4ー022 ~ フォロー
増援のひとたちが到着するまで、まだ少し時間がありそうだったので、ここはひとつメルさんに索敵魔法のお手本を見せてもらおうとお願いをしてみた。
もちろん俺がよくやってる近距離探知のほうね。広範囲長距離探知は今のところ俺にしかできないみたい。俺がその違いをうまく説明できないせいなんだけどね。
「え?、私でいいのでしょうか…?」
と、意外に思ったのかメルさんはテンちゃんとリンちゃんにちらっと視線を動かしながら言った。
- この場合は寧ろメルさんのほうが適任なんですよ。お願いします。
「そうですか…?、では僭越ですが」
そう言って一歩俺とハルトさんのほうに近寄ってからすっと自然体で立ち、目を閉じてほんの一瞬、言葉で表すなら『ピッ』という感じだろうか、そんな魔力のパルスを発し、周囲からの反射を感知、そして目を開けた。
「はい」
- ありがとうございます。とても素晴らしい、理想的なお手本でした。
笑顔でそう言うとメルさんはハッとしたように目を見開いたが、俺が頷いたら軽く頭を下げて元いた位置、と言っても一歩だけど、そこに下がった。
そして俺はハルトさんに向き直ったが、その彼の様子も、そのハルトさんの前に居たままだったカエデさんの様子も、『え?』とでも言いそうなそっくり同じ表情をしていた。2人とも全然わからなかったんだろうな…。
- ハルトさん、カエデさん、今の、わかりました?
「いや…、正直何が何だか」
「今の、って何だったんですか?」
ほらね。
- 今メルさんが一歩出て行ったのが索敵魔法って呼んでいるもので、お2人が書き写した本に書かれている通りのものですよ。
記述をそのまま覚えているわけじゃないけど、『森の家』に居た時にリンちゃんと共にあれこれ手解きをし、説明をした『鷹の爪』の魔法担当、プラムさんに伝えた索敵魔法は、メルさんが行使した通りの索敵魔法が記載されていたんだ。一応そのメモはざっと目を通したからね。
「……」
「へー…」
言葉が出てこないハルトさんと違って、カエデさんは、とりあえず返事しただけみたいだな。
- ハルトさんとカエデさんにはメルさんが一瞬だけ発した微弱な魔力が感知できなかったでしょう?、それぐらいじゃないと魔物に位置を教えているようなものですから偵察の意味を成しません。それで言うとメルさんの索敵魔法は正に理想的で、いいお手本だと言えます。
「そうなのじゃ。ハルトよ、其方には先も言ったが感知力をもっと鍛えるのじゃ。こればかりは練習あるのみなのじゃ。カエデ、其方もなのじゃ」
「は、はい」
「はい」
テンちゃんが俺のあとに続いて言っている間にちらっと、俯いてしまったメルさんを見たら、耳が赤かった。何だ、褒めたからか?、褒めすぎたか?、そんなつもりは無かったんだけどね。
本来、魔法の有効射程と言われている200m、その範囲なら、地形を探るなどの場合を除いて、魔物や生物などを探るような時にはこちらからパルスを送る必要が無い。
そんな事をしなくても、それらは自然に魔力を放出しているから、それを感知すればいいんだ。微弱だし距離があるとさらに減衰もするから、余程魔力感知が鋭く、優れていなければならないという条件がつくけれど、基本的にはそういう事になる。
|リンちゃんとテンちゃん《精霊さん》が、パルス信号を発しなくてもその範囲に居る物の存在を知っているのはそういう理由だ。
あ、ウィノアさんについては特殊だから話は全く別ね。この精霊さんのは真似するとか以前の問題で、論外だ。俺も詳しくちゃんと理解しているわけじゃないんだけどね。とにかく別。
じゃあどうしてパルスを発する必要があるのか、というと、そこに地形や障害物が絡んでくるからだ。
複雑な地形、例えば洞窟内部だとか、こういった木々が乱立しているような場所だと、索敵対象が自然に漏らしている魔力がその理想距離200mまで届いて来ない。それは木々にもほんの微弱だが魔力があることや、森なら森全体にほんのり漂っている魔力もあること、洞窟なら地形によって直接届かないという理由だ。
空気中には自然に漂う魔力があるのがデフォルトで、それは風や天候などで変化する。
そこに通常、生物が自然に漏らした魔力が紛れて散るため、森には森の、街には街の、生物が多く存在する故の特徴がそこに現れるという事になる。
この、紛れてわからなくなるというのと、地形などで直接届かないことで感知できないのを補佐するのが索敵魔法でパルスを発する理由だ。
発したパルスの反射によって、まず地形がわかる。
そして、その時点でそこにいる生物も形がわかる。そこからその生物がどのぐらいの魔力を持つかの判断もできる。魔物なのかどうかははっきり判らないけどね。
探知する側の魔力感知力が鋭くないと解像度が低かったり見逃したりすることもある。というわけだ。先日、俺が小型の鳥の魔物、そのほとんどをを見逃したようにね。
それからは少し魔力操作と感知の訓練方法についての話になった。
ハルトさんはどうも武力だと思っていた時期が長すぎて、力技で解決しようとする傾向があるように思えた。
「うーむ、其方はどうも細かい操作が苦手なようなのじゃ」
「はっ、申し訳ありません」
「そう思うのならその剣の先で、この枝に付いている芽だけを突き焦がして見せよ」
テンちゃんはハルトさんを指導してくれているようだ。
でもその手に拾った小枝についてる芽って、Yの字に分かれた部分、その股のところについてる3mmほどの小さな芽だ。枝だって直径5mmぐらいしかないように見える。
それは現在のハルトさんにはなかなかに厳しい条件だと思うけど、課題を与えたという事だろうね。
「はい!、わかりました!、右と、後ろですね先生!」
目を閉じて集中していたカエデさんが手をさっと上げて言った。
- ぶぶー、違います、後ろだけです。
「えー…、さっき2個あったのにー」
- いつも2個とは限りませんよ。数を決めたら訓練にならないじゃないですか。
こっちはこっちでカエデさんの感知がどんなものかをテストしている。
彼女の周囲のどこに、直径1cmの水球が浮いているかを感知してもらうものだ。まぁお遊びみたいなもんだよね。一応は訓練でもあるけどさ。
- あ…。
「はい。右前方、右、右後方、左後方の4つですね、タケル様」
「わ、すごい」
- メルさん索敵魔法使ったでしょ。
「はい、使うなとは言われませんでしたので…」
感知の訓練なんだから、サーチしちゃダメに決まってるじゃないか。…これ、言わなかった俺が悪いんだろうか…?
