4ー059 ~ 帰路・ゼロの危機と名の由来
到着したときはまだ辺りが見えていたが、小屋を出ると右も左もわからないぐらいの夜だった。
見上げると星空だ。雲で遮られていない部分には星が、それも見とれてしまうぐらい、数多く見えた。
俺は板状の飛行結界の上ですいっと皆に待機してもらっていた球状の飛行結界へと乗り付けて中に入り、乗ってきた板を解除した。
中にはシンプルなデザインの木製テーブルと椅子、そのテーブルの中央に大きいお皿があり、お茶請けのお菓子と、ちょっとしゃれたデザインの灯の魔道具があった。皿の横の小さな箱には爪楊枝が並んで入っていた。楊枝が立ててある入れ物は別なので使用済みのを入れる箱かな。
「おかえりなのじゃ」
「おかえりなさいませ、タケルさま」
「おかえりなさい」
三者三様、でも同時にそう言われ、『ただいま』と言ってから皆が茶器を置いて立ち上がろうとしたのを手で制した。
- あ、そのままでいいですよ。
そう言って空いている辺に障壁魔法で椅子を作って座り、お茶請けに置いてあったもこっとしたひとくちサイズの、爪楊枝のような小さな串が刺さっているものをひとつ取ってぱくっと口に入れた。
ん?、これミニシュークリームか…。中は甘酸っぱい何かの果実のクリームだった。美味しいなこれ。
「ではお茶をお淹れしますね」
改めてリンちゃんがそう言って立ち、俺の分の茶器をエプロンのポケットから取り出して、置いてあったポットを傾けてお茶を注いだ。
湯気が立たないところを見ると、冷たいお茶のようだ。
喉が渇いていたのか、すっと俺の前に出されて受け取り、飲み始めると仄かにミントのような爽やかな味と香り、のど越しが良くてごくごく飲み干してしまった。
後味は確かにお茶で、口の中が落ち着くと別の芳香がふわっとした。
- あ、一気に飲んじゃったよ。美味しいねこれ。
「ふふっ」
「おかわりをどうぞ」
まだ立ったままのリンちゃんがポットを寄せてきたのでカップをリンちゃんの前にすっと置いた。
- このミニシューも美味しいね、光の精霊さんとこにもあったんだね。
「いえ、元々あるのはパンのようなもので、もっと大きいんですよ」
- へー?
「タケルさまはミニシューと仰いましたけど、ネリさんからはプチシューって聞きました」
- え?、じゃあ
「はい、ネリさんが、『シュークリームが食べたい』と言って、形や食感、中身の話などをされまして、それで食品部で試行錯誤をして出来上がったのがこちらです」
- へー、そりゃすごいね。
お皿の上に並べられて、ひとつずつ爪楊枝が刺さっているのを見て、もうひとつ食べてみた。皆も手を伸ばして取り、微笑みながらもぐもぐと食べてからお茶を少し口にした。
俺が食べたものはさっきと違って酸味が無くて甘いものだった。
「ネリさんの説明には『ナマクリーム』と『カスタードクリーム』と言うものがあったのですが、そこは再現できませんでした。でも『これはこれで美味しいからオッケー』だそうで、しばらく『森の家』でテストをしてから本格的な生産に入る予定です」
あ、そうですか。
「名称ですが、タケルさまが『ミニシュー』と仰るのでしたらそう伝えますが、」
- あ、それは別にどっちでも。プチシューのほうが可愛い響きだし、プチシューでいいと思うよ?
「そうですか?、ではそう伝えておきますね」
そう言ってリンちゃんがやっと座ったので、飛行結界の移動を開始した。
「た、タケルさまっ、移動するならそう言って下さい!」
するとリンちゃんが左側から俺に飛びついた。
- わっ、え?、座ったからいいかなって…
「私も少し驚いたのじゃ…」
「そうですね、急に空の雲や森が動き始めたんだもの、私も驚いたわ」
「そうですよ!、テーブルのお茶が全然揺れていないのに周囲が動くように感じて、感覚のズレで酔いますよこんなの!」
飛行結界の床に膝をついて、俺の腰に両手でがっしりとしがみついているリンちゃんは、俺の脇腹に顔を押し付けたまま言った。
- あー、ごめんね、でも慣性を相殺しないとテーブルの上のものが飛んでっちゃうでしょ?
