5ー034 ~ 筋肉痛・釘
その夜、夕食後しばらくして、ネリさんとカエデさんが後ろにクリスさんを連れてというか引っ張ってきて、魔法を見て欲しいというので外に出たら、戦闘指導という名の模擬戦のお願いだった。騙された。
- 明日にしましょうよ…。
「えー?、だってクリスさんやサクラさんだけー?」
「タケルさんがあんなに強いって知りませんでした。だから私たちもって…」
「あと少しで何か掴めそうなのです。お願いします!」
それぞれ理由があるようだけどね。
- いや今日はもう疲れたんですってば。
疲れたのは嘘でも何でも無い。
ちょっと熱を持ってる感じで体がだるいんだよ。
やっぱクリスさんやサクラさんを相手にしたときの、身体を魔力操作で理想的な動きを体現するってやりかたはかなりの負担だったんだろうと思う。
「だめかー、タケルさんが断るのって珍しい気がするし…」
「ネリはそんなに普段からお願い聞いてもらってたの?」
「たぶん…リン様経由のが多いと思うけど…」
そうなのか?
じゃあリンちゃんのところで判断されてるのも結構ありそうだなぁ…。
「あたしも今回大きなお願いしちゃってるから…」
「え?、あー、こないだ言ってた塔の支援だっけ?」
「うん…」
とか何とか、俺をちらちら覗いながら言わないで欲しい。居心地悪いじゃないか。
いつもの位置じゃなく少し離れてるけど、後ろで見守ってるテンちゃんとリンちゃんの様子を見てるのかもしれないけどね。
- というか剣術を見てもらうならクリスさんでしょう?、せっかくクリスさんが居るんですから。
「私はタケル様のご指導を受けたいのですが…」
- いやもうほんと疲れたんでまた今度にして下さいって…。
「わかりました。また今度、ですね?、じゃ、ふたりとも、そっちで見るからまずカエデから剣を振ろうか」
「はい!」
あ、失言だったかな?、でもまぁいつとは言ってないのでいいか。
「え?、あたしも?」
「あんたそのつもりで出てきたんじゃないの?」
「それはそうだけど…」
「ん?、そうかネリはサクラに師事していたんだったな。でも一度見てみたいな。じゃあまずはネリから…」
ほっ…、何とか回避できたようだ。
安心して川小屋へ戻ろうと後ろを向くと、テンちゃんとリンちゃんがにこっと笑顔。うん、癒されるね。
ふと小屋の入口に誰か居るなと思ったらカズさんが立ってて、布を少しめくって様子を見てたようだ。
クリスさんの指導を受けたかったのかな?
と、気にしないことにして入口へ歩いて行くと、そのカズさんが周囲の様子を覗うような素振りで入口から出て言う。
「おい、ちょっと顔……を洗ってくるからあっちで話をしませんか?」
セリフの前後で態度が急変したのは俺の横にいたテンちゃんとリンちゃんが原因だろうね。
で、よくわからないけど呼び出しを食らったと見ていいだろう。
そして小屋の外壁に設置されている水道のところへ行き、顔を洗い始めた。
「何ですかあれは…」
「ふふっ、わざわざ洗顔宣言をして誘うとはなかなか礼儀を弁えておるのじゃ」
「お姉さま、そんな意味では無いと思いますよ?」
「わかっておるのじゃ。愉快な科白だったので面白い解釈をしたまでなのじゃ」
「そうですか」
洗顔宣言って初めて聞いたぞ?
本当に顔を洗って戻ってきたカズさんに小さく合図され付いて行くと、川小屋の中を通ってリビングから廊下に行き裏庭に出て、木と泉のところに着いた。
あの廊下には覚えが無いけど、どうせまた増えたんだろう。
「あ…、その、タケル…さんとふたりだけで話したいのですが…」
まぁね?、特に急ぐ用事でも無い限り、だいたいテンちゃんとリンちゃんが付いてくるからね。
- だそうですので、少し離れててくれるかな?