- じゃあ次は使わないでやって下さい。はい、2人とも目を閉じて。
「「はい」」
というような感じで2人にやってる。
そんな事をしているうちに、増援の兵士さんたちが到着した。
●○●○●○●
午前中と同じように追加の兵士さんたちに説明をした。
カエデさんも、『午前にやってたひとたちから詳しく聞いて下さいね』と、補足してくれたし、慣れてるひととそうでないひとの2人組でやってもらうように手際よく分けてくれたので、午前中のような不安げな雰囲気もなく、その隙にテンちゃんと一緒にふわっと飛び上がって次に処理をする辺りへ向かった。もちろんミリィは俺のポケットの中だ。
高度を調節し、飛行結界の一部を開放してミリィに音を聞いてもらい、午前に処理した場所と一部が重なるようにだいたいのポイントを記した地図を見てそこに移動。閉じている飛行結界の外からテンちゃんが例の魔法を行使し、午前中よりやや広い範囲がミリィの言う『静かになったかな』という状態になり、皆が居る場所へすいっと飛んで戻ってぞろぞろと移動、そして作業開始、というような流れを2度やった頃だった。
だいぶ日が傾いてきたなーと思いながら樹冠のところに浮いて索敵魔法を使った時、魔物28体を感知した。
ときどきそうして索敵していたんだけどね。ダンジョン候補地のひとつからそれらがぞろぞろと出てきたってわけ。
やや北よりの東、直線距離でおよそ5kmほどだ。まだ少し時間があるので下の人たちに空中から声をかけて回り、固まって少し下がった位置で待機するようにお願いした。
「俺たち戦闘の用意は何もしてませんぜ?」
「28体も来るなら援軍を要請しないと」
「ここで待機ってそりゃないですよ」
口々に言う兵士さんたちの気持ちもわかる。
「大丈夫ですから、タケルさんが言うんですから」
カエデさんが説得してるようだけど、それじゃ伝わらないよね。
- まぁ、ちょっと行ってきますので、ここでお茶でもして休憩してて下さい。
リンちゃんに目配せをして、いつものようにテーブルと椅子を作った。カエデさんを含めて19名、リンちゃんとメルさん、それとテンちゃんを加えて22名だからそこそこテーブルが長い。ミリィは空中から音を聞いてもらうため、俺のポケットのまま連れて行く事になるけどね。
「そんな暢気な!」
「お茶なんてしてる場合じゃねぇですよ!?」
言いやすい相手だからか、俺にじゃなくカエデさんに詰め寄る兵士さんたち。何だかカエデさんに悪い事した気がしてきたよ…。
『まぁまぁ』と彼らを宥める彼女を尻目に、俺はもう一度上空から索敵魔法を使うためにひょいっと飛び上がった。
下でテンちゃんが『あっ!』って言ったみたいだけど、一緒に行くつもりだったのかな。俺ひとりのほうが身軽なので置いて行くつもりだったんだけど。あ、ひとりじゃないか。ミリィもいた。
まぁとにかく、魔物たちがさっきからどう移動したかを見てみた。
んー、ふた手に分かれたっぽいな…。
ワンパターンってやつかな?
そうして上空500mの高度をとってそれらのほうに2km移動。一旦停止してミリィに音を聞いてもらった。
「あっちと、そっちのあたりがうるさいかな」
「みんなが居るほうと、そこまででうるさい波が行ったり来たりしてるかな」
そこはもう皆のところから3kmの距離を割っていた。
直線的に近づいているのではなく、北側のほうに回りこんでいるようだ。
南から回り込むほうにも7体が来ていて、そちらは少し遅れているような位置だ。
いや、ワンパターン的に時間差で挟撃に持ち込むつもりなのだろう。
- あっちの高い木が2本あるほうはどう?
「そっちは静かかな」
そうか、ならダンジョンのほうに連絡をしてはいないって事か。
- ありがとう、じゃ、ポケットに入ってて。
「はーい」
ミリィがポケットにもぐりこむのを見てから飛行結界の解除した部分を張り直し、個体数の少ないほうへさっと移動した。
うん、低い姿勢で移動してるな、ちょっと狙い難いけど7体なら何とかなるか。
でも鳥がなぁ、全部一度にできないかな?
メルさんから『サンダースピア』を借りてくれば良かったかも。あれなら帯電した霧を発生させてまとめて倒せるんだが…
と少し考えていると首飾りから声がかかった。
『お悩みですか?、お手伝いしましょうか?』
- あ、ウィノアさん。手伝って頂けるのは助かるんですが、集中豪雨とかは無しですよ?
『うふ、ではどうなさりたいのです?』
うふ、ってw
- あ、えっと、帯電した霧をこの辺りにさっと下ろして一網打尽にしたいんですよ。普通の広範囲雷撃だと火災になりそうなんで。
『以前、タケル様がされていた水雷魔法、でしたか』
- はい。
『あれを霧状に致しましょうか』
- あ、そうですね、それ、できます?
『私単独では難しいので、タケル様の補佐を致します。ですが、媒介となる道具があるとよろしいかと』
- 媒介って杖か何かですか?
と言いながらポーチからリンちゃんに借りている杖を取り出して見せた。
『はい、それで大丈夫です』
そう言うと首飾りからにょろーっと手が出て杖を握った。
『この状態で撃って頂ければ』
- わかりました。では行きます。
『はい』
飛行結界から杖の先だけ下向きに出した状態で、高度25mの樹冠の手前に向けて急降下をし、100mを切った時点で範囲100mぐらいを考えながら水雷魔法を放った。
しかしさっきウィノアさんが握った時と杖の向きが上下180度逆なんだけど、ぐりっと下向きにしたときも握ったまんまだったんだよね。水だから関節とか無いんだろうけど一瞬、ちょっとだけ不気味、じゃなくて違和感があったね。すぐに考えないようにしたけども。
その水雷魔法ってのは液体の雷と表現すればいいんだろうか、電離したプラズマ状態みたいな液体の球が上から落っこちるというものだ。元の世界でなら『水雷』って言葉の意味は、水中で爆発する兵器、機雷や魚雷のようなものという意味だと記憶してるけど、ここではそうじゃなくて、雷撃魔法の属性配分のような意味で、まぁ大まかに液体寄りか気体寄りかという意味で使ってる。
そんな危険な球体が魔法で生成されるかと思ったが、ウィノアさんの補助のおかげか、結界から底の広い円錐状に魔力が放射され、下方一面がやや黄色味のあるセピア色のような霧で埋まった。
そしてその瞬間、まるで雷雲内部を走る稲妻が雲を光らせたかのようにズバッと光り、耳を劈く激しい音がした。目と耳が回復する前に、その霧はまるで夢だったかのようにすっと消えた。まぁ、魔法だからね。科学とは違うからね。でも極短時間だったのはその科学的な理由があるんだろうと思う。いや何となく。
そういうのちょっとウィノアさんに尋ねてみたいけど、そんな猶予のある状況では無い。
慌てて短距離用の索敵魔法を使って確認すると、7体の動かなくなったトカゲと、ちょっと数えるのがイヤになるぐらいの鳥が落ちているのがわかった。
まだ息がありそうだったので急いで木々の隙間から7体のほうに近づき、念のために石弾魔法で頭部を撃ち抜いておいた。
そしてすぐに上昇し、残りの21体のほうへ向かった。
- ウィノアさん、さっきの要領でお願いしてもいいですか?
