⑸作戦会議
自分は、他人と喧嘩出来る人間だったんだな。
通話を切った後、ミナはそんな自分に驚いた。
関係性に線を引く。
翔太の言葉は、耳に痛かった。その通りだ。自分は優先順位を付けて、手を伸ばす相手を選ぶ。どうせ、助かる意思のある人間しか救えない。
翔太の忠告は有り難く受け取って、立花にどうやって謝るべきか考える。自分の立場に甘えて、立花に我儘を言っている自覚はあった。
午前八時。笹森邸は、庭の鹿威しの音が響くくらい静かである。昨晩、大規模な武器密輸が行われたとは思えないくらいだ。つまり、無関係か、仲介業者がいるかだ。
どうする。やはり、全員に会うか。
誘き出せないか。翔太や立花に心配を掛けない方法で。
手を拱いている間に難易度ばかりが上がって行く。打開策も相談する相手も、八つ当たり先も見付けられないことが腹立たしい。
「――何、苛々してんだ?」
突然、後ろから声がして、息が出来なくなる程、驚いた。
振り向くと、エメラルドの瞳が此方を見下ろしていた。
「ノワール」
ミナが呼ぶと、ノワールは笑った。
襖は開かなかったはずだ。気配も無かった。何処から来たんだ。
忍者みたいだね、と言うとノワールは肩を竦めた。彼が敵だったなら、今頃、自分は死んでいただろう。味方で本当に良かった。
ノワールは部屋の中を見渡して、高い料亭みたいだなと言った。その言葉に、苛立ちや緊張が氷のように溶けて行くのが分かる。
立花がノワールを巻き込んだことに腹を立てていたけれど、会えて良かった。内心、立花に礼を言いながら、ミナはノワールに向き直った。
「状況を教えろよ。誰が敵だ?」
「敵を探しているところだよ」
ノワールは曖昧に頷いて、それ以上は訊かなかった。
じゃあ、情報共有しよう。
ノワールがそう言ったので、流されたのではなく、察してくれたのだと分かる。本当に心強く、有り難い存在だ。
昨晩、ノワールは港の倉庫で仕事をしていた。平たく言えば、後ろ暗い取引の護衛だった。依頼主は何処かの中国人で、報酬は前金で支払われていたそうだ。
依頼人の背景については知らないと言う。この業界では、依頼人の事情には踏み込まないと言う暗黙のルールがあるらしい。これまで立花独自のルールだと思っていたので、内心で詫びた。
「誘き出すってのは、駄目なのか?」
ノワールが言ったので、ミナは虚を突かれた心地だった。
情報を共有したら、ノワールが自分と同じ答えを出した。海の向こうにいる弟と話している時みたいだ。
「要するに、その密売ルートが青龍会と繋がってるって証拠があれば良いんだろ? そっちに火が焚けば、こっちも尻尾を出すだろうさ」
「すごいな」
「何?」
「ノワールって、俺なの? 同じこと考えてたよ」
ノワールは笑った。
「じゃあ、こういう作戦はどうだ?」
ノワールは人差し指を立てた。
「次の取引の日時を警察にリークする。それで密売ルートが潰れて、内通者が尻尾を出せばラッキー」
「逃げられるリスクがある」
「その前に捕まえるんだ。一番最悪なのは、内通者が青龍会と繋がっていて、笹森一家の構成員だった場合だろ?」
「ああ」
「此処が無関係なら、それで良いじゃねぇか。可能性の一つが無くなる。あんまり先のことを考え過ぎると、目の前のことが見えなくなるぞ。ポジティブに行こうぜ」
目の前の壁が取り払われて、辺りが明るくなったように感じられた。自分の考えが極端だったことを痛感する。成功と失敗以外を想定出来ていなかったのだ。
「警察にパイプは無いのか?」
「これだけの規模の事件に対応出来る人は、流石に」
笹森なら、父のコネクションなら。
そんなことを思う度に、自分の力の無さに虚しくなる。
警察は信用出来ない。公安は敵だ。勿論、全ての人がそうだとは思わないけれど、ミナはそういった知り合いがいなかった。
「そういやさ、テレビ見たか?」
唐突に、ノワールが言った。
ミナが首を振ると、ノワールは携帯電話を取り出して動画を見せてくれた。
