2ー094 ~ 罪なヤツ
プリンに使われている香料に、例の『火を通すといい香りになる実』や果物の皮から抽出されたものが使われているようで、元の世界のバニラエッセンスとはまた違う、甘くていい香りが複雑に重なってて…、ただでさえ黄色い悪魔だの天使だの言われる プリンというものが、さらにかなりヤバいものになっていた。
この居心地の悪ささえ無ければ、俺も集中して没頭、いや埋没…、何でもいいけど目の前のウィノアさんや、ちゃっかり隣に椅子作ってプリン食べてるリンちゃんと同じように、ひとくち毎に幸せそうな笑顔で……、ってこれ香りがいいだけだよな?、ヤバい成分じゃないんだよな…?
ウィノアさんなんて、最初に『美味しいですわ♪』って言ったっきり、スプーンで上品に少しとって口に運んでは、うっとりとした表情でプリンに集中していらっしゃる。
それを正面から見てるんだけど、正直凄まじい破壊力だ。
現実感の無い淡い水色の半透明な美女が幸せそうな笑顔でプリンを上品に食べている姿、ってのは見る者の時を止めちゃうね。
余談だけど、前に『森の家』の『燻製小屋』っていう生産工場で、その、名前忘れたけど『火を通すといい香りになる実』な、あれの商品開発のときにさ、俺がどういう使い方をしたのか教えて欲しいってせがまれて、思い出しながら手順をメモに書いたものを持ってってたんで、もうそのまま渡して説明したんだよ。
その時に商品開発チーム(笑)で――確か燻製小屋って200名ぐらいいたよな、笑うしかないね――その実の使い方というか配合比率って言うんだっけ、そんなのをあれこれテストして決めたんだそうで、俺にとっては全く不本意なんだけど、『タケル比』なんて言われてるらしいんだよね。
桜の花みたいな香りがする枝の成分も抽出されて、そこに少し含まれているとかなんとか。
それによって香りに幅がでるんだとか、あの商品開発の会議んときに説明があったっけ。
そんでもって、それが『タケッセンス』って名前で、あの『燻製小屋』の隣に工場ができてて作られているって後で聞いた。また『森の家』のところがでっかくなって人数が100人単位で増えてるんだろうか、と思って気が遠くなりそうな気分で『あ、そう…』って返事しちゃったけど、その名前はどうかと思うんだ…、俺。
とにかくその…、名前は言いたくないどころか忘れたいぐらいなんだけどそのエッセンスが使われているプリンな。その香りが顔を上げさせたのか、ふと気付くとメルさんとオルダインさんはウィノアさんのそんな様子に完全に見とれているようで、両膝を地面につけて両手は胸に交差してあてた姿勢のまま、少し口を開いて呼吸すら忘れているかのように固まっていた。
ああうん、幻想的だもんね、今のウィノアさんは特に。
目から水が頬を伝っているように見えるんだけど、さすがにそれは俺の目の錯覚か光の加減のせいだろう。暗視魔法でちょっとした光の反射が増幅されただけだよな?、そう思いたい。
普段からウィノアさんの周囲にはぽわぽわと、シャボン玉じゃないけどそんな感じの淡い光が浮いては消え浮いては消えているって前にも言ったと思うけど、それがさらに現実感を遠ざけているし、ウィノアさんの気分に影響されるのかいつもより増量しまくりだし、見とれてしまうのも仕方ないと思う。
ウィノアさんを見慣れている俺ですら数秒止まったし。
この居心地の悪さというバイアスが掛かっていなければ、見慣れてなければそんなすぐには戻ってこれなかったんじゃないかな。
隣のリンちゃんもプリンをちびちびと、ひとくち毎に幸せそうな笑顔で食べてて、これもなかなかの破壊力があると思う。
ほんと、罪なやつだな、このプリン!
でもこれマジでヤバい成分じゃないよな…?、何だか心配になってきたよ…。
●○●○●○●
「…はぅあ…」
「…ほ、ほぉぉ…」
これ、前者がメルさんで後者がオルダインさんな。
メルさんは口からスプーンを離した位置のまま、オルダインさんはスプーンを持った右手を握り締めたせいでスプーンの柄が少し曲がってしまってる。
それで上体を反らして伸び上がりそうな姿勢で、この声を発したとこ。
元の世界のアニメ作品だったら口から光のビームが出てそうだな。
ウィノアさんが大満足状態で帰ったあと、メルさんに迫られてプリンを出したら、ひとくち目でこうなった。
何度も言ってるけど、顕現してたボディは帰ったけど首飾りに居るんだよ?、だから居なくなったわけじゃないんだよね。でもこれ言うとたぶんめんどくさい事になるから言わないけどさ。
それはそうと、2人ともいくらなんでも大げさだと思う。何だよ『はぅあ』って。まぁメルさんはともかく、いい年した爺さんが何だよ『ほほぉぉ』って。フクロウじゃないんだからさ。曲げちゃったスプーンは取り替えてあげたけど、また曲げちゃいそうだなこれは。
まぁ喜ばれているってことなのはわかるし、いいことなんだろうけど、あまり大げさにリアクションされると逆に冷めるっていうか何というか。
テレビの芸人さんじゃないんだから、そんなの求めてないんだよ。普通でいいんだよ普通で。
そんな2人がふた口目を食べて、今度は『んんんん~~』と音程を上昇させながら目を瞑り、もう片方は鼻から息を大きく吸って、『んん~…』と唸っていた。
そう言えばこの2人って師弟なんだっけ?、そういうリアクションする流派なんだろうか?