『はい、もちろんです。タケル様。うふっ』
何その笑い。音声だけなんだからさ、表情が見えないんだからさ。気になるじゃないか。
さっきと同じようににょろーっと手が出て杖を掴むのを見て、魔法を構築しながらの急降下だ。
また同じように一瞬だけ霧が発生し、光って轟音。そして霧が消滅。
しかしこれ、飛行結界を厚めにしてるからこの程度で済んでるけどさ、そうじゃなかったら耳がちょっと聞こえにくくなるだけじゃ済まなかったと思う。目もなんかダメージ食らったような感じだし。あ、回復魔法かけておこう。もちろんポケットで気を失ってるミリィにも。
ごめんね、ミリィ。
とりあえず脅威には対処できたので、死体を回収するため地上に降りて飛行結界を解除すると、焦げ臭い刺激臭が充満していた。ヤバいと思って目を閉じ息を止め、急いで板状の飛行結界を張って空に逃げた。そして空で深呼吸。
これはつらいな…。
改めて樹冠から少し上のあたりに浮かんだまま下の様子を観察してみると、無事に見えていた樹木にもそこそこダメージがあるのがわかった。わかってしまった。うーん、自然破壊だなぁ…。
『タケル様』
- はい、何でしょう?
『そのように嘆かれる事はありません。この程度の破壊など微々たるものですよ』
ああ、世界的、惑星的にはそうだろうね。
でも俺が嘆いているのはそっちよりも、回収しづらい環境になってしまった事のほうなんだよ。これあと何時間続くのかなってね。俺や精霊さんたちは結界で防げるけど、そうじゃない普通のひとやカエデさんやメルさんでも厳しいと思う。この2人は普通の人種じゃ無いよね。あ、そんな言い方したら俺って精霊さんと同じ区分って自分で認めてるようなもんじゃないか!?、いやいやそれはやめようよ俺。
と、自分が考えた事に眉を顰めたら、
『タケル様は環境を大事になさるお方なのですね…、ああ…、我々が気の遠くなるような期間、この星の環境改善に腐心した事が少し報われたような気が致します。時には意見が分かれる事で大きく気候変動が起きた事も1度や2度ではありませんでした…。そのせいで、』
- あっ、ちょっとまってウィノアさん。
『あっはい何でしょう?』
- 落ち着こうね?
『あっ、これは私としたことが。おほほ』
おほほじゃねーよ。アナタ今すんごい魔力の波動を放出してたでしょ。ポケットのミリィに急いでテンちゃんから教わった魔力遮断結界を張ったよ。
何か俺の表情から勝手に解釈して…、あ、環境とか思ったせいか!、それと表情から…、いやもう好意的というか自分に都合のいい解釈だよね?、俺そんなこと考えてもいなかったよ。頼むから俺の行動を惑星規模のものと同列に考えないでくれ。
前も言ったが、そんなレベルのもん、俺の肩に乗せないで欲しい。つぶされるだろうが。
なんて、言えないんだよなぁ、どうしよう。とりあえず慰めるとか宥めるみたいな雰囲気でいい?
- ウィノアさんのお気持ちは、もちろん全部とは言いませんがわかります。でもここでそんな過去の話を持ち出されても困るんですよ。お願いですから落ち着いて下さい。
『ああぁ…、はい、はい、タケル様ぁ…、わかりました』
う…、わかってくれたのかなぁ、何だかマズい方向に行ってしまったような気がしないでもないんだが…。
何と言ったものかと思っていると、その間に続けて言われた。
『では風を集めて上空に散らしますね』
え?
何を?、と問いかける隙も無く、首飾りから魔力が放出され周囲の空気がずおっと上に吸い上げられた。飛行結界が包んでなくて板状のままだったので、風にあおられて少し揺れたがすぐに対処した。『うぉっとと』とか言っちゃったよ。
そして周囲を見ると、気圧差で生じたのだろう靄が森から細長い円錐状のドリルでも生やしたように伸び、少しうねりながら、ここと、最初に倒した場所の2箇所で発生し、そして消えた。
『これでいかがでしょう?』
- あっはい、ありがとうございます。
『うふっ、どういたしまして♪』
嬉しそうだなぁ…。
●○●○●○●
トカゲとその周囲に落ちていた鳥だけを手早く回収してから皆のところに戻った。
「おかえりなさい、タケルさま」
「おかえりなのじゃ。ふん」
「おかえりなさい」
リンちゃんとテンちゃんはさすが精霊さんだ。いち早く気付いて椅子から立ち上がり、俺が着地しようとしているところまでテーブルを回ってきて笑顔で迎えてくれた。テンちゃんのは何か悪巧みしてるみたいな笑顔だけど。メルさんもその2人を見て立ち上がり、こっちを見て迎えてくれている。王女スマイルで。
- ただいま。こっちは……あれからずっとあの調子?
まだカエデさんに詰め寄ってる兵士さんたちのほうをちらっと見て言った。
「はい、せっかくのお茶が冷めてしまいました」
「あっ!」
「あ!、タケルさん!」
兵士さんたちのひとりがこちらに気付き、それでこっちを見た彼女が俺を呼びながらすごい速さでダッシュして逃げてきた。
逃げてきたようにしか見えないんだよ。涙目だし。
- はい、ただいま。
「ただいまじゃないですよ!、何暢気な顔してるんですか!」
緊張感が無いとは元の世界でも言われた事はあるけど、暢気な顔って言われたのは生まれて初めてだなぁ。
「聞いてるんですか!?、魔物が来るって!、28体って!、偵察して来たんですよね!?、どど、どうするんですか!、戦うんですか!、逃げるんですか!」
「もう済んだ事なのじゃ」
「タケルさまが困ってらっしゃいます。少し離れて下さいです」
助かった…。
カエデさんにずいずい詰め寄られて、皆で座ってお茶して待っててね、ってつもりで作ってあった椅子の背に腰が当たって、それ以上下がれなくて、カエデさんの肩を押し返したいけどそういうわけにも行かずに両手のひらをカエデさんに向けたまま上体を反らしてた状態だったからね。
横からテンちゃんとリンちゃんが割って入り、カエデさんを押し戻してくれてほんとに助かったよ…。あれ?、倒れないように背中と椅子を支えてくれてたのは?
