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⑷橋渡し

 通話を叩き切ってから、後悔する。

 タイミングが大切だ。向こうの状況も、此方の情報も共有出来ていない。せめて、これからどうするのか大まかな筋道だけでも確認するべきだった。


 ミナは両手を投げ出し、布団に寝そべった。

 節の無い天井板を眺めながら、頭の中で状況を整理する。

 此処は笹森一家の敷地内、客間である。布団が一組、座卓が一脚。出入口に鍵は無く、庭に繋がっている。

 見張りはいない。脱出しようと思えば出来る。だけど、逃げたら、笹森は自分への不信感を持つだろう。こんな所でコネクションを失う訳にはいかない。


 港の方では、何かあったらしい。

 翔太は、お前の言う通りだったと言った。恐らく、組織的な密輸でも行われていたのだろう。青龍会が関係している裏付けが取れたなら、立花が何かしらのアクションを起こしている筈だ。


 ノワールがいたのは、何故だ。

 雇われたのか。そういえば、以前、中国人とフランス料理を食べたと言っていた。まさか、青龍会だったのか?

 分からない情報には暫定的でも結論を出すべきじゃない。修正が困難になる。いずれにせよ、ノワールが此処に来るならば、訊けば済む話だ。


 連絡を取りたいが、仕事中の可能性が高い。

 自分がやるべきことは、情報源の特定。

 それから、ノワールを迎え入れる準備だ。出来るだけノワールの存在は隠したい。誰かが自分の弱味を探している。利用されるのだけは、嫌だ。


 どうする。笹森一家の人間全てに会って、話を聞くか。

 倒れたのは痛手だった。誰が自分のことを見て、どんな反応をしたのか分からない。


 内通者の狙いは何だろう。

 ゼロの研究データは、自分達を此処に誘き寄せる為の餌だったのか。敵は誰だ。何が目的だ。

 自問自答を繰り返す内に、思考は深く潜って行く。頭が上手く働かない。ノワールが此処に来る前にやるべきこと。


 集中は泡のように弾けてしまい、ミナは息を吐き出した。

 携帯電話を眺める。午前三時。昼間にたっぷり寝たから睡魔はそれ程でも無い。


 ふと、妙案が浮かんで、ミナは電話帳を開いた。

 或る番号を呼び出し、電話を掛ける。繋がらなくても良かったけれど、数回の呼び出し音の後、ぶつりと鈍い音がする。

 繋がったと思ったら、切られてしまった。すぐに折り返しの電話が掛かって来た。ミナは携帯電話を耳に当てた。




『子供は寝る時間だぜ?』




 開口一番にそんなことを言うので、ミナは笑ってしまった。

 ミナは身を起こした。ふすまを薄く開け、人気ひとけが無いことを確認する。




「今、話せる?」

『あー……、ちょっと待て』




 電話口の男は、寝起きのように声が掠れていた。

 スピーカーの向こうから雑音が聞こえる。人の声ではない。少し待っていたら、いきなり破裂音が響いたので心臓が飛び出すくらい驚いた。

 かちゃかちゃと金属音がして、再び男の声が帰って来る。




『良いぜ』




 本当かよ。

 ミナは苦笑した。




「ゼロの動きが知りたい」

『俺に蝙蝠こうもりになれって?』

「もう、似たようなもんだろ?」




 はは、と乾いた笑い声がした。

 相変わらず、よく分からない男である。浮き雲のように掴み所が無く、けれど、大地に根を張った大樹のように流されない。ミナにとって、この男はいつもそうだった。


 国家公認の殺し屋、ペリドット。

 恐らく、純粋な身体能力は立花も凌駕りょうがする。


 初めて会った時、この男は気になることを言っていた。

 国家の為なんて考えたことも無いと。あれは嘘じゃなかった。そんな男が国家の犬になっているのは、理由があるはずだ。




「ゼロの研究データを持ってる」

『……何処で』

「俺を釣りたい誰かがいる。そいつは、SLCの人体実験に関わってる。俺とアンタの目的は、同じはずだ。力を貸して欲しい」

『共通の敵って奴か?』

「それは、少し違う」




 ミナは居住まいを正した。

 会話を仲介しているのは、小さな電子機器。此方の様子は見えないし、向こうの顔だって分からない。だけど、出来る限りの敬意を払いたかった。




「俺とアンタの守りたいものは一緒だ」




 伝わるだろうか。

 顔を合わせて話すべきだった。だけど、自分は此処から離れられないし、動けない。ノワールが来る前にやらなきゃいけない。


 順番が大切だ。

 立花と翔太が密売ルートを潰すのと、笹森一家の内通者は同時に見付けなければならない。両方が成功すれば、世間は一時の混沌と化すだろう。その闇に乗じてやらなければならないことがある。




