4ー035 ~ 誤解
あまりにもあっさりと終わった使者さんとの話だけど、そのひとの名前はチョリース=シャースって言ってたっけ。さらっと名乗られて一瞬名前だと思わなかったよ。だからうろ覚えで、ちょっと違うかも知れない。でも顔は覚えてる。また会う事があったらちゃんと名前を聞こう。
事務的で、書類にサインしたら『ではこれで』ってすっと立ってさっさと出て行っちゃったんだよね…、護衛だろう周囲に居た『勇者隊』と同じ装備の兵士さんたちも声には出して無かったけど戸惑ってたのがわかったしさ。一瞬遅れて慌てて追いかけて行ってたよ。
残ってた『勇者隊』のひとが、苦笑いをしながら正式に決まったらここにまた使者が来る事などを教えてくれた。『かなりお疲れだったようですね…』と言ってた。確かに目の下の隈がすごかった。ロミさんは一体何したんだろうね…?
とにかくその使者さんとの話を終えて『森の家』に戻ろうかなって『勇者の宿』の外にでたらアリースオムの兵士さん2人が待っていた。
「タケル様、恐れ入りますが、主がお伺いし忘れていた事があると申しておりまして、ご足労頂けませんか?」
おお?、来た時に誰何されたのとはえらい違いだな。ちゃんと右手を左胸にあてて俯き加減にする礼をとっている。
お伺いし忘れてた事ってなんだろう?、あ、紙かな?
わかりましたと返すと丁寧な仕草で先導するひとりと後ろに付くひとりに分かれ、『勇者の宿』の向かいの店にまた案内された。いやすぐそこなんだけども。
ロミさんはさっき俺と会っていた時と変わらず優雅に座っていた。彼女の後ろで男女2名が緊張気味に立っている点がさっきとは違う。
目が合った気がしたので小さく会釈すると、表情を緩めて話し始めた。
「お昼の残り、この2人に渡して下さらない?、そちらの台の上に並べてもらえればいいわ。それが済んだらこちらに座ってね」
- あっはい。
そう言えば渡すって言ってたの忘れてたよ。
- お城のひとに渡すの忘れてて済みません。
と、ポーチから出して台の上に並べながら言うと、ロミさんはひらひらと優雅に片手を翻した。
「私もうっかりしていたのよ、それでね?、紙の事なのだけど、貴方、もしかしてここじゃ無い他の場所で手に入れたのかしら?」
- はい、その通りですけど、どうしてそう思ったんです?
料理をひと通り並べ終わったので、ロミさんの向かいに座りながらそう言うと、女官のひとが横から俺の前に置かれていた茶器にお茶を注いだ。
ロミさんはそのひとが下がるのを落ち着いた様子で待ち、そっとカップの下のお皿ごと持ち上げた。新たに淹れなおされていたんだろうそのお茶の香りを、目を閉じて息を少し吸い、小さく微笑んで少し口にした。
「美味しいわ、貴方もどうぞ」
- はい、頂きます。
と言ってカップを手にしたけど、俺にはちょっと熱いと思う。だからこっそり俺が飲める温度に火魔法を使って下げた。
「まあ、ふふっ、そんな事に魔法を使うなんて、考えもしなかったわ」
バレていた。
- 美味しいです。これはお昼前にここで頂いたのとはちょっと違うお茶ですね。
「へぇ…、わかるのね。お茶自体は元々同じものなの。でも場所が違うの。マッサルクから東に300kmぐらいかしら、そこはコァ族が治めているのよ、そのお茶は高地で栽培されたもので、コァム茶って名前になっているわ」
- これも、他所には出してないお茶、ですか。
「そうよ?、コァム茶のいいものは数が少ないのよ。今は宰相をしているノーランドの息子にコァ族の娘がついたのもあって、生産量を増やすようにいろいろとやっているみたいだからそのうちもっと気軽に楽しめるようになると思うわ」
