4ー015 ~ 敵の動き・ノータッチ
本部天幕に入り、作戦台のある広めの部屋を通って小部屋へと、ハルトさんのあとに続いて入った。ちょっとした書類作業用の部屋なのだろうそこは棚によって細長く狭められていて、テーブルが縦に2つ、部屋の中央に並べて置いてあり、椅子が4脚ずつ向かい合わせになっていた。ハルトさんに手で示され、俺とテンちゃんとメルさんの3人で奥側のテーブルに、椅子をひとつ寄せて並んで座ることになった。リンちゃんは後ろに立つみたい。
メルさんも後ろに立ちますと言ったが、まだ魔力が少ない状態なのは見ていてもわかるので座るようにお願いをした。やっぱり当人もまだ辛い状態なのは自覚しているのだろう、断らずに素直に従ってくれた。
俺たちが座るのを待っていたハルトさんが、メルさんを気遣うような視線で見ていたが、立場上、ホーラードの王女だというのを伏せる事を理解しているのか、黙っていた。
そうして俺たちが着座してから、ハルトさんが俺と向かい合わせになるように椅子の位置をずらして座ろうとしたとき、カエデさんが長さ20cmぐらいの小さな木箱を2つ持って入ってきた。
「ん?、お茶はどうした」
ハルトさんがそれを見咎めるように言う。
「え?、だってタケルさんですよ?」
「ああ。後輩であり親しくなっていても、こちらの呼びかけに応じてくれたのだぞ?、相応の礼儀というものがあるだろう?」
「あ、そういう意味じゃなくてですね、」
「ん?」
「そんなすぐにお湯なんて沸きませんから、タケルさんに淹れてもらったほうが早いじゃないですか」
「そうか、いやそれは幾ら何でもだな、」
- 構いませんよ?
「ほらぁ、それでタケルさん、お茶っ葉はこの2つしかなかったんですけど、どっちがいいですか?」
と、箱を両手で差し出すカエデさん。
「おい、」
「だってせめてお茶っ葉ぐらいはこっちが出さないと」
何というか、娘に逆らえないお父さんみたいなそんな雰囲気で、言葉を失って苦笑いをしているハルトさんに、俺も苦笑いをして目線で頷いておいた。
とりあえず香りがいいほうを選び、入り口に近い側のリンちゃんに目配せをして淹れてもらった。
お茶は正直どっちでもいいって感じだったが、カエデさんが『あ、やっぱり高いほうですね、あはは』って言った。もしかして試されてたのかなってちょっと驚いて、そして高いほうを選べて良かったなと内心では胸を撫で下ろしていた。
表情と言葉では、『へー、そうなんだ』と、微笑む程度にしていたけど、テンちゃんとリンちゃんはほんのり微笑む感じで俺を見ていたのでたぶんバレてるかも知れない。
お茶を少しずつ飲みながらテンちゃんをリンちゃんの姉だと言って紹介し、俺が行方不明だった時の話や、この拠点での防衛状況などを世間話のような感じで話をした。
そしてお茶が半分ほど減ったぐらいのタイミングで、この拠点での偉い人らしき雰囲気の人ともうひとりが入室した。
その2人は俺たちをちらっと見て眉を少し上げたが、特に何を言うわけでもなく、ハルトさんに話しかけた。
「ハルト様、周辺の地図をお持ちしました」
若い方、と言っても俺より年上っぽいんだけど、その兵士さんが『どうぞ』とハルトさんに羊皮紙を差し出した。
「ああ、ご苦労。そちらに掛けるといい」
「はっ」
と、短く返し、入り口付近の席に2人が順に座った。俺たちは奥に寄って座ってるから少しだけ離れている。部屋もそれほど広いわけじゃないからね。
「タケル殿の地図と比べるべくも無い出来で申し訳ないが」
ハルトさんがそう言いながら広げた地図は、まぁ手書きでいろいろとあとから少しずつ足され、添書きも筆跡もばらばらなものだった。
「タケルさんの地図もお願いします」
カエデさんがそう催促してくれた。助かる。どういうタイミングで出せばいいかなって思ってたんだよ。
- いいんですか?