「…仕方あるまい」
「……仰せのままに」
テンちゃんは薄く笑みを浮かべて下がったけど、リンちゃんは不満そうだった。
これでいいですか?、という目でカズさんを見ると、ひとつ咳ばらいをしてから小声で話し始めた。
けどさ、この距離程度だとあのふたりには筒抜けだと思う。
「正直なところ、俺はお前を後輩として見ていいのか迷ってる――」
と始まったが、まず言いたい。
俺は特にカズさんに後輩扱いをして欲しいなんて全く思って無い。
だってこのひと典型的な体育会系じゃん?(※)
後輩に遠慮が無いし、パシらせようが用を言いつけようが世話をさせようがそれは『可愛がっている』という証であり、目をかけてやっていると思うタイプだ。
世話させてんのに世話してやってるみたいに思うとかどうかしてると思わざるを得ないね。
まぁその分、食事やお酒を奢ったりすることもあるんだろうけどさ。
で、だよ。
この世界の俺としてはむしろこの川小屋で衣食住のうち3分の2を俺が出してる事になるわけなんだ。奢ってるのは俺の方ね。
もちろんそれを笠に着たり引き合いに出してお礼を強要したり何かを求めたりするつもりは無いよ?
ただ言葉遣いは後輩扱いをされても受け入れるし、逆に他の先輩たちのように『さん』付けで呼べなんて全然思って無い。むしろ皆さん呼び捨てでお願いしたいぐらい。
俺が思うのは、何も先輩だからって好き放題に命令するなとかそういう意味では無く、相手にも都合があること、嫌がる事もあるんだってことを理解して欲しいわけなんだ。
体育会系的な後輩像を俺に求めるな、ってのも加えておきたいね。
カズさんが他の先輩方に体育会系的な後輩の態度をとるのは自由にしてくれていいと思うけどさ。
「――どうやら精霊様を従えているのは本当らしいし、剣や魔法の腕も相当立つようだからな。先輩方もお前には一目置いておられたし、教えを乞う姿も見た。俺からお前に、いやもう俺も先輩方に倣ってタケルさんと呼ばせて頂く事にしよう、いやします。俺からタケルさんに教えるような事は無いと言えます。――」
何なんだ?
カズさんは結局何がしたいんだ?
最初だけは俺を見て言ったけど、あとはずっと横向いてんだよ。
もしかして、言葉にしながら考えを整理してるのか?
それを俺は聞いてればいいのか?、居心地悪いんだが…。
「――なので、だな、いや、ですね、今まで済みませんでした!、もう貴方を後輩と思わず先輩だと思う事にしますので、今後はご指導ご鞭撻、よろしくお願いします!」
え…?
いきなりこっち見たと思ったら90度のお辞儀だよ!、びっくりだよ!、お辞儀で風って出るんだな。
- えっと、はい、よろしくお願いします。
「ありがとうございます!、タケルさんっ!」
再度のお辞儀。そして風。
と思ったらすっきり晴れ晴れとした表情で去り、テンちゃんとリンちゃんが居る場所でもお辞儀をし、扉を開けて中に戻って行った。
残されたのはあっけに取られて見ていた俺と、精霊姉妹の3人だった。
『…何なのでしょうね、あれは…』
首飾りから呟いたウィノアさんが全員の気持ちを代弁した。
●○●○●○●
翌朝。
いつものようにリンちゃんに優しく起こされ、これまたいつものようにおはようと挨拶をすると、リンちゃんも至って普通にルーチンワークである俺の机の天板と一体化している操作盤に指を走らせて何やらする。
「この後、少し出かけてきます」
予定があるときはこうして言ってくれるのもこのタイミングだ。
- あ、もしかしてサクラさんの剣の加工データ?
「はい、それをエスキュリオスに持って行って分析してもらうんです」
- 里じゃなく?