「ゼロの研究データをアンタに預ける。それを、中国に運んで欲しい」

『中国?』

「頼む。出来るだけ早く」




 自分の手元にあるこのデータを、海の向こうにいる父の元へ届けたい。救える命があるかも知れない。間に合うかも知れない。

 ノワールは巻き込めないし、立花が動けば翔太を守ってくれる人がいない。巻き込んでも良い、手札が要る。


 スピーカーから、ペリドットの声がした。




『俺がそれを持ってとんずらするとは、思わないのか?』




 とんずらって何だっけ。

 言語の壁に少し戸惑ったが、言いたいことは分かる。




「俺以上に、これを有効活用出来る人間はいない」




 ミナが言い切ると、ペリドットは笑った。

 子供みたいに爽やかで、純粋な笑い声だった。こんな風に笑うのかと思ったら、目の前で見られないことが惜しく感じられた。




『……良いぜ。お前、今何処にいんの』

「大阪」

『ふーん。じゃあ、なるはやで行くわ。……ああ、あと、ゼロのことだけどな』




 なるはや?

 ペリドットが続けたので、尋ねるタイミングは無かった。




『そっちで、何かでかい捕物があるって言ってたぜ。大阪の大物を狙ってるとか』




 やはり、公安が動いていたらしい。

 ミナは短く相槌を打った。大阪の大物となると、笹森一家だろう。公安は青龍会の密売ルートと共に、彼等を検挙したいのだ。


 それは、困る。

 笹森一家が検挙されたら、エンジェル・リードの資産は汚れた金になる。真実はどうあれ、手を打たなければならない。


 頭の中でシミュレーションする。

 凡ゆる要素を組み立てる。最悪の事態は常に想定する。そうでなければ、いざと言う時に動けない。


 考え込んでいると、ペリドットが言った。




『お前は、幸せになれないタイプだな』




 心臓を手掴みされたみたいに、息苦しくなる。

 追及はしなかった。ペリドットも説明しない。

 通話はそのまま、切れた。

 通話時間は、自分が思うよりも短かった。


 もっと話したかったのだろうか。何か伝えたいことが?

 ミナは、自分でも分からなかった。けれど、立ち止まって自分の気持ちを考える時間なんてものは、残されていなかった。












 14.正義の所在

 ⑷橋渡はしわた











 歓楽街の外れの定食屋は、良く言えば学生向けの、有り体に言えば定年退職後の夫婦が老後の暇潰しに営業しているような寂れ具合だった。


 翔太はとんかつ定食を注文した。運ばれて来たのは顔くらいの大きさのとんかつで、押し潰されてしなびたキャベツの千切りが、何だか気の毒に思えた。ソースを掛けて噛み付くが、まるで革靴を食べているみたいだった。


 立花はうどんを啜っていた。伸びている訳ではないのに、汁が殆ど見えない。文句の一つも言わずに咀嚼そしゃくしているのは、もしかして鼻を摘んで食べているようなものなのではないかと思った。


 お替りを勧められたが、断った。胃がはち切れそうだった。

 温い水を一気に飲み、翔太は大きく息を吐き出した。


 港を離れ、翔太は立花の車で仮眠を取った。路上駐車だったが、立花は街頭カメラの死角や警官の目に付かない所をよく知っていた。


 日の出と共に目が覚めた。運転席では立花がまだ眠っていた。彼の寝顔を見るのは初めてだった。


 通りに人が増えて来ると、立花は目を覚まし、朝食を取ろうと車を動かしたのだった。しかし、適当に選んだ定食屋がハズレだった為か元気が無い。低血圧の夜型人間なのかも知れないが。


 定食屋には、テレビが置かれていた。

 最近は中々お目に掛からない神棚かみだなの横、骨董品みたいなブラウン管のテレビだ。神様も騒がしいのは嫌なんじゃないかな、なんて眺めていたら、航空自衛隊基地内の事故について報道されていたので驚いた。


