3ー030 ~ 頼み
メイリルさんを待っている間に、エクイテスさんにはさっきの歴史の本――しおりが挟んであってすぐ開けるようになっていた――を見せてもらった。
彼女の20代前のメイベル王女のことが書かれた本には挿絵があった。エクイテスさんはそれを朧気に覚えていて、肖像画を見てすぐにわかったんだそうだ。得意げに言われた。昔読んだ本の知識が役立つと嬉しくなるよね。わかるよ、うん。
あとは、王都から戻った使いの人が持ち帰ったロンダー商会のシェルエさんからの手紙に、海藻由来のうるおい成分が素晴らしいと絶賛していたって話も出た。もうテストしてるのか。早いな。
「内容の8割がこの話で、残りが先生の作品の話でしたよ…」
- ははは…。
「まだ商品サンプルはできていないようですが、あれこれ分量を調整しながら商会内で試験をしているようですよ…、シェルエには200セット渡して王都に持ち帰ったのは50ほどなので、そちらの問い合わせで忙しいはずなのですがね、いやはやこういった事は女性には敵いませんな、はははは」
そうですか、と言って合わせて笑うしかないよね。
その他、海藻をどっさり荷馬車に積んでったとか、リビスタス商会のノリタスさんのほうは陶器を取り扱っているだけに問い合わせが殺到しているんだとか。それが当人ではなくシェルエさんからの手紙に書かれていたんだそうだ。
「うちの王都の店は日用雑貨が主な商品ですからね、競りのときにロンダーやリビスタスの名前を出したのは妙なのを寄せ付けないためでしたが、あ、もちろんそっちにも問い合わせは来ているようですよ。それで追加分を運ぶ時期をいつにするかというところでしてね。現状急いで運ぶのは狙って下さいと言っているようなものなので、ある程度騒ぎが収まってからということになりますが…」
なるほどねー、元の世界の日本だとそういう時は商機を逃すなみたいな感じでどんどん追加の商品を現地に送ったりするもんだと思うけど、こっちはこっちで別の苦労があるみたいだ。
「先生の食器はありがたいことに少々雑に運んでも壊れたりしませんので、輸送計画も立てやすく助かっております」
これもそうですか、と笑うしかない。ガラスのほうは雑に扱うとたぶん欠けたり割れたりすると思うけどね、それでも石英ガラスに近いので少しぐらいなら壊れない、と思う。たぶん。
そんなこんなでいろいろと話をしていると、扉が軽くノックされた。
エクイテスさんが返事をしながら立ち上がる。扉が開き、高級召使いのひとがメイリルさんを案内して入ってきた。俺も立ち上がった。
ひらひらのドレスで戻ってくるのかと心配したが、普通というか膝丈のワンピースにベルト、そして軽そうな素材の上着、という姿だった。
パステル調とでも言おうか、淡いオレンジ色のワンピースにクリーム色の上着がよく似合っていた。
少し照れたような、それと戸惑ったような様子のメイリルさんに近寄って褒めておこう。
- いいですね、よく似合ってますよ。
「ありがとうございます、タケル様」
笑顔で言うと、安心したのかにっこり微笑んでくれた。ん?、ちょっと頬が赤いな、そういえばこの部屋締め切ってるせいかちょっと暑いよね。少しだけ部屋の温度を下げておこうか。
「他にもご用意したものがございますので、後ほど下でお受け取りをお願い致します」
と、高級召使いさんから耳打ちされていたエクイテスさんが言った。
「あ、あの、そんなに多くは…、その、お金が…」
メイリルさんが焦ったように俺とエクイテスさんを交互に見て言った。
「メイリル様、こちらのタケル先生は、どうにも私どもが恩返しをするのを拒まれるので困っていたのでございます」
と、芝居がかった様子でエクイテスさんが言う。
「そこにお困りの貴女様。どうか私どもにタケル先生へのご恩を少しでもお返しする機会を与えてやっては頂けませんでしょうか」
敷かれた絨毯に片膝をつき、片手を胸に、もう片手を広げてメイリルさんに頭を垂れた。芝居がかってると思ったけど本人大真面目でやってるみたいだ。
メイリルさんの方は困ったようにこっちを見ていた。断るのも面倒が増えそうだし、気の済むようにさせてあげようよという意味で苦笑いしながら頷いておいた。
だって話が進まなくなるじゃん?、しょうがないよね。
「善きように」
「ありがたく承りました」
これで終わったのかと思ったのに、まだエクイテスさんはじっとしている。
メイリルさんも困ったようにこっちを見た。俺は小首を傾げたが、もしかして姿勢を崩すのに許可が必要なんじゃないかなと考えた。
- (立ち上がるのに許可が必要なんじゃないですか?)