「まあ、そんな速度なの?」
「うむ」
リンちゃんの背中を撫でながら言うと、ロミさんは呆れたようにいい、テンちゃんがそれに複雑な表情で返事をしてカップを傾けた。
- 砦まで5分ぐらいで帰れる速度ですから、ベルクザバへの往復を考えたら大した速度じゃないですよ?
「時速で言うとどれくらいなの?」
- 今ですか?、んー、だいたい500kmぐらいでしょうか。
「え…?、それが大した速度じゃ無い…?、って…、一体…」
「ロミよ、そのような事は考えずに今は夜間飛行を愉しめば良いのじゃ」
そう言ってテンちゃんは手を伸ばし、灯の魔道具を調節して光を少し落とした。
「はい…、そう、ですね、テン様。……わぁ、素敵ね…」
テンちゃんに釣られるように星空を見上げたロミさんが感嘆の溜息をついた。
納得してくれたようなので、リンちゃんの背中を撫でつつ、お茶をちびちびと飲んだ。
到着して、リンちゃんが立ち直って片付ける間、少し待ってから中庭小屋の玄関先に着地。俺は布を手で寄せて中に入り、わきに避けて布を支えたまま皆が入るのを待った。
中に誰かが入ると自動的に明かりが点くのか…、さすがホームコアが管理しているだけはあるなぁ…。と、感心していると、最後に入ったリンちゃんが尋ねた。
「タケルさま、お風呂はどうされます?」
- ん?、ああ、じゃあ先に入るよ。
「わかりました。夕食は軽くでよろしいですか?」
- あ、うん、そうだね。一応テンちゃんとロミさんにも聞いてね。
「それは既に聞いてあるので大丈夫です」
- ああ、それでお茶請けがあれだったんだ。
「はい」
確かに、あれはぱくぱく食べてしまう。俺も移動中に5つぐらい食べた。
夕食を軽くすると決めてあったからプチシューの盛り合わせだったんだろう。
- じゃあささっと浴びてくるよ。
と言って脱衣所へ向かった。
手早く全身を洗い、湯船に浸かってふぅーと息を吐くと『おかえりなさいませ』と言って俺の隣にひょこっとウィノアさんが湧いた。
- あ、何だか久しぶりですね。
『あちらでの作業が段落しまして、余裕ができましたのでご奉仕に参りました、うふっ』
そう言って俺に寄り添い、肩に触手じゃないけど湯の腕を張り付け、腕を取ってマッサージが始まった。
- あ、あまり長湯はできないんですけど…。
『では数分だけならいいでしょう?』
- まぁ数分なら。
『うふふ~』
そんなに俺にマッサージをするのが楽しいのか、隣で鼻歌のようにでたらめ…、じゃないなこれ、何かの曲だろうか、そんなのを奏でながら俺の両腕と肩、背中を揉み解しているウィノアさん。
その曲は、聞いているうちに、何と魔力音声じゃなくてちゃんと音になってた。
それも、笛のような音とオルガンみたいな音、一緒か?、3音ぐらいの和音で曲が構成されていて心地がいい、ゆったりとした曲だ。どうやって音にしてるのかは気にしないようにしよう。湯船が3箇所ちょっとだけ盛り上がってて、そこから鳴ってるみたいに聞こえるし。
- それ、何の曲なんです?