「里のほうはエスキュリオスから送ってもらえるんですよ。並行して分析はすると思いますよ?」
まぁ俺の机なんて言ってるけど、実はせいぜい何かを置く台程度にしか使ったことが無い。ほぼリンちゃんしか使ってないんじゃないかな。
以前はピヨやミリィの寝床というか柔らかい布やタオルを入れた籠が置かれてたんだけどね。そのふたりは今は『森の家』に居るから、この川小屋に残ってるのはその籠が棚の上に片付けられていることと、部屋の隅に設置されているピヨ用の個室トイレぐらいなもんだ。
話を戻そう。
リンちゃんに『へー』と応じてから、俺がもそもそと起き上がって枕元に置かれた服に着替えるんだけど、それで身体を起こそうとして気付いた。
身体中がすごい筋肉痛だということに!
特に下半身が酷い。
上半身は腕と背中がつらい。あと腹筋も。でも下半身ほどじゃ無いので痛いけどそれ以上に痛い部分があるせいか、あまり気にならないからいいんだ。
足をベッドの横に出すだけで一苦労。
「っく…」なんて声が出たせいかリンちゃんに気付かれ、手を止めてベッド脇にしゃがみ、心配そうな顔だ。
「タケルさま?、すごくお辛そうですが、どうされたんです?」
心の底から心配そうだ。ほんとにありがたい。身に染みる。
でも実はただの筋肉痛なので、ちょっと気まずくなってきた。
- 筋肉痛だから心配しないで。
もしかしたら上半身より下半身が酷いのは、昨晩のウィノアマッサージで上半身が解されたからなのかも知れない。
下半身のマッサージ――待て、この表現はどうなんだ?――変な意味じゃなく筋肉のだけど、いつも下半身は断ってるわけで、理由はその変な意味じゃなく、やっぱり気恥ずかしいってのといろいろ歯止めが利かなくなりそうな俺の優柔不断さを懸念してのことだ。
でも昨晩は脚部ぐらいならしてもらっておけば良かったな、まさかこんな酷い状態になるとは思わなかった。
「んー、ほぼ全身じゃないですか、一体どんな無茶な運動をされたんです?」
リンちゃんはポケットからどこかで見た事のあるちびた石鹸みたいな物体を取り出してキュッと握って魔力を込め、診断をしたようだ。
- 無茶…だったのかな、やっぱり。あ、それ使う事もあるんだ?
「これですか?、局所的なら使いませんが、全身を診るには便利なんですよ。あれ?、タケルさまこれご存じなんですか?」
片足だけベッドから出して寝転んでる俺の横で、その魔道具を親指と人差し指で摘まんで見せながら言うリンちゃんに頷いた。
だって診察されるってわかるんだから動かずに待つって。下手に動くと痛いし。
- シオリさんが持ってたんだよ。
「これと同じものをですか?」
- うん、ロスタニアに伝わってる国宝のひとつなんだってさ。
「そうですか。そういう事もあるのでしょうね。それでどうなさいます?」
- 起きる。あ、ありがと。
両足を下ろすのを手伝ってくれて、背中を起こすのも補助してくれた。
座るとケツが痛いな…。
「どういたしまして。何でしたら回復魔法を掛けますけど…?」
- お願いします。
「ふふっ、即答ですか。でも完全に治してしまうよりは少し痛みが残る程度にしたほうが良さそうですね」
あー、そういう意見もあるか。
筋肉の超回復とかいうアレだな。うん。
- じゃあそれでお願い。
「はい。じゃあもう一度横になって下さい」
その動作でまた『っく』とか『うっ』とか言ってリンちゃんにくすっと笑われた。
●○●○●○●
結局、俺は朝の訓練には不参加でだらだらしていた。