「あ、済みません、つい。って!、済んだってどういう事ですか!?、あ、どういう事でしょうか」
「文字通りなのじゃ」
「はぁ、そうですね。タケルさまが偵察だけやって何もせずに戻ってくるわけがありません」
「ネリ様が言ってたじゃないですか。タケル様が戻って普通にしてる時点でもう終わった事なのですよ」
あ、背中を横から支えてくれてたのはメルさんだったんだ。
そのメルさんもカエデさんを抑えるほうに回ってくれたのね。
「え?、終わった?、んですか?、終わった?、え?」
理解が追いついていないようだ。無理もない。つい今しがたまで兵士さんたちにやいのやいのと言われてたんだろうし。
「えーーっと…、魔物が28体こっちに向かってるって聞いて、どうしようって思ってー、みんながあたしにいろいろ言ってきてー、終わった?」
「そうなのじゃ。終わったのじゃ」
「はい。終わったんです」
「魔物は来ないんですか?」
「来ません」
「来ないのじゃ」
「じゃあガセだったんですか」
ガセってw
「ガセとは何なのじゃ?」
「さぁ?」
「あ、ウソ情報って意味です」
「ウソじゃありません!」
「そうなのじゃ、本当に魔物は居たのじゃ!」
ウソだと言われてなぜ君たち2人が憤るのさ。
「あ、す、済みません、じゃあ魔物は帰ったんですね?」
- え?、ちゃんと倒して回収してきましたよ?
「え?、倒して回収?、28体をですか?、そんなバカな、あ、いえ、違うんです、冗談ですよね?」
「あのー…」
兵士さんたちの集団からひとりが代表してか、そろりそろりと足音を忍ばせてやってきていて、近くまできたのでやっと声をかけてきた。
- はい。
「今、倒したって聞いたんですが、本当ですか?」
別の質問を携えて来たんだろうけど、直前に倒したって聞いて質問を変えたんだろうね。表情に出てたからわかりやすい。
「そうですよ、ほんとですか?、あの短時間でですよ?」
カエデさんが追従した。迫って来ないで…っと、リンちゃんがさっと間に入ってくれた。助かった。
- はい。何ならそこに並べましょうか?
「え?、あ、魔法の袋をお持ちでしたね。お願いします」
うんうんと頷いているカエデさんは見ずに、『わかりました』と言って回収したジャイアントリザードの死体をポーチからずるっと出して並べた。
普段ならリンちゃんも手伝ってくれるんだけど、何でそっちから出るんだって話がややこしくなりそうなのを察してか、黙って見ていてくれた。
その様子から、遠目に見ていた残りの兵士さんたちも駆け寄ってきて、死体を検分し始めた。
「倒したのはこの頭部の穴か…」
「この複雑な焼け跡は…?」
「一体何をどうすりゃこんな風になるってんだ?」
兵士さんたちは口々に言ってるけど、カエデさんだけは並べられたトカゲの死体をちょっと見てから突っ立ったままだ。
声をかけたほうがいいんだろうか…?
「タケル様、私が」
俺がカエデさんを気遣う視線に気付いたんだろうか、メルさんがそう言ってカエデさんに近寄って話しかけてくれた。
「其方も罪な男なのじゃ」
「お姉さま」
「おお、怖い怖い」
テンちゃんは戯けるように言って、リンちゃんの隣から離れて俺を盾にする位置に逃げてきた。つい、弾み揺れる部分を目で追ってしまったじゃないか。油断してたよ。
「ふふっ」
「…はぁ」
テンちゃんは俺の視線に気付いているようだ。
リンちゃんはどうなんだろう、気付いているため息なら対象は俺だけど、そうじゃないならテンちゃんにだ。
…いや、両方か…。
●○●○●○●
だいぶ遅めの夕食になってしまったが、特に文句を言われる事もなかった。
お手伝いの兵士さんたちは防衛拠点の夕食時には間に合わなかったが、頑張った甲斐を懐にずっしり収めて、ほくほく顔で『いい時間なんで、これから皆で飲むんですよ、ははは』と、そんな些細な事なんて気にしませんとでも言いそうに、和気藹々とした雰囲気での帰り道だった。
と言うのも、ぞろぞろと皆で歩いて帰ったからだ。
俺たちのほうは、輜重隊に寄って戻るので同じ道を通るからね。
帰り道では鳥の捌き方だとかそういう話もちらっと聞こえた。
ああそうそう、彼らは一部の鳥を売らずにそのまま調理ができるひとに渡すらしい。帰り道で説明しながら羽をむしりとってたよ。あれって熱湯をかけてむしるんじゃなかったっけ?、いや、よく知らないんだけども。
まぁ、楽しそうにやってたんでどうでもいいね。
トカゲの死体についての話とかもしていたようだった。
気になるなら俺に尋ねてきても良さそうなもんだけど、誰も来ないんだよね。
その後ろ、俺たちの少し前をひとり歩くカエデさんも何だか雰囲気が気軽に話しかけられないような感じだし、最後尾の俺たちの集団だけがだいぶ前を行く兵士さんたちの集団とは対照的になっていた。
あ、別にカエデさんが壁になってるせいで兵士さんたちがこっちに来ないんじゃないかなんて思ってないよ?
「其方には私が居るのじゃ」
「あたしも居ますよ、タケルさま」
「あ、私も居ます」
いや別に前で楽しそうに話している兵士さんたちを羨ましいって思っているわけじゃないんだよ?
でもまぁ、そんな言い訳っぽい事は言わずに、うん、うん、と感謝を込めて頷いておいた。
輜重隊に寄る前に、兵士さんたちに今日のお礼を言うと、『とんでもない、お礼を言うのはこっちですよ。明日もよろしくお願いします』と丁寧に言われ、揃ってお辞儀をされ、手を振って別れた。彼らは歓楽街というほどの規模ではないが、そういう区画へと行くらしい。酒食を出すお店もあるみたいだからね。酒色のほうか?、まぁお腹も空いているだろうから前者だと思う。
そして、カエデさんとメルさんには先に戻って入浴を済ませておいてもらう事になり、2人とも一旦別れて3人いやポケットのミリィも入れて4人で輜重隊の天幕に入った。
「カエデ様には少し考える時間が必要なのです。今はそっとしてあげて下さい」
さっきメルさんにも言われたし、任せたほうがいいからね。
何だか俺にはよく解からないけどさ。
「これは大量ですね、ですができれば昼と夜と2回に分けて頂ければ良かったんですが…」
リンちゃんと俺が受け付けのテーブルにどんどん束ねた鳥を出し、仕入れ担当のナーデルさんの部下のひとたちがせっせと数えては奥へと持って行く。
それを見ながらナーデルさんがちくっと嫌味のように言った。いや、ように、じゃないよな、これ。
- すみません、明日は昼に一度持ち込みます。
と、リンちゃんに頷き、リンちゃんも頷き返してくれた。
「正直、これほどの量だとは予想していませんでした。せいぜい多くても数百程度かと。大変嬉しい誤算であることには違いないのですが、私どもの手が足りません。そこでお願いなのですが、今日は仕方ないとして、1日1万程度に抑えて頂けると助かるのですが、どうでしょう?」
ああうん、多いよね。さっき奥に持って行った人が、『今日は徹夜かぁ』って言ってたし。
- あ、じゃあ明日の朝、残りを持ってきますよ。
「え?、それでは今日の分が傷んでしまいます」
- 大丈夫です。魔法の袋ですから。
「え?、そうなんですか?」
- はい。魔法の袋なので。
「はい、わかりました。詳しくはききません。あ、ですが総数を数えなくてはならないので一度全部出して頂けませんか?」
「総数は、小型8412、中型688です。金額は小金貨1、大銀貨4、銀貨1、大銅貨6、銅貨6です」
「は、はい。…あ、それでは私どもの提示した金額よりも銀貨47枚ほど安くなってしまいませんか?」
計算が早いなー。
俺もリンちゃんも、話をしながら手をとめずにずっと出しては置き出しては置きを繰り返している。
当然、部下の人たちもひっきりなしで往復している。
- 実は、手伝いに来てくれた兵士さんたちに、ナーデルさんから提示された金額で支払ってあるんですよ。その分です。
「そうでしたか。なるほど、では残りが寄付という事なんですね。理解しました」
理解も早い。すごいな。
- ご理解頂けたようで。
「恐縮です。あ、そこで止めて頂けますか?」
- はい。
「ちょうど4000ですね」
と、リンちゃんが言い、
「はい。それぐらいなら今夜何とか」
ナーデルさんがそれに答えた。
- 一度全部出さなくて良かったんですか?
