4ー014 ~ 再出発・安定飛行・到着
メルさんの強化MAX状態があまり長く続くと危険だということでテンちゃんに中和してもらうことにした。できるらしい。
しかしそうするとメルさんの体内魔力がごっそり減るので、あとが枯渇に近い状態になってしまうそうな。
「其方でも可能だと思うのじゃが」
テンちゃんがそういいながらメルさんの強化状態を解いてくれたが、俺は腕の強化をしながら背中が汗まみれになるぐらいの痛みに耐えてたのでテンちゃんが使った魔法、魔力制御は自信が無い。
テンちゃんがやってる事に集中して覚えたかったんだけど、そのせいであまり集中できなくて模倣ができるようなところまでは感知できなかったからね。結構繊細だってことと、闇属性魔力が使われている事だけはわかった。そしてそれが俺がよくやってる魔力の同調じゃなく、本当に中和だったってこともね。
とにかくそれでメルさんの力が抜けたので、小屋に作ってくれていた寝台に寝かせてもらい、俺は肘のところに回復魔法をかけて、やっと落ち着いたってわけ。
耐えている間に回復できなかったのは、強化状態だったってことと、肘関節がごりっといったときに脱臼しかかっていたので、そのまま押さえつけられている状態では痛みを軽減する程度しか使えなかったんだ。
「大丈夫ですか?、タケルさま」
疲れた様子で椅子に座った俺を見てリンちゃんが横にしゃがみ、さっき痛かった左肘にそっと手を当ててくれた。
- あ、うん。もう大丈夫。
「腕の事ではなく、魔力のほうですが…」
あ、そっち。
「そうなのじゃ。あれだけ方向を制御し続けていたのじゃ、疲れるのも無理はないのじゃ。目的地はまだ先なのじゃろう?」
- あっはい、そうですけど…。
と、寝台に横たわる2人を見ると、
「カエデさんが起きるまで待ちましょう、タケルさま」
- うん…。
と、リンちゃんに頷いたら、
「何なら其方も横になるのじゃ。そして私が添い寝するのじゃ」
「お姉さま」
「冗談なのじゃ。あ、そうなのじゃ、こういう時こそ其方は湯浴みをすべきなのじゃ」
「あ、それはいいですね。では早速作ってきます」
- あ…、うん、ありがとう。
確かに俺は今、汗びっしょりだし、ウィノアさんの魔力に満ちた湯になるだろうから回復効果も高い。正直なところありがたい話だ。
「ふふ、自分で思っていたより疲れていたのがわかったという顔をしておるのじゃ」
言い当てられてしまった。
とりあえず、あいまいな笑みを返しておいた。
リンちゃんが作ってくれた脱衣所と浴室は、俺がラスヤータ大陸で適当に作ったようなものとは違い、川小屋の設備ほどではなかったにせよ、ちゃんとしたものだった。
ありがたくそこで手早く洗い、3分ほどぬるめのお湯に浸かるとかなり回復した。
珍しくウィノアさんは出てこなくて揉まれたりはしなかったが、やっぱり湯はウィノアさんの魔力で満ちていた。回復はそのおかげだ。いつもより濃厚だったような気もする。
湯から上がる前に『ありがとう、ウィノアさん』って言ったが返事は無く、代わりに湯からウィノアさんの魔力がすぅっと消えて行った。
テンちゃんに何か言われたのかな?、どうも調子が狂う。けど、今後はこういう風になるって事なのかも知れないなと、ちょっぴり寂しい気もした。
用意されていた新しい着替え――と言っても同じ濃灰色で同じデザインの、光の精霊さんの里でもらった服だが――を着て脱衣所を出ると、カエデさんが待っていた。
「あっ、また気絶しちゃってごめんなさい、あたしも入らせてもらっていいですか?」
- あ、どぞ…
と、脇に避けるとカエデさんは着替えらしき布を抱えて背中を丸め、そそくさと脱衣所に入った。
手が塞がっているようなので俺がそっと閉め、テンちゃんとリンちゃんが座っているテーブル――たぶん俺が入浴中に作ったんだろう――のほうを見ると、2人ともこっちを見た。どうやらメルさんも気が付いていたようで、寝台に横たわったまま首を上げてこっちを見た。
でも何だか雰囲気が妙な感じだった。
●○●○●○●
目を開け、少し視線を動かしますとだんだんと感覚が戻ってきて、自分が横たえられているのに気が付きました。身体がだるくて力があまり入りません。
「気が付きましたか。飛行中に気を失っていたんですよ」