先輩方には、『昨日の疲れが残ってまして』と言い訳をしておいた。特に何も言われなかったけど、納得して無さそうなひとの視線がちょっと痛かった。もちろん納得してるひともいたけどね。それぞれ誰とは言わないけど。
朝食の時にカエデさんとネリさんが話してたのを、散歩に出てたら思い出した。
「走って来たときにハムラーデルの方の道沿いだけでも結構いろいろ建物ができてて驚いたよ」
「へー、言われてみれば何も無かったもんねー」
そう言えばここも随分と開発が進んでるんだっけな…。
何で散歩かというと、じっとしてるのも何だしまた模擬戦だの言われるのも困るし、残ってる筋肉痛のためでもある。
ちょっと索敵魔法を使って地図でも焼いてみるか。
と、テンちゃん式の飛行結界をさっと張ってびゅんと上昇、空から地図を何枚か作成して見た。
おお、これは凄いな。
ちゃんと道が整備されつつあり、その沿道沿いに建物や囲いができていたり、上空からならひと目で農地や牧場だとわかるものができていたりと、まだ空き地は結構あるにしても、ネリさんが言うように元々何も無かった事を思えばかなり開発が進んでいるようだ。
こうして地図にするとわかりやすい。
元の世界で街づくりや土地開発のシミュレーションゲームがあったが、イメージ的にはそれと大差無い。なかなか面白い、なんて言っちゃ頑張って働いてるひとたちに悪いけどね。
「あれ?、タケルさん?、ってそれ地図ですか?」
この地域も結構ひとが増えてるので、そこらに着陸するわけにも行かず、川小屋近くに戻って歩きながら、できたてほやほやの地図を「へー…」なんて言ってぺらっとめくって見ていたら、外のテーブルのところに居たカエデさんとネリさんが駈け寄って来た。
あ、しまった、模擬戦とか言われるのが嫌で逃げたんだった。
- え?、あ、うん、今どうなってるのかなって、作ってみたんだ。
「んじゃ新しい地図ですか、ちょっと見せて下さいよ」
と、俺が返事するより早く全部取られた。
「わ、すご。何これいまってこんなんなってんの!?」
「え?、ちょっと私にも見せてよ」
「ちょ、揺らさないでってば」
「何枚もあるんだから1枚貸してよ」
「しょーがないなー、ほれ」
「作ったのはタケルさんでしょ!、なんでネリが偉そうに、って、すごっ!、何これ」
「でしょー?」
「だってこれほら、羊か山羊かの区別つくよ?」
「え?、マジで?、うわほんとだ」
これはしばらく返してもらえそうにないな。
しょうがない、もっかい作って来よう。
簡略したものでさっき作ったならイメージが残ってるのですぐ焼けるんだけど、今回のは街並みなどがわかるように結構詳細なものだし、植物紙に焼いたからね。1枚の範囲がそれほど広くないんだよ。
と言う訳でさっきの要領でさっと飛んで逃げた。
だってあのまま残ってたらいろいろ言われそうじゃん?、模擬戦とかさ。
上空に座って作り直した地図を見ていると、ロスタニア側の山沿いにあった岩が板状に崩れて屋根のようになってた場所のことを思い出した。
あそこってあのままだと周囲の木々を整地したあと、落石とか結構危ないんじゃないか?
また戻ると模擬戦だの何だの言われそうな気がして、ああそうだよ、戻らないための言い訳作りだよ!、いいじゃないか。
●○●○●○●
朝食後は皆がそれぞれ何かの用事をし始めたので、俺も早速タケル様を探したが見当たらない。
部屋に居られるのかと様子を伺いにタケル様の部屋の暖簾を潜ると、部屋の空気がひりつく感覚を覚えた。
これは危険だ!