「え?、あ、さ、下がってよろしい」
- 下がってもらっちゃ困るので、エクイテスさんもそろそろ戻ってくださいよ。
「そうですな、メイリル様、失礼しました」
「え?、あ、すみません」
たぶんエクイテスさんは王族や貴族向けの言い方を少し混ぜてみたんだろう。メイリルさんがどう対処するかを見たかった、というのもあるんだろうけど、他に人が居る場ではメイリルさんが王族だってことは言えないので、あまりやって欲しくなかったな。
とりあえずメイリルさんの手を軽く引いて、応接セットのほうに誘導して座らせた。
すると、応接セットから近い壁に立てかけられている肖像画に気付いたようで、はっと表情を引き締めた。
- ご存知なんですね。
いろいろぼやかしてそれだけを言うと、ゆっくりとこちらを見た。
「はい、髪の色が違いますが、この肖像画はメイベル王女ですね」
「メイリル様はその本来の色をご存知なのですね」
「はい。メイベル王女の髪色は、私のこの髪と同じ色だったと聞いています」
「なるほど。こちらの本にその記述がございましてね」
そう言ってエクイテスさんはメイベル王女の事が書かれている本をテーブルの上で開き、メイリルさんに見せるように向きを変えた。
「はい、存じております。私の名はそのメイベル王女に肖って付けられましたのですから」
「……タケル先生、こちらの本をお見せしてもよろしいでしょうか?」
エクイテスさんは、メイリルさんにとって衝撃的な内容だということを心配しているようだった。
- メイリルさん、100年前の記録が簡単に書かれた本があるんですが、見ますか?
「……見せてください」
少し考えるように目を閉じ、そして決心したように言った。
「こういう事だったのですね…」
その部分を読みながら、『ソル兄様…、どうして…』と小さく呟き、涙を流したのでポーチからタオルを出して渡すと、それを口元にあてて読み続け、小さく嗚咽を漏らしていたが、少し待つと落ち着いたのか、タオルを膝の上で握り締めてそう言った。
- それでね、メイリルさん。
「はい」
- あっちで事情を少し話しましたけど、あちらで見てもらっている装飾品なんですが、メイリルさんはどうしたいですか?