『さぁ?、時々神殿で演奏される曲のひとつです。タケル様の別荘近くを毎日走り回っている神官なら曲名を知っていると思いますよ』
と、魔力音声で喋りながらもマッサージも曲も続いていた。
別荘って事は川小屋で、走り回る神官ってのはたぶんシオリさんの事だろう。
- へー…。
そうしてリラックスしていると、湯を足す蛇口からどばっとお湯が出てきた。
それで曲もマッサージもぴたっと止まった。
『…何て無粋な…』
- まぁまぁ、ちょうどいい頃合いでしょう。ありがとうございます、とてもリラックスできました。
『そうですか?、そう仰って頂けると頑張った甲斐があります』
そう言って両手を湯船から出してあごのやや斜め下で組み、少し首を斜めにしてにっこりと微笑んだ。
何だ?、ロミさんの真似だろうか。
ウィノアさんがやるとまた雰囲気も何も違ってて、これはこれで美しい。
俺も釣られるように微笑んで頷き、湯船からざばーっと上がった…、はずが、身体が濡れていなかった…。
- ウィノアさん、
『さ、サービスですの』
と言ってしゅぽんと音を立てて湯船に沈んだ。
全く…、過保護は良くないって言ってるのに…。まぁ、拭く手間が省けたのはいいんだけどね。
脱衣所から出ると、食卓に夕食を並べているところだった。
テンちゃんとロミさんも席に着いていた。
夕食というより晩御飯というべきかな、なんて思いながら俺も席に着いた。
でも言っていたように、メニューは軽いものだった。
薄く切ったハムのような肉と野菜を、小さなパンの切れ込みに挟んだものと、いつもより小さめの器に入れられたシチューだけだった。
いつものように『いただきます』と言って食べ始め、量が少ないのですぐに食べ終わった。
そしてリンちゃんがお茶を淹れてくれたので、ひとくち飲んでからクリスさんの事をロミさんに伝えた。
「解放されたのね、良かったわぁ」
と、片手を胸元に当てて安心したように言った。
あれ?、状態が酷かったって言ったよね?
「『勇者の宿』に帰還したのでしょう?」
俺が不思議そうにしていたのを察してロミさんは問いかける。
- はい。
「だったらもう安心でしょ、彼は回復時間が凄く早いみたいだもの」
- そうですね、そうハルトさんからも聞いてますけど…。
「鎧も回収したのでしょう?、黒鎧も壊れてるって聞いてるわ。ならもう囚われる事も無いのでしょう?」
- あ、リンちゃん、回収したクリスさんが囚われてた鎧と黒鎧、念のために調べておいてくれる?
「はい、わかりました」
- 今までもクリスさんは何度か帰還してるはずなんですよ。なのにまた鎧を装備しちゃうみたいなので、何か秘密があるのかなって思ってたんですよ。
「ん?、それならおそらくゼロが宿っておった魔道具のせいではないかと思うのじゃ」
- そうなんですか?
「確証があるわけでは無いのじゃ、当時あの鎧にそのような中毒性や習慣性は無かったはずなのじゃ。それにあれは容易に書き換えられるような技術では無いのじゃ。後付けだと考えたほうが納得できると思うのじゃ」
「わかりました。お姉さまの意見も伝えておきます」
「うむ」
- あ、だったらあの箱とかも回収すべきでしたね。
「それもシステムの一部なんですか?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるのじゃ」
「何ですかそれ」
「最初に商品説明を受けた時にはあのような箱では無かったように思うのじゃが…」
「忘れたんですね」
「そうとも言うのじゃ、何せ昔の話なのじゃ…」
- まぁとりあえず鎧だけで調べてもらって、足りなかったら取りに行くよ。
「わかりました。お姉さまの眷属は何か知りませんか?」
「ゼロは後付けされた時期には眠りこけておったので知らんと思うのじゃ」
「そうですか…」
「起きたら出られぬ状態というのは既に封じられていたという事に他ならないのじゃ、尋ねても無駄なのじゃ」
そうか、外との会話ができるようになるのはその時点からだいぶ後みたいだし、そりゃ詳しい事を知っているなら黒鎧を壊せば自分が解放されるって勘違いもしないだろう。知らないと見て間違いなさそうだ。
●○●○●○●
翌朝。
リビングのほうから騒がしい声と気配がして、何事かと急いで起きて着替え、階段を降りているとだんだんはっきり聞こえてきた。
『後生感でございます!、命感だけは!、命だけはお助け感、お助け下さいでございます!』
あれ?、これクロマルさんの魔力音声だ。
もっと遠くから聞こえても良さそうなもんだけど、何かヤバそうだ。
「さっきからカンカンうるさいのデス、お前のような存在を野放しにはできないのデス、私から逃げられるとは思うなデスよ!」
わ、リンちゃんに見つかったのか!