そう感覚が警告を発している。
戻ろうとしたが俺の後ろは黒く塗り潰されたように真っ黒だった。
『悪いが其方に少々話があるのじゃ』
テン様の御声が頭に響いた。
振り向くとさっきまで誰も居なかった俺の前には少し距離を置きテン様が居られた。
他には何も見えず、周囲が闇に包まれていた。
俺は黒鎧の中に囚われていた頃を想起しかけたが、それどころでは無い。
テン様の凄まじい存在感に圧倒されたからだ。
思わずその場に膝をつき、両手を前にして上体を支えた。
『其方の気持ちは理解できるが、あまりタケル様の手を煩わすでないのじゃ』
- て…、テン…様…
そう言うのが精いっぱいだった。一瞬だけテン様を見上げたが、腕を伸ばし続けることすらできずに肘を曲げてしまい、額が床についてしまった。
背筋の毛が騒めく感覚はこの世界に来て最初の頃に何度か味わったが、これはその比では無い。
ほんの一瞬で背中だけに留まらず全身の毛が泡立ち汗が噴き出ている。
意識を保つのですら厳しい。
全身が危険を訴えている。
逃げられない。
知らず、死を覚悟した。
『言いたい事はそれだけじゃ。肝に銘じるが良いのじゃ』
その御声が終わると、まるで夢か幻であったかのように威圧感は消え失せ、周囲に光が戻ったのがわかったが、俺はそのままの姿勢でしばらく動けずに居た。
●○●○●○●
気が付くとタケル様の部屋の中だった。
汗は既に引いていた。
身体が冷えたのと、床に蹲る姿勢だったのもあり、立ち上がるのに少し手間取った。
部屋に戻り、着替えを手に脱衣所へと行った。
途中のリビングにシオリさんが居たようだが、会話は無かった。
幸い、浴室は誰も使っていないようだった。
入浴で漸く落ち着きを取り戻した俺がリビングにでると、シオリさんが地図を広げて小さく独り言を呟きながら時々別の紙に何かを書きつけていた。
さっきは余裕が無かったので気付かなかったが、シオリさんは書き仕事をしていたんだとわかった。
そしてテーブルの上に広げていた地図に目を奪われた。
- 何て精緻な地図なんだ…。
「え?、あ、クリスは知らないの?」
つい声に出ていたようだ。
- あ、邪魔をするつもりでは…。
「ううん、構わないわ?、ちょうどこの区画の用途を考えてたのよ」
シオリさんが地図を指さしたところを見た。
- この、半円のような記号が書かれているところですか?、確かにこの周りには道路や何らかの用地が記されていますが、よく見ると土が盛ってあるようにも見えますね。
そう言うとシオリさんはうんうんと頷いてから説明をしてくれた。
「元ダンジョンがあった場所なのよ。タケルさんが作ってくれた地図を元に、できるだけ正確に写し取るように厳命して作られた写しなの、この地図」
- タケル様が…?
「そうなのよ。クリスはまだ見た事が無いのかしら?、タケルさんが魔法でさっと描いてくれるのよ。でもあまり気軽には頼めないのだけど、さっき最新の地図を貰ったと言ってカエデとネリが持ってきてくれたのがこっちの紙よ」
広げていた羊皮紙の地図ではなく、脇に置いてあった紙束を指す。
そちらが元だったのか…、と見ると羊皮紙のものよりも数段精緻だった。
- 畏れ多いですからね…。
「え?、ああ、そうね。そうとも言えるわね」
何だか少々言いたいことの齟齬があるように思えた。
気軽に頼めばタケル様なら否とは言わず、気さくに応じて下さるだろう。
しかしそれをあまり当てにするとタケル様の御傍に居られる精霊様のご機嫌を損ねる事に繋がるのだ。
俺にとってはついさっき、テン様から釘をさされたところだ。
恐怖より畏怖が先に立った。いや、そのように思うことすら畏れ多い。
俺に許されるのは、薄く笑みを浮かべるお美しいテン様の美声とお言葉の意味することを確と心に刻みつけ、逆らわない事だ。
おそらくシオリさんは俺とは程度と方向性が異なるであろうが、同様の経験をしたのだろう。
俺はシオリさんにひとつ頷くと、地図を見ていて気付いた点を尋ねることにした。
- この記号はこちらとこちらにもありますね。ここも元ダンジョンだった場所ですか?
「そうよ?、この地図は全域ではないのだけれど…」
- 文字はこちら向きなのに、どうして記号が横向きなんでしょうね?