なんてアホなことを考えてしまうが、今までメルさんそんなリアクションしなかったよね?
もしかしてオルダインさんと一緒だとそうなるのかな?、まぁどうでもいいか。
あ、またスプーンが少し曲がってるじゃないか…。って、よく見たらメルさんのスプーンも少し曲がってるぞ?
どうしてプリンを食べるのに身体強化する必要があるんだよ…。
あれか?、まさかとは思うけど、視覚強化などと同じように味覚も強化されるのか?
いやいや、強化してどうすんだよ…。
●○●○●○●
例のごとくウィノアさんのせいでひと騒ぎになったが、4B層が城砦型のエリアだということ、竜族が数体でトカゲが数十体いるということがわかった。
竜族だとはっきりしているわけじゃないんだけどね、魔力的にたぶん竜族じゃないかって推測されるのが8体居たってわけだ。
今回の城砦型は、塔のようなものが2つあり、屋根がある部分もちらほらとあるのでそういう部分は索敵魔法でも中まではわからない。外に出ているだけでそれだけの数が感知されただけなので、実際はもう少し多いかも知れないと思う。
こちら側に出てきてオルダインさんが倒した4体はとりあえず回収しておいたが、それらの目的は斥候か連絡かのどちらかだろうという予想だ。
ロスタニア東8ダンジョン入り口からここまでは、トカゲの集団を見つけることは無かったけど、4A層側に進んで行けばもしかすると生き残っているトカゲの集団が存在するかも知れない。
この3層にはあちこちに、水が引いたあとにトカゲが移動したのではないかと思われる足跡がちらほらとあったので、生き残りの存在は判っていた。
でも結構な数が残っているとは思っていなかった。
「まだそんなに居るのですね…」
地図の説明を再開したときにメルさんがそう呟いたが、ダンジョンの規模からするともうそれだけ”しか”残ってない、と言うほうが正しいと思う。
わざわざ見に行くものでもないと思って、死体がごちゃっと溜まっている場所には今回寄ってないので全体的な数を把握しにくかったんだろうと思うけど、俺は地図を作るのに索敵魔法を使ってるから、そうすると岩や瓦礫なのか死体なのかぐらいの区別はついてしまうわけで…。
あまり考えたくないので地図に記してないけどね、実は感知できた分だけでも相当な数なんだよ。埋まってる分とか、ごちゃごちゃしてる分はいちいち何体分なんて数えたりしないからね。
結構手間がかかるけど、本格的に処理をしにきたときに埋めてしまえばいいや、ってね。
何ならトカゲたちを殲滅したあと、リンちゃんと2人でこっそり来て埋める作業だけをしにきてもいいか、なんて思ってる。
とにかくそういう話をしてから、4A層のほうに進んだ。
地図を作ったとき、こちらにはトカゲは居なかったが、一応警戒はしている。
具体的には時々索敵魔法を使いながら移動するだけなんだけどね。
いつものように、4Aから繋がる5層に俺だけが少し入り、また地図を作るべく索敵をしてみた。
そこはまるで丘の斜面を切り取って箱庭にしたかのような地形だった。
天井も斜めになっていて、まるで全体的に斜めに傾けたかのようだ。
一番低い位置は川のように水が流れている。
瓦礫などが川やその周囲に残っていて、川幅が元の幅よりも広がっているような印象がある。
毎回思うんだけど、この水はどこからきてどこに流れてるんだろうね?
やっぱり水のことはウィノアさんに尋ねるべきだよな。
- ウィノアさん、こういう水ってどこからどこに流れてるんです?
『これは地下水脈の一部がこの地下空間に露出して川のようになっているものですよ』
そのまんまやね。
『それとも正確な場所を知りたいのですか?、ふふっ』
何だろう、意味深な笑い方だな。
この5層は斜面にいくつも建造物があり、元はもしかしたら斜面に造られた町だったんじゃないかとすら思える。もちろん、屋根がなかったり壁が崩れていたりする箇所が散見されるので、トカゲたちが作ったものではなさそうだが。
そしてイノシシのほうが多いがトカゲも生き残っていた。
この層を抜けるには、ちらほら巡回しているトカゲに見つからないようにしなくちゃいけないようだ。
- あ、いえちょっと気になっただけなんで。
ウィノアさんは『そうですか』と少し残念そうに言ったが、周囲にあまり遮蔽物もないこんな高低差のあるところで長居するのはまずそうだからね。
- 仮に5層ってことにしてますが、このように結構生き残ってるのがうろついてますので、見つからずに抜けるのは無理があります。
地図を見せながら説明をして、引き返すことを提案した。
「タケル様がそう判断されたのでしたら是非もありませんな」
「そうですね…」
ということで引き返して入り口まで走って戻る事になった。
そして入り口までの長距離走を終え、傾いた日の差す外に出て、前回作っておいた屋根つきのテーブルと椅子のところで休憩をとった。
- 東9のほうも少し調査しておきたいのですが、いいですか?