- へー…。
希少なのか…、よく味わって飲もう。
「紙の研究もそこでやらせてるみたいなのよねぇ、安定剤はスォムで研究しているのに」
安定剤?、そんな事を言われても俺は紙の製造に詳しいわけじゃないんだが。
と思ったのを表情で読まれたのか、続けて言われた。
「あの地図にちょっとインクで書き足したでしょ?、その時にね、滲み方の違いで気付いた者が居たのよ」
俺は焼き付けて書くというか描くのがほとんどだからなぁ、そんなの気付かなかったよ。
- 研究中の紙が他所に漏れたのかと思ったんですか。
「あ、違うの、それは最初に触れた時に違うってわかったからいいの」
ロミさんは慌てた様子で否定した。こういう時に可愛らしいのはこのひとの素の仕草だからなんだろうか、と、ちょっと思ってしまった。
まぁ、最初の一瞬だけは疑ったって事かもね。そこはしょうがない。気持ちはわかるし。
「その者は、使われている植物自体も違うって言っていたわ。それで貴方が行方不明だった時期があった事と結び付けて考えてみたの。あのね、言えない事なら言わなくてもいいわ。精霊様が関わっていて、話せないならそれでもいいの」
ああ、ホーラードなど、アリースオムと関係している国に出回っていないのがわかったらそれでいいって事か。
- 紙については精霊さんは関わってませんし、別に口止めされているわけでもありません。入手したのはラスヤータ大陸のミロケヤっていう国の港町です。世界地図が無いので正確にどこ、と示せないんですが、簡単に行けるような場所では無いんですよ。
光の精霊さんの里を経由するからね、まず許可が必要になるだろうし、この星の裏側なんだからそりゃ簡単には行けない。
「ラスヤータ大陸…、ミロケヤ…、どちらも聞いたことがない所ね…」
呟くように言って、お茶を口にした。
- だからあの紙はホーラードやティルラで出回っている物じゃ無いんです。安心しました?
「まぁ、ふふっ、そうね、安心したわ」
ロミさんはカップとお皿をそれぞれの手で胸元に持ち上げたまま、にこっと微笑んだ。
「急いで貴方を呼び戻したのはね、ホーラードの王都経由で帰らせるからなの」
- 料理人のひとたちを、ですか?
何かイヤな予感が…。
「違うわ。私以外のほとんどを、よ」
うわー、これって俺に飛んで連れて行けって言ってるよね。
いやまぁ、ハルトさんたちの居るハムラーデル国境のところの用事が済めば、アリースオムに行く予定を考えてたんだし、一応石板もあの客間の隅に置いてきたんだから、いいっちゃいいんだけど…。
- それってロミさんの護衛とか泊まるところとかどうするんです?
「心配してくれるのぉ?、大丈夫よ、それとも貴方の『森の家』に泊めてくれるのかしらぁ?」
- それは構いませんけど、明日は用事があるので誰も居なくなっちゃうんですよ。
「そう、なら明後日の朝、迎えに来て下さらない?、あ、そうそう、お土産を渡さなくてはね」
俺が返事をする前に、さっと胸元で両手を合わせてにこっと笑みを浮かべた。するといつの間に持ってきていたのか、控えていた女官さんが布に包まれた小箱を手にすすっと席に近づいてテーブルに置いて下がった。
「スォム茶よ。貴方が気に入ってくれたみたいだから差し上げるわ、コァム茶はお分けするほどの量が無いの、ごめんなさい」
- いえ、嬉しいです。ありがとうございます。
正直言って嬉しい。スォム茶はまた機会があったら飲みたいと思ってたんだ。
「ふふっ、喜んでくれて私も嬉しいわ」
- あ、これって特別な淹れ方とかあります?