「え?」
- これは洞窟の入口を模式化したものでしょう?
「あー、言われてみればそう見えるわね。ダンジョンはこの記号を使うって決まってるんだと思ってたわ」
- そういう解釈もありますね。
そこに朝食後すぐにカズを連れて出かけていたサクラが帰ってきた。
「何が決まってるんです?、姉さん」
「あ、おかえり。どうだった?」
「ただいま戻りました。そうですね、カズはもっと勇者のこういう仕事にも慣れておいたほうがいいと思いました」
「すみません。またご指導お願いします」
「ああ、そう何度も謝るな。最初は誰しもそんなもんだ。ネリなんかひどかったぞ?」
「それで異常は?」
「ありません。1件だけ用地をはみ出して建築しようとしていたのが居ましたが、私が行く前に地域担当の兵士が処理していました。それぐらいです」
なるほど、勇者としての見回り任務か。
開発奨励地域にはそう言った仕事も勇者に割り振られるからな。
正式に地域担当の兵士が決まり、住人が揃ってくると引き継がれる一時的なものだ。
他にも要人護衛や送迎、式典の出席や挨拶など、勇者としての仕事は幅広い。
異変や魔物襲来などの無い平和な時期という意味でもあるので、そう悪い仕事では無いと思うことにしている。というのもヨダさんたちからの受け売りだが。
「そう。じゃあ報告書にまとめてちょうだい」
「カズ、書いたことは?」
「ありません」
「じゃあいい機会だから書け。内容も少ないし練習用にいいだろう」
「はい、わかりました」
そう言えば後輩の指導をするのも勇者の仕事の内だったな。
俺は長いこと黒鎧に囚われていたのもあって、後輩を指導する機会がほとんど無かったが。
「ところで何か決まったんですか?」
「え?、ああ、そうじゃなくて地図のことよ?」
「地図…?」
「うん、地図。ここの記号がダンジョンって意味だってクリスと話してたのよ」
そう答えてから俺を見たシオリさんに同意するように頷いてから補足した。
- 洞窟の穴の意味かと勘違いしたんだ。
「洞窟の穴?、ですか?」
「ほら、横にして見るとダンジョンの入口みたいでしょ?」
「あー、なるほど。でも違いますよ姉さん」
「何が違うのよ」
「これは元の世界のアルファベット、ABCDのDで、ダンジョンの頭文字ですよ」
ハルトさんが前に言ってたような…。
あのひとは元の世界で海外書籍の翻訳をする出版社に勤めていたらしいからな。
そう言った方面に明るいんだ。
「そうだったの?、ある…なんとかって?」
「えっと、英語の文字ですよ。私たちで言うひらがなみたいなもんです。あいうえおって基本文字があるでしょう?」
「いろはにほへとじゃなかったっけ?」
俺もそう思う。
「学校で習わなかったんですか、って姉さん学校に行ってませんでしたね、すみません」
「私だけじゃないわよ?」
と、シオリさんが俺を見たので頷く。
- 俺もそうだな。学校というのは一部の金持ちが行くところだったからな。それも学者や知識人のためのものだ。
「あー、そうだったんですね、不勉強ですみません。おふたりの世代よりかなり後でしたら一般人が普通に学校に行けたんです。そこで教育を受けて、外国語にも触れることができます。その記号は私たちにとっては一般的な文字のひとつなんですよ」
「そうなのね」
「はい、ダンジョンのDと覚えて下さい」
それがなぜダンジョンのでぃーなのか俺にはいまひとつよくわからないが、覚えておくとしよう。
「ふぅん、よく分からないけど覚えておくわ」
シオリさんも同じ考えのようだ。
「なになに?、ダンジョンの話?」
外に出ていたネリとカエデも戻ってきたようだ。
- 地図のこの記号がダンジョンのDだって話だ。
地図を指さして言うとふにゃっと相好を崩した。
「なーんだ、あ、そう言えば冒険者ギルドでそんな話を聞いたよ。冒険者にランクってのができてて、最初がFだったかな、それからある程度慣れたDランクにならないとダンジョンに入れないとかそんな話」
「いまはそんな風になってるのか…」
「ほら、前にタケルさんが行方不明になってたときに、ツギの街の冒険者ギルドに寄ったんだけど、そんときにそんなこと言ってたんで、面白そうだから話を聞いてみたの」
「ダンジョンのDでもあるが、冒険者ランクの指標でもあるとはな、なかなか面白い事を考えるもんだな」
なるほどな、冒険者は魔物と対峙することもある。
戦えるかどうかの指標があるというのは良い事だ。