「あるのか?」
「うん、ここに来るのに上で地図作ってたの見てたから」
「ならば是非頼む」
- あっはい。
ポーチから植物紙に焼き付けたこの辺り一帯どころじゃない広範囲のものを出した。それしかないんだよ、このへんだけってのはまた作らないと無い。というか砦や国境線に築かれた壁と防衛拠点の位置、つまりカエデさんに目的地であるここを示してもらうためのものだからね。だいたいの場所がわかれば上空から探すのはそう難しくないので、範囲が広いんだよ。紙も羊皮紙みたいに大きくないからね。
「これは…、済まんがもう少し範囲の狭いものは無いだろうか?、いや、これはこれで充分有難いのだが…」
ですよねー。そう言われるんじゃないかって思ったんだよ、
- 今のところはそれだけですね。来る途中で作ったものなので、はい、そう、全部繋がってます。
「おお、なるほど。これはすごいな。悪いが少し借りてもいいだろうか?」
ハルトさんは束にして重ねて渡した紙をばらばらにして、テーブルの上でまるでパズルでもやっているかのように同じ部分を重ねて並べていく。
うん、そうやって繋げて並べていくとわかりやすいね。
でも後にして欲しい。
- ハルトさん、ちゃんと全部繋がりますから。今はこの部分だけでいいでしょう。
「ん、おお、そうだったな、申し訳ない」
照れ臭そうに並べた紙を手にもってる束の上に戻していった。
まぁ、束って言っても12枚しかないんだけどね。川小屋からここまでが直線で500kmに少し足りないぐらいで、1枚が50kmの範囲で重なる部分もあるからそうなったんだ。
- 僕が帰る時に返してもらえばいいですよ。ここの調査と処理って何日か掛かりそうですし。
「そうか。ありがたい。ところでこの辺りの詳細な地図も作ってもらえるのだろうか?、無理にとは言わないが、あると助かるのだ」
そりゃそうだろうね。どうせ作る事になるのは変わらないんだから、気にしなくてもいいのにね。気持ちはわからんでもないけどさ。
- はい、どのみち作る事になりますから、それはいいんです。でも、この辺りもそうですが、国境の向こうって特に森林地帯ですから、上空からはほとんど見えないんですよ。
「ああ、そうだろう。それは構わない。タケル殿の地図は位置関係が正確に記載されるのがとても助かるんだ。地上はこちらで斥候隊が調べている情報もある。それで補足すれば充実した地図ができるだろう」
- そうですか、ならこの後にでも作りますよ。
「では頼むとして、こちらの地図で現状を説明しよう…」
と、ハルトさんが説明を始めた。
現在判明しているダンジョンは1箇所のみで、そこからカエデさんから聞いた角ありの動物と、ジャイアントリザードが出てくるんだそうだ。
そこからでは無く、散発的に斥候隊が発見または遭遇する魔物もこちらへと向かってくるらしい。それらは元々散っていたものが来ているのか、それとも別にダンジョンがあるのかはわからないという事だった。
「俺も時々斥候隊と一緒に出ていたんだが、ここの所、あまり長くここを離れる訳にも行かなくなってきてな、斥候兵だけでは奥のほうまでは行けないのもあって、調査が捗々しくないのだ」
どうも以前のここや魔物侵略地域(現在のバルカル合同開拓地)と違い、こちらの魔物は5体以上の集団で行動しているらしく、拙くはあるが連携もするんだそうだ。具体的にはばらばらに戦うのではなく集中攻撃をするだとか、別の集団が迂回してこちらの側面を突いてきたりするだとか、全滅するまで戦うのではなく、途中で足並みをそろえたり補いながら撤退するだとか、まるで魔物が人間たちのような戦い方を学んだのではないかと勘ぐりたくなるような戦法を採って来るのだそうだ。
「それゆえ、こちらも迎撃態勢を整えなくてはならないし、斥候兵は単独行動ができず、広範囲に情報を得る事ができなくなってしまった」
もしかすると、森の中に例の小さな角のある鳥が潜んでいるんじゃないかな?
あの時の鳥に気付いたときにはハルトさんはもう居なかったし。あ、でもカエデさんは居たよな?、こっちに伝えて無かったのかな?
- カエデさん、あっちで魔物の鳥が偵察兵や指揮伝達をしているって話、ハルトさんに伝えました?
「え?、あ、鳥が連絡してるって話でしたっけ?」
これは伝えてないな?