『そんなご無体感!、ここがこんなに危険感だなんて聞いてませんよ主様ぁ』
「危険なのはお前の方なのデス!、さぁ覚悟するデス、苦しまないようにせめて一瞬で消し飛ばしてやるデス!」
『あああ主様ぁ!、お助け感!』
階段を飛び降りるようにしてリビングに飛び込むと、食卓の横の所で光る球体に閉じ込められた黒い靄、クロマルさんが浮いていて、その前でリンちゃんが右手を振り上げた所だった。なるほど、それで魔力音声なのに聞こえにくくなってたのか。
なんて言ってる場合じゃ無い!
- 待って待って!、リンちゃんそれ待って!
「タケルさま?」
- それ消さないで、
「どうしてデス?、このような存在を許すと闇属性を禁じた意味が無くなるのデスよ。ここは特に人種に近いのデス。悪即斬、悪即滅デスよ?」
- あ、うん、それは、まぁ、そうなんだけど、とりあえず落ち着いて。
リンちゃんが少し光ってるように見えるのは魔力感知での印象もあるんだろう。そこに無表情なのが余計に迫力を感じるから近寄るのが怖い。
でもできるだけ平静を保つようにしてそう言いながら近寄り、上げていた右手の手首をそっと掴んで引き寄せ、そのまま軽く抱えた。
「あっ、タケルさま…?」
- これね、クロマルさんって言って、長い事封じられてたみたいなんだよ。だいぶ昔にテンちゃんのとこから逃げたみたいでね、それを昨日、テンちゃんが解放して連れてきたんだよ。だから消すならテンちゃんに聞いてからにしない?
軽く抱えただけだったはずが、リンちゃんが俺の胴に手を回してしがみついちゃったので、頭と背中をそっとあやすように撫でながら言うと、相槌なのだろう、こくこくと頷いた。
「わかりました、タケルさまがそう仰るのでしたら…」
と俺を見上げて言い、離れるのかと思ったらまたきゅっとしがみ付いた。
「朝から騒がしいのじゃ…、おお?、ゼロが捕まっておるのじゃ」
テンちゃんが階段を降りてきた。
『主様ぁ…』
「じゃから勝手に出るなと言ったのじゃ…、吾の忠告を聞かずにうろちょろするからなのじゃ、自業自得なのじゃ」
『現状感で弱体感で、このままでは消滅感でございますぅ、救助感を要請感です主様…』
「その言い方では意外と余裕がありそうなのじゃ」
『お、お助け下さい主様…』
「ふむ、リンに見つかればこうなるのは予想しておったが…、どうして言い付けを守らず勝手に出たのじゃ?」
『ここが居心地感の良好感な空間感でしたので…』
「それで?」
『主様のお部屋を出ただけのはずでしたが、気づけばこの状態感で…』
「なるほど、ここのせきゅりていという奴か。そう言えば登録するのを忘れておったのじゃ」
と言ってこっちを見た。
「通常でしたら未登録の存在は外に排除されるのですが、ホームコアは闇属性に関しては排除せずに判断を保留するんです。だからこんなもの登録なんてできませんよお姉さま」
リンちゃんはすっと俺から離れて言った。
それにしても、こんなものてw
「それでこの状態という訳か。これの解除はどうするのじゃ?、吾がしても良いのか?」
「解除するならこちらでしますけど、解除するんですか?」
「解除せねばどうにもなるまい」
「解除しちゃったら捕まえるのに苦労しませんか?」
「そこは大丈夫なのじゃ」
「わかりました」
返事をしたリンちゃんがすすっとホームコアの操作盤のところに行って、さささっと操作盤に指先を素早く走らせると、クロマルさんを閉じ込めていた光の球体がふっと消えた。
『ぐぇっ』
「ぐえっでは無いのじゃ、其方はまず皆に言う事があるのじゃ」
『お騒がせして申し訳ございません』
「よし」
と言って掴んだままの右手を下げた。