言いながら、預かっていた『サンダースピア』の鞘をメルさんに渡した。
だってさっきちょっと飛んだとき、槍もったまま腕に飛びついてこられてちょっと怖かったんだよ。
そりゃちゃんと穂先は逆に向けてくれていたけどね。その動作がさ、槍を振ってから飛びついてくるように見えるわけで、わかっていてもやっぱり少しはぎょっとするんだってば。
刃物がずっと露出してる状況ってまだ慣れないんだよなぁ、剣だったら鞘に入ってるのでまだ少しは安心なんだけども。
「はい、まだ時間もありますし、そのお積もりだったのでしょう?」
鞘を取り付けて、肩に太刀打ちの部分を当てて斜めに立てかけるようにして槍を抱えるように持ちなおしたメルさんは、そう言うとテーブルの上のカップを手にひと口お茶を飲んで微笑んだ。
何やらご機嫌だな。何だろう?
遭遇戦があったからかな?、でも倒したのオルダインさんだよな。わからん。
ちらっとオルダインさんを見たが、格好や身体はともかく目を細めて人が良さそうな笑みを浮かべてカップを手に頷いていた。
ずっと怖い顔をされているよりはいいんだけど、これはこれで何を考えているのかわからないところがあるね。まぁ、一国の重鎮なんだし百戦錬磨な人生の大先輩に、俺なんかが敵うわけがないので気にしないでおこう。
ロスタニア東9ダンジョンの1層は、東8と同じように巣部屋がいくつかつながっている構成だったが、ウィノアさんが頑張ってくれたおかげで魔物はほとんど居なかった。
ほとんど、と言うのは2体1組で巡回してるのが3組居たのと、巣部屋のひとつに4体居たからだ。もちろん全部倒して回収した。
そして2層に入って地図を作成したところ、東8側から入って5層と仮に呼ぶことにした層が全く同じだったので、そこで引き返すことにした。
もし全く似ているだけで別のものだったとしても、改めて処理をしに来たときにわかることだし、今のところは同じだとして東8と9が繋がっているという事でいいだろう。そういう調査結果という事にして、殲滅とダンジョン処理には勇者の力が不可欠だという話にもっていけそうだ。
オルダインさんに竜族の危険性も含めて話したところ、両ダンジョンを攻略するには補給や陣地構築などが必須になるため、現在国境付近に遠征して来ている鷹鷲隊と、ティルラ第一・第二国境防衛隊の構成人員のほとんどを動員することになりそうな規模が予想されるらしい。それだけに期間もそれなりに掛かるんだとかで、現状ではすぐには動かせないしその間に魔物たちがまた増えるかも知れない事から、現実的ではないとも話してくれた。
ただ漫然と散らばっているトカゲ・竜族を退治するのではなく、町のような廃墟と、砦のような形の遺跡であることがそれだけの人員が必要だという理由でもあるんだそうだ。
オルダインさんは竜族を見たことがないと前にも言っていたが、ゆえに戦った事があるわけではない。竜族が発する破壊魔法については未知数なので兵士動員数も多めに見積もっているが、俺の話を聞いた限りでは、盾も役に立たないような、それもインターバルが数秒の可能性がありそうな攻撃に曝されるところに、兵を送りたくはないとも言っていた。
当然ながら国の防衛機関である以上は、国境を越えて魔物がやってきたりするような村や街を守る場合には、危険であっても兵士を送る必要がある。
しかし現状、差し当たってすぐに人民への被害があるわけではないのなら、派兵の決定も遅くなりがちなんだと。
で、だからこそフットワークの軽い勇者が調査したり、ひと当て戦って情報を持ち帰るものなんだそうだ。
もし死んでも生き返るから、というのもあるんだろうな…。
厳密には死ぬ直前なんだけど、一般的には死んでも生き返るみたいに思われてるんだからしょうがないね。便利に使われるのだろう。
なんだか勇者見習いのままでいいや、って気分になる話だ。
●○●○●○●
ぎりぎりではあったけど、夕食前に新拠点に戻ってこれた。
新拠点本部に居た兵士さんたちの話では、サクラさんとネリさんは第一防衛拠点に出かけたそうだ。あの王子との味気ない食事に行ったってことだ。ネリさんの嫌がる顔が目に浮かぶようだけど、居ないところを見ると連れて行かれたんだろうね。
小屋には疲れた様子のピヨが居た。
ベッドの上に丸まったタオルがあり、そこにうつ伏せに手足(手じゃないけど)を広げてぐでーっとしていたので病気か!?、と一瞬焦ったが、俺が小屋に入った瞬間、いつもの鎮座スタイルになったので安心した。
「少し寛いでおりました」
とはピヨの弁。
寛いだらああいうポーズになるのか?、と思ったが、やっぱり疲れているのか眉尻が下がって瞼がすこし下がっていたので『そうか』と返すだけにした。
こちらから何があった?、と尋ねるまでもなく、ピヨのほうから『ずっと離してもらえず撫で続けられて散々でした…』と言ってきた。
そういえば我慢して撫でられてやってくれと『スパイダー』の中で言ったんだっけ。
撫でられまくりだったのなら、労うために撫でるのも何だか逆効果だろうと思って抱き上げるのは止め、『大変だったな、ご苦労さま、そこまで我慢しなくてもいいんだよ?』と言ったら、数秒ほど嘴を少し開いたまま目をちゃんと開けて固まっていたが、『も、勿体無いお言葉です!』と言ってベッドの端までととと、と歩いてきて俺を見上げた。
今そこに腰掛けようと思ってたんだけどな…。
そこに、小屋の外でテーブルを作って夕食の用意をし始めていたリンちゃんに、本部のほうから走ってきたメルさんが声をかけたようだ。
「あ、夕食のご用意ができましたとお知らせに来たのですが、こちらでされるのでしょうか…?」
「タケルさまが何も仰らなかったので、こちらでご用意しようかと思っていたのですが…、あ、タケルさま、あちらでご用意してもらう事になっていたんですか?」
- え?、聞いてないけど…?