「ああ、あれらは半ば無理やり持たされたもので、私のものではなく王家の財産ですから、できれば現在の王家に返すのがいいのでしょうけど…」
と言ってから困ったように俺を見た。
「いまになって私が現れるとあちらも困るのではないでしょうか?」
と言われても俺も困る。
エクイテスさんを見たけど、彼はこちらの様子を窺っているようだった。
あ、それで『腹を括りました』か。商人だし、彼に返しに行ってもらえばいいってことだな。でもいいのかなぁ。
- 困るというか、まず信じてもらうのが大変だと思うんですよね…。
「あ、そうですね、私も別に戻りたいとは思っていませんし…、ではどうしましょう?、勝手に持ち出したみたいですし、あっ、盗んだってことになりますよね!?、お咎めがあるのでは…」
はわわ、と膝の上のタオルをまた口元にあてて焦り始めるメイリルさん。
頭の上の虎っぽい耳も少し力をなくしているように見えた。可愛いけどね。
- いやそれは、もう結構な年月が経ってますし、大丈夫でしょう。
「あ、そうでした。何だかつい先日のような気になってしまって…」
それもわかる。気付いたら100年だもんね、関係者もう誰も生きてないだろうし。
- まぁそれで、メイリルさんや僕が持って行ってもまず信用されないでしょうから、エクイテスさんにお願いするのはどうでしょう?、ね、エクイテスさん。
「私どもにお任せ頂けるのですか?」
「あの、それはいくら何でも…」
- 王家の財宝なら目録ぐらいあるはずでしょうから、100年前に紛失した記録がもしあるのなら、それと照会してもらえば本物だとわかると思います。問題はそこまで持っていけるかどうかという事と、入手場所を問われた時にどうするかですね。
「はい、それを先生にお伺いしようと思っていたんですよ、魔砂漠の地下と仰っておられましたが、私の知る限り、魔砂漠に近づくぐらいならともかく、その中や、地下へだなんて生きて戻れる保障がありません」
あー、そういえば今って、精霊さんたちがせっせと魔塵を無力化する作業なのかな、なんか魔砂漠の収束化とか言ってた気がするけど、その作業をしてるんだっけ。
そんなとこに人種がのこのこ近づいてったら作業の邪魔だよね。
俺が出入りした目印のところを教えてもいいけど、あそこからの経路ってだいたい俺がいじくってるからなぁ、アンデッズのための小屋とか風呂とか、階段もか、不気味空間へはトンネルの前後にフタをしておいたけど、あれもあからさまだし…。
エクイテスさんにはどこまで話せばいいのか…、うーん、考えるのも面倒になってきた。
- えーっと、僕が出入りした場所をお教えしてもいいんですが、いろいろと注意事項がありまして…。
「なんと、そのような秘密を教えて頂けるのですか!?」
驚かれた。
- 秘密って程でも…、あ、いや、いいのかな、んー、事情を知っておいてもらったほうがいいかも…。
「先生、信用して頂けるのは望外に嬉しい事ですが、知ってしまってもいい事なのでしょうか…?」
エクイテスさんが俺の呟きを聞いて不安そうな表情になった。
- 先日、このあたりで地震がありませんでした?
「じしん、とは・・・、あ、大地が揺れる事ですね、ありました、ありましたとも。あれには驚きました。いえ話には聞いていたんですが、実際に経験したことは無かったんですよ、うちの者たちも怖がってましたね」
そうだろうね。地震の経験がないと震度2や3でもかなり恐ろしいって思うらしいし。
- あ、どの程度被害がありました?、棚の上のものが落ちたりなどの事ですが。
「そうですね、多少は」
- あの地震、実は魔砂漠の地下で動いていた機械が爆発したのが原因なのだそうですよ。
しらじらしく言ったせいか、隣で大人しくしていたメイリルさんが何か言いたそうに俺を見た。
「そうなのですか、何の機械なのですか?」
- それが魔砂漠を魔砂漠にしていた原因の機械なんだそうです。
「ほう…?」
- その機械が壊れたことで、徐々にですが魔砂漠が小さくなっていくと思います。と言っても今日明日どうなるというものではありませんし、何年何十年というものですが。
「はあ…」
- で、その作業をして下さってるのが精霊さんたちなんですよ。