「あ、そうそう、それ聞いたとき『勇者様なのにご存じ無いのですか?』って言われてさ、どゆこと?、って尋ねたら勇者様から聞いたんだって、」
「あのー」
後ろに控えていたカズが、その大きな身体を縮めるようにして遠慮がちに話に割り込んだ。
「ん?、どしたの?、カズ」
「それ、俺のせいです」
「何が?」
「冒険者にランクをつけたのと、ダンジョンのDと入場許可ランクのDとをこじつけたのが、です…」
「「えー?」」
ネリとカエデが咎めるような反応をしたせいで、カズはさらに肩をすくめた。
「あ、いや、別に悪いことだとは思ってないぞ?」
それを見たサクラが宥め始めて、ネリに軽く肘で合図をした。
「あ、うんうん、面白いアイディアだとは思ったよ?、ね?、カエデ」
「え?、あたしに振らないでよ、そんなのいま初めて知ったのに!」
「すみません。ツギの街に寄ったとき、勇者様、勇者様ってやたらと持ち上げられるもんでつい調子に乗って適当なでまかせを、すみません、俺が余計な事をしたばっかりに…」
「いやいや、だから悪くないってば」
「そうだぞ?、寧ろ指標ができて良かったんじゃないか?」
「そ、そうですか…?」
と、周囲をちらっと見まわすカズ。
「そうね、ダンジョンに入るのにはある程度の指標があったほうが、不幸な事故も減らせるでしょうね」
「そうですね」
「そう言って頂けて良かったです。実は少し不安だったんです。あんな適当な嘘吐いて良かったのかって、だからどうせ社交辞令で感心した振りをしてるんだろうって思う事にしてたんです。そしたらまさか定着してしまうなんて思わなくて…」
そういう経緯だったのか…。
「先輩勇者の指導ってこういう時のためのものだよねー」
「わ、カエデが先輩面しようとしてる?」
「違うわよ!、タケルさんもそうみたいだけど、カズにも先輩勇者の指導が無かったんだなって意味よ。って、ネリにはサクラさんがついてるよね?、なんで?」
「ああ、ネリの場合は私がたまたま勇者の宿で復活したときに居たからな、指導ついでに連れて来たんだ」
「そうだったんですか」
「うん、まだここが魔物侵略地域だった頃、魔物の襲来が活発化し始めていたからな、だからタイミングが合わなければネリにも指導が無かったという事になる」
「ネリの後ってカズで?、そのあと暫くしてタケルさん?」
「そうなるな」
「はい」
「一番後なのに、一番凄いのって何かすごいね」
「っぷ、何よそれ、さすがカエデ」
「あ、いまバカにしたでしょ」
「してないしてないてっ」
「カエデの言う通りだと思うぞ、確かにタケルさんは凄いというか凄まじい。模擬戦であんな敗北感を味わったのは初めてだったしな」
「テン様が言ってたけどあれ全部魔法らしいよ?、鍛錬で培ったものじゃないって。ズルいよねー」
「ズルくない。いや、あれだけの事を魔法でやってのける事こそが凄まじいと思う」
確かにそうだ。
俺にはトルイザンで出会った達人級の師匠2人から指導を受け、それを超えてきた経験と自負があったが、そんなものが微塵に打ち砕かれた気分だった。
と共に、まだこんなに上があったのか、という喜びも少しはあった。
それを鍛錬ではなく魔法によって実現する。なんという御仁だろう。
タケル様にも言ったが、あと少しで何か掴めそうなんだ。それが惜しいと思う。
しかしテン様に釘をさされたばかりだ。
しばらくは自身の鍛錬であの領域に少しでも近づければと思う。
新たな目標ができたと思えば、良い事なのだろうな。
次話5-035は2023年06月16日(金)の予定です。
(作者注釈)
※ あくまでタケルの見解です。作者の見解ではありません。
20230512: シオリの示した地図についての表現を一部改訂。
20230513: 言葉が足りなかったので追加。
先輩だから ⇒ 先輩だからって好き放題に
20230630: 助詞抜け補完。 持ってきてくれたが ⇒ 持ってきてくれたのが
20230630: クリスがテンに跪いた場面で、言葉の『間』をとる意味で行を分割。
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
入浴はあるけど描写無し。
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