見るとリン様がテン様とすぐ近くで向かい合わせに座っておられました。
「お手数をお掛けして申し訳ありません」
と言って起き上がろうと力を入れますと、
「寝ていなさい。魔力の消耗です。強化もしてはなりません」
と仰られ、『はい』と返事をして力を抜きました。
リン様が仰るには、私が可能な最大限の強化状態で気を失ってしまったようで、そのままでは身体の機能に障害が起きる可能性があったため、テン様がその魔力を中和して強化状態を解いて下さったのだそうです。
私はテン様にお礼を言い、一体どうしてそのような事になったのかを思い出そうとしましたが、タケル様の飛行が曲芸的だった事ぐらいしか思い出せませんでした。
それでもかなり恐怖を覚えたのは確かですが、気絶に至る程ではなかったように思います。
「もう少し回復すればあの時の薬草茶を出します。あまりいろいろと考えずに眠れるなら眠ってしまいなさい」
「はい」
リン様が優しく仰ってくださいました。
「私にもそれくらい優しくしてくれてもいいと思うのじゃ」
不満そうなテン様の声がします。
「お姉さまが面倒を起こさずに居て下さるのならそうしますよ」
「む、私がいつ面倒を起こしたというのじゃ」
「最初から面倒事ばかりではないですか。タケルさまを振り回し、魔力の抑え方を忘れたなどと寝ぼけ、あまつさえ水の者を呼ぶのにタケルさまと入浴する、これのどこが面倒事で無いと言うのですか」
「そ、それはその、」
「水の者の事はタケルさまが許しておられるのですから、前のままでも良かったんですよ。確かに多少は行き過ぎな面もありましたが、お姉さまが来られたのですから、黙っていても自粛した事でしょう」
「いや、しかし、」
「どうせタケルさまと触れ合いたいから、いい口実に使ったのでしょう」
「口実とな…」
「違うんですか?」
「理由は昨夜話したはずなのじゃ、其方も理解を示したではないか」
そうですね。確かアクア様の痕跡が多すぎるとか…。
「それはそれです。口実にしたことを否定しないのですか?」
「う…、しかし其方もしたことだと言ったではないか」
「ええそうですよ。でもそれはタケルさまが禁止される前の話です」
「1回は許せと言ったのじゃ」
「それに私は寄り添っただけです。全裸で抱きつくなんてやりすぎです」
眠れるなら眠れと仰っていましたが、すぐ横でこのような言い合いをされては眠れるわけがありません。
そう言えば昨晩も私は肩身の狭い思いをしたのでした…。
それはリン様に呼ばれて入浴をご一緒させて頂くことになった時の事です。
私は恐れ多い心持ちでお二人の後ろから浴室に入った時から始まりました。
テン様が浴室に入ってすぐお湯加減を見て、浴槽に入ろうとしたのをリン様が止められたのです。
「お姉さま、まずは身体を清めて下さい」
「不要なのじゃ、ここは水の者が、」
「マナー悪いですよ、お姉さま」
「ま、マナーとな!?」
「タケルさまが決めたルールです。ここではそうせよと」
「…ならば従わねばなのじゃ…」
そんなやりとりを聞きながら、こっそり洗い場の端にあるシャワーを座ってから使い、頭を洗い始めました。
これまでにもリン様とはご一緒させて頂いた事がありますが、その姉君のテン様を迎えに島へと同行してから、リン様も偉大な精霊様なのだと認識を改めたばかりなのです。
そのため、どうにも恐縮してしまい、緊張が抜けません。
あのような強力な魔力圧は生まれて初めてでした。
自分で言うのは憚られますが、私は剣を持てば達人級だと国では認められています。
百の刃を向けられても、千の殺気を向けられても跳ね返せると自負していますが、そのようなものは児戯だと思えるほど、あの威圧感に曝されてしまった時には恐ろしかったのです。いいえ、恐怖ではなく、畏怖のほうでした。リン様に跪くなと止められていなければ、自然に跪き、祈りを捧げていた事でしょう。
私としては、リン様だけでも今まで通りの気楽さでいいのか疑問に思ってしまうのに、さらにその元凶、と言うのは恐れ多いのですが、テン様までがご一緒なのです。自分でも緊張し萎縮するのは仕方が無い事だと思います。
それでも何とか、せっせと全身を洗い終え、リン様方が洗っておられる後ろをそっと通って浴室の出入り口近くの隅にこっそりと身体を浸けました。