2人でメルさんを見る。
「あ、あの、『夕食前に戻ります』と言われたのでタケル様もご一緒に食事をされると考えたようですよ?」
そりゃ俺も言い方が良くなかったかも。
- あー、そっか、なるほど。で、どちらでです?
「本部裏の食堂です」
- あ、別に用意したわけじゃないんですね。
「それはそうですよ、私もオルダインも兵たちと同じものを食べます。ですが席は用意されているので、ご一緒してくださいますか?、もちろんリン様も」
まぁ断る理由も無いな。むしろ俺のほうが言い方のせいで手間かけさせちゃったのかも知れないし。
- わかりました。リンちゃん、川魚のフライってたっぷりある?
リンちゃんはエプロンのポケットに手を突っ込んで『んー』と小さく言ったあと、
「はい、充分あります。マヨもたっぷりです」
え、マヨ出していいの?、いいか。
たぶんリンちゃんが食べたいんだろう、にっこにこしてる。可愛い。
メルさんもマヨと聞いて目が輝いたし。
- じゃ、手土産持参で行きましょうか。
「「はい!」」
いい返事だなぁ…。
ベッドサイドのチェストの上に、水の器とプリン、それと小さなスプーンを置いてからメルさんについて本部裏の食堂に行った。
すぐ横というか対面キッチンみたいになっている厨房のところで、『手土産です』と言って大きな鍋を用意してもらい、そこにリンちゃんが川魚のフライをどっさり盛った。
その横に壷をでんと置いて、『フライにかけるソースです、盛り付け方はこのように』と例を示して皿に載せ、4皿分を用意して俺とリンちゃんとメルさん、そしてオルダインさんの分として運んでもらった。
席に着くと、オルダインさんが立ち上がり、『今日は勇者タケル様とメルリアーヴェル様が共に食事をされる。タケル様の計らいで1品増えることとなった、希望者は順に前で受け取るといい、では精霊様に感謝して頂こう!』と、よく通る声で言って、席に着いた。
オルダインさんが座ると、それが合図のようで一斉に食事が始まった。
厨房のほうに並んで川魚のフライを受け取る者、そのままがつがつと食べ始める者、それぞれだったが、なかなか賑賑しい食事風景だった。
久々だな、こういう大食堂での食事って。
さすがは騎士団の食事で、結構量が多かった。
リンちゃんの分は最初からメルさんの分よりもさらに少なめにされていたようだ。
でも俺の分は他と同じぐらいの盛り付けだった。川魚のフライの分、余計に多くなってしまって、少し失敗したかな、なんて思った。
俺の向かいはメルさんで、その隣がオルダインさんだ。2人とも上品な食べ方なんだけど、オルダインさんの食事の早いこと。ひと口のサイズも大きいんだけど、また食べるのが早いんだ。
見回すと他の兵士の皆さんも食べるのが早いようだった。
そういえば軍人は食事が早いほうがいいとか、何かの本で読んだような気がする。
たぶんそういうもんなんだろう。
でも俺はもう少し落ち着いて食べたいかな。雰囲気につられちゃったせいで急いで食べてしまったけど。
この本部食堂は、鷹鷲隊だけというわけでは無いんだそうだ。
今日は、メルさんと俺が居るってことで、鷹鷲隊の一部だけが一緒で、他は時間を少し遅らせて食べるんだそうだ。
それを聞いて、リンちゃんに確認したところ、川魚フライはまだまだたっぷりあるんだそうで、だったらここで食べる人に行き渡るぐらい渡しておくことにした。
厨房に居る料理人たちは鷹鷲隊のひとだけじゃないようで、すごく喜んでいて、マヨの作り方も尋ねられたけど、新鮮な生卵を使うと聞いて肩を落としていた。
そこそこ新鮮なら大丈夫だと思うんだけどね、どれぐらいならいいのか、とか、一晩寝かせるとか、そこらへんの加減はよくわからないって正直に伝えておいたよ。
酢の殺菌効果については、さすが料理人なだけあって経験則として知っているようだった。と同時に新鮮ではない生卵の恐ろしさも理解しているようで、『もし新鮮な卵を入手できる機会があれば試してみることにします』と言っていた。
ちょうど食堂を出たところで、サクラさんが戻って来た。
ネリさんが食事中に気分が優れないということで早めに切り上げて戻って来たんだそうだ。
ならちょうどいいということで、本部の作戦室でサクラさんとオルダインさん、それとメルさんと俺で、今日してきた調査の話をした。
方針としては、最前線で魔物と戦うのに勇者2人が必要だというのを文書にして出すようだ。
そこに調査に同行したオルダインさんとメルさんが署名して、ティルラ側の金狼団のビルド団長に話を通しておけばいいらしい。
俺?、俺は見習いだから署名しても効力がないんだってさ。報告書を提出する義務もまだないんだとか。楽でいいね、見習いって。
というわけで、俺は地図を渡しただけで特に何かあるわけでもないということで、小屋のほうに行くことにした。
●○●○●○●
本部を出て小屋のほうにてくてく歩いて行くと、存在感の薄い怪しいやつが屋根の上と小屋の裏に居る事がわかったが、こういう存在感の薄い人はあの王子との昼食会にもちらほら居たなと思い出したので、護衛か何かなんだろうと思い、気付かないフリをして小屋に入った。
でも一応、盗み聞きをされるのはイヤなのでウィノアさんに教わった魔法瓶結界を小屋の内側に張っておいた。
中に入ると、ベッドに座ってピヨを抱いて壁にもたれているネリさんがゆっくりとこっちを向いた。
「あ…、タケルさん…」
- 具合悪いって聞きましたけど。
「食欲が無くて…」
と言って俯いた。
- そうですか、良かったら何があったのか話してくれませんか?
