


 何処で会った?

 思い出せ!


 翔太は頭を抱え、鈍痛の中で記憶の断片を探した。失くしていた記憶が泡のように沸き上がり、邪魔をする。そんなに昔の話じゃない。つい最近だ。


 大阪の笹森一家邸宅で、湊が熱を出して倒れた。

 立花に状況報告をしていた時、その男は何処からか現れた。スーツを着た廃退的な雰囲気を持った大男で、訛りの無い標準語で湊のことを尋ねた。そいつは右目の上に、火傷みたいな傷があった。――まさか、あいつが。




「天神家を襲った強盗は、そいつだ」




 翔太は言葉が出なかった。

 笹森一家に出入りしていたあの大男は、銃を持っていた。笹森一家の内通者じゃない。あいつは、堂々と屋敷に忍び込み、――湊を探していた。


 こんなことが、有り得るのか……?

 天神家、笹森一家、SLC、湊。因果は巡ると言うけれど、まるで清算されなかった過去が復讐しに来ているみたいじゃないか。




「そいつは、どうしてペリドットやノワールを殺さなかったんだ?」




 眼球に執着する殺人鬼ならば、あの美しいエメラルドの瞳をした兄弟を放っておくとは思えなかった。

 立花は小難しい顔をして唸った。




「詳しいことは、知らねぇ。だが、天神家を襲撃してからギベオンの犯行はピタッと止んで、組織に身を寄せるようになった。……何か、イレギュラーが起きたんだろうな」




 果たして、そのイレギュラーとは?

 ノワールは父親がSLCに入会していたことも、強盗の正体も知らないようだった。では、ペリドットは?


 ペリドットは、復讐者だ。

 もしかして、ペリドットは知っていたのか?

 分からない。翔太は、ペリドットという男のイデオロギーを知ろうとして来なかった。彼はどうして公安の手下になり、復讐を誓ったのか。何処までの真実を知り、何を目的としているのか。


 何処まで逃げても、過去が追い付いて来る。

 清算しなかった過去は未来に復讐する。

 蓋を開ける時が来たのだ。


 翔太は拳を握った。

 何でも救えるとは思わない。それでも、この手が届くものくらいは、守れると信じたかった。
















 17.名前のない地獄

 ⑸巡る因果いんが












 目的地までの折り返し地点に到達した頃、携帯電話が鳴った。

 翔太が画面を確認すると、006の数字が表示されていた。


 006は、湊の弟の航である。

 まるで、スパイのコードネームだ。翔太が応答すると、電話口で航がはしゃいだ声を出した。




『Woo-hoo! I have some big news!』

「何だって?」




 流暢な英語に加えてエンジンの音のせいで、航が何を喜んでいるのか全く分からない。翔太は親指でスピーカーのボリュームを上げながら、説明を求めた。




『ノワールって奴の居場所を掴んだぞ!』




 翔太は身を乗り出した。

 すっかり忘れていたけれど、航にノワールの番号から居場所を特定して貰っていたのだ。航が一山ひとやま当てたみたいに喜んでいるので、ノワールとは既に接触して、説得に失敗したとは言い難い雰囲気だった。


 翔太が言葉を選んでいる間に、航は一方的にまくし立てた。




『俺のダチに陰気なナードくんがいるんだけどな、刑務所からハッキング掛けて居場所を特定したんだ! He was trapped like a rat!』




 三徹明けくらいのテンションである。航が元気なことは喜ばしいけれど、状況は何も好転していない。ノワールのことも気掛かりだが、今は湊を守らなければならないのだ。


 翔太はスピーカーを切り替えた。

 ハンズフリーにすると、陽気にはしゃぐ航の声が静まり返った車内に反響した。




『そいつの動きは手に取るように分かるぜ! 現在地は……』

「待て、航。状況が変わった。今は湊の安全が第一だ」




 翔太が遮って言うと、航は途端に声を低くした。




『What do you mean?』

「ノワールの説得に失敗したんだ。湊が急いでこっちに向かってるけど、SLCの手下が待ち伏せしてる」

『It's not funny any more! 俺の苦労は何だったんだよ!』




 返す言葉も無い。

 翔太が黙り込むと、電話口で航がスラングを吐き捨てた。




『何でSLCが出て来る訳? 敵は何なの?』

「ノワールはSLCの新薬の被験者だったんだ」

『もっとマシなジョークは無かったのかよ。SLCの教主はもう塀の中だぜ?』

「SLCは公安と癒着してるらしい」

『コウアンって警察だろ? どうなってんの?』




 翔太にも説明が難しかった。

 答えを考えている間に航が問い掛ける。




『相手は何なの? どうしたらハッピーエンドな訳?』




 ハッピーエンド。

 翔太は口の中でその言葉を繰り返した。

 ノワールが正気を取り戻して、湊が薬を完成させて、公安に潜んだSLCを追い出して、それから……。




『馬鹿な奴等は、優先順位を間違える。if you run after two hares you will catch neither. 俺達が本当に優先しなきゃいけないのは何だ?』