「はい?、精霊様?、でございますか?」
- まぁ信じて頂けるかどうかはわかりませんが、そうなんです。なので、もし魔砂漠の地下に、僕がお伝えする場所から入り込む場合、あまり奥まで行くと精霊さんたちの作業の邪魔になる可能性があるんですよ。
「……先生」
エクイテスさんは薄く笑みを浮かべている。
これは信じてもらえてなさそうだ。まぁ事が事だし、仕方ないよね、やっぱり。
- はい。
「先生は魔砂漠という場所が、どれほど危険で厄介なのかご存知でしょうか?」
何だか言い聞かせるような口調だ。何となく常識というものを伝えておこうというような雰囲気。
- ええ、まぁ一応は。
「先生はその場所から地下へと入り込まれるようですが、普通は魔砂漠の嵐の中には、人は入れません。まず死にます」
- あっはい、そう聞いています。
「それは地下でも同じなんですよ。王都の魔導師ギルドや錬金術ギルドでは魔砂漠の砂を採取して加工したりもしますが、それは嵐の外の砂です。過去に地下から魔砂漠の下へと入り込もうとした者が居たという記録がありますが、帰って来た者は居ないとあります。ですから、その、精霊様方のお邪魔をすることはありませんよ」
- なるほど、では入り口の場所をお伝えしても、
「はい、私どもは中に入ることはしません。死ねと言っているようなものですから」
- そうだったんですね。一応その入り口は土魔法でフタをしてありますし、通路の壁も固めてありますから、入る事自体が難しいのですが。
「ああ、先生は魔法の達人でしたね。それで先生はどうやってその地下通路から魔砂漠の下へ行かれたのですか?、その、魔法で身を守ってでしょうか?」
これはどう答えたもんだろう。結界で護っていることはあったけど、暑いとか飛んで移動の時以外は結界を張ってなかったしなぁ。でもそういう事にしといた方が良さそうだ。
- そうですね、そんな感じです。
「それは普通の人には真似ができませんから…」
と、まぁ呆れられたりしたが、地図を渡して位置を伝えておいた。
『こんな場所、誰も行きませんよははは』と笑っていたが、地図の正確さに気付いてからは目を皿のようにして地図を隅から隅まで見ていた。
- それ、差し上げますよ?
「何と!?、先生、この地図だけでもひと財産になりますよ!?」
- そうでしょうね、そのへんはお任せします。
広範囲だからね、その地図。光の精霊さんの空中母艦から飛び立ったときに索敵魔法を使ったあと、現在位置と地下に入る目印を探すために作った地図だからね。
砂漠はかなり広いので全体ではなく一部だが、魔砂漠全体は含まれている。
この港町セルミドアだっけ?、の周辺と海岸線、それと俺は名前を知らないし行ったこと無いけど街道や村落か町のいくつかが範囲に入ってる。
ここに来てハツを助けたときに見つけた仮称リザードマンの集落も載ってる。
だいたい300km四方かな、その範囲が白黒の航空写真みたいな感じになってる地図だ。粗いし海がだいぶ入ってしまってるけど。
王都のような大きな町はもっと遠いんだろうね。
「ほ、本当によろしいのですか?」
- ええ。僕はまた作ろうと思えば作れますから。
「……先生は本当に…、いえ、ありがとうございます」
と、彼はテーブルに手をついて深々と頭を下げた。
それから話を戻し、改めてメイリルさんの装飾品を、エクイテスさんが王都に行く時、ついでに王家に返却してもらうように頼み、彼はそれを快諾してくれた。
メイリルさんは傷んでしまった装飾品のことで彼に迷惑が掛かるかも知れないと心配していたが、『そのへんはうまくやりますので、大丈夫ですよ』と言われて少しは安堵したようだった。
そしてエクイテス商会を出るときに、荷下ろし場で大きな木箱1箱分のメイリルさん用の衣類を、またそこでメイリルさんが『多すぎます、困ります…』と嘆いて減らしてもらう事になったが、受け取ってポーチに収納し、魔導師の家まで送って行った。
帰り道は走らずにゆっくり歩いて帰った。
道々、メイリルさんが『こんなにいろいろとしてもらっていいのでしょうか…』と恐縮していたが、気にしないように言っておいた。と言っても気にするんだろうね。