航空自衛隊基地で起きた事故が、組織的な殺人事件だと訴える男が映っていた。眼鏡を掛けた、気難しそうな男だ。肩書きは警部、名前は巽千弥。世渡りは上手くなさそうだが、好感が持てる。
青島と栁澤の正義を貫こうとしてくれている。渋谷は情報を流したのだろう。自分の忠告通り、正しく使ってくれている。
「こいつ、面白くねぇ? 俺はこういう馬鹿、嫌いじゃないぜ」
「分かるよ」
ミナは肯定し、笑った。
組織に於ける善玉菌だ。上手い遣り方ではないけれど、この人には信じてみたくなる何かがある。
この人は亡くしちゃ駄目だ。こういう人こそ、生きなければならない。
ノワールが動画を見せた意味が分かる。
密売の情報を、この人にリークする。公安は事実を隠蔽するかも知れないが、それならそれで良い。
笹森一家まで火の手が及ぶ前に、消し止める。
ノワールを目の前にして、思う。エンジェル・リードが潰されても構わないと。彼が生きて笑っていてくれるなら、何度でも立ち上がれる。
悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
ミナは苦く笑い、尋ねた。
「証拠はどうする?」
「そんなもん、取引現場の奴を取っ捕まえて吐かりゃ良い」
「なるほど」
「俺が乗り込んでやっても良いけどな、そうすると内通者がいた場合、こっちが手薄になる」
「じゃあ、証拠集めはレンジとショータに頼もう。俺達は内通者と、不測の事態に備える」
「オッケー」
作戦は決まった。
次の問題は、件の巽警部とどうやって話すか。信頼を得る為にどうするべきだろう。考える間も無く、閃いた。
青島空曹長のデータ。まさか、こんな所で活躍するとは。
データを持っているのは、立花だ。巽はどうやら東京にいるようだし、やはり時間が問題だ。
立花に東京まで行ってもらうか。警察に会って欲しいなんて言ったら、怒鳴られるかも知れない。
訊くだけなら良いか、と携帯電話を取り出して、同時に着信が来たのでびっくりした。ペリドットだ。なんてタイミングだ。
留守電にしようか迷っている内に、ノワールに尋ねられる。きょとんとしたノワールの顔を見ていたら、あれこれ心配している自分が馬鹿みたいに思えて、ミナは正直に答えた。
「ペリドット」
「兄貴? 何で?」
「今度、話す」
此処にノワールがいることが暴露たら、ややこしくなる。
ミナは静かにするように口元に指を立て、電話に応じた。
ペリドットは東京を出る所らしい。昼過ぎには大阪に到着するそうだ。明日は仕事が入っていないので、ミナの頼み事をやってくれると言っていた。
素直に礼を言って、着いたら連絡してもらうことにした。
此処を出る言い訳は、ノワールと一緒に後で考えよう。通話を終えた時、ノワールは畳に胡座を掻いていた。
「兄貴がこっち来るのか?」
「そう。俺とペリドットの目的が一致したから、一時休戦中なんだ」
「へえ」
ノワールは何かを言いたげにしていたが、言わなかった。
ミナも説明出来なかったので、ノワールのそういう所は本当に有り難い。けれど、隠し事をするのは嫌だった。
「この件が片付いたら、話す。だから、信じて欲しい」
「ずりぃな。そんな風に言われて、駄目だって言えるかよ」
優しい人だ。
守りたい。生きていて欲しい。切に、思う。
その為に出来ること。
「巽警部をこっちに来させよう」
「どうやって?」
「違法薬物を摘発させる。東京の事件が大阪に繋がっていると分かれば、本部が立つ」
「誰が来るのか分からないぞ」
「悪者をでっち上げて、巽警部宛に犯行声明を送る」
「悪知恵ばっかり働く頭だな」
ノワールは言いながら、笑っていた。
「鬼が出るか蛇が出るか、出たとこ勝負だな」
「うん」
「良いぜ、やってみよう。失敗したら、次の方法を考えようぜ」
ノワールのポジティブな考え方に、救われる。
当たり前みたいに自分の味方でいてくれて、信じてくれる。