力が抜けているもやもやの人形みたいなのが床とテンちゃんの手との間で、だらりと表現するしかないような姿勢になっていた。
目で見ると毛足がちょっと長めのもふもふした真っ黒のぬいぐるみだな。中身が足りない系の。
「ところでお姉さま、眷属を外に出すのは厳禁だったはずでは?」
「此奴は禁じられる前に既に出ておったのじゃ、漸く回収できたのじゃ」
テンちゃんはそう言いながら左手でポケットからクロマルさんの依り代である黒いガラスのような石ころ…、だと思ってたけどこうして明るい所で見ると、細かいカッティングが組み合わさって複雑に光を反射するとてもきれいな石だったが、それを取り出してクロマルさんの頭部らしき部分に押し付けた。
今度はクロマルさんは何も言わずにしゅるんとその石に吸い込まれた。
「そうだったんですね」
リンちゃんが納得した様子を見せ、テンちゃんがその石をポケットにしまう。
とにかくやっとおさまったようで良かった。と、安心したら、ふと、テンちゃんはゼロって言ってるのにクロゼロじゃなくクロマルなんだろうって思った。
- ところで何でマルなの?
「ああ、ゼロは最初、蛙だったのじゃ」
『か、かかか、カエル!?、驚愕感で眼前感が絶望感でぐぇっ』
「うるさいのじゃ、勝手に出るで無いのじゃ」
俺も驚いたけど、テンちゃんのポケットからにょろっと靄のようなのが出てきて言い、テンちゃんがそれをさっと掴んでまたポケットに押し込めたのを見たので、驚いたりする気分も冷めてしまった。
- カエルで作られたの?
そのせいでグエグエ言うわけじゃないよね?
「そうでは無いのじゃ。最初はカエルの子のような形だったのじゃ。それで黒い故、クロマルと名付けたのじゃ」
カエルの子…、ああ、おたまじゃくしか。
形がそうだったっていうだけか。
- じゃあゼロは?
「その後、クロイチたちが生まれたのじゃ。クロイチは最初の形状が細い棒状だった故その名がつけられ、クロニーからクロッシまでは1の次という意味でそうなったのじゃ。それでいつしか、1の前は0という意味でそう呼ぶようになっただけなのじゃ。特に深い意味があるわけでは無いのじゃ」
- なるほど…。
「はぁ、朝から何だかとても疲れた気がします。ロミさん、もう出てきてもいいですよ」
リンちゃんが肩を少し落とし気味に言いながら脱衣所の扉を、障壁を解除してから開けた。
ああ、ロミさんそこに居たのか…。
「ロミさん…?」
と、首を少し傾げながら脱衣所へと入ったリンちゃん。
俺もどうしたんだろうと追いかけて入る。
髪をバスタオルで包んだバスローブ姿のままのロミさんが、マッサージチェアの上で幸せそうな表情ですやすやと眠っていた。
●○●○●○●
あの後、リンちゃんに毛布を掛けられて朝食までそのまま眠っていたロミさんは、髪がバスタオルで纏められていたままだったので、その癖がついた髪をブラシで整え、着替えてから不服そうにブラシを持ったまま脱衣所から顔を覗かせて俺を手招きした。
何だろうと行くと、髪についた癖がとれないらしい。
そりゃブラシで梳くだけじゃ取れにくいだろうね、と、棚から霧吹きとドライヤーを持って来て、使い方を説明したら、『シオリさんやカエデはそんなこと全然教えてくれなかったわよ…』と言われて半信半疑のような表情で見られてしまい、そのまま流れで何故か手伝わされた。
考えてみりゃロミさんはアリースオム皇国では女王であり姫のような存在なので、自分ではこういう事をしないんだろう。だったら知らないのも納得だし、ドライヤーなんて無い時代のひとだからね。
「タケルさん、女性の髪を扱うのに慣れているのねぇ…」
- え?、そうですか?