魔導師の家に戻ると、メイリルさんの服装を見て皆が口々に『似合ってる』、『可愛い』と言っていた。ディアナさんたち有翅族5人組だけは、最初は褒めていたが、『ええのう、妾たちの服も新しいのが欲しいのぅ』と、何故か俺のまわりで何度も言うので、前にエクイテス商会でもらった布や針と糸をいくつか出して、『じゃあこれを差し上げますので、自分たちで何とかして下さい』と言ったらすごく喜ばれた。
でも『道具が大きすぎて使いづらい』とも言われた。
そこは仕方ないので諦めて欲しい。
それからハツがやってる魔法の訓練を見たり、おやつにパンケーキというか薄いホットケーキというか、分厚いクレープというか、まぁそんなのを作り、前に火を通すといいと言われた果物をジャムにして塗って食べたり、ひと通り気分転換を兼ねてのんびりとすごした。
夜はリクエストに応えてお刺身を作った。リンちゃんが用意してくれていた調味料の中にわさびに似たものがあったので、それと、俺が知ってる醤油に近い味の醤油で食べた。
皆はわさびを知らないので、用意したのは俺の分だけだったが、ミリィが近寄ってきて『鼻がツンとする匂いがするかな!、何かな!』って俺がつけて食べてるのを真似して食べて涙目になって騒ぎ、でも適量を教えると『これはくせになる味かな!』って言ってわさびを気に入ったようだ。
それからはディアナさんたちもつけて食べていた。
「御主はこんな美味い食べ方を独り占めしおってからに、罪な男ぞな」
なんて言われもしたが、笑顔だったのでからかっただけだろう。
ハツとメイリルさんはわさびはダメっぽかった。もしかしたら獣人族は嗅覚が鋭敏だから合わないのかもね。
途中から帰って来て食事に合流したドゥーンさんは普通にわさび醤油のほうを選んでいた。
食事中、ハツがお刺身にドレッシングをかけていたので間違えたのかなって思って言うと、前に自分で作ったときに美味しかったので、気に入ってるんだってさ。
オリーブオイルとチーズで魚のカルパッチョだっけ、なんかそんな感じの料理になるんだったかな、にんにくとかトリュフとか入れたような、そのへんもう忘れちゃったな。
カルパッチョって元々は牛肉の刺身でやるんだとかチーズ入れるんだとか聞いたことがあるけど、日本だと魚の刺身でチーズなしだったような。ドレッシングだけでもゴマ摺ってカルパッチョって出してたりするし、結構幅広いよね。
まぁ何にせよ、お刺身にマヨつける人も居るらしいので、好きに食べればいいと思う。
食事が終わるとドゥーンさんはそそくさと出かけて行った。
忙しそうだなぁ、アーレナさんも帰って来ないし。
俺はというと、メイリルさんとハツに貝料理の作り方や刺身の切り方を教えてから、俺は上に戻ることを伝えた。
「え?、帰っちゃうんですか?」
- うん、待ってる人が居るんだよ。
「あたしも行くかな!」
話を聞いていたのか、ミリィがすっ飛んできた。
- え?、ミリィ?、それはちょっと、
「ちょっと、何かな?」
- いや、だって、上だよ?、光の精霊さんのとこだし…。
「「光の精霊様……?」」
ハツとメイリルさんは驚いてお互いに見て、またこっちを見た。
「タケルさんは次って言ってたかな、あれはウソだったのかな?」
あー、そういえばそんな事を言ったような…。
しまったな、じゃあしょうがない、連れて行くか。
- わかった、連れて行くよ。
「にっひひー」
と言って俺の左胸のポケットにもぐりこんだ。
「わ、何か居るかな!」
と思ったらすぐに出てきて下のポケットに移動した。
- え?
「内側から押されたかな!」
ああ、動いたのはミリィじゃなくてウィノアさんの首飾りか。
- (ウィノアさん)
窘めるように小声で言ってペチっと服の上から軽く叩いた。
- もう大丈夫。
「でもこっちでいいかな…」
ポケットのフタ(フラップ)を中に押し込んで胸から上を出した状態で言った。
そうだよね、中で立つとちょうどそれぐらいになるよね。
「あ、あの、お兄さん、お風呂は…?」
- え?、ああ、上にあるからそっちで入るよ。あ、こっちのお風呂にお湯を入れろってこと?、それぐらいならするよ?
「え?、あ、うん、お願いします…」
何だろう?、何か…
- あ、石鹸が良くなかった?