一瞬、先に浴室を出てしまおうかと考えましたが、まさか黙って出て行くわけには行きません。それに、リン様から誘われたのです。『お先に失礼します』など、言えようはずもありません。
そして私が浸かってすぐにお二人は洗い終えたようで、姉妹そろって髪をタオルでまとめた姿で浴槽に入って来られました。
思い出してみれば、お二人は胸のサイズと髪や目の色以外がそっくりで、改めて横で言い合いを続けているお二人は、姉妹なのだと実感します。
あ、言い合いを続けているのではありませんね、テン様がリン様にやり込められているというのが正しいでしょう。
「のぅ、其方、そう、メルなのじゃ、其方」
「は、はい!」
浴槽の隅で小さくなっていた私は、いきなり呼ばれびくっ!と硬直して返事をしました。
無心で湯の揺れに身体を任せていたのを急にそうしたので、周りで湯が少し跳ねて音がしました。
「何故にそうずっと身体強化しておるのじゃ?、何かの訓練か?」
「あ、いえ、これはその…、癖のようなものでして…」
いつの間にか緊張から身体強化をしていたようです。急いで身体強化を解きました。
「お姉さま、メルさんは幼少時に身体強化を覚えてから眠る時以外はずっとそうして過ごしてきたそうで、そのため強化が染み付いてしまったのです」
リン様が取り成して下さっています。ありがたい事です。
注意を受けたのですから、ここは素直に謝っておかねばと思いました。
「…ご不快でしたら申し訳ありません…」
「ああ、構わんのじゃ。少々気になっただけなのじゃ、そのように緊張するでないのじゃ、ここは気楽に湯浴みをする場所なのじゃ」
「は、はい、頑張ります」
テン様は私の妙な返答に一瞬反応されましたが、私が恐縮しているので気を遣われたのでしょう、『そうか』と小さく返して下さいました。
リン様が気の毒そうな表情で私を見ていらしたのに気付き、私も申し訳ないと思いました。
「それはそうと、あれは何なのじゃ?」
テン様が、アクア様の像が飾られている浴室奥のほうを視線で示し、リン様に問い掛けました。
今回の入浴では私はお祈りをしていませんね。とてもそのような雰囲気ではなかったのですが。
「あれは人種の宗教に関係するものですよ」
「そうか。ではなく、ここはタケル…様の家なのではなかったのか?」
「そうですよ?、出先の別荘のようなものですが」
「その、タケル様はそこの信徒なのか?」
「いいえ?」
「ではなぜそんなものがここにあるのじゃ?」
「居候たちが置いてくれと頼み、タケルさまが許可したからです」
居候…、確かにそう言われると居候で間違いありませんが…、何だかますます肩身が狭くなったような気がします。
「ふーむ…、精霊信仰か…?」
「そうですよ」
「ではあれは誰なのじゃ?」
「アクアだそうです」
「…?、あれがか?」
「あれがです」
「…似てないのじゃ」
そうですね。私も今ではそう思うところが無いわけではありません。
おそらくはここに集う皆が心のどこかで思っている事でしょう。
「それは仕方ないでしょう、あの者はめったに姿を現しませんから」
そう仰いながらもリン様は内心では疑問に思ってらっしゃるのか、ほんの少しだけ首を傾げておられます。
私も、タケル様と行動を共にするようになってから結構お姿をお見かけしているような…と思いました。それが、似ていないとテン様が仰るのに内心では同意する理由でもあるのですが…。
「そうじゃ、何故私がタケル…様と一緒に湯浴みをしてはいかんのじゃ?」
「それは…、その…、タケルさまがあたしに、女の子なんだから一緒に入るのはダメだと仰って…」
「ほう?、それはいつ、どこでなのじゃ?」
「言えません」
「そうか。一度は裸の付き合いをしたのじゃな」
「え、あ…」
「したのじゃな」
「…はい」
「なら私の1回は許すのじゃ」
「え!?」
「水の者との話もある。ここは水の者による力の痕跡がありすぎるのじゃ。地下水脈の要所ですらここの何分の1以下なのじゃ、それがどれだけ異常なのか、其方には理解できよう?」
「そうだったのですね、申し訳ありませんお姉様。教えは受けておりましたがそこに気付きませんでした」
「そうか、ならこの後すぐタケル様を呼んで水の者と話をするのじゃ」
「すぐ、ですか?」