ネリさんはさっと顔を上げて、口を開きかけたが、また俯いてしまった。
ピヨが助けて欲しそうな目でこっちを見ている。
- ピヨもそうずっと構われ続けるのは可哀相でしょう?
と言って手を出すと、ゆっくりとピヨを差し出したので受け取り、チェストの上の丸めたタオルの横に置いてやった。
「ありがとうございます」
ピヨはそう言ってほっとした表情で水の器から水を飲んでいた。
それに無言で頷いてから、ネリさんの隣に同じように壁にもたれて座った。
え?、こういうのは隣のほうがいいんだよ。理由?、知らないけど向かい側に居るよりいいって教わったんだよ。
- ネリさんなら気付くはずなんですが、外に声が漏れないようにしてるんですよ?
「えっ?、……あ、結界…」
言われてやっと気付いたらしい。
- 屋根の上と裏に、あの王子の護衛っぽいひとが居ましたけど、それと関係あります?
と尋ねると、ネリさんは『うん…』と頷いてから、話し始めた。
余談だけど、その監視の人たちはどうやら斥候系のスキルというか技術を使っているんだろうね。パッシブでもわかるけど、索敵魔法でいつもやっているように小さく魔力の信号を発してから魔力感知するととてもよくわかる。
そこだけ魔力が希薄になっているけど、しっかり存在は感じられるようになるからね。
たぶん、前にリンちゃんが長い詠唱をして試しにやって見せてくれた、魔力を隠蔽する魔法の劣化版だな。
たぶん普通の人からは認識されにくくなるんだろう。
俺からすると、逆に目立っちゃうって言うか、不自然だから逆にどうしても気になってしまうんだけどさ。
ネリさんはそこまではっきりとわかるわけじゃないけれど、何となく見られているような気がするとか、居ないけど何かが居るような気がする、って言ってた。
普通に聞けばただの被害妄想のようなセリフだけど、それらが何となくでも感知できているなら大したもんだと思う。
それでネリさんの話はこういうことだった。
サクラさんが侍従長に呼ばれて打ち合わせ中に、侍従長の手下がネリさんに接触してきたんだと。
当人は『さる高貴なお方がお呼びだ』としか言わなかったらしいけど、王子の周りにいる人だって魔力感知で判別できていたので、特に疑問を抱くことは無かったらしい。
いやその時点でおかしいと疑おうよ…。
それでのこのこついていったら、仮面をつけた王子がでてきたんだってさ。
声もそのままなのに王子の代理だと名乗り、『高貴な血筋をその身に宿せる機会を与えよう』――みたいなことを――と言われたそうだ。
当然そんなの断るわけで、『え、いらない』って即答しちゃったんだってさ。
そしたらその仮面王子代理の態度が豹変しちゃって、宝剣抜いて迫ってきたので障壁を張ったんだってさ。
どっちかというとそれは豹変じゃなくて急変だよね、って思ったけど意味はわかるから言わずにつづきを聞くことにした。(※)
ネリさんの障壁も俺のをマネしてる部分があるらしくなかなか大したもので、メルさんの『サンダースピア』の攻撃を完全に防げるらしい。
あとでメルさんにこっそり聞いたところ、直接攻撃とそれに付随する電撃に耐えられたんだそうだ。そりゃ大したもんだ、って言ったらメルさんが『地面を伝う電撃の余波は防げなくて少しビリビリ痺れていましたが…』と苦笑いしていた。
『完全に』というのは本人の弁だが、オチがあるのがいかにもネリさんのエピソードらしいよね。
それでも多少は加減していただろう達人クラスが扱う国宝の槍を防いで、追加攻撃も防御できていたのなら障壁としては充分実用レベルだってことだ。
そこまでネリさんがしっかりと障壁を張ったかはわからないが、咄嗟に出るものは一番練習をしたものだから、おそらくそのレベルの障壁を張ったんだと思う。
俺も咄嗟に障壁を張るときは自分が一番訓練をしたレベルの障壁を張っているからね。
とにかくそんな、メルさんでも攻撃が直接は通らないような障壁を、その王子代理(笑)がどうにかできるわけもなく、『な、何だこの壁は!、おい!、何とかしろ!』と手下を呼んで殴ったり攻撃したりしてたらしい。
そのうちネリさんもだんだんと落ち着いてきて、余裕がでたせいで『アンタなんかに破れるもんか!』ってつい笑いながら言っちゃったんだってさ。
それを聞いた王子代理の手下たちが動きを一瞬だけ止めてさらに苛烈に障壁に攻撃をし始めたが、王子代理が手を横にしてそれを止め、『いいのか?、あまり逆らうようだとお前やサクラの所属契約がどうなるかわからないぞ?』と。