「え?、あ、うん…」
「そうじゃ、あの石鹸は髪がぱさつくんじゃ、何とかならんかの?」
そこにディアナさんがすすっと飛んで割り込んできた。
やっぱり光の高級石鹸と比べたらねぇ…、あるかな?、と、ポーチに手を突っ込んで確認。あった。シャンプーとリンスもある。標準タイプだけどまぁそこは俺用なんだろうししょうがない。
しかしうーん…、まぁドゥーンさんの結界で守られてるし、その石鹸と、あとシャンプーとリンスぐらい置いといてもいいかなぁ、でもポンプ式のボトルって、ディアナさんたちだと押せないんじゃないかな。
ちょっとリンスのボトルで試してみるか。
- じゃあディアナさん、ちょっとこっちへ。これをこうやって少し押して手にとってみてもらえます?
流しのところに置いて、お手本を見せる。
「片手で押して、片手で受ければええんじゃな?」
- はい。
「こうかの?、ひゃっ、何じゃこの液体は!?、どろっとしてぬるっとしておるぞ?」
できるのか。じゃあ大丈夫だな。
- あ、それは今は流しちゃって下さい。お水を出しますから。
「ふむ、何やらいい香りじゃが…」
シャンプーのボトルも出して隣に置く。
- こっちの『シャンプー』って書いてるほうで髪を洗って、この『リンス』って書いてるほうを少し手にとって髪に馴染ませてから、洗い流すんです。
「ほう?」
- それで髪がぱさつくのがましになると思います。
「ふむ、実際にやってみんとわからんのう…」
- ハツもわかんない?
「え?、うん…」
どうしたもんか…。
- メイリルさんは?
「その液体で足りるのでしょうか…?」
- あ、えっと、液体の石鹸なんですよ、こっちは。
「液体の石鹸…?」
あ、ダメだこれはわかってもらえてない。
- メイリルさん、ちょっと失礼。
と言って部屋の隅に引っ張って行き、『お風呂、一緒じゃまずいですよね?、やっぱり』と耳打ちをした。驚かれた。そしてみるみる赤くなって顔を手で覆って下を向いた。
そりゃそうだよね。俺もバカな事きいたもんだ。
- あー、すみませんでした。メイリルさんはこれまで髪を洗う時はどうしてたんです?
「石鹸で洗ってから、香油を使っておりました…」
俯いたまま、小声で返答があった。
そっか、香油か。それは考え付かなかったな。あ、そういえばメルさんが前にそんな事を言ってたっけ。
- 香油は持ってないんですよ…、ここでのお風呂って誰かと入ったりは…?
ふるふると首を横にふった。
「メイリルさんには桶にお湯を入れて渡してたんです」
ハツが補足した。
え?、んじゃ体を拭くだけだったってこと?
- そうなんだ?、じゃあお湯いれても入らないってこと?
「えっと、外のお風呂って扉が無いから…」
あー、いやまぁ確かに、扉を作らなかった俺も悪いんだけどさ。
- えっと、お風呂が嫌いってわけじゃ無いよね?
睨まれた。頬がちょっと膨れてらっしゃる。顔が赤いままだ。
- ごめん、もしかして裸を見られるとまずいとか?
また俯いた。小声になったので耳を寄せて聞く。
「し、神殿では入浴もしておりました。同性なら見られても別に…、でも男性に見られてしまうと…、その…」
その?
「こ…、こん…、婚姻しなくてはならないと!」
うぉ、びっくりした。
急に顔をあげて、声をはりあげないで欲しい。
- それって王族のしきたり…、ですか。
「はい…」
困ったな、俺もうメイリルさんの全裸見ちゃってるし、全身洗ったんだけど。
これ、言えないよなぁ…。
「タケルさん、丸裸のこの子を洗ってたかな、キスして胸押してたかな」
そこにポケットから飛び出したミリィが爆弾を投下した。
- だからあれは救命措置なんだってば、息してなかったんだよ、死ぬとこだったんだから。
「は、はだか、洗って、き、キス…、胸を…!?」
うわっ、メイリルさんが崩れ落ちた、急いで支えた。気絶してるし!