「特別かどうかは知らないけれど、普通の淹れ方を書いたものを付けてあるわ」
それはありがたい。
- 助かります。
「では明後日の朝、この店に直接来てくれていいわ」
- わかりました。
何だかそういう事になってしまったようだ。
●○●○●○●
「おかえりなさい、タケル様」
『森の家』に戻るとモモさんが出迎えてくれた。
出迎えたと言うより、たまたま庭に出ていたと言うほうが正確だろう。
- ただいま戻りました。あ、そうだ、明後日の朝、ここにひとり連れて来る事になってしまいました。
「そうですか。わかりました。でも、なってしまいました、とはまた面白い仰りようですね」
- 成り行きでそうなっちゃったんですよ…。
「ふふ、リン様も明後日お客様をお連れするような事を仰っていましたよ?」
- え?、そうなんですか?
「あら?、タケル様はご存じないんですか?、何でもメル様とで頼まれて仕方なく、とリン様から聞いていますが…」
と、モモさんはリビングのほうを見たので俺も釣られて見た。
あれ?、そう言えばリンちゃんが居ないな。テンちゃんとメルさんがリビングのソファーに座っていて、ミドリさんとミリィと、ベニさんが食卓のほうに居る。あ、アオさんも居ない。
- そのリンちゃんが居ませんね。
「リン様なら里のほうへ行っておられます。魔法の袋の調整と点検をするとの事でした」
- へー、
「夜には戻られると思いますよ?、お急ぎでしたら連絡しましょうか?」
- あ、いえ、別に、大丈夫です。居ないなって思っただけなので。
「そうですか?、では夕食まで少しお待ち下さいな。入浴されるとちょうど良いでしょう…、タケル様、もうどこかでご入浴されました?」
モモさんは笑顔で言いかけてから、ふと気付いたように笑顔を消して尋ねた。
そして小首を傾げながら接近してきた。
- あ、入りました、でも汗かいたりしたので入ります、入ってきます!
確かにロミさんのお城の温泉に入った。でもそれから会議だの何だので妙な汗かいたりしたので入り直したい。
そう思ってというかモモさんから逃げるつもりで横を通ってリビングの出入口へと行こうとした。
「どちらでご入浴を?」
だが回り込まれた。モモさんからは逃げられない!
- あ、いえ、ちょっとありまして。
「タケル様は『勇者の宿』へと行かれていたはずですよね?、あそこはお風呂が無いとも聞いております。あの村にも入浴ができる設備などはございませんね?、一体どちらでご入浴されたのでしょう?」
薄く笑みを浮かべて、じわじわと俺の退路をつぶしつつ迫るモモさん。怖い。
「まさかリン様が居られないのを確認して、戻られたというような事は」
- 無いです!、ありませんそれは絶対。
「ですよね?、リン様はタケル様と魔法の袋の繋がりが絶たれているのに気付かれて故障や不具合ではないかとわざわざ点検をしに里へと戻られたのですから?、私たちがタケル様との距離が開いたせいではと進言しても、タケルさまは『勇者の宿』に居られるのでそれは有り得ませんと聞き入れては下さいませんでしたし?」
- そ、それは、
「そのタケル様が?、どうしてお風呂の無い村からご入浴をされて戻られたのでしょう?、あ、タケル様がどこかでお風呂を作られたのですね。それならわかります。でもそういう場合はこちらへ戻ってきて下さいね?」
- いや、あの、その、
もう庭の柵があって下がれない。背中に庭の明かりの柱が…。
「何をしておるのじゃ」
「ヌル様」
- テンちゃん…
「タケル様が戻って、いつ中に来るのかと思っておったらモモが急に魔力を発してタケル様に迫っておるではないか。モモが急に発情したのかと思ったのじゃ」
テンちゃん…。
って、妙に威圧感があるなと思ったらそうだったのか。
「ヌル様…」
「言わずともよいのじゃ、タケル様は罪な男なのじゃ、そういうのを吾は咎めたりはしないのじゃ。しかしそういう事は目立たぬよう、隠れてするものなのじゃ。うん」
テンちゃんは俺とモモさんが呆気に取られているのにも構わず、ゆっくりとこちらに歩み寄りながら人差し指を振って話し、腕組みをして目を閉じた。
「違いますヌル様、タケル様が外で女性とご入浴されたのではと、問い詰めていたのです」
「女性と入浴とな!?」
「はい、魔力の残滓が、」
「た、タケル様、どういう事なのじゃ、私とはあれほど避けておったのに!」
- うっ…
しゅばっとタックルのように抱き着かれた。素早かった。
「本当なのじゃ、知らない女の魔力があるのじゃ、アクアよ、説明するのじゃ」
『はいヌル様。タケル様は勇者ロミなる女と仲良く手を取り合って白と灰の地に赴き、そこで温泉にしっぽりとご一緒に入浴をされました』
首飾りから声がした。いやちょっと待って、表現がおかしい。
「な…」
「タケル様…」
結果的にはそうだけど、俺の意思じゃないと言いたい。
「私ではだめなのか?、ほれ、これが好きなのでは無かったのか?」
テンちゃんが抱き着いていたのを少しあけて俺の手を取って胸に持っていき、ぐにぐにと動かした。おお、相変わらずの素晴らしく幸せなかn…、じゃなくて!