- はい。連絡ができるなら、指揮情報を伝達したり、現場の情報を指揮する個体に伝えたりもできるでしょう?
「あー…、言われてみればそうですね。済みません」
「それはかなり重要な事のように思えるのだが、どういう事なんだ?」
「鳥の魔物も居るみたいですよ、って言ったじゃないですか、あれですよ」
「いや、それだけで情報伝達の話に結びつけるのは些か無理があるぞ」
うん、俺もそう思う。
- とにかく、森に潜んでいる鳥がその役割をしている可能性を考えませんか?
「あ、ああ、そうだな。だとすると国境を越えて行動する斥候隊が動き難くなっているのにも説明がつくわけか…」
と、ハルトさんが地図を見ながら考え始めたとき、扉の無い入り口に別の兵士のひとが現れ、入り口近くに座っていた兵士さんに小声で話しかけた。
「ハルト様、2小隊合計13体が東と南から接近中の模様です」
「そうか、カエデ、出るぞ」
「はい!」
「タケル殿、続きは後ほど。彼らを天幕を張る位置へと案内せよ」
「はっ」
ハルトさんとカエデさんは慌しく部屋を出て行き、俺は頷くだけしかできなかった。
●○●○●○●
「あの、天幕のご用意はよろしいのでしょうか?」
案内の兵士さんはさっき部屋にいた若い方のひとで、彼は俺たちを一番後方の端、他の天幕から少し離れた場所へと案内すると、これでいいのか不安そうな表情を隠しもせずにそう尋ねた。
- はい、大丈夫です。
「そうですか…、あ、あの、離れているのはそうせよと命令されているからでして、こんな所に案内したからと言って悪意などはありませんから、決して」
ああ、そう取られてもしょうがないよね、大きめの石とか普通の石とかあるし、草ぼうぼうだし。ここに転がってる石についた土の乾き具合からして、彼らの天幕を張るときに整地作業で邪魔になった石とかこのへんに避けておいたんだろう。
- はい、はい、大丈夫ですって。そんな風には考えませんから。お気になさらず。
「そ、そうですか?、本当に?」
これは見せたほうがいいんだろうか。
- はい、本当に。じゃあリンちゃん、頼んでもいいかな?
「はい」
と、返事をした瞬間、その石がごろごろしてるそこそこ広い場所に、みるみる家ができた。2階の無い平屋4LDK。広い浴室に脱衣所とトイレ付き。たぶん。できていく過程でそんな感じの間取りだった。でかいな。
そして案内の兵士さんは唖然とした表情で固まっていた。そうなるだろうね。予想はしてたよ。
リンちゃんとテンちゃんは家ができると無言で中に入った。
- じゃあ、こういう訳なので。
と、俺も彼を放置してメルさんと一緒に中に入り、リンちゃんがホームコアを設置したパネルでテンちゃんに続いて順に登録処理を行った。
テンちゃんが後ろを見ているので、俺も後ろを見ると、リンちゃんがポーチから次々に家具を取り出して並べていく所だった。
なるほど、そりゃ見ているしかできないよね、下手に動き回ると邪魔だろうし。
「私も早く鞄が欲しいのじゃ…」
そう呟くテンちゃん。俺に言ったわけじゃないと思う。
こういう場合はリンちゃんが全部やってくれるので、個別に持っていても関係がない。任せてしまった方がいいからね。
でも確かにあると便利だよね。それに俺の場合はリンちゃんのと共有みたいになってるから余計に便利だ。
あ、テンちゃんのはどうするんだろうね、共有かな?、いや、やっぱり別にするのかも知れないね。
そして部屋割りが決まるとメルさんはお昼まで横になりますと言って部屋へ行き、リンちゃんはまずメルさんについていって寝具などを用意したんだろう、少しして出てきてからは、お昼の支度というか台所用品を並べたりお風呂の設定をしたりと忙しく動き回っていた、らしい。
俺はというと、部屋割りのあとすぐにちょいと外に出て、いつもの飛行魔法でひょいっと飛び上がって地図を作成した。周辺が木々なので、飛び上がって樹冠より上に出たほうが作りやすいからね。というかかなり上からにしたけれど、今回は魔力反応も拾うために何度かパターンを変えたりして確認しながら、鳥の魔物の分布までを記すことにした。
