2ー085 ~ 祭壇と蒸しパン
サクラさんから訂正いっぱいされて何度か書き直した報告書を、ティルラからきた連絡隊に渡そうとしたら、新拠点のほうに用事があるから直接もっていくぞと言われ、結局サクラさんについて走っていったのが今朝。
だったら連絡隊関係ないじゃん!って思ったけど、それに気付いたときには走ってたのでもう遅い。
それで新拠点で報告書を提出して、サクラさんの用事とやらでティルラ第一防衛拠点へとまた走り、そこで手続きがどうとかでしばらく待たされ、ようやく終わってまた走って川小屋へと戻ったらお昼近くになってた。
- あー、お腹すいたー、ただいまー!
外に『小型スパイダー』が停めてあったから、タケルさんたちはもう帰ってきてるってこと。
なら、ご飯の用意もできてるはず!、って、シオリさんとメルさんからお風呂あがりのような香りがする。
あたしも汗かいちゃったし、お風呂にしようかな。
「おかえりなさい、ネリ様、サクラ様」
「ただいま戻りました」
「あら、おかえり。早かったのね」
- 汗流してきまーす。
あたしは足を止めずに言いながら脱衣所へ入った。
着替えはバスローブを着るつもり。だってお風呂あがってすぐだとバスローブのほうが気持ちいいんだもん。それに湯上りにバスローブで寛ぎながら冷たい物を飲むってすごく贅沢な気分になるよね、少しだけそういう気分を味わってから普段着に着替えればいい。
元の世界ではそういうのしたことがなくて、バスローブなんて手触りのいいものはお小遣いじゃ買えなかったし、映画やテレビで見て憧れてたのよねー。リン様がここに用意してくれてるバスローブは厚手だけどふんわり軽くて柔らかいのが幸せ。
あ、修学旅行で浴衣なら経験があるけど、あれは何か違うし…、それにノーブラで着てたら叱られたっけ。上に一枚羽織ってたのに。
そう言えば浴衣ってお祭りの時に着てる子がいたなー、お正月の振袖も。ちょっと羨ましかったっけ。『何であたしには無いの?』ってきいたら『七五三のとき着せたら重いだの苦しいだの動きづらいだの文句言ったから』無いらしい。そんな事言ったっけ?、覚えてないんだけど。
「それで姉さん、ご許可は頂けたんですか?」
「ええ。快諾、ではありませんでしたが奥の鉢植えがある場所にならと」
リビングから声が少し聞こえてきた。
なんだろ、『ご許可』?、『鉢植え』?、あたしが温水洗浄便座をお願いしたときみたいに、また新しい設備が増えるのかな?
「なるほど、あそこなら天窓からの光がいい感じでしょうね」
「ええ。ですから鉢植えがあったのでしょう」
「先ほどシオリ様と設えましたが、とてもよい光の加減でしたね」
「そうですね、素晴らしい場所でしたね」
祭壇って聞こえたけどまた宗教の話かな。触らぬなんとかになんだっけ?、とにかく関わらない方針。
「では私も…」
浴室に入ったので聞こえなくなった。
しかし昼間からこうしてふんだんにお湯が使えるのはすごく贅沢だと思う。
いつの間にかシャワーもついてるし、浴槽の壁側には富士山みたいな山の絵があって笑ってしまう。
この世界に来てずっとまともなお風呂に入れなくて、絞った布で拭いたりしてた。髪だってきれいに洗えなくて、お湯と櫛で汚れを落としてから香油でごまかしてまとめていたし、それが当たり前だからずっと我慢というか諦めてた。
それがタケルさんと一緒に居るようになって、毎日お風呂に入れてシャンプーで頭も洗えてもう最高!、って思ってたけど、ここまで贅沢なお風呂になると笑うしかない。
あ、ちゃんとあたし用に黄色いラベルのシャンプーとリンスを脱衣所から持ってきてるよ。
そうそう、でも欠点もあるよ。桶が土魔法製だから身体強化しないと重くて持てないっていうのがね。ふちに一応取っ手みたいなのがついてるんだけど、最初は土鍋か!?って思ったよ。あはは。
木製のじゃダメなのかなぁ、騎士団のとこで木製の桶、見かけるんだけど。
手早く髪をタオルでまとめて湯船に行こうとしたらサクラさんが入ってきた。
「相変わらず洗うのが早いな」
- あたしはそんなに長くないもん。それにメルさんのほうが早いよ?
「そういえばそうか。私ももう少し短くするか…」
- え?、切っちゃうんですか?
もったいない。
こないだミドリさん、だっけ?、に整えてもらってからサクラさんの黒髪の美しさはもうすごいの。触らせてもらったけど、しっかり芯があって存在感もあって重さもあるのに軽い手触りでさらっさらなのよねー。あたしの髪って細くて完全なストレートじゃないからすっごく羨ましいって思ってる。
サクラさんは、前は首の後ろで1つか2つに布でまとめられていたけど、最近は何もしていない事もあるのよね。それだけ纏わり付かなくなったってことなのかな。
「切る機会が無かっただけで、別に伸ばしていたわけではないからな…」
- そうだったんですかー…。あー……。
返事をしながら湯船に入った。
そう言えばあたしもそうだった。切る機会がなかっただけで伸ばそうと思っていたわけじゃない。
この世界に来たときって、肩ぐらいまでしか無かったっけ。校則のせいもあって。
何度かうっとうしくて鋏で適当に切ったこともあったけどね。どうせポニテにするんだし、って。
見回すと、奥の壁際に鉢植えが並んでて、その端のところに精霊像が置いてあった。
青系統の布に金糸で縁取りがされた飾りが豪華。シオリさんが来てから外の泉のところにある祭壇も飾りが豪華になった気がする。
- あ、さっき言ってた祭壇ってあれかぁ…。
「そうだぞ、ネリも拝んでおくといい」
別に返事を求めて言ったわけじゃないのに、サクラさんが言った。
- えー…。
「えーじゃない。お前だってイアルタン教徒なんだろう?」
小さく言ったつもりなのに、お風呂場って声が響くせいで聞こえちゃったみたい。
- そういうの強制されないって聞いたから入ったのにー。
「これほど身近に精霊様のお力を感じられる所は他にないというのに…」
サクラさんは髪を洗いながら溜め息をついた。ちょっと器用かも。
- それはそうですけどー…。
魔力感知の訓練のせいじゃないかなー、って思ったけど言うと叱られそう。
「…強制はしないがな、せめてご光臨されたときぐらいは手を引かずとも跪くぐらいは信者なら当然だと思うぞ?」
- はぁい…、ところであの像ですけど、
「ん?」
- 全然似てませんね。
「…ネーリー?」
- あ、ごめんなさい!、あたしもう上