収集したデータを持って出かけてます。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンの姉。年の差がものっそい。
当人はちょっと釘をさしただけのつもりです。これでも。
ファーさん:
ゼファーリィ=ヴェントス#$%&。
風の精霊。
有能でポンコツという稀有な素材。
風の精霊の里では高位の存在なんですよ、これでも。
尊敬の対象なんですよ、これでも。
しばらく出番がありませんが一応。
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
タケルの首飾りに分体が宿っている。
今回ちょっとだけ。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい名前くらいしか登場しませんが一応。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
勇者番号9番。オオミヤ=ハルト。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
今回名前だけの登場。
そんなんばっかしですね。
カエデさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号10番。シノハラ=カエデ。
勇者歴30年だが、気持ちが若い。
でも言動はタケルからするとちょっと古臭い。
ジローさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号3番。イノグチ=ジロウ。
ハムラーデル王国所属。
砂漠の塔に派遣されて長い。
2章でちらっと2度ほど名前があがり、
次に名前が出てくるのが4章030話でした。
ヤンキーらしいw
今回出番無し。
なかなか登場までいかないですね。
クリスさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号5番。クリス=スミノフ。
現存する勇者たちの中で、4番目に古参。
『嵐の剣』という物騒な剣の持ち主。
カエデたちには砕けた口調になります。
シオリのほうがやや先輩です。
実は剣の腕だけで言えばメルより強いのです。
剣の腕は勇者最強です。
でっかい釘をさされました。
ロミさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号2番。マサダ=ヒロミ。
現存する勇者たちの中で、3番目に古参。
現在はアリースオム皇国皇帝を名乗っている。
クリスとはこの世界に転移してきた時に少し話した程度だが、
互いに気にかける程度の仲間意識はある。
今回出番無し。
シオリさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号7番。クリバヤシ=シオリ。
現存する勇者たちの中で、2番目に古参。
『裁きの杖』という物騒な杖の使い手。
現在はロスタニア所属。
勇者姫シリーズと言えばこのひと。カエデは大ファン。
なのでカエデにはまだ少し苦手意識があります。
結局利用方法が見つかってませんね。
サクラさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号1番。トオヤマ=サクラ。
ティルラ王国所属。
勇者としての先輩であるシオリに、
いろいろ教わったので、一種の師弟関係にある。
達人級との差は大きいけど、
タケルとの模擬戦のおかげで一歩近づいたと思われます。
ネリさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号12番。ネリマ=ベッカー=ヘレン。
ティルラ王国所属。
サクラと同様。
魔力操作・魔力感知について、勇者の中では
タケルを除けば一番よくできる。
やっぱりカエデとは仲がいいように見えますね。
カズさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号6番。サワダ=ヨシカズ。
ロスタニア所属らしい。今の所。
体育会系(笑)。性格は真面目。
タケルに対する態度を割り切った様子。
※ 作者補足
この登場人物・固有名詞紹介の部分全ては、
あとがきの欄に記入しています。
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