「そうじゃ、ママ…アリシア様はその事も踏まえて私をタケル様につけたのやも知れんのじゃ」
「お姉さまのことをタケルさまに頼んだと聞いてましたけど…」
「それもあるのじゃ。私とタケル様は互いに互いを補う良い関係なのじゃ。運命の人なのじゃ…」
「お姉さま、それではあたしは…」
「何ならリンは里に帰ってもいいのじゃぞ?、ふふ」
「イヤです!、タケルさまの傍にいます!」
「冗談なのじゃ、そうむきにならずとも良いのじゃ。とにかくこれからは協力してタケル様の補佐や補助をして行けばいいのじゃ」
「わかりました、ではお姉さま、まずはその胸を小さくするか元の姿に戻れるようになるか私に下さいデス」
リン様が突然、テン様の右胸を両手でがしっと掴んで引っ張りました。
改めてその大きさが強調されて、私も思わず見入ってしまいました。
「これ!、痛い!、離すのじゃ!、いたたた!」
「何でこんな、お母様より大きいんじゃないデスか?、どうしてデスか!?」
「いたたた、其方もそのうち大きく、これ、爪を立てるでないのじゃ!、何て馬鹿力なのじゃ、いたたた」
テン様の胸を掴んで引っ張るリン様。それに引っ張られてリン様の周りをまわりながら腕を外そうとするテン様。
そのお戯れをぼーっと見ながら、2人の起こす波にゆられて、緊張からも湯当たり寸前で限界に近かった私は、耐えられなくなっていました。
「すみません、私、上がります…」
と、小さく言って逃げるように脱衣所へと出ますと、お二人もその戯れを終えられたのか、シャワーの音がして程なく浴室から出てこられたのです。
その後、着替えを持って入らなかった私は、リン様用のバスローブを着てリビングに出たのですが、すぐにテン様の魔力に当てられて壁に凭れているところを、タケル様が優しくお声をかけて下さり、そして、頭を撫でられたのでした。
心配そうな顔で私を見ているタケル様が、頭を撫でながらその手でこっそりと回復魔法を掛けて下さったのがわかりました。
湯当たりのような症状は、普通では回復魔法で治せるものでは無かったと教わりましたが、タケル様の回復魔法は普通では無いのでしょう、ぼーっとしてだるかった頭や身体が楽になったのでした。
「あの、テン様?、って呼んでいいのかな、」
「良いのじゃ」
「あ、ありがとうございます。全裸でタケルさんに抱きついて、それからどうなったんですか?」
カエデ様も気が付いたのでしょう、彼女は魔力の枯渇状態では無いようで、ゆっくり身体を起こしながらテン様に問いかけたのが魔力感知でわかりました。
私は目を閉じてじっとしていますからね。寝たふりというわけではありませんが。
「どうも何も無いのじゃ。この妹めが邪魔をしに来よったのじゃ」
「邪魔も何も、タケルさまは困ってらっしゃいましたよ?」
「其方にはそう見えたのか?」
「タケルさまはお優しいので、お姉さまにはわからないのでしょうね」
「知っておるのじゃ、タケル様の魔力は優しさで満ち溢れているのじゃ」
「なら、困っている事ぐらい魔力でわからないはずはありませんよね?」
「う、し、仕方なかったんじゃ」
「は?」
「私に直接触れても影響がない者は限られているのじゃ…」
それで普段から手袋を着けられていたのでしょうか。
肌の露出が少ない服装なのも、それが理由…?、だったのですか…。
「…あぁ…、そう言えばそんな設定が、」
「設定と言うで無いのじゃ。ん?、其方、忘れておったのか?」
「忘れてませんよ?、思い出しました」
「それを忘れておったと言うのじゃ」
そうですね。
「あの、すみません」
「何じゃ?」
「何ですか?」
「おトイレに行きたいのですが…」
何というかさすがは勇者様です。よくぞこの雰囲気を解消して下さったとカエデさんに感謝したいですね。
「ああ、其方漏らしておったのじゃったな」
「も、漏らしてません!」
「よいよい、わかっておるのじゃ」
「お姉さま。カエデさん、トイレならそこの扉が脱衣所で、その中です。でも今はタケルさまが脱衣所に居ますので、出てこられてからついでに入浴するといいでしょう。着替えはありますか?」
「は、はい、荷物に…、あれ?」
「荷物ならそちらに置いてあります」
「あ、ありがとうございます」
そしてすぐにタケル様が脱衣所から出て来られ、カエデ様が入れ替わりに入られたのでした。