「ははは、ご冗談を。勇者様ですからね。それにもし間違っていても明日わかりますから」
- じゃあお金は明日の朝、残りをお渡しした後でいいです。
「よろしいので?」
頷くと、
「そうですか、ありがとうございます」
と、丁寧なお辞儀をされた。
俺たちの天幕小屋へと戻る道すがら、
「其方、あの者が丁寧に頭を下げた意味がわかっておらぬようなのじゃ」
と、テンちゃんに微笑みながら言われた。
図星だ。そう、妙に丁寧で印象的だったんだよ。
- うん、商取引の相手として認めてくれたのかな、とは思ったけど。
「ほう、そこは合っておるのじゃ。不思議なものなのじゃ」
- どゆこと?
「あの者は冗談交じりに其方ではなく勇者という肩書きに信用があると言ったのじゃ。それに其方は商取引相手への信用という形で応じ、一本取ったというわけなのじゃ」
- へー?
「へー、とな。わかっておらぬのか」
「お姉さま、タケルさまですから」
「そういうものなのか?」
「そういうもんです」
「そうか…」
どういうもんだよ。もうちょっと説明してくれないかな?
●○●○●○●
「カエデ様、先に戻ってお風呂を済ませて下さいとの事です。カエデ様?」
タケル様に一言いってから、私はぼーっと立っていたカエデ様に声をかけた。
「あ、聞こえてますよ、メル様」
「私に様を付ける必要はありませんと、前にも申し上げましたよ」
「でもメル様だってあたしに様ってつけてるじゃないですか」
「それは、勇者様に対してそうするようにと教えられて育ちましたので」
さっとカエデ様の顔色が変わります。
「…はぁ…、勇者様、か…」
なるほど、これはやはりタケル様の事が原因ですね。
私も以前、あまりの実力差にそう思った事があります。まぁ私の場合は同じ勇者という括りではなく、達人級という立場での話ですので、全く同じというわけではありませんが。
「とにかく、早く戻ってお風呂に入りましょう」
気疲れもあることでしょうし、とは続けずに背中に手を添えて軽く押すと、素直に従ってくれました。
「そうですね、はぁ…」
心持ち早めに歩き、急いでいる風を装って騎士団の兵士たちの天幕が立ち並ぶ道を歩きました。カエデ様は結構人気があるので、見かけると声をかけられてしまうのを防ぐためです。今のカエデ様に、周囲から『勇者様』と声をかけられるのは良くないと先ほど理解しましたので。
「そんなに押さないで下さいよ、ちゃんと歩きますから」
「ダメです。皆さんが戻るまでにお風呂を済ませておかなければなりませんから。待たせてしまいます。夕飯も遅くなってしまいます」
建前のような理由ですが、
「あ、そっか、そうですね、じゃあ急がなきゃ」
納得して頂けたようで、早足だったのが駆け足になりました。
「え?、メル様も一緒、ご一緒に入るんですか?」
「先ほど、皆さんが戻る前に済ませましょうと話したばかりではありませんか。別々にしてどうするのです」
「あ、それもそうですね。でもいいんですか?」
「いいも何も、川小屋では王族だ何だと言ってられる立場ではありませんでしたからね。ここでも同じです。居候ですよ」
と笑って答えると、力の無い笑みでしたが少なくとも笑顔にはなりました。
「あはは、居候かー、って、あたしもそうじゃん、あはは」
「ですから、同じようなものです」
「ですね」
洗面台の下の扉から、緑色ラベルの洗髪剤セットを取り出すと、カエデ様も隣で覗き込んでいたのですが、その取り出そうとしていた手をとめました。
「あ、メル様も緑色なんですか?」
「はい、私はすこし癖のある髪質でして、跳ねたり絡んだりしやすいのでこちらを使うようにと教わったのです」
「え、ネリはそんな事なんにも教えてくれなかったですよ」
「普通に話して下さっていいのですよ?、でもカエデ様の髪質も私と同じような感じですから、合ってるのではないですか?」
「え、あ、うん、はい、ネリに薦められたのが癪だったんで、他のも試してみたんですよ、川小屋んときに」
「はい」
「でも緑ラベルのが一番あたしに合ってて、何だか悔しかったけど、それ使わせてもらってます」
「そうですか。同じですね」
と、微笑むと、『そうですね』と笑顔になった。
「そこはそうじゃなく、このようにするといいらしいですよ」
髪を洗い流し、リンスというものをつけてがしがしとシャンプーと同様にしているカエデ様を見て、教わったやりかたをお伝えしました。
「あ、そうなんですか?」
「はい、こうして、」
と、桶で受けて、また髪に流し、もうひとつの桶で受け、というのを2度繰り返します。
「こうするのです」
「へー…、ネリめ…」
あれ?、ネリ様も直接リン様に教わったはずなのですが…。
「ネリ様がどうかされました?」
「あ、ううん、ちょっとね」
「そうですか。それで次はこちらを…」
そうしてリン様に教わったようにしてお伝えし、2人とも頭にタオルを巻いた状態で湯船へと入りました。
「うぃあぁ…」
「はふぅ…」
どうして声が出るのかはいまだにわかりませんが、それにしても『うぃあぁ』って。
「カエデ様はご存知かも知れませんが、私はこれでもホーラードで剣の腕は達人級と認められているのです」
「え?、はい、そう…伺ってます」
「無理に丁寧な言葉遣いにしなくてもいいですよ、お互い、身にまとうものは同じ、頭にタオルだけですからね」
「あはは、そうですね、じゃ、遠慮なく」
「はい。それで、剣の腕はそこらの下級騎士どころか見習い兵士よりも劣るぐらいなのに、魔法は精霊様も呆れるほどで、魔物を遠くからあっさりと倒してしまわれるタケル様に、私も最初は愕然としたものでした」
「あ…、そう…、ですね」
ここでカエデ様の表情が沈み、少し目線を下げました。
「達人級などと言っても、何十、何百という魔物を短時間で殲滅されるタケル様の足元にも及ばないのでは、何が達人なのかと自問自答もしました」
「…」
自分も思い当たるのでしょう。黙っておられます。
「ですが、タケル様は近接戦闘については本当にまるでダメなのですよ」
「…そうなんですか?」
私の表現が良かったのでしょうか、少し顔を上げました。
「はい。私なら剣を持ったタケル様相手なら、小枝1本、いえ、お箸というのでしたか、あれの片方1本だけでも、むしろ素手でも簡単にあしらえます。カエデ様でもおそらくそうでしょう」
「えー?、さすがにそこまでは…」
「ネリ様ですら、魔法抜きならタケル様相手に木の枝でも余裕ですぐに勝負がつきますよ」
「え?、あのネリでも?、だったらあたしでも余裕かも」
「そうですよ。それぐらい、剣の力量には差があるんです」
「へー…」
少し表情が緩みましたか?