- て、テンちゃん、そうじゃなくて、
「大きすぎるのか?、ならモモのでもリンのでも好きにしていいのじゃぞ?」
いやそれは大変魅力的な提案、じゃなくって!
「ぬ、ヌル様っ」
ほらモモさんも慌て始めた。
自分の胸の事じゃなく、いやそれもだろうけど、テンちゃんの魔力が最初に会った時のような放出量に近い状態になったからだ。
「何ならあちらに出てきたミドリやベニのも好きにしていいn」
だからリビングの外に出たところで立ち止まってそこから近寄れないんだよ。ふたりとも。
メルさんは中からこちらの様子を覗っている。ミドリさんが扉を閉めたからね。
「落ち着いて下さいヌル様!」
「な、何じゃ」
- テンちゃん、魔力。それと、
「お、おお、これは済まぬ。それと?」
- それと、入浴はしましたけど、お風呂が広くてですね、ウィノアさんの魔力がいつもより多めだったのと、直接見えない位置だったんで気付くのが遅れたんです。最初から一緒に入ったわけじゃないんです。
「其方はそれを許したのか?」
何故か涙目で見上げるテンちゃん。
- そこの持ち主なんですよ、そのひと。
「風呂の持ち主なら許すのか?、外でこそこそ逢うてこのように跡を残すほどの事を許すのか?」
え?、あれ?
- そんなに残ってます?
と、テンちゃんとモモさんを見た。
「うむ」
「はい、普通に触れたり一緒に居た程度ではそのようにはなりません」
- えーっと、普通に、じゃないというのは…
「……」
「それを私たちに言わせる気ですか?、タケル様」
うわー、冷たい眼差し。
- ちょっと待って下さい。
何だかもしかして、と思ってテンちゃんに離れてもらい、首元のボタンを外し、ウィノア分体の首飾りを取り外した。
『あら、どうしてですかー、私何かしましたかー?』
球体に戻ったウィノア分体が言うのを無視して、庭の隅にあるウィノアさんの泉のところに行く。テンちゃんとモモさんも後ろに続いた。
俺は泉の前に片膝をついてのぞき込むようにして話しかけた。
- ウィノアさん、この分体、何者かに影響を受けていないか確かめて下さい。
『御意に。そのまま入れて下さい』
泉から返答があった。そのままぽちゃんと分体の球体を落とした。
すると数秒とかからずに泉がほわっと光って水面からぬるっとウィノアさんが顕現した。
『お待たせ致しました。こちらが新しいものです。お納め下さい』
- はい。どうでした?
『ご懸念のように、あの者の影響を受けておりました。あの地に湧く水、それ自体は問題ありませんが、あの地下の湯殿を経由した水にはあの者の影響が薄く及ぶようでした。年月を重ねたあの地の人種がどうなるかは、お察しの通りです』
- 僕への影響があるか、調べる事は可能ですか?