「ええ、姉か妹でも居たのかしら?、それとも…?」
- それとも?
「いいえ、そういうお仕事をした事があるのかしら?」
- 僕に姉妹は居ませんでしたし、仕事もしてませんよ。
俺が女性の髪を扱うのが手慣れているように見えるのは、たぶん元の世界でちびっ子たちの面倒を見ていたからだろう。公園の集会所にシャワー室があったからね。ほぼ託児所みたいになってたしさ。そりゃもう汚れただの雨に濡れただのと、洗ってやったり髪を乾かしてまとめたりと、しょっちゅうやってた。
俺が居ない時間帯は、近所のママさんたちが交代で世話してたみたいなんだけど、彼女たちは夕食準備の時間帯になると買い物とかで居なくなるからね。
だから俺みたいに放課後ヒマしてそうな奴に世話役をさせるし、その時間帯には学校が終わった子供たちがやってくる。ちょうどいい世話役だったんだろうと思う。
小学校ぐらいの女の子たちは、互いに髪をまとめたり弄ったりもするけれど、さっきも言った、雨に濡れただの汚れただのって場合には、手が足りないのもあって手伝わされてたんだ。そういう事になると、美容師さんやママさんたちにあれこれ尋ねたりして勉強というか覚えておこうって思うわけで、それでそのうち、俺が慣れてくると全部俺に回ってきたってわけ。
ただ、三つ編みで細かく結ったりするのは、癖がついたりするのでダメだとある親御さんに言われたのでやってない。せっかく覚えたのになぁ、って最初は思ったもんだ。
だから扱いに慣れているのは女性は女性でも、子供の髪だけだ。
ロミさんのような成人女性の髪を扱うのは、練習以外では初めてだったりする。リンちゃんの髪を弄ったことはあるけど、それは除外しての話だ。
「それにしては手慣れているわね」
- 近所の小さい子供たちの面倒を見ていた事があるからですよ。はい、癖はとれたと思いますけど、どうですか?
肩にかけていたタオルをそっと取り外し、半歩下がって言うと、ロミさんは椅子から立ち上がって正面の鏡を見ながらくねくねと身体を動かして確認し始めた。
「ありがとう、綺麗に…、これって何か付けたりしたの?」
- いいえ?、普通に湿らせて乾かしただけですよ?
「そうなの?、とても艶がでているんだもの、驚いたわ」
- このドライヤーを使って乾かすとそうなるんですよ。
ロミさんの元々の髪の健康状態が良かったせいもある。言わないけど。
「そうだったのね、さすがは光の精霊様の魔道具ね…」
- いえ、そうじゃなく、温風と冷風を使えば魔道具でなくてもこうなるんです。
「そうなの?」
- はい。さっきそう説明したじゃないですか。
どうやら半信半疑どころか信じて無かったようだ。
でもこれで、自分の目で確かめたので、信じてもらえたみたいだけど。
でも、シオリさんは前に髪の事をミドリさんから聞いて無かったんだろうか…?
それと、カエデさんはどうして知らないんだろう?
という事はもしかしたら、サクラさんやネリさんもこの事を知らない可能性が…。
それとなくリンちゃんに伝えてもらったほうがいいかも知れないね。リンちゃんは川小屋へ補給に行く事もあるだろうしさ、その時にでも。
ちょうどすぐにリンちゃんが呼びに来たので朝食の席に着き、食べながらマッサージチェアの話になった。
というのもリンちゃんが、『あれから改良を重ねて良いものになってますのでタケルさまも是非試して下さい』と言ったからだ。
- 確かに、ロミさんはすごく気持ち良さそうに眠ってましたね。
そう言うとロミさんは少し頬を染めて言った。
「だって本当に気持ち良かったのよ…」
そう言えば毛布を掛けてからリンちゃんがマッサージチェアのリモコンを弄ってたっけ。背凭れはもう斜めに倒れていたけど、温度調節とかもできるのか、あの椅子…。最初はそんなの付いて無かったと思うんだけど、椅子のクッション素材も違ってたし、進歩が速すぎる。
「それに、ほんのり暖かくて寝心地がいいんですもの…」
寝姿を、それもバスローブの状態だったのを見られたのが恥ずかしかったのか、言い訳のように食べながら言っていたロミさんが、ナイフとフォークを置いて胸元で手を組むようにし、雰囲気を変えて言った。
「ねぇ、あれってやっぱり欲しいって言ってはダメなのかしら?、タケルさん」
- え?