「なら、タケル様を近くでお護りするのが私の役割ではないか、と」
「…うん」
「そう考えた事もあったのですが…」
「…?」
「一度、タケル様と模擬戦をしたんですよ」
「え?、メル様が?」
「はい」
「達人級、ですよね?」
「そうですよ」
「勝負にならないってさっき言いませんでした?」
「魔法あり、なんです」
「え…」
「でも、攻撃魔法は使わないという条件でした」
「だったらメル様が勝ったんでしょう?」
「いいえ」
「え?」
「あっさり負けました」
「え?、だって攻撃魔法は使わないんでしょ?、だったら」
「補助魔法は使えるんですよ…」
「どうなったんです?」
「私の着衣のこことここ、そして剣を魔法で固定されまして…」
今は湯船の中ですので裸ですが、腰のところと袖、そして剣を持つ手を表現して指をさして示しました。
「あー…、それはズルいですよ…」
「ね?、おかげで剣は動かせないし移動しようとしてズボンは破れるしで、さんざんでした、あはは」
「うわー、ひどい。あはは」
「遠目に他の兵士や商人が数人程度見ていたというのに、お尻を半分見られてしまいました。黄昏時だったのが不幸中の幸いでしょうか…」
「うっわー、タケルさんが悪いよそれはー」
「いいえ、悪いのは私です」
「え?、どうして?」
「模擬戦闘で失態を晒すのは相手のせいではありません。自分が未熟だからです」
「お、おお、さすが達人級の剣士」
「ありがとうございます。なのでタケル様を恨んだりはしていません。もし、その固定する魔法をも禁止条件にしたとしても、彼なら手を変え品を変え、他の手なんていくらでも繰り出してくる事でしょう」
「あー…、そうですよねー」
「ネリ様も言ってましたが、足元を泥沼にしたり、土壁で囲んだり、結界で遮ったり、空を飛ぶのもありますし、ちょっと考えるだけでもこれですよ?」
「そうですよねー、何でもアリって感じ」
「そうなのです。私もどうすれば勝てそうなのかいろいろと考えてはみましたが、魔法ありならタケル様には何をやっても勝てる気がしませんでした」
「うんうん、わかる、わかりますよ、何かズルいんですよねー」
随分と解れてきた気がします。
「味方ならあれほど心強いひとですが、相手にすれば厄介この上ありませんね。あんなの相手にしたくありませんよ。こりごりですよ、お尻も見られましたし」
「あはは、そうですよね、こっちの下着って褌、じゃ伝わらないか、ヒモみたいなのだし、ズボンが破けたらお尻丸出しと変わらないじゃないですか、そりゃないよタケルさんーって言いたくなるよ」
「まぁ私もちょっとはそう言いたくなりました」
「でしょー?、あはは」
このへんでしょうか?
「ねぇカエデ様」
「はい?」
「カエデ様がタケル様の事を、『本物の勇者』って仰ってましたが、本物かどうかを置いても、リン様だけではなく他の精霊様方にも慕われるタケル様は、特別なお方なのだと、そう思うのです」
「そう、ですね」
「そして勇者様というのは、ハルト様のように普通のひとよりも長く生き、そして戦うことで多くの人を救ってきた存在なのです」
「…」
「カエデ様だって多くの方々に慕われているのはそれだけ多くの人を救ってきたという証拠ではないですか」
「…でも」
「でもではありません。タケル様とカエデ様は違う存在なのです。ハルト様にはハルト様の、タケル様にはタケル様の、カエデ様にはカエデ様のやり方があるのが当然じゃないですか」
「そうだけど…」
「きっと、ハルト様だって、それこそシオリ様だって、同じように仰るはずですよ。自分なりのやり方があるって」
「うん」
「だからいちいち成果だけを比べて落ち込んでいる暇なんてありませんよ」
「落ち込んでなんて、」
「そうですか?、私は落ち込みましたよ。もう吹っ切りました。前に進んでタケル様と並んで立たなくてはなりませんからね」
「おお…」
「おおじゃありませんよ、ネリ様に置いていかれますよ?」
「え、それはヤだ」
「じゃあ簡単な話じゃないですか」
「うん、そうね。あ、そうですね。ありがとうございます、メル様。何か頑張れそうです」
そう言って微笑んだカエデ様にはもう翳りは見えませんでした。
でも、最初からネリ様の事を引き合いに出せば良かったのでしょうか…、わざわざ私の恥を話す必要は無かったかも知れません…。
そして髪を軽く洗い流し、のぼせそうだった身体を脱衣所にいつの間にか置いてあった送風機で少し冷ましていると、
「あ、メル様」
「はい?」
「さっきの話だと、あたしがもう既にネリのやつに負けてるみたいに聞こえたんですけど」
「え?、あ、あれは言葉の綾というもので…」
「うん、それはいいんだけど、そう思われてるかも知れないってのが癪だから、あたしの訓練、剣と魔法、メル様に付き合ってもらえるといいなって」
「あ、そういう事でしたら喜んで」
「ありがとう、メルさん!」
「ひゃっ」
やっと『様』ではなく『さん』と気軽に呼んでもらえたと思った瞬間、抱きつかれてしまいました。お互い、まだ下着をつけただけなのでびっくりしました。
「あー、メルさんぐらいだと安心するー」
視線がちょっと胸元に行ってからそう言われると何だかもやもやします…。
いくら何でも、ちょっと急にくだけ過ぎではないでしょうか?