『可能です』
- ではお願いします。
『自然にお立ち下さい』
- はい。
と返事をするとどばーっと包まれた。球体を手にしたままだったんだけど、その感触も無くなった。一瞬、わ、もらったのにどっか行っちゃったよ、って焦ったけど、考えてみりゃどっちもウィノアさんだから気にしなくて良さそうだ。
そんなのを考える間に、息苦しさも全く無く解放された。
『大丈夫です。影響はありませんでした』
そっか、良かった。
何か精神的な影響を受けていたら困るからね。
「残滓も消えましたね」
「うむ、どうやら分体のせいだったのじゃ」
良かった、俺に染み付いていたんじゃなくて…。
もし俺に影響があったのなら、さっきの迫られかたじゃ済まないんじゃないか?、と一瞬考えて身震いがした。
と言うかさ、現時点で誰にも何もしていないのに、どうして浮気を責めまくられるような気分にさせられるんだろうね?
いやホント、ロミさんの誘惑に耐え切っていて助かったよ。あのまま流されていたとしてここに戻ったらと考えるのは怖いからやめよう。考えちゃダメなやつだこれ。
「しかし水の精霊に影響を及ぼすとは恐ろしい話なのじゃ」
『お言葉を返すようで恐縮ですがヌル様、水に影響を及ぼすものはこの世に多くございます。分体はそこに溶けている魔力を取り込んでしまったため、容易く染まっていたと考えられます』
あー、首飾りつけたまま温泉に入ったせいか…。
『タケル様の周囲は安全なのですが、分体は一時離れてしまったのです。申し訳ございません』
「事情はわかったのじゃ。タケル様に何も無かったのならよいのじゃ」
離れた?、ロミさんを引き剥がした時か?
テンちゃんがそっと俺の腕を抱えて寄り添った。何故かモモさんもテンちゃんとは逆側から俺の肘を抱えた。おお、両腕が幸せだ。首元がむずむず、あ、首飾りが装備されてる。
- ウィノアさん、お手数をお掛けしました。
『いいえ、分体が至らず恐れ入ります。それと、彼の地に降らせております雨の件でございますが、今日より3日のご猶予を頂ければと存じます』
- あのダンジョン、かなり広いんですね。
『はい。それとは別に、他の地に影響が出始めているようです』
え?、それってヤバいんじゃなかったっけ?
- あの周囲の地形に影響が出てるって事ですか?
『いいえ。ここより凡そ3500kmの地に影響が出始めております』
- 3500…?
めっちゃ遠いじゃないか。あ、そこがあのダンジョンにあった川に関わる場所って事?
『はい。タケル様が過去に潰し、埋められたダンジョンの影響も、その地の付近に散見されております』
- それって、アリシアさんに伝えたほうがいい情報じゃない?
『その地には私が保護した生物も多くおります故、報らせずにおりました。お許しを』
- んー、まぁそういう事なら。
『あぁ…、では私はこれにて。御前を失礼致します』
- あ、はい。
返事をする間も無く、ウィノアさんはしゅるっと泉に沈んで消えた。泉の水に変化が無いのはもう今更だ。
しかし何だか急に重要な話を聞いてしまったような気がした。
- えっと、モモさん、
「はい、私は何も聞いておりませんよ?」
という事にしてくれたようだ。俺の腕を抱えたままにこにこと、近いんだけど…、そう言えばモモさんに腕を抱えられたのは初めてだ。包容力を感じさせるフィット感、テンちゃんより感触が柔らかい感じだけど、堅い部分はテンちゃんより間に布が多いせいだろうか…、じゃなくて!
- いえ、そろそろ中に戻りませんかと…。
「そうですね。夕飯の支度でしたね。ご入浴はどうなさいます?」
「私と一緒に入るのじゃ」
- え?