そこでどうして俺に言うかな…。
そんな風に可愛らしくおねだりされても困る。
「そうよね、精霊様の道具ですものね…」
俺が一瞬固まったのを見てそう言って目を伏せた。
俺としては、どうせロミさんの居城の一室というか客室空間を改造しちゃうんだから、別にマッサージチェアぐらい置きっぱなしになってもいいんじゃないかって気はするんだけどね。
- んー、リンちゃん、ロミさんの所で部屋を改造するとさ、ホームコア設置するんだよね?
「はい、そうなりますね」
微笑みつつ答えるリンちゃん。
- マッサージチェアも連動してるんだっけ?
「はい。単独でも動作しますがメンテナンスや魔力供給の面からも接続したほうが良いと思いますよ?」
- 僕らがアリースオムでの用事を終えたあと、川小屋みたいに残しておいてもいいかな?
「そうですね、ホームコアがあれば入室制限も可能ですし、タケルさまが残してもいいと仰るのでしたらいいですよ?」
にこっと笑みを深くした。
- だ、そうですよ、ロミさん。
「ありがとうございます、リン様、タケルさん」
ロミさんが感激したように言ったけど、リンちゃんは少し不満そうに表情を消した。
あ、呼んだ順番かも…。
「ですが、あくまで現時点での話です。現地でタケルさまや我々に不都合だと判断した場合には残さず撤収する事もあり得ます。重々覚えておいて下さい」
これを聞いてロミさんも表情を引き締めて答えた。
「はい、肝に銘じます」
そう言って頭を下げた。
●○●○●○●
「むっ」
「タケルさま、何か来ます」
食後の休憩をとる間もなくまずテンちゃんが天井を見上げて言い、台所に食器類を持って行ったリンちゃんが慌てて戻ってきて言った。
これは俺にもわかった。
- ファーさんじゃないかな…?
全く次から次へと…。
「いや、それだけでは無いのじゃ」
- え?
もしかしてファーさんの上司とか?
「タケル様よ、急いで屋上に出るのじゃ」
そう言ってひょこっと椅子から飛び降りて俺の手を引くテンちゃん。
- あっはい。
引かれるまま入り口から外に出ると、テンちゃんとリンちゃんがひしっと俺にしがみついた。
え?、あ、飛んでけってことね。
そう判断した俺は、ふたりと一緒に飛行結界で包んで屋上へと飛んだ。
「奴の正面に回るのじゃ」
屋上で待てばいいのかと思ったらテンちゃんからそんな事を言われたので、見上げながら、奴ってあのめっちゃ存在感のある塊のとこかな、と、雲の上を目指した。
今日は昨日よりも雲が分厚くて、雨でも降りそうな天気だった。
「相変わらず態度のでかい奴なのじゃ…」
テンちゃんが溜息混じりに言って、俺の前に立ってただでさえ大きなその胸を張った。
『引きこもりがでかい顔をして吾を呼びつけるとは何事か、申し開きがあるなら聞く故言うが良いのじゃ』
結構魔力を込めたテンちゃんの魔力音声が響いた。
すると正面のでっかい存在感が周囲の雲をかき集めるようにして真っ白な形を取った。でかい。まるで大仏のように片手の掌を上に向けていて、そこにファーさんが跪いていた。
『ヌル様、どうかお許しを』
真っ白な大仏サイズのイケメンが跪く姿勢をとって俺たちよりやや下に降り、そんな事を言った。
跪いているイケメンの掌に跪いてるファーさん。とてもシュールだ。
『は?、いきなり何を言っておるのじゃ…?』
だよね、いきなり謝られてもわけがわからないよね。
次話4-060は2021年05月14日(金)の予定です。
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
あくまで日常のワンシーン。
日常なのに、ひさびさの入浴シーン。
でもお色気無し!