ネリさんもそんなヤツの国と契約し続けたくないって思ったようで、つい、『やれるもんならやってみれば?』って障壁がある余裕からそんな事を言ってしまった。
それに対して王子代理は鼻で笑うように腕を組み、尊大な態度で『ふん、経歴に傷が付くというのがどういう事になるのか分かっていないようだな。勇者ジローがどうして僻地に派遣されているのか、勇者ハルとナツがどうして消息を絶ったのか知らんと見える』と言い、返答に窮していると、『まぁいい、数日待ってやる。よく考えてみるんだな』と言って手下を連れて部屋から出て行ったんだそうな。
ジローさんは何とかの塔っていうところに派遣されてるって前に聞いたっけ。
ハルさんとナツさんについては初耳だな。
ちょっと気になるけど今それを気にしてる場合じゃ無い。
そしてひとりだけ残った部下が、『お前は常に監視されている。もしこのことを他人に漏らしたら…、わかるな?』と脅してから去って行ったんだそうだ。
あの不自然な連中は護衛じゃなくて監視だったのか。
妙に厳重な警備だなとか、怪しすぎるとは思ったけども。
排除しなくてよかったよ…。あの王子との昼食会に行ってなかったら知らずに排除してたところだった。
小屋の裏はまだしも、屋根の上ってのはいくら警備でもマナー悪いんじゃないか、って文句言ってやろうかってちょっと考えたし。
ネリさんはそれらの事を、『怖かったよ…』と何度も挟みつつ、時折鼻をずずぅ~ってすすりながら言ってたんで、つい小さい子にするように『そうかそうか、よく頑張ったな』などと言いながら頭を撫でてたらそのうち抱きついてきた。
そこでその大きさから『あ、これネリさんだった…』って思い出したけどもう遅い。
涙や鼻水がつくんだろうなー、仕方ないなーって、もう子供をあやすようなもんだと諦めた。
いやほら子供らが集まってるとさ、やれ玩具を取られただの、髪引っ張っていじめられただの、滑り台の順番を抜かされただのと、いろいろあるんだよ。
くだらない事で、って思うけど、当人にとってはそれは重要なことだったりするので余程酷い我侭や自己中心的なものでない限りはちゃんと話を聞いて慰めてやらないといけないんだ、って教わった。
- 何でもっと早く言ってくれなかったんです?
「だって…、『スパイダー』の中はオルダインさんも居たし、外は監視されてるっぽかったし…」
ネリさんの話では、他言するのにも釘を刺されていたのでサクラさんにも言えなくて、でも心配かけたくないから努めて明るく振舞ってたけど、やっぱり食事中のねっとり体を嘗め回されるような視線には耐えられなくて食欲も無くなるし、そういうのを思い出してこれからもそんな食事の時間が続くって思ったら、体の力が抜けてしまったんだってさ。
その割には昼食会では残さず食べてたような気が…。
いや、突っ込まないけどさ。無理にでも詰め込んで飲み込んでいたのかも知れないし。
あ、でも耐えられなくなったから夕食のときは早めに戻って来たんだっけ。
とにかく今まさに小屋の裏にいるやつが、壁にコップみたいな魔道具をあてて中の音を聞こうとしてるもんね。
いや、魔道具じゃなさそうだ。ただの筒か?、ローテクだな。まぁいいけど。
この小屋は、最初はリンちゃんが土魔法で作ったんだけどさ、周囲の建造物っていうか本部とか兵士さんの天幕とかとあまりにも見栄えが合わないので、外側の表面に板を貼り付けてあるんだよね。ただの板壁に見えるけど、内側は土魔法が定着した石壁ってことだ。
それに今はさらに魔法瓶みたいな結界を張ってるもんね。
だからそんな筒を当てたところで中の音は聞こえないと思うけど、もしかしたらそういう技とか能力があるかも知れないね。
でももし聞こえていたら、ネリさんの話からすると、2人のうちどちらかが何か行動を起こしているはずだから、そういう技能があっても聞こえてないってことだろう。
今も中の音を必死で探ろうとしてる様子が魔力感知でわかるし、お仕事ご苦労さまだね。
- それで、どうしたらいいんでしょうね?
正直なところ、俺に権力があるわけじゃないしティルラ王国に知り合いなんて居ないしどうしようもない。
メルさんに相談したところで、国が違うので外交的な話になっちゃいそうだ。よくわからないけど。
「何とかならない…、かな?」
- なりませんね。
「そんなぁ…」
- と言われても、僕は勇者の所属とかそういうの詳しくないですし…。
「……」
そんな、泣きそうな目で胸元から見上げられても…。
ってかそろそろ離れてくれませんかね。
あ、いいタイミング。
- ちょうどサクラさんが来たので相談してみませんか?