「入るのじゃ!」
- あっはい…。
これは逆らえそうにない。腕をさらにぎゅーっと抱えたからね。
「では支度が終わったら呼びに行きますね」
- はい…。
すっと腕を解放したモモさんはすすっと速足には見えないんだけど素早くリビングの出入口から扉を開けて入って行った。外に出ていたミドリさんとベニさんも無表情でそれに続いた。
そして渋々脱衣所へとテンちゃんに連れられて入り、相変わらずの瞬間脱衣で浴室の前で背伸びの運動をしてその大きな胸をたゆんたゆんと揺らしているのを極力見ないようにして脱ぎ、首飾りも外して籠に置いてから、腰にタオル、手には道具やタオルを入れた桶、といういつものスタイルで浴室の入り口へ。テンちゃんに手を引かれて洗い場の椅子に座らされた。
- あの、テンちゃん、自分で洗うから。
「今日の事をリンに伝えたら何というじゃろうか…」
えー?…、それって脅しなんだろうか?
テンちゃんが言わなくてもモモさんから伝わるんじゃないのかなぁ?
- テンちゃん?
「あー、心配したのじゃ。其方が遠くで悪い女に誑かされたのかと思ったのじゃ。『運命のひと』がそのように浮ついた者なのかと泣きたくなっておったのじゃ」
あ、それで涙目だったのか。
って、咎めたりしない、隠れてするものだってさっき言ってたよね?
いや、しないけどさ。
「だから今日くらいは私に奉仕させるのじゃ。私も其方が世話をしたいのじゃ」
洗い場の椅子に腰かけた俺を後ろからむぎゅーっと抱きしめるテンちゃん。それを正面の壁にある鏡越しに見ながら、『わかりました、お願いします』と言う俺。
まぁ、背中を洗いたいみたいだし、それぐらいならいいかなと。
「んふふ~♪」
- ちゃんとスポンジで洗ってね?
鼻歌のように上機嫌で何か音を出しつつ俺の背中をごしごしと洗ってくれてるんだけど、ついでに腕も洗ってくれるんだけど、故意にか偶然か、まぁたぶん前者だろうね、胸をにゅるっと当てるんだよなぁ。
いやそりゃいい感じだよ、素晴らしいよ?、幸せだよ?、コーフンするよ?、だけどそれを我慢し耐えるほうの身にもなってくれ。
「このぼでーそーぷというのはいいものなのじゃ、昔はこんなものは無かったのじゃ。さぁタケル様よ、このまま後ろに寝転ぶのじゃ」
- ぐぇ
首に腕をひっかけられて引っ張り倒された。そして横から俺の胸や腹部を手のスポンジで洗う泡まみれのテンちゃん。あ、これ俺が寝台に作った柔らかい結界じゃないか。テンちゃんもできたのか。
と、思ってると、べたーっと上に重なって乗られた。
- テンちゃん?
「足が滑ったのじゃ」
そりゃテンちゃんも泡まみれだからなぁ、と起き上がるのかと様子を見ていたら、俺の上でにゅるにゅる動き始めた。
いやこれはマズい。何がってテンちゃんが前後に動いたから腰のタオルが泡まみれってのもあって腰にきゅっとひっかけているだけの所が取れたんだ。入ってすぐはどうせ洗うからと結ばずにそうしていたのが仇になった。ちゃんと結ぶべきだった。
まだかろうじて引っかかっているけど。何にとかいうなよ?
- テンちゃんストップ、ストップ、
「ここで止めるのか?、2人できれいになるのじゃぞ?、何なら先に進んでも良いのじゃ。お互い、準備はできておるのじゃから」
笑顔で見下ろすようにしながら、ゆっくりと半身を起こして馬乗り姿勢になるテンちゃん。素晴らしい眺めだ。じゃなくて!、マジでこれ以上の刺激はまずいんだってば。
- 今は、まだその時じゃ無いと思う。リンちゃんが不在だしさ。
どう言えばいいのかわからなくなった俺は苦し紛れにこう言った、と思う。
とにかく滑ると危ないので適温のお湯を雨のように作ってまとめて流した。予想していたのか魔力の流れでする事がわかっていたのか、無言でされるがままのテンちゃんが流されないように手を掴むと、そのまま俺の上に伏せた。残念だけどこれで目では見えない位置だ。
「安心したのじゃ…」
- え?