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
次から次へと、って言いたくなる気持ちもわかる。
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
ひさびさのデスモード。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンの姉。年の差がものっそい。
偉そうなのではなく、本当に偉いんですよ?
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
今回ひさびさの登場ですね。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい名前くらいしか登場しませんが一応。
川小屋:
2章でリンが建てた、現在はバルカル合同開拓地にある、
カルバス川分岐のところの小屋。
光の精霊のホームコア技術で守られていて、
まるで現代日本と変わらない暮らしができてしまう家。
小屋というよりはちょっとした民宿ぐらいのサイズ。
ミリィやピヨのほか、サクラやネリ、シオリが利用している。
ちょくちょくリンが補給物資を届けている。
ミリィやピヨの食事はサクラかネリが用意している。
ネリはよく、ミリィやピヨと会話の練習をしているようだ。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
勇者番号9番。オオミヤ=ハルト。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
今回出番なし。
カエデさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号10番。シノハラ=カエデ。
この世界に転移してきて勇者生活に馴染めず心が壊れそうだったが、
ハルトに救われて以来、彼の元で何とか戦えるようになった。
勇者歴30年だが、気持ちが若い。
でも言動はタケルからするとちょっと古臭い。
お使いで走ってます。
ゆえに今回もまた出番無し。
ハルトもですが、そのうち出て来るのでここに残しています。
シオリさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号7番。クリバヤシ=シオリ。
現存する勇者たちの中で、2番目に古参。
『裁きの杖』という物騒な杖の使い手。
現在はロスタニア所属。
勇者姫シリーズと言えばこのひと。カエデは大ファン。
名前のみの登場。
走り回る神官w
サクラさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号1番。トオヤマ=サクラ。
ティルラ王国所属。
名前だけの登場。
川小屋というタケルの別荘を利用している。
ネリさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号12番。ネリマ=ベッカー=ヘレン。
ティルラ王国所属。
名前だけの登場。
補給にきたリンに注文つけるとか何様なんですかねw
ロミさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号2番。マサダ=ヒロミ。
現存する勇者たちの中で、3番目に古参。
現在はアリースオム皇国皇帝を名乗っている。
眠る前と起きた後に入浴するひとらしい。
クリスさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号5番。クリス=スミノフ。
現存する勇者たちの中で、4番目に古参。
黒鎧への封印がようやく解除されました。
現在快復ターン中。
アリースオム皇国:
カルスト地形、石灰岩、そして温泉。
白と灰の地なんて言われてますね。
資源的にはどうなんですかね?
でも結構進んでる国らしい。
勇者ロミが治めている国。
クロマルさん:
闇の眷属。テンのしもべ。
試作品零号らしい。
カンカンうるさい。
テンのポケットに、カッティングが複雑で綺麗な石に宿っている。
どうしてマルなのかがわかりましたね。
ファーさん:
ゼファーリィ=ヴェントス#$%&。
風の精霊。
有能だけどポンコツ。
実は結構な存在のはずなんですよ?、これでも。
今回登場したけどまだセリフ無し。
真っ白のでっかいイケメン:
お分かりかと思いますが、ヴェントス様でしょうね。
テンからはヴェスターと呼ばれてますが。たぶんその精霊さん。
※ 作者補足
この登場人物・固有名詞紹介の部分全ては、
あとがきの欄に記入しています。
本文の文字数にはカウントされていません。
あと、作者のコメント的な紹介があったり、
手抜きをしたり、詳細に書かれているけど本文には
無関係だったりすることもあります。
ご注意ください。