直前の話が、カエデ様が漏らしたとかいう話だったせいで、妙な雰囲気になっていたのを感じ取ったのか、タケル様が少し不思議そうな表情をしていました。
●○●○●○●
予定外の休憩になったけど、まぁ何とかカエデさんとメルさんの準備も整い、再出発となった。
それはそうと、リンちゃんがメルさんに飲ませてたお茶、メルさんが苦そうに飲んでたので俺にも味見させてもらったけど、あれはお茶じゃないね、薬だね。苦いっていうか渋いっていうか粉っぽいっていうかさ、元の世界の青汁を思い出したけど、青汁のほうがまだ飲めると思った。
そういえば昔、青汁を罰ゲームみたいにしてるバラエティ番組があったよね。負け続けたタレントさんが何回も飲まされてたけど、当時はそういう扱いでも宣伝になるって事だったのかな?、まぁ今更どうでもいいか。
とにかくそれで、町らしきところまで2km程手前なんだけど、それをカエデさんに言うと、別に寄ってくれても寄らなくてもいいとの事。
降ろせって言ってたのは方角を知るためで、町に用事があるわけじゃないんだってさ。なんだ。勘違いしちゃってたよ。
町に寄ると記録が残る。カエデさんとしては移動途中にその記録が残るほうがいいらしいんだけど、このメンバーのうち、身分証が無い者が3名いるので手続きが面倒なんだってさ。なるほどね。
メルさんはホーラード王国の王族なんだけど、成年していないので正式な身分証を所持していない。というか、単身で他国に訪問しているようなもんなので身分は隠さなくちゃいけないらしい。本人は、『私の顔を知っている者など居りませんので大丈夫ですよ』と暢気に言っていたけどね。
ああ、一応は小さな背嚢にホーラード王国の正式な書類になり得る書式の入った文書や、それら書類に封緘するメルリアーヴェル王女の印(指輪)が入っているらしいけどね。そんなもんローカルな町の衛兵に見せたところで王都やらに確認してもらうまで動けなくなるだけだ。
リンちゃんやテンちゃんは当然そんな身分証なんて持ってないわけで…、リンちゃんに関してなら光の端末は持ってるけど人種にそんなの見せてもね…。
俺?、俺は勇者の鑑札があるじゃないか。見習いだけど。
見習い勇者があちこち行くのは別に問題が無いとの事。むしろあちこち見て回ってくれたほうがいいらしいけど、1年しかないのと、どうせ全部は見て回れないとか何とか。
何にせよ町に寄らなくて済むならそれでいいって事で、方角と言うか、辿っていく街道がわかればいいからゆっくり飛べと言われた。
で、カエデさんにわかりやすいように地図を作って見せて、この街道ですと言われ、また気絶されると困るので、できるだけ高く、雲の下のぎりぎりをできるだけ直線的に飛びながら地図を作り、それで何とか昼前にはハルトさんの居る詰め所のところに到着することができた。
再出発をした町のあたりからは平野部になっていたのでそうできたんだけどね。
どうにも空模様が怪しくて曇り空だったから、雨が降る前に到着できたのは良かった。
空中で何度か地図を作るときに、俺の両腕が塞がれてるとやりづらいので、肘あたりに手を添える程度にしてもらえたのも、そういう飛び方でカエデさんとメルさんの恐怖感が薄れていたからかも知れない。
それで前にテンちゃんが居るので、彼女の前で紙(植物紙)を両手で支えて焼いたんだけど、『焦げ臭いのじゃ』と言われた。ごめんごめんと言ったけど、肘を持たれてるのでしょうがないよね。まぁテンちゃんも怒ってるわけじゃなく、面白い魔法じゃと笑っていた。
それでそのままテンちゃんに地図を持ってもらう事になったので、飛行経路の修正がしやすくて飛び易かったのも良かったんだろう。
「これぐらいの速さなら景色も楽しめて良いのじゃ」
「そうですね、これなら怖くないです」
テンちゃんが、俺に背中を預けるような感じで凭れ、両手で俺が作った地図を広げて見ながら下の景色と見比べて言うと、カエデさんもメルさんも同意していた。
でもこれ、さっき山間部を飛んでた時より速度が出てるんだけどなぁ…。
言うと怖がるだろうから言わないでおいた。
あ、リンちゃんだけは、ずっと俺の腰にしがみついてて目を閉じてたみたい。
前に言ってたもんね、目で見た速度や動きと体感が合ってないから怖いって。
