2ー102 ~ 逃げる
それからすぐ『あ、今日お風呂最初だった』と言って逃げた。
出てすぐにリンちゃんが、『結界解除の準備は整いましたが、どうしましょう?』って尋ねてきたので、ソファーのところのシオリさんたちに尋ねたら、『明日の朝にしませんか?』と言われた。
確かに外はもう真っ暗だ。
結界があるから音はほとんど聞こえないんだけど、それでも漏れてくる槌や馬車の音があるし、俺の魔力感知は川小屋の結界を多少の減衰はあるが透過できるので、外では拠点構築を急ピッチで進めていることがわかる。
篝火は周囲に燃える物のないところに置かれ、それ以外は魔法道具の明かりがあちこちに設置されていて、結構なコストを掛けてまで急いでいる様子だ。
だからビルドさんなどの偉い立場のひとはまだ起きてるだろうって思って尋ねたんだけどね。
明けて朝食の前。
結界の外は相変わらずの突貫工事模様だ。
リンちゃんは俺を起こして着替えを渡しながら『今日のご予定は?』と尋ねた。
- 今日はシオリさんたちがそこの拠点でビルドさんと話し合いをするって言ってたから、僕の予定は特にないかな。
「そうですか、では朝食後に結界を解除したら里のほうの用事を済ませてきます」
- わかった。リンちゃんまだ忙しそうだね。
と、労うつもりで言ったんだけど…。
「本当はタケルさまのお側を離れたくないんですよ、でも引継ぎがまだ終わらなくて…」
と言って抱きついてきた。
- あ、ごめん、着替え、途中だから。
「あ、すみません」
ここで『何をそんなに引き継ぎすることがあるの?』とか、『何かごめんね』とか言うとたぶん墓穴だろうから、そのまま無言で着替えて寝巻きをリンちゃんが差し出した手に渡してリビングに逃げた。
いつもなら部屋で顔を洗ったりしてからリビングに行くんだけど、脱衣所で顔を洗い、リビングで給水器から水を汲んで座る。ひと口飲んだところでぞろぞろと皆がリビングに集まってきた。
なんだか眠そうだ。
- おはよう、あれ?、寝不足ですか?
「なんか地面からドン、ドン、って音がしてよく眠れなかったよ…」
「何度もそれで起きてしまって…」
- そうだったんですか…。
俺はあまり気にならなかったんだけどね…。
「結界のおかげで音は気にならなかったんですが、地面の振動が気になって…」
「起きている時は気にならないのに、横になると気になりますね…」
うーん、確かに夜間工事なんかだとそういうことあるって聞いたことはあるけど…。
ベッドは同じもののはずだし、寝具だって同じはずなんだけど、何が違うんだろう?
- 今日、結界を解く予定なんですが、それだともし建築工事が今夜も続くようならもっと酷くなりますよ?
「えー…」
「それも含めて朝食後に話をしてきます」
- では朝食後に解除すればいいんですね。行くのはシオリさんとサクラさんですか?
「あ、私も行きます…」
「え?、何でカエデが…?」
「ネリ…、あんたのためでしょうが…」
「あ、えっと、よろしくお願いします」
「よろしい」
ああ、それで昨日3人でソファーのところで話してたのか。
ちなみにピヨは俺が入浴するときに呼んだので、それから彼女らが最後に入浴するときまで話し込んでいたようだ。たぶんカエデさんにいろいろ説明をしたりしていたんだろうね。
たまに忘れるけど、カエデさんって勇者歴30年目のベテランなんだよね。
なのにネリさんが呼び捨てにしたり言い争いしたりするから同じぐらいかと思ってしまうんだけど…、って、ネリさんのせいにするのは良くないか。
とにかくそれでカエデさんもハムラーデルの勇者として、ネリさんに妙な事を言ってきた例の迷惑王子の件をティルラ王国所属の金狼団ビルド騎士団長を直接の窓口として正式に抗議しにいくんだそうだ。
ビルドさんには気の毒な気がするけどねー。
勇者全体の今後に関わる問題でもあるので、『こういう事はハルトのほうが適任なのに…』と言いつつもシオリさんが率先して動いてくれるようで助かった。
俺や当事者のネリさんが行かないのは、まず俺はまだ見習いという立場でしかないってこと、ネリさんについては『こういう場合には当事者が列席しないほうがいい』というのと、同じティルラ所属で立場が上のサクラさんが居るからという理由だそうだ。
確かに、当の迷惑王子がこの拠点に来た場合、その話し合いに出てくる可能性があるし、証拠ってのが無い以上、当事者間で言った言わないの話になると収拾が付かなくなる。言い方によっては不敬だの何だのの問題にも波及しそうだ。それに影の連中を使って報復みたいなことをされるのも面倒だからね。
結界がなくても不穏な連中が川小屋へ入れないのなら、ネリさんには大人しくこの中に居てもらったほうがいい。