やってみるとこれが結構反応が多くて驚いた。連絡網ができているって感じだ、そりゃそんだけ居たらこっちの斥候兵の行動なんて筒抜けになっていてもおかしくない。
そしてこちら、ハムラーデル側にも鳥の魔物の反応が結構あった。
飛んでいるのも居たので、それは上空100mからさくっと狙って倒しておいた。
射線の先に人が居ないかどうかを気にするだけで疲れたが、とりあえず飛んでいるのは全部倒した。
潜んでいるのは場所はわかっても、半分も倒せなかった。枝が邪魔なんだよ。
トルイザン連合王国側のほうは戦闘中の周辺に多く、角度的に狙えるものだけをこっそり倒したんだけど、やっぱり監視しているんだろう、森の中で戦っているってのもあって、倒せたのはたった5羽だけだった。見つけたうちの2割ほどでしかない。
でもまぁ今回は仕方が無い。そのうち全部倒せればいいんだけどね、徐々に数を減らしていけば、ハルトさんや兵士さんたちも戦いやすくなるんじゃないかな。
というわけで、俺にできることは無さそうだし、戻ろう。初日から頑張りすぎると、あとあと大変だからね。程々がいいんだよ、こういうのは。切羽詰ってるんじゃないんだからさ。
●○●○●○●
戻ると、ソファーにテンちゃんが座っていた。俺を見てちょいちょいと手招きをしていたので、向かいに座ろうとしたら『こっちなのじゃ』と、ぽんぽんと隣を手で軽く叩いた。
- リンちゃんは?、って裏に居るけどここも裏庭作ったんだ。
魔力感知って便利だね。
「洗濯がどうのと言っておったのじゃ。其方は私と少しのんびりするのじゃ」
- はいはい。
といってテンちゃんの隣に座る。いい感じの硬さだ。これ何でできてるんだろうね、前から気になってたんだけどさ。
そんな風に座った感触を手でも確かめていたら、そっと肩に手を当てて後ろに押され、浅く座っていたのもあって寝転ぶような格好にさせられた。
- テンちゃん?
「其方は働きすぎなのじゃ。少し休まねば今日持たないのじゃ」
ソファーの背もたれの天辺に頭を預けた俺の顔を、覆いかぶさるような形で覗き込むと、心配そうな表情をして言った。
そういう真面目な表情で見つめられると断りづらい。途中、魔力や体力はウィノアさんの魔力に満ちた風呂に少し浸かったのもあって回復したとはいえ、精神的に疲れているという自覚はあるからね。
- ありがとう。じゃ、このまま少し休憩するよ。
そう言って目を閉じた。
「それがいいのじゃ。私が見守っておるで安心して休むのじゃ」
そんなことを言って俺の手を両手で包むように軽く持つテンちゃん。こういうとこ、リンちゃんと似てるなぁ、なんて思って少し微笑んだ。
「タケルさま!?、何を!?」
というリンちゃんの声ではっと気付いた。どうやら居眠りになっていたようだ。
あったかいものを抱いてソファーにだらんと凭れてればそりゃ眠くもなるよなぁ、という事にしとこう。
- あ、ちょっと寝てたよ…
って、抱いて?
- え?
ソファーにだらんと凭れて居眠り状態だった俺に、斜めに身体を預けるようにして凭れているテンちゃんを後ろから抱いている形になっていた。
そしてリンちゃんが半眼でじーっと見ていたので何だろうとその視線の先を…、わ!
俺の両手がテンちゃんご自慢の大きな胸のところにあった。動かそうとしたがテンちゃんが俺の手首をしっかり支えてて動かせない。
これ、薄布1枚越しだよな?、レースの飾りはついているけど、すごく幸せな手の平の感じで。テンちゃん胸のとこ下着つけてないぞ?
- えっと、テンちゃん?
「ふふっ、これが好きなのであろ?、視線を感じておったし、眠りながら揉んでおったぞ?、何、吾の事なら気にせずとも良い、存分に楽しむが良いぞ?、吾も其方に触れられるのは心地が良いからの?」
1人称が吾になってる。これは格好つけているとき、だっけ?