でもなぁ…、慣性をある程度相殺しないとのんびり立ってられないんだから、しょうがないよなぁ…。
●○●○●○●
着陸すると、物珍しさからか兵士さんが集まってきて、カエデさんがハルトさんを呼んでくるように手近なところにいた兵士さんに言って、そのまましばらく兵士さんたちの視線とざわざわする声に囲まれて少し待っていると、ハルトさんが来た。
「よく来てくれた、タケル殿!」
と、俺を見るやずんずん目の前まで来て右拳を左胸に添える敬礼をした。
- お久しぶりです。苦戦しているとお聞きしましたが、そうでもない様子ですね。
こちらも敬礼の真似をして問いかけた。
「ん?、ああ、とりあえず本部に案内しよう。天幕は用意させたほうがいいのか?」
- あ、ある程度の広さがあればそれだけでいいです。そう言えば砦だと伺ってたんですが、砦はあっちですよね?
「それもこちらで話をしよう。到着して早々申し訳ないが」
- それは構いません。
「そうか、ではついてきてくれるか?」
そういう訳で、ぞろぞろとハルトさんについていき、板と布で作られた大き目の天幕に入った。
次話4-015は2020年07月03日(金)の予定です。
20200903:冒頭部に少し補足を追加。
20250301:誤字訂正。 知っている物など ⇒ 知っている者など
(まだこのような誤字が残っていたなんて‥‥)
●今回の登場人物・固有名詞
お風呂:
なぜか本作品によく登場する。
あくまで日常のワンシーン。
今回も入浴あり。回想もあり。
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
実はカエデさんがちょっと漏らしてたのを知ってる。
リンちゃん:
光の精霊。
リーノムルクシア=ルミノ#&%$。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
高所が怖いのではなく、タケルの飛行に慣れないせい。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄い精霊。
だいたい出番なし。今回は名前も出なかった。
テンちゃん:
闇の精霊。
テーネブリシア=ヌールム#&%$。
後ろの部分は精霊語のため聞き取れない。
リンちゃんの姉。年の差がものっそい。
タケルとテンは現状ノーパンコンビ。
リンより背丈が少し小さいのに胸が元のサイズだから
すごくおっきく見える。とにかくでかい。
下を見るのに邪魔になるんじゃないかな。
ウィノアさん:
水の精霊。
ウィノア=アクア#$%&。後ろの部分は精霊語。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
どうせまた出番はあると思う。
メルさん:
ホーラード王国第二王女。いわゆる姫騎士。
騎乗している場面が2章の最初にしかないが、騎士。
剣の腕は達人級。
『サンダースピア』という物騒な槍の使い手。
身体強化に関しては現状で人間種トップの実力。
実はタケルに掴まって立っているので精一杯。
強化するなとリンに言われたせいでもある。
ハルトさん:
12人の勇者のひとり。現在最古参。
ハムラーデル王国所属。
およそ100年前にこの世界に転移してきた。
現在はハムラーデル王国と東に国境を接するトルイザン連合王国、
その国境防衛拠点に居る。
『フレイムソード』という物騒な剣の所持者。
タケルが来てくれて喜んでいるようだが…。
カエデさん:
12人の勇者のひとり。
この世界に転移してきて勇者生活に馴染めず心が壊れそうだったが、
ハルトに救われて以来、彼の元で何とか戦えるようになった。
勇者歴30年だが、気持ちが若い。
出発前に用を足しておいたのにね。
川小屋:
2章でリンちゃんが建てたタケルたちの拠点。
ロスタニアから流れてくるカルバス川本流と、
ハムラーデル側から流れてくる支流が合流するところにある。
しばらくはでてこないんじゃないかな。
トルイザン連合王国:
ハムラーデル王国の東に位置する連合王国。
3つの王国があり、数年ごとに持ち回りで首相を決めていた。
クリスという勇者が所属しているらしい(2章後半)。
不穏な動きがあるとの事で、タケルがハルトに呼ばれ、
やってくる事になった。