そういうわけで、俺もその話し合いが終わるまでは特にすることがないのだが、カエデさんが持ってきた勇者本といういい暇つぶしがあるので、それを読むことにした。
メルさんはどれも読んだ事があるらしくあまりいい顔をしていなかったが、『登場人物の名前に目を瞑ればこれなんかはお勧めかも知れません』と何冊かをより分けてくれた。
カエデさんが並べた本に、シオリさんが(渋々)サインしたのがあったらしく、カエデさんは好きな本だそうだが、シオリさんが『これだけはダメ』と真剣な表情でテーブルから取り上げてしっかり抱きしめたので読ませてはもらえないようだ。
「素晴らしい内容ですのに…『夜空の星が瞬いても、月が――、」
「あーあーあー!、それ以上言ったら燃やしますよ!、この本!」
「わかりました!、言いません!、言いませんから、その…」
「はぁ…、ちゃんとしまっておいて下さい」
「はい」
まぁラブロマンスだとメルさんから昨夜聞いたし、嫌がってるのを読もうとは思わないよ。
ネリさんは薄っすら笑みを浮かべてじーっと見てた。まさか余計なことするんじゃないだろうね?、せっかくサインもらった本なんだから燃やされるような事にならなきゃいいけど。
●○●○●○●
「結界も解除したことですし、少し身体を動かしませんか?」
ちょうど2冊目を読み終えたタイミングで、メルさんが誘ってきた。
本のサイズと重量から勘違いしていたが、羊皮紙だと分厚いし文字も大きめなので内容はそう多くはなかった。
古いものは文字が小さめで文章量が多いらしい。今回カエデさんが持ってきた本でそういうのは全部シオリさんが許可しなかったんだけどね。
本によるらしいが、俺が読んだものには挿絵もあったので本文がそれだけ少なかったというのもある。
それに勇者のことを知ってもらう目的なので、あまり難しい話でもないというのもあって、さくさく読めた。ちょっと長めの童話みたいなもんだ。
それで俺も飽きたというのもあって、メルさんの誘いに乗ることにした。
ネリさんに視線をやると、『居るんでしょ?』と監視の影の連中のことを気にしているようで、外には出たがらなかった。
なので先に俺だけが川小屋の前に出て、索敵魔法でその監視の連中がどうしているかを調べてみることにした。
新拠点の小屋のときのように、屋根の上に居たり壁にへばりついてたらイヤだなと思っていたが、索敵魔法を使うまでもなく、裏の川原のところのテントで2人眠っていて、もう2人がその前の焚き火で魚を焼いていたのが魔力感知でわかった。
でもまぁ一応使って広範囲に調べてみると、中央東9ダンジョンから東にある川のあたりまでトカゲが進軍してるじゃないか!
こりゃあまずい。
ハムラーデルの前線基地まで20kmもないぞ?
川小屋の戸口のところから覗いている2人に、『ちょっと行ってきます!』と言って飛び立った。
2人が小さく、『逃げた?』とか言ったのが聞こえた。
失礼な。
急いで飛んで来ると、上空から見た前線基地は慌しく準備を整えているところだった。
索敵魔法を使ってトカゲ軍の位置を再確認しておく。
本部前に降りて出入りの激しい入り口から何とか中に入ると、作戦台のところに隊長さんが居た。
- 隊長さん!
「あ、タケル様!、川向こうに竜族とジャイアントリザードが群れを成してこちらに向かっていると先ほど斥候が連絡をしてきまして、申し訳ありませんがお相手をしている時間がありません」
- はい、わかってます。なのでそれらを処理してきますので、死体の受け入れをお願いしたいんです。
「は?、処理、ですか?、お言葉ですが報告によると推定300体以上ですよ?」
- はい、竜族の数からすると500は居ますね。大丈夫ですよ、では行ってきますので、よろしくお願いします。
「え?、いや、ちょっ、タケル様…?」
返事を待たずに本部から走り出て、上空へと飛び上がった。
上空で羊皮紙をとりだして地図を作成し、竜族とトカゲの分布を改めて確認する。
もう先頭部分は川を渡り始めてるな、急がないと。
それにしてもまだこれだけ残っていたのか…、と、最後尾には覚えのある魔力が強めで多めの個体が1体いるのに気付いた。例の交渉もどきの時に杖のような棒を持っていたやつだ。
その周囲と空に鳥型の魔物が居る、これも最優先目標だ。
よし、と呟いてトカゲ軍の上空へ移動し、急降下しながらまず14体全ての竜族にポーチから出した鉄弾を撃ち、次に鳥型には石弾を撃ってから急上昇、そこで撃ち漏らしや倒した目標の確認をして気付いた。
杖を持ったあの竜族が居ない。
いや、確かに撃ったはず。
確認したいが撃ち漏らした鳥型が数羽こちらに近づこうと上昇してきているのでそれを移動しながら近づいて撃ち落とした。