 戦闘機が無許可で夜間飛行に踏み切った挙句、事故を起こした。パイロットは先日、事故に巻き込まれて戦友を亡くし自暴自棄だった。


 政府は栁澤に全ての責任を押し付けるつもりなのだ。何も変わっていない。栁澤や青島の正義も、ミナの熱意も、立花の神業も、全部無意味だったのか。


 アナウンサーが、続けて言った。

 この一連の事故には事件性があるものとして、警察が捜査しています――。




「……警察?」




 思わず、翔太は呟いた。うどんを食べ終えた立花が目を上げる。二人共、テレビに釘付けだった。


 色褪せたブラウン管テレビに、警察関係者が映る。眼鏡を掛けた若そうな男だった。肩書きは警部。神経質そうな、融通の効かなそうな男だった。


 (たつみ)千弥(せんや)

 或る確かな筋から入手した情報により、航空自衛隊幹部の汚職が発覚。これは事故ではなく、組織的な殺人で、青島空曹長は組織の腐敗によって殺されたのだと。


 あってはならないことだと、強く訴え掛けている。

 該当者には事情聴取を行い、裏付けを取っている段階である。栁澤の名誉を、家族の尊厳を守る。彼等は公僕こうぼくであるが、尊重されるべき一人の人間である。




『生命は尊重されるべき個人の宝だ。それを脅かすものは、例え国家であろうと許されない』




 ああ、こんな人が。

 こんな人が、まだこの国にいるのか。


 希望に胸が熱くなる。

 助けの望めない窮地に、雲の上から援軍が現れたみたいだった。この男が何者なのか、本心なのか、翔太には彼の覚悟を測れない。




「本物の馬鹿だな」




 立花は水を呷り、笑った。

 確かに、馬鹿なんだろう。殺し屋の暗躍するこの世界で、こんな風に表舞台に立つのは暗殺してくれと言っているようなものだ。

 だけど、翔太はそういう馬鹿が好きだ。命知らずで、傲慢で、自分の正義をちゃんと持っている。


 油っぽいカウンターで会計を済ませる。立花が奢ってくれた。立花が暇を持て余した老婆に捕まっている。翔太はテレビに目を奪われていた。


 定食屋を出た後、車に戻った。携帯電話をダッシュボードに置き、電話を掛ける。数コールと待たない間に繋がって、寝起きの微睡まどろんだ声がした。


 ミナだった。

 無事で何よりである。


 昨晩は不機嫌そうだったが、寝起きのミナはいつもと同じ調子だった。顔を見ていないので何とも言えないが、それ程、体調も悪くなさそうだった。


 電話口で、ミナが言った。


 公安が動いている。

 笹森一家が摘発されるかも知れない。

 内通者はまだ見付かっていない。


 警察内部の動きをどうして知っているのだろう。桜田だろうか。一介の交番勤務の警察官が、公安のことまで知っているのか。それとも、幸村か。ミナは情報元は明かさなかった。




「笹森は黒か? それとも、白か?」




 立花が訊いた。

 ミナは即答した。




『白だよ。少なくとも、俺にとってはね』

「じゃあ、組織としてはどうだ?」

『An army of sheep led by a lion would defeat an army of lions led by a sheep』




 ライオンのひきいる羊の群れは、羊の率いるライオンの群れにまさる。リーダーというものが如何いかに大切かを説いたことわざらしい。


 立花は言い返した。




「魚は頭から泳ぐが、腐るのも頭からだ」




 貫くような鋭い口調だった。

 盲信するなと言いたいのだろうが、果たしてミナに伝わっただろうか。翔太は冷や冷やして会話を聞いていた。ミナが言い返さなかったので、誤解されただろうことは想像に難くない。