「その女とは何も無かったのがこれで証明されたのじゃ」
どういう事だろう?
「もし其方が外で作った女とよろしくやっておったなら、拒まなかったのじゃ」
そうなんだろうか…?、よくわからん。
「ふふ、よくわからんという顔をしておるのじゃ。さて、では椅子に戻るのじゃ、頭を洗って湯に浸かるのじゃ」
- あ、うん…。
どうやら迫られるのは終わったらしい。良かった。
と思ったら、頭も洗ってくれた。
それだけならいいんだけど、正面から俺の頭を抱えて、だった。
もう目の前どころか顔にはぽよぽよぼんぼん当たるし後頭部をごしごしするときは抱えて支えるからか完全にくっついてるし、呼吸を確保するには触れなくちゃいけないし、『鼻息がくすぐったいのじゃ♪』と身をよじるようにして言われるし、ついでに言うと俺は椅子に座っているわけなんだけど、テンちゃんは立っていて、正面からということはまぁあれだ、俺の片足を跨いでいるテンちゃんが丸見えなわけだ。そんでもって俺の腰のタオルは起こされた時にどっか行ってしまっていて、テンちゃんからの干渉を避けるために手でガードして…、とまぁそんな状態だった。
さっきああ言っちゃったのもある。
俺の理性、頑張れ!
素数って何だっけ……。
次話4-036は2020年11月27日(金)の予定です。
20201122:モモの発言で括弧の数が合っていなかったのを修正。テンのセリフが連続していた箇所にタケルのモノローグを挿入。テンのセリフに1か所ルビを振りました。
20201125:ウィノア分体のセリフの表現を少し変更。
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
あくまで日常のワンシーン。
日常…?、なの?
最近ちょっとそういうの多くないですか?、タケルさんよぉ…。
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
もげろと言われても仕方ないんじゃないか?
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
今回も名前のみの登場。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい出番なし。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンちゃんの姉。年の差がものっそい。
妹の居ぬ間に…。
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
まだまだお仕事中。
何と、分体が妙にアレだったのはそういう…。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
勇者番号9番。オオミヤ=ハルト。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
今回も名前のみの登場。
ロミさん;
12人の勇者のひとり。
勇者番号2番。マサダ=ヒロミ。
現在はアリースオム皇国皇帝を名乗っている。
やっぱり油断ならないんじゃないのか?、このひと。
まだ登場が続くらしいよ…?
コウさん:
12人の勇者のひとり。
勇者番号8番。ヨシカワ=コウイチ。
アリースオム皇国所属。
今回は名前のみの登場。
アリースオム皇国:
カルスト地形、石灰岩、そして温泉。
白と灰の地なんて言われてますね。
資源的にはどうなんですかね?
でも結構進んでる国らしい。
女官さんたち:
有能ですね。年齢はさまざまです。
トルイザン連合王国:
ハムラーデル王国の東に位置する連合王国。
3つの王国があり、数年ごとに持ち回りで首相を決めていた。
クリスという勇者が所属している。
3つの王国は西から順に、アリザン・ベルクザン・ゴーンザンと言う。
こっちの話は大雨で停滞か。まだ続くけど、重大なことが。
森の家を管理している精霊さんたち:
モモを筆頭に、ミドリ、アオ、ベニの4名は幹部らしい。
モモさんは普段優しいけど厳しいひとですね。
※ 作者補足
この登場人物・固有名詞紹介の部分全ては、
あとがきの欄に記入しています。
本文の文字数にはカウントされていません。
あと、作者のコメント的な紹介があったり、
手抜きをしたり、詳細に書かれているけど本文には
無関係だったりすることもあります。
ご注意ください。