「え?、お兄さん、メイリルさんに何したの!?」
「御主も隅に置けぬのー、妾たちの裸も見ておるし触れてもおるしの、これはもうまとめて引き受けてもらわんとのー、あっははは」
- あ、いや、ちょっと、って、メイリルさんってミリィの言葉わかるんだっけ?
「うん、少し解かるって言ってたよ?、ねぇ、お兄さん、裸のメイリルさんを洗ったの?、キスして胸も触ったの?、ねぇ」
ぐったりしたメイリルさんを支えている俺にハツが詰め寄り、ディアナさんたちはきゃっきゃ言って笑い、ミリィはハツの頭上に浮かんで両肘をついて寝転んだ姿勢でニヨニヨと笑っていた。
ど、どうしようこれ。
次話3-031は2020年02月21日(金)の予定です。
20240403:助詞訂正。 俺をエクイテスさんを ⇒ 俺とエクイテスさんを
●今回の登場人物・固有名詞
タケル:
本編の主人公。12人の勇者のひとり。
ハツ:
この3章でタケルが助けた子。可愛い。
表情がころころ変わって可愛い。
まだ両性だしまさに天使。
タケルと一緒にお風呂に入るのが恥ずかしくなってきた。
ミリィ:
食欲種族とタケルが思っている有翅族の娘。
身長20cmほど。
やっとタケルさんについて行けるかな!
メイリルさん:
昔の王女らしい。
王族としての教育はある程度まで受けていないので、
エクイテスの態度には戸惑っていた。
ラスヤータ大陸:
この3章の主な舞台。
ウィノアさん:
水の精霊。ウィノア=アクア#$%&。
『#&%$』の部分はタケルには聞き取れないし発音もできない。
一にして全、全にして一、という特殊な存在。
また出番がなかった。
リンちゃん:
光の精霊。
アリシアの娘。タケルに仕えている。
今回は名前だけの登場。
アリシアさん:
光の精霊の長。
全精霊中最古というような存在。実は凄いひと。
再登場はいつなんだろう。
母艦アールベルク:
光の精霊さんが扱う何隻かある航空母艦のひとつ。
魔砂漠の上空8000mに浮かんでいる。
ドゥーンさん:
大地の精霊。
世界に5人しか居ない大地の精霊のひとり。
ラスヤータ大陸を担当する。
たぶんディアナさんたちの裁縫道具を作らされる。
アーレナさん:
大地の精霊。
ラスヤータ大陸から北西に広範囲にある島嶼を担当する。
魔砂漠正常化作業を地下から手伝っている。
また忙しくて今回登場せず。
メルさん:
ホーラード王国第二王女。ついでに姫騎士。
さらに剣術の達人級。というスーパー王女。
2章から登場した。
今回は名前のみの登場。
ディアナさんたち:
3章008・9話に登場した、有翅族の長老の娘。
と、その仲間たち4人。
ディアナ は 何か を 狙っている。
アンデッズ:
明るいアンデッドを目指す変な集団。
タケル曰く『聖なるアンデッド』。
母艦で個別面接の期間、監視されている。
今回は名前だけの登場。
ミロケヤ王国:
ラスヤータ大陸の北半分以上を占める獣人族の国。
国土が魔砂漠に侵食されているが、
海流のおかげか海産物が豊富で、
工業や産業も結構発展している豊かな国。
王都はゾーヤで、ラスヤータ大陸中央部にある。
エクイテスさん:
港町セルミドアにあるエクイテス商会の経営者。
愛妾ドロシーの病気を治してもらって以来、タケルの事を先生と呼ぶ。
タケルが土魔法で作った食器をたっぷり引き取ってもらった。
メイリルさんが王族であると知っているので大仰な態度を
とってみたようだ。
シェルエ:
商人。ロンダー商会の現経営者人。
美容関係の商品を製造・販売している。
お肌プルツヤに!?
ノリタス:
リビスタス商会の商人。
こちらはあれこれ試すヒマがなくて大変らしい。