「湊の安全だろ」

『あいつが大人しく殺されるかよ。明日の昼まで空の上にいるんだぞ』

「だから、湊が到着する前に待ち伏せしてる奴をどうにかしなきゃいけないんだよ」

『それ、悪い癖だぞ』




 航が鋭く指摘した。




『追い詰められると、やらなきゃとか、するべきとか考える。湊もそうだった。もっと高い視点で考えなきゃ、後手に回り続けてジリ貧だぜ?』




 航って、自分が思うより大物だったのかも知れないな。

 翔太は少し冷静さを取り戻し、深呼吸した。




「お前なら、どうする?」




 翔太は素直に訊ねた。追い詰められて後手に回り続けている自分よりも、第三者の視点にいる航の方が見えるものもあるだろう。




『俺なら、ノワールを追うね。湊が来ても、間に合わなきゃ意味無ぇ』

「湊が殺されたら、それこそバッドエンドだろ」




 立花が溜息を吐く。

 今の状況の面倒な所は、問題が二つ別の場所で起きていることである。手分けして応戦出来るだけの戦力は無い。

 その時、航が言った。




『じゃあ、手を貸してやるよ』




 翔太も、立花も予想出来なかった。

 両親を亡くして大阪に身を寄せる航に、一体どんな手があると言うのか。




『湊が公安の刑事と繋がってる。俺が日本に来る時も世話になったんだ』

「公安とSLCは繋がってんだぞ」

『だが、公安も一枚岩じゃねぇ。俺の偽造パスポートを作ってくれた奴だ。そいつが敵だったなら、俺も湊ももうこの世にいない』




 航がこの国に来る為に、翔太の知らぬ所で湊は幾つもの危ない橋を渡ったのだろう。

 何も持たずこの国にやって来た湊は、コネクションを作ろうとしていた。それは少しずつだったが着実に、大地に根を張るように深く伸びている。




「何者だ」




 尋問するかのように立花が問い掛ける。

 立花は公安を毛嫌いしている。SLCとの癒着を知ってから、翔太自身、公安には良い印象が無かった。だけど、湊と航は違ったのだろう。


 腐敗した組織の中でも、明るい未来を目指して身を粉にして働く人々がいる。国民である立花や翔太が諦める中、異国の地からやって来た二人の子供は、この国の正義は死んでいないと信じていたのだ。


 航が、言った。




羽柴綾はしば りょう




 聞き覚えが、あった。

 大阪の街で出会った、柴犬に似た若い男だった。確か、父の後輩だと言っていた。




『公安なら、動かせるカードもあるんだろ?』

「おい、それって」




 翔太は嫌な予感がした。

 事態がややこしくなる上に、収集が付かないのではないか。




『前にも言っただろ? 切り札残して負けるなんざ、馬鹿のすることだ』

「お前、そいつが何者なのか知ってんのか?」

『さあ、知らねぇ。湊はサムライだって言ってたけど?』




 金髪碧眼のあのペリドットを指して、サムライ。

 翔太は笑ってしまった。これは、実物に会わせるのが楽しみだ。


 肩の力は抜けていた。

 楽観的に考えることは出来ないけれど、悲観的過ぎても良い結果には繋がらない。そんな当たり前のことを、教えられた気がした。


 立花は少しだけ笑っていた。張り詰めていた空気が溶けて、真夜中だと言うのに朝陽を浴びたかのような活力に満ちている。




「分かった。そっちはお前に任せる」

『Piece of cake! 湊は俺が何とかする。だから、アンタ等はノワールって奴を止めろ』

「ああ。――兄貴に借りを返してやれ」




 Don't worry about a thing!

 航はそう言って、通話を切ってしまった。まるで真夏の太陽を浴び続けた気分だった。

 携帯電話にメッセージが届く。航からだった。ノワールの居場所を記した地図アプリで、現在地が表示されている。それを見た時、翔太は戸惑った。


 ノワールは、高速道路で空港に向かっているようだった。

 移動速度が速い。車だろうか。今の自分達の方が先にいる。つまり、初めて先手を取ったのである。


 防衛戦から、迎撃戦か。

 怖くはない。何たってこっちは、ヒーローが味方に付いているのだから。

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