 翔太は溜息を吐いて、昨晩の出来事を話した。

 武器の密輸が行われていたことを話すと、ミナはますます頑なに笹森を擁護した。




『武器の輸送は目立つ。そういうのは、三下のやることだ』

「三下にやらせるのが、腐ったリーダーって可能性は無いのか?」




 何でそういう言い方をするんだ。

 翔太の忠告は立花の耳に入らない。眉を寄せるミナの顔が目に浮かぶ。




『じゃあ、俺が笹森さんを殺したら良いの?』




 とんでもない極論が出て来たので、翔太は驚いた。

 苛々していたのだろう。体調も優れないのだろう。敵地に独りぼっちで心細いだろうし、余裕も無いはずだ。


 だが、この子は、いざと言う時にそれが出来る子だと、知っている。渋谷が事務所にやって来た時、翔太はそれを思い知った。




『相手を全肯定することが信頼じゃないって、レンジは言った。じゃあ、何でも疑うことが正しいの?』

「何でも信じるよりはマシだな」

『俺はそう思わないね。信じる度胸も無く、相手に信じて欲しいなんて傲慢だ』

「テメェの短ェ物差しで、何でも測れると思ってんのか?」

『レンジだってそうだろ』




 これはもう、喧嘩だな。

 翔太はそう判断したので、仲裁に入った。




「お前の言ってること、分かるよ。俺だって笹森さんは味方であって欲しいと思う。でも、お前だって最悪のことは想定してただろ。立花だってそうだよ」




 ミナは言い返さなかった。

 言っていることは伝わっているはずだ。むしろ、二人の考え方は似ていると思う。


 翔太が宥めていると、ミナが言った。




『レンジがどうして欲しいのか、俺には分からないよ』




 そうして、通話は切れてしまった。

 立花は煙草を吸って来ると言って、車を降りてしまった。翔太は車に一人残され、疲労感に体が重くなるのを感じた。


 レンジがどうして欲しいのか、か。

 翔太はシートに背中を預け、車窓を眺めた。

 分かってる癖に。本当は、お互いに分かってる癖に。


 お前が心配だ。

 貴方の力になりたいんだ。


 どうしてそんな簡単なことが、言えないのか。


 通りの向こうの喫煙所に、立花の背中が見える。草臥くたびれたサラリーマン達は羊の群れに似ていた。立花は、おおかみなのだろうか。


 翔太は携帯電話に手を伸ばし、ミナに電話を掛けた。




「……もしもし。まだ怒ってるか?」

『いや、怒ってない。感じ悪くてごめん』




 二人の時は素直なんだけどな、と思うと苦笑いが抑え切れなかった。




『レンジがどうして欲しいのか、本当に分からないんだ』




 ミナはそう言った。

 分からないだろう。当たり前だ。立花はミナに何も出来ない子供でいて欲しいのだ。有能になって彼自身の価値が上がる程、危険は高まる。


 しかし、ミナはそうじゃない。この子は早く大人になりたかったのだ。子供のままでは貫けないものがあると知っているから。




「立花は、お前のことが心配なんだよ」

『分かってる。だけど、それは俺も同じだって、どうして考えてくれないの?』




 子供の親離れって、こんな感じなんだろうな。

 翔太はそんなことを思った。




「お前だって、弟が危険なことをしていたら止めるだろ」

『当たり前だろ。ワタルは俺の弟だ』

「血が繋がっているかどうかで、関係性に線を引くのか?」




 ミナは黙った。言い返せないだろう。家族じゃなきゃ心配しちゃいけないみたいに、ミナが言うからだ。

 他人の嘘が見抜けて、大人の中で生きて来たからだろう。所詮しょせん、他人。相手の全てを理解するなんて不可能だ。




「独りで抱え込むなよ。今の立花は、頼れば応えてくれる」




 応えてくれなかった時期の方が長いから、関係性が馴染むには時間が掛かる。でも、此処でミナが線を引いたら、もう終わりだ。




「そっちのことは、お前に託す。信じてるから、任せるんだ。ノワールを巻き込んだのが嫌だったんだろうけど、一人でやるより心強いだろ?」




 ミナは少し黙って、の鳴くような声で「分かった」と言った。分からないけど分かったと、と言っているようなものだ。




『俺は、ショータとレンジを信じて動く』




 追及しても良かったが、藪蛇やぶへびになるのも、ミナにばかり我慢させるのも嫌だったので、翔太は肯定した。

 最後にミナが言った。




『いつも間に入ってくれて、ありがとう』




 此処で礼を言えるのが、ミナの長所だ。翔太は笑った。




「良いよ。お前等の間に立つのは、俺も嫌じゃないんだ」




 自分は、妹と世界の間には立てなかった。

 通話が切れる。車窓の向こう、立花が戻って来るのが見えた。いじけた子供みたいだったので、案外、自分達の精神年齢は近いのかもな、と思った。

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