竜族のほうは狙いが微妙にズレてかすり傷だった数体がこちらに破壊魔法を撃とうとしているのが見える。というか既に何発か撃ってきた。
そんなの当たらないけどね。
届かない距離まで高度をとってから、鉄弾を数発ずつ撃って落とす。
これで飛べる竜族は全部倒したかな。
改めて索敵魔法を使い、魔力が他より多めの個体を狙って…、お、やっぱり飛べなくても竜族は破壊魔法を撃てるのか、範囲も狭くて弱めだけど撃ってくるのがいた。
それらも鉄弾を使って倒した。
これで残るは普通のトカゲだな。
それまでは整然と、という程でもないにせよ、ある程度揃った足並みで進軍していたのが、竜族や鳥型の魔物を倒した途端蟻の巣を散らしたようにとでも言おうか、蜘蛛の子を散らしたように、って言うんだっけ?、まぁどっちでもいいか、無秩序状態になった。
逃がすわけには行かないので、片っ端から石弾で撃ち抜いていった。
全て倒してから、杖を持っていた竜族の居たあたりに降りた。
周囲の竜族と鳥型の魔物の死体に囲まれたところに、ぽつんと杖だけが落ちていた。
逃げた、という訳じゃ無いだろう、おそらくあいつは竜族の勇者だったってことだ。
だから『我等勇者が』だったんだな。
復活拠点はどこなんだろう?、近くだったらやだな…。
まぁいいや、とにかくこの大量の死体をどうにかしないと。
またハニワ兵を20体ほど作るか。
あ、全部倒したって隊長さんに報告しないとね。
●○●○●○●
隊長さんは本部の前じゃなく、作りかけの防護柵のようなところの前にいた。
あまり高度をとらずに飛んでゆっくりめに移動していると、下で手を振っている人がいたので近づいてみたら隊長さんだった。
- 前に出てきてたんですね、トカゲは全部倒しましたよ。
「はぁ、とても信じられませんが、その、先ほど光の柱が見えたのは…?」
- ああ、それが竜族の破壊魔法です。飛んでいる僕に向けて撃っていたのが見えたんですね。
「何と言いますか、その、すごいですね…」
何がすごいのかよく分からないけど、たぶん隊長さんも何を言えばいいのかわからなくなってるんだろうね。
- ではこれから死体を回収してきますので、あ、良かったらロープを分けてもらえませんか?
「ロープ…、ですか?、少々お待ちを。おい、ロープあるか?」
「防護柵を作るのに使っていたものならありますが、長さはどれぐらい必要ですか?」
「あ、タケル様長さは…?」
- あ、どうせ切って使うので、切れ切れでも構いません。たくさんあると助かるんですが。
「隊長、全部渡されると防護柵が」
「構わんだろう、もう急ぐ必要がないんだから」
「そうですか、おい」
「はい」
大八車って言うんだっけ、あれは2輪だけなのかな、まぁつまり4輪のリヤカーとでも言うのかな、それに載せられていた杭とロープごと、こちらに押して持って来てくれた。
- ありがとうございます。
そのロープの束を持てるだけ貰って行くことにした。
「タケル様、あの死体全部はここだと無理があるので、申し訳ありませんが大岩拠点のほうと、国境防衛拠点のほうに分けて頂けると助かるんですが…」
- あっはい、今回500ちょいですのでハムラーデル分として160体ぐらいですが、どれぐらいまでならここで受け入れてもらえます?
「へ?、あ、うちの分、ですか、そうですね、60体ぐらいでしたらなんとか…」
数値が目減りしたからか、少し落胆したような反応をされた。
- あ、実はまだ引き取ってもらわなくちゃいけない分も、えーっと、今回のと合わせると全部で300ぐらいあるんですよ、大変でしょうけど。
「あ、いえいえ不満なんてこれっぽっちも!、寄付して頂けるんですから!、あ、それでその、お手数ですが拠点に分けて頂きたいなと…」
- はい、こちらとしても、死体を引き取ってもらえるのはありがたいので、あ、急がないと傷みますね、んじゃ行って来ます!
「はい、よろしくお願いします!」
何だかよくわからない微妙な会話だったけど、その場の兵士さんたち全員の敬礼に見送られて死体回収に向かった。
あれ?、10体しか居ないんだけど、他のハニワ兵たちどこいった?
って思ったら、川に流された数体を追いかけて行っていたようだ。
前回と同じように2体のハニワ兵にロープと短剣を渡して、でかいやつには取っ手代わりのロープを結ぶように指示を出す。
他のハニワ兵は俺が到着すると近くのものから順番に持ってきた。
また椅子とテーブル、それと屋根を作ってせっせとポーチに入れる作業の始まりだ。
これ、あとでそこの拠点で60体分引き取ってもらう作業もあるし、昼までに帰れるかなぁ…。
次話2-103は2019年06月19日(水)の予定です。