サクラさんが入り口の外で、立ち止まったところだった。
ネリさんをそっと剥がしてベッドから降り、結界を解除して入り口まで行って布を右手で寄せる。
- あ、サクラさんおかえりなさい。
そう言いながら口元に左手の人差し指を立てる。
サクラさんが無言で中に入ったのを見て、もう一度結界を張り直す。
- もう喋って大丈夫ですよ。
「結界に気付いて、どうしようかと思いましたよ」
といって少し微笑んだが、泣き腫らした顔をしているネリさんの様子に気付いたのか表情を引き締めて続ける。
「何があったんです?」
- かくかくしかじかで…。
と、ネリさんの状況を説明した。
「そんなことがあったんですか…。ティルラ王と王太子は分別のある方々ですので、あの王子が何を言ったところでどうにもできませんよ、と言いたいところですが、今回国境防衛の調査に来ているというところが不安要素ですね…」
- 勇者の所属って、やめたりできないんですか?
「所属をやめるというのは聞いたことありません。…一応、勇者はどこかの国に所属して活動をすることになっているのですが…、それは勇者の活動費用を国が負担したり毎月支援金を提供するということから、そういう形になったと聞いています」
- 他の国に所属を変更したりは?
「所属は各国の状況と軍事力の均衡状態などで決まるらしく、勇者の勝手にはできないようで…」
- 軍事バランスというのは魔物侵略地域に接している国とかそういう意味で、ですか?
「はい、そう聞いています」
- だったら現状、ティルラは2人必要なんだから遠くに派遣するとかできないんじゃないですか?
ハムラーデルにも2人、ティルラも2人。ロスタニアはカズさんってひとが勇者の宿で寝てるけど2人か。そういえばアリースオムだったっけかにも2人いるんだっけ。
「ええ、そうなんですが…、その、今は国境防衛が切迫していませんし…、2人が前線から戻れるほど余裕があることが知られてしまいましたので…」
う、俺のせいか…?
「あ!、タケルさんは悪くありませんよ!、おかげで国境は安全になりましたし、魔物は来なくなりましたし地図だって正確ですし!」
あ、顔に出てたらしい。
急いで取り繕うように言ってくれるのはいいけど、迫って来ないでね。
- あっはい、大丈夫ですって。
自分でも何が大丈夫かわからんが、抑えて抑えて、という意味で両手をむけて下がってもらった。
でも国境防衛の手が空いたというか、忙しくなくなったから、本来なら配置を変えられることなんてないはずが、あの王子率いる調査隊の報告次第では可能性がでてきた、ってことなんだろうね、サクラさんの言わんとしてることって。
それで安全になったってことをアピールするために、余裕のあるところを見せたせいでもある、と。
うーん、だいたい俺のせいでもあるな、うん。悪いことをしたわけじゃ無いけどね。
- 命令に従わないとどうなるんです?、まぁ勝手に所属をやめちゃうってことですが。
「それは……」
- お金がもらえなくなる?
「はい。場合によっては騎士団を差し向けられたりするかも知れません」
- そこまでしますかね?
「わかりませんが、あの王子ですし…、あ、そう言えば第二防衛拠点を担っていた星輝団は第二王子配下の騎士団だったような…」
- ああ、そういう後ろ盾が居たからあんな山賊みたいな集団が騎士団やれてたんですか。
「山賊って…」
「だいたい合ってると思う」
お、ネリさんすこし元気がでてきたかな。
やっぱり話すと楽になるもんだね。
それで、配下の悪さが露呈して解体したマイナスを挽回する意味でも今回調査団を率いて点数稼ぎをしに来た、ということなのかな。まぁそんなのどうでもいいけど。
- お金って、今もらってませんよね?
「そうですけど、商業ギルドの口座に振り込まれているんです。食事や装備などの費用は騎士団が出していますが、それはあとで差し引かれています」
へー、そういうシステムなんだ。
- 僕の分はどうなってるんですか?
「タケルさんは見習いなのでホーラード王国所属と見なされます。支援金の支給はありませんが、もし騎士団から何か支給を受けたり、食事などをするとホーラードのほうに請求が行くはずですよ」
- あの王子の昼食会は…?
「それを請求して来ることはさすがに無いかと。そこまで恥知らずではないと思いますよ」
それもそうか。でもかなり恥知らずなことをネリさんに言ってきてるよな。
いや、話を戻そう。
- とりあえず現状お金なくても生活できてますし、無視していいんじゃないですかね?
「え?、でもそれだと武具の手入れなどが騎士団にしてもらえなくなったり…」
- ティルラ王と王太子は分別のある方々なんでしょ?、だったら無視でいいと思いますよ。
「でももし…」
- そうなったらそうなった時に考えればいいじゃないですか。
「そんないい加減な…」
「(小声で)そうなったらタケルさんに責任とってもらって養ってもらおうかな…」
「ちょっとネリ!」
「あ、聞こえちゃった…?」
- 構いませんよ?
「タケルさん!」 「タケルさまっ!」
「え、えええ!?」
- だって現状、養ってるようなもんじゃないですか。そう思わない?、リンちゃん。
「…そう言われてみればそうですね。いっそ立場がはっきりしますね」
「あ、あの、そう言われると川小屋で生活しづらくなるのですが…」
- ああ、生活費を支払えなんて言いませんって。今まで通りでいいんですよ。
俺だってリンちゃんに生活費払ってないもんな。養われてるようなもんだ。
一旦顔を見合わせるサクラさんとネリさん。
「それでその、無視するとなると私だけが呼ばれて行くことに…?」
- そのために最前線で魔物退治するのにお二人が必要だってことにするわけですよね?