この人を守る為なら、俺は地獄でも歩ける。
「レンジに連絡する。あ、謝るのが先だった」
「なんかしたのか?」
「喧嘩したんだ」
「大人げない奴だな」
「うん。……でも、レンジの気持ち、俺もよく分かるから」
心配してくれていたのに八つ当たりして、悪いことをした。
俯くと、ノワールが頭を撫でた。健気だねぇ、と笑った顔が、いつか見たペリドットの笑顔にそっくりだった。
「そういやさ、笹森とは会えないのか?」
「何で?」
「敵は同じだし、お前にとって笹森は味方のはずだろ?」
確かにそうなのだが、リスクはある。
ああ、でも、ノワールがいてくれるなら大したリスクじゃない。独りじゃない。味方がいる。
タイムリミットばかりに気を取られ、可能性を切り捨ててしまっていた。これは悪い傾向だ。なるべく早く修正しよう。
ふと思い出して、ミナは尋ねた。
「なるはやって何」
「あ?」
「ペリドットが言ったんだけど、分からなかったんだ」
ノワールは一瞬、ぽかんとした顔をして、噴き出すように笑った。
「なるべく早くの略だよ」
「ああ、なるほどね」
なるべく早く、なるはや。
覚えた。
「じゃあ、レンジに電話して謝るよ。なるはやで」
その使い方は何か違う気がするけどな、とノワールが笑った。
日本語は難しい。ミナは苦笑しつつ、立花の番号を呼び出した。
14.正義の所在
⑸作戦会議
ミナから電話が来たので、立花は車を止めて通話に応じた。
言い方が悪い、と翔太は苦言を呈していたが、立花にとってそれは然程重要なことではなかった。
スピーカーの向こうで、ミナが「さっきはごめんね」とテンプレートみたいな謝罪をした。何に謝っているのか正直よく分からない。謝るくらいならまずは自分の行動を顧みろと、言い返していた。
ノワールと合流したらしい。そのことにも礼を言われたが、別に必要無かった。早く本題に入れと言えば、ミナが苦笑した。
ミナは内通者を誘き出したいらしい。密売ルートが潰されれば、何かしらの反応を示すだろう。ミナとノワールで身柄を抑える。笹森一家に内通者がいないのなら、内通者探しは暗礁に乗り上げるが、嫌な可能性が一つ無くなると考えれば悪いことばかりじゃない。
密売ルートは立花と翔太で潰す。具体的には取引現場から一人拉致して、青龍会との繋がりを吐かせるというものだった。
事前準備として、東京にいる巽警部を呼び寄せる。密売ルートの摘発は彼等に任せるらしい。どうやって呼び寄せるのかと思ったら、巽宛に偽物の犯行声明を送ると言う。
「それは時間が掛かるし、確実じゃない」
立花は言った。
まだるっこしいし、捜査本部を立てている間に逃げられる。そう言ったら、すぐに別の提案があった。
東京に行き、青島のデータを渡して欲しい。それで信用と協力を得たい。
立花は腕を組み、唸った。
ミナらしくない作戦だ。他人を巻き込んでいるし、作戦の規模が大きく、杜撰である。だが、腹案もあるのだろうし、失敗の可能性も想定しているのだろう。
立花個人としては、面白そうな作戦だと思った。
問題は、人手が足りないということだ。
ミナとノワールは笹森邸から動けない。
立花と翔太の仕事は複雑だ。これから東京に戻って巽警部に会い、青島のデータを渡して信頼を得る。取引が行われる前に大阪に戻り、今度は現場で青龍会との繋がりを示す者を捕らえなければならない。
複雑だが、不可能ではない。
問題があるとするなら、自分と翔太の立場だった。自分達は警察との相性がとても悪い。こういう時、ミナが動かせないのは面倒である。
ノワールの話では、次の取引は明日の深夜二時。
何を運ぶのか、誰が糸を引いているのかは分からない。
「作戦は分かったが、ちょっと考えさせろ」
タイムリミットが厄介だ。前回の取引では大量の武器が密輸されて来た。次は何だ。青龍会の関与は最早疑いようも無いが、証拠が要る。
通話を切る。
立花はハンドルに身を伏せ、考えていた。