「はぁ…、だいたいわかりました。でも場所を弁えて下さいお姉様。それと、ウィノアはどうして静観しているのです?」
『本体ならともかく、分体の私ごときでヌル様を止められるわけが無いでしょう』
なるほど、テンちゃんのほうが立場が上なんだっけ。
「…それもそうですね、はぁ、全く、タケルさまも場所を考えて下さいよ…」
- あ、いや最初は隣に居ただけだったんだよ、寝てる間にこうなってたわけで…。
「お・ね・え・さ・ま…?」
あれ?、そこでテンちゃんに注意をするってことは、もしかして俺が居眠り中に寝ぼけてテンちゃんの胸を揉んだって思われてた?
「良いではないか、他に人も居らんかったわけじゃし、ちょっとした、そう、すきんしっぷというやつなのじゃ、リンがタケル様の腕に胸を当てたり抱きついたりするのと同じなのじゃ」
「全然違います!」
「他の者が来れば位置を変えるから問題無いのじゃ、第一、吾が居るのに居眠りをするのもどうかと思うぞ?」
さっきホームコアに設定してたよね、たぶんこの3人しか入れないよ?、ここ。
「ごまかさないで下さい、あたしが来たのに続けてるじゃないですか」
「それはリンなら構わんと思うての、ほれ、タケル様よ、好きに揉んで良いのじゃぞ?、ほれほれ」
と、俺の手首を持ったまま指で手の甲を押さえるようにして胸に押し当てて回すように動かした。おお、手が幸せだ、重量感といい弾力といい、すんごいな、これはいいものだ…。
…じゃない!、さすがにリンちゃんに見られながらはまずい。いや、見られてなくてもまずい、何がって仮眠とは言っても寝起きだしそんな事されたら…、まぁ察してくれ。俺ノーパンでズボンなんだよ。とりあえず膝を曲げて足を寄せ、テンちゃんが俺の手を解放してくれたらすぐに起きられるようにしておこう。
何せ今は体勢的にテンちゃんが俺を斜めに背中で押さえ込んでいる格好になってるし、テーブルがあるから足で勢いを付けて起き上がるってことが出来ない。つまりは逃げられないってこと。
「お姉様!」
「何じゃ、無粋な、お?、タケル様?」
手首が緩んだ隙にすっと手をずらしてテンちゃんの両脇を支え、隣にずらしながらよっこらせという感じで半身を起こし、ソファーに座る体勢になって膝の上に肘をついた。
そして数秒だけ円周率でも考える。数桁しかおぼえてないけど。
- ちょっと顔を洗ってくる。
と言ってさっと立ち上がって洗面所に逃げた。
これは先行きすごく不安だなぁ。
と、洗面所にそっと後ろについて来たリンちゃんの気配を感じながら思った。
●○●○●○●
結局、昼食時になっても誰も呼びにきたりという事が無く、4人で普通に昼食を摂った。
「やはりタケル様の燻製は美味いのじゃ」
ん?、やはり?
という表情を読まれたのか、テンちゃんが続けて言う。
「ママが前に持ってきてくれたのじゃ」
- へー
「タケル様が作られたのではありませんけどね」
「じゃがママがタケル様のレシピだと言ったのじゃ」
それすらもう俺のレシピじゃなく、『森の家』の燻製工場で働く精霊さんたちが頑張って品質と味の向上を目指したもののはずなんだよね。
「そうですか。でも美味しいことは確かですね」
「そうなのじゃ。おお、このサラダにも燻製が使われているのじゃ」
「あれこれと応用が利くので里でもすぐに売り切れてしまうんですよ」
- へー、そういうのって調理例もつけて売ってるってこと?
「はいっ、燻製を利用したレシピ集の一部をつけてます」
「ほほう、そのようなものが」
え?、今レシピ集って言った?
- 一部?
「はい、もう何冊か出てるんですよ!、燻製関係レシピ、お菓子類、ピザにマヨでレシピ本だけで4冊ですね。どれも増刷が決まってまして、食品部も大変ですよ」
「ほう…」
- レシピ本だけで?、まさか他にも…?