リビングで冷たいお水を頂いて魔力操作や感知の鍛錬について話をしていると、タケル様たちが帰って来られました。
「あ、おかえりなさい」
「おかえりなさーい」
カエデ様の明るい声に、タケル様が少し驚いたように見えましたが、私が微笑んで頷くのを見て、普通に返事をされました。
「ただいま。夕食はもうちょっと待って下さいね。先に入浴したいので」
「はい」
「はい、どうぞどうぞー」
私たちが返事をすると、ポーチからタオルを出し、ポケットからぐったりしているミリィちゃんをそこに寝かせてから脱衣所へと入って行きました。リン様とテン様も。
「ミリィちゃんどうしたのかな」
「何かあったのでしょうか…」
2人でソファーから立ち上がって、テーブルの上に置かれたミリィちゃんを覗いました。
「でもタケルさんが普通にしてたってことは、大丈夫って事よね?」
「あ、そうですね…」
眠っているだけなのかも知れませんし、カエデ様の言うように大丈夫なのでしょう。
それにしても…、と脱衣所に入られた皆様のほうを見ました。
「ご一緒に入浴されるのでしょうか…」
と、つい私が呟いたのが聞こえたのでしょうか、
「昨日も途中から一緒に入ってたみたいだし、その分ごはんが早く食べられるからいいんじゃない?」
そう言えば昨日もでしたね。
しかし…。
「だって精霊様じゃん」
それでいいんですか、カエデ様…。
●○●○●○●
カエデさんとメルさんにただいまって言って、待たせちゃ悪いと思ってそのまま脱衣所に入ったら、テンちゃんとリンちゃんも当然という感じで続いて入ってきた。
- え?、ちょ、一緒に入るの?、俺あとにするよ?
「今更なのじゃ」
「そうですよ、ただでさえ夕飯が遅れてるんですから、一緒に済ませましょう」
「うむ。それがいいのじゃ」
と言いながらもうテンちゃんはすっぽんぽんだった。早すぎるよ。こっちみてそっちみたらもう全裸だよ。もろに見てしまったじゃないか。しかも背伸びしてから踵を下ろす運動みたいなのをしてるからぽよんぽよんと揺れてるし。
「何してるんですかお姉さま」
「準備運動なのじゃ」
「何のですか…」
「知らぬのか?、水に入る前には準備運動をせよというのが常識なのじゃ」
そうだけど、それは入浴じゃないだろう。
「知りませんよそんなの。あたしにはタケルさまに胸をアピールしているようにしか見えません」
「それもあるのじゃ」
あるんかい…。
「いい加減にしないともぎますよ」
「おお怖いのじゃ、怖い妹なのじゃ」
脱衣中の俺に近寄ろうとしないで欲しいんだが。
「そう言ってタケルさまに抱きつこうなんてそうは行きませんよ」
「ちっ、察しがいい妹なのじゃ」
ほっ、阻止されたか。
その隙に、浴室へ逃げて奥のシャワーを使おう。
「ほれ、逃げられてしもうたのじゃ」
「あまり露骨に迫るのはタケルさまに嫌われるだけですよ?、お姉さま」
「ほう、では其方はそうするが良いのじゃ。私はぐいぐい行くのじゃ」
あのね、2人とも声に魔力が乗ってるんだからさ、浴室の奥に行っても丸聞こえなんだよ。ぐいぐい来ないで欲しいなぁ、身体は子供サイズだからいいんだけど、あの胸は大人サイズ以上だからなぁ、アンバランスだからこそまだ耐えられるんだけども…。
「ダメです、タケルさまが困るのは見過ごせません」
「では阻止するが良いのじゃ」
「お姉さま!」
阻止するのにリンちゃんを利用するしかないのかなぁ、ウィノアさんは役に立たないみたいだし。
がらっという音は出ないけどすっと浴室の扉が開いて2人が順に入ってきた。
「タケルさま、お隣使いますね」
そしてさっとリンちゃんが俺の隣のシャワーを使い始めた。にこにこと笑顔でだ。うん、可愛いんだけど、全裸なんだよなぁ。
あまり見ないようにして『どうぞ』と返した。
「む、素早いのじゃ…」
「お姉さまより軽いですから」
「まるで私が太っているような言い方なのじゃ」
「一部は、そうですよね」
「其方に足りない部分なのじゃ」
「むー」
「ふふっ」
珍しく言い返したテンちゃんが優位のようだけど、頼むから仲良くやってくれ。
そして頭を洗っていると、
「ほれ、背中を流してやるのじゃ」
と、スポンジじゃないとても幸せで重い感触のものが背中に当てられ、上下左右に擦り付けられた。
「あっ!、何てことを!」
「ふふん、隙ありなのじゃ」
いやいや隙ありじゃないでしょ。どこの武芸者だよ。
- あのね、いま頭を洗ってるんだから、邪魔しないでくれないかな?
「邪魔ですって、お姉さま、くすくす」
リンちゃんさ、くすくすって口で言ってるじゃないのそれ。
「じゃ、邪魔とな…」
「ほらさっさと離れて下さいお姉さま」
「これ、其方髪が泡だらけではないか」
「じゃあ一緒にこっちで流しましょう」
「そう引っ張るでないのじゃ、床が滑って危ないのじゃ」
「元はというとお姉さまのせいですからね」
2人とも風呂場で泡だらけなんだからそんな事してたら危ないよ。
まぁこの隙に手早く頭と背中をシャワーで流し、用意しておいた新しいタオルを腰につけて浴槽へと逃げた。
こりゃあまり長湯はできないな。カエデさんとメルさんが待ってるし、元よりそのつもりもないけどさ。
「む、タケル様が後ろを向いてしまったではないか」
「今日はあまり長湯できないんですから、奥側にいくわけがありません。早く流して隣に行くんです」
「そうなのじゃ」
そういうとこだけは揃うのか…。
と、2人が入ってこようとしたので、
- じゃ、僕は出るから、夕飯は献立表通りでいいんだよね?
「え?、タケルさま」
「も、もう出るのか?、ここから密着らぶらぶたいむなのじゃよ?」
何だよそれ…。
「何が密着ラブラブタイムですか、わけのわからない事を」
「其方も一緒にタケル様を両側から挟む幸せな、どこへいくのじゃ」
「タケルさまと一緒に出るんですよ、お姉さま」
「湯に浸からないのか?」
「ぐずぐずしてるとタケルさまが、あ、もう服を」
「何、それはいかんのじゃ」
だから丸聞こえなんだってば。
揃って浴室から出てきた2人はそのまま俺を左右から挟む位置に来た。当然、すっぽんぽんの全裸だ。もうね、こんなに全く落ち着かない入浴は初めてだよ。いや、ウィノアさん関連で違う方面ならあったかも。
「ほれほれ、濡れている私を優しく拭いて欲しいのじゃ」
またさっきみたいな運動を、今度は両手を広げてやってるし。視界の端というか魔力感知で否応なしに揺れているたわわすぎる部分が気になってしょうがないじゃないか。
「タケルさま、髪がまだ濡れていますよ」
逆側では俺の腕を下に引き、いつの間に持ってきたのか木製の背もたれの無い丸い椅子に座らせようとする、同じく全裸でバスタオルを手にしたリンちゃん。
ああもう、何なんだよ…。
- リンちゃん、それとテンちゃんもさ、僕は、お風呂は落ち着いて入りたいんだよ。
「はい」
「…」
- リンちゃんには前にも言ったよね?、一緒だと落ち着かないんだって。
「は、はい」
- テンちゃんも。
「わかったのじゃ…、しかしそういう注意をする時はちゃんとこっちを見るべきなのじゃ」
- 茶化さないでね。2人ともいま裸じゃないか。まともに見れないよ。その…、魅力的すぎて、さ。
「…はぅ」
「…ぅ…」
と、ちょっと演技っぽかったかな?、でも言葉を失っている隙に脱衣所から逃げられたから良しとするか。
「…やられました」
「…同感なのじゃ、やられたのじゃ」
「時々、ああいう事をされるんですよ…」
「私も最初の時にやられたのじゃ…、間があくとくるものがあるのじゃ…」
「でも、また釘をさされました」
「そうなのじゃ…、しばらくは間を置くのじゃ」
「そうですね、お姉さま」
だからさぁ、声に魔力が乗ってるから丸聞こえなんだってば。もうわざとやってるんじゃないか?、それ。
というか2人の全裸が目に焼き付いちゃったよ…、2人とも美しすぎると思えるほどの裸だからいいのはいいんだけど、困るなぁ、もう…。
「あれ、タケルさんもう出たんですか?」
「夕飯の事なら気になさらなくても、もう少しゆっくりして下さって良かったのですよ…?」
- あ、うん、ありがとう。でもね…、
「でも?」
- ゆっくりできないでしょ?
と、脱衣所のほうを見た。
「ふふっ」
「あはは、何となくわかります」
わかってくれて良かったよ。詳しく説明しづらいからね。
次話4-023は2020年08月28日(金)の予定です。
(作者注釈)
実は2章041話で、カエデはリンからの説明を聞いています。
メモを取ってもいるのですが、理解できていませんでした。
それはネリが選ばれてリンに洗髪してもらっていた事を少し妬み羨んでいたからです。なので自分のメモには後で見ても何のことかわからなかった、というのが真相です。
(そこをきちんと表現しておくべきだったかも…、課題として私の心のメモに…)
20201110:メルの発言を訂正。 早朝 ⇒ 黄昏時
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
あくまで日常のワンシーン。
今回は忙しい入浴でしたね。
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
言いづらい事の多い主人公。
もはやラッキーとか言うどころじゃないね。
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
はぅ…。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい出番なし。名前は…今回出てないね。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンちゃんの姉。年の差がものっそい。
タケルとテンは現状ノーパンコンビ。
リンより背丈が少し小さいのに胸が元のサイズだから
すごくおっきく見える。とにかくでかい。
ノーパンだから脱衣が早いのか、はたまた別の理由か。
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
テンの居ぬ間に楽しくお手伝い。
ミリィ:
食欲種族とタケルが思っている有翅族の娘。
身長20cmほど。
また翅が無い有翅族に。
何だか都合よく気絶してますね。
帰りには一旦目が覚めたけど、
寝ていたほうが都合が良さそうな雰囲気だったので
眠かったしそのまま程よい揺れで眠ってしまった。
メルさん:
ホーラード王国第二王女。いわゆる姫騎士。
騎乗している場面が2章の最初にしかないが、騎士。
剣の腕は達人級。
『サンダースピア』という物騒な槍の使い手。
身体強化に関しては現状で人間種トップの実力。
フォローしてますねー
できる王女様ですね。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
現在はハムラーデル王国と東に国境を接するトルイザン連合王国、
その国境防衛拠点に居る。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
彼は彼で本部でする仕事があるのです。
カエデさん:
12人の勇者のひとり。
この世界に転移してきて勇者生活に馴染めず心が壊れそうだったが、
ハルトに救われて以来、彼の元で何とか戦えるようになった。
勇者歴30年だが、気持ちが若い。
でも言動はタケルからするとちょっと古臭い。
詰め寄られてたじたじで、詰め寄って。
落ち込んで励まされて。
今回忙しいね。
ネリさん:
12人の勇者のひとり。
ティルラ王国所属。
カエデとのアレでちょくちょく名前が登場すると思う。
引き合いにだされまくり。
ちゃんと名前だけでも登場できて良かった。
ハムラーデルのトルイザン連合との国境防衛地に作った小屋:
天幕小屋、という名前になりそう。
平屋の5LDKという贅沢な天幕(笑)。裏庭もあるよ。
シンプルだけどすごい洗濯機がある。
あと、お風呂が広い。
やっと名称が…。名前に合ってるかどうかは別にしても。
トルイザン連合王国:
ハムラーデル王国の東に位置する連合王国。
3つの王国があり、数年ごとに持ち回りで首相を決めていた。
クリスという勇者が所属しているらしい(2章後半)。
まだ出てこないね。そろそろ話には出てきそうな感じだけど。
まだですね…。
緑色ラベルの洗髪剤:
2章041話でリンが説明した、髪質に応じた洗髪・調整剤のひとつ。
実は一般向けなのは白ラベルで、それ以外は一部を除いて専門職用のもの。
他にももっと種類があるらしい。
本当に余談だが、リンは108あるメイド技のひとつとして習得している。
鷹の爪:
ホーラード王国はツギの町という、ツギのダンジョンを擁する町を
拠点に活動しているベテラン冒険者チーム。
メンバーはリーダーのサイモンが遊撃、クラッドが壁役、
エッダが斥候、プラムが魔法という4人。
1章後半に登場。
チームやパーティという言葉については1章を参照。
プラムさん:
ベテラン冒険者チーム『鷹の爪』の魔法関係担当。
リンやタケルが魔法について手解きをした。そのためリンを師匠と呼ぶ。
メルたちが持つ魔法の教本は
彼女がその教えを自分なりに理解して書き記したメモを束ねたもの。
1章後半に登場。
ツギの街:
元領都の大きな街。1章で登場。
元というのは現在はホーラード王の直轄領だから。
勇者が東の森のダンジョンでの修行を終えたと判断したら、
次に訪れることになる街。
ツギのダンジョンという名称のダンジョンがある。
ツギという街の名は、建築素材になるツギの木が周辺に多く、
それを伐採、加工をして発展してきた歴史があるため、
その名で呼ばれ、定着したため。
※ 作者補足
この登場人物・固有名詞紹介の部分全ては、
あとがきの欄に記入しています。
本文の文字数にはカウントされていません。
あと、作者のコメント的な紹介があったり、
手抜きをしたり、詳細に書かれているけど本文には
無関係だったりすることもあります。
ご注意ください。