「あ…」
- だいたい報告はもう終わってるのに何で居座ってるんですか?、あの王子様。
「それは…、わかりません…」
- だったらもう理不尽な命令なんて聞かなくてもいいじゃないですか。お二人ともティルラの国民ってわけじゃないんですし。
「でも報告義務が…」
- 報告するのは騎士団の、えっと…
「ビルド団長ですか」
- そう、そのビルドさんにすれば義務は果たせるんですから。さっきオルダインさんから依頼書は預かったんですよね?、サクラさん。
「え?、あ、はい」
- んじゃそれをさっさとビルドさんに届けてきてください。それでここに戻ってくださいね。
「今、ですか?」
- だって明日はダンジョン処理に出るんですから、今渡してこないと。
「わかりました、すぐ行ってきます!」
サクラさんが出るのに合わせて結界を解いて、また張った。
まぁ不安に思うのもわからなくは無いけどね。
でもさ、話を聞いてるとお金がもらえなくなるかも知れない、騎士団を差し向けられるかも知れない、僻地に飛ばされるかも知れない、と、そんなのばっかりなんだよね。
そりゃさ、元の世界に置き換えたら、給与がもらえなければすぐ生活が立ち行かなくなるし、無実なのに警察に追われるようになったら怖いよね。
だけどここは元の世界じゃないし、勇者の給与がもらえなくなっても生活が立ち行かなくなるわけじゃ無い。騎士団を差し向けられたところで、逃げられないわけじゃ無い。
それも、あの王子が本当にそんなことができるなら、という仮定の話なんだよ。
む、まだネリさんが不安そうに見てるな。
- 不安ですか?
「…うん、監視されてるし、襲われたらって思うと…」
- 襲われそうになったんでしょ?、どうにかされました?
「それは…、障壁魔法覚えてたから…」
- どうにもできなかったんでしょ?、だったら大丈夫じゃないですか?
寝込みを襲われたりしないようには考えないといけないけどね。
「…あたしのお金も…」
- 現状、お金なくてもなんとかなってるじゃないですか。それに商業ギルドってティルラに所属してるわけじゃないでしょ?、だったらどうにもできませんよ。新たに振り込まれなくなるかも知れないっていうだけです。
「そうだけど…」
- 監視なんて大したことありませんし、簡単に振り切れますよ、それとも闇に葬れば安心ですか?
「え、タケルさん過激…」
- 極端な話ですが、そういう方法もあるってことですよ。ネリさんだってもうそれだけの力があるはずですよ。心理的に抵抗があるのもわかりますけど、理不尽に襲われたら抵抗しないと。魔物と同じじゃないですか。
「そうだけど…」
- そりゃ相手が人間なんだから手加減はしますよ?、でも手加減する余裕がない状況だってありえるんですからね、移動中に盗賊に襲われたら、やっぱり無力化しないとこちらが危険なわけですから、そこに手加減する余裕があるかどうかって話でしょ?
「う、うん…」
- とりあえず障壁張るとか、土壁で遮るとか、その間に逃げていいんじゃないでしょうか。
「うん、わかった、ありがとう、タケルさん」
そう言って微笑んだいい場面なのに、ネリさんのお腹がぐぅぅと鳴った。
「あ、これはその!、ちょっと安心したらお腹空いてきたかなーって…」
せっかく聞こえないフリしてたのに、どうして自分から言うかな…?
- ここは台所がないので、出来合いのものしか出せませんけど、何か食べたいものあります?
「何かそこに乗ってるコップからいい匂いがしてて気になってたんだけど…」
- ああ、ピヨの夕食に出したプリンですよ。
「ぷ、プリン!?、あるの!?」
すごい食いつきだな、さすがプリン様。どうどう、その勢いでこっち来ないで。
- り、リンちゃん、出してあげて。
「はい、どうぞ」
「わぁぁ♪、プリンだ!、食べていいんだよね!?、いいんだよね!?」
そこで食べちゃダメとか言うと暴れそうなので頷く。
「はわ~…」
ひと口食べて幸せそうな顔。
いや、確かに美味しかったよ?、香りもいいしさ。
でもそこまでの反応をするようなもんなのか?
俺が淡白なのか?、それとも皆がおかしいのか?、うーん…。
これさ、慰めるだの話を聞くだのの前にプリン与えてやればもっとスムーズに話が終わったんじゃないか…?
(作者注釈)
『豹変』は、故事成語の「君子豹変、小人革面。(君子は豹変し、小人は面を革む)」からの言葉です。
本来ならその意味から、「人物が過ちを認めて心から態度を改める」場合に使われる表現ですが、どうも悪いほうに転じる表現に使われることが多いようです。
本作のその部分でも、とても君子とは言えない人物の態度が急に変わって襲ってきた、という意味で使われていますが、これは作中の登場人物であるネリにとっては、『豹のように襲ってきた』イメージでそう表現したのでしょう。
豹変の『豹』の字はそういう意味ではなく豹の斑紋についての表現ですので、猛獣的なイメージからの勘違いなのかも知れませんね。
次話2-95は2019年04月24日(水)の予定です。
20190419:文言を訂正。
(訂正前)つられて急いで食べたけど。
(訂正後)雰囲気につられちゃったせいで急いで食べてしまったけど。