「当然ですよ、技術書も続々公開されていまして、伝記もありますし、あ、そうそう、今度公開される舞台の書籍化も決定しています」
舞台ってアレだよね?、アンデッズのやつ。彼らと俺が出会って光の精霊さんのところで働くようになるって話の。やだなぁ、一体どんな脚色されてるやら…。
というのが表情に出ていたのか、2人して言われた。
「其方の表情を見るやどのような内容か、ちと気になるのじゃ」
「タケルさまはそういうお顔をされますけど、彼らを救ったのはタケルさまではないですか。その彼らが演劇をするにあたり、最初は彼らが経験した内容にする事は不思議ではありませんよ?」
- あ、うん、そうなんだけどね…
「あたしは話を聞いただけで実際に見てませんから、初日はアリシア様たちと一緒に観劇したいぐらいなんですよ?」
「おお、私も観たいのじゃ」
- それは別に構わないと思うよ?
「そうか!、其方がそう言ってくれるなら、」
「いいえ、お姉さまはダメですよ?」
「何でなのじゃ!、いまタケル様が」
「タケルさまが構わないと仰ったのはあたしの事です。お姉さまの事ではありません」
確認するために俺を見る2人。
- あー、うん、ごめん、テンちゃん。
「そんな…」
「ちょうどタケルさまが『勇者の宿』に戻られる時期ですから、予定が合えばあたしだけではなくタケルさまもご一緒にとアリシア様が望んでおられました」
- んー…、それは光栄に思うべきだとは思うんだけどね…。
「タケルさまがご一緒して下さればお姉さまもという話も伝えやすくなるんです」
「!…」
項垂れていた顔をがばっと上げるテンちゃん。
- まぁ、予定が合えば、ね。期待しないでね、テンちゃん。
「…わかったのじゃ…」
「とりあえずはそういう方向で、とお伝えしておきますね」
- うん。
何だかアンデッズの演劇の話になって、俺の名前を使って出されている書籍がいくつもあるよって話がうやむやになってるんだけど…。
信じられるか?、本だぜ?、俺そんなの完全にノータッチじゃん。
でも名前使われてて、俺は内容すら知らなくて、そんでもって増刷?、まだ出るって?、もうホント、どうなってんの光の精霊さんたち…。
前からちょくちょくそう思ってたんだけどさー…。
怖ぇーんだけど。
あ、結局少量食べてすぐ部屋に戻ったさっきのメルさんは終始無言だったなーって思い出したら、ホーラード王室編纂とかで『勇者本』ってのがこれまた勝手に出版されてるんだっけと、これも思い出した。
この世界って…
次話4-016は2020年07月10日(金)の予定です。
20200710:1箇所、疑問符「?」の後ろに句点があったのを削除。
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
あくまで日常のワンシーン。
今回は入浴なし。
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
書籍はノータッチ。
テンには自分の意思じゃないけどノータッチじゃ無い。
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
有能ですねー。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい出番なし。今回は名前とちょっとだけ。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンちゃんの姉。年の差がものっそい。
タケルとテンは現状ノーパンコンビ。
リンより背丈が少し小さいのに胸が元のサイズだから
すごくおっきく見える。とにかくでかい。
タケルは油断しすぎだと思う。
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
リンの言葉に返答したのはタケルが着けている首飾りに宿る分体。
メルさん:
ホーラード王国第二王女。いわゆる姫騎士。
騎乗している場面が2章の最初にしかないが、騎士。
剣の腕は達人級。
『サンダースピア』という物騒な槍の使い手。
身体強化に関しては現状で人間種トップの実力。
体調がまだ戻らないのと、リンとテンに気を遣うのとで
ずっと空気のような状態だった。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
現在はハムラーデル王国と東に国境を接するトルイザン連合王国、
その国境防衛拠点に居る。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
戦闘中。
カエデさん:
12人の勇者のひとり。
この世界に転移してきて勇者生活に馴染めず心が壊れそうだったが、
ハルトに救われて以来、彼の元で何とか戦えるようになった。
勇者歴30年だが、気持ちが若い。
このひとも戦闘中。
川小屋:
2章でリンちゃんが建てたタケルたちの拠点。
ロスタニアから流れてくるカルバス川本流と、
ハムラーデル側から流れてくる支流が合流するところにある。
しばらくはでてこないと思ったらすぐ出てきた。
トルイザン連合王国:
ハムラーデル王国の東に位置する連合王国。
3つの王国があり、数年ごとに持ち回りで首相を決めていた。
クリスという勇者が所属しているらしい(2章後半)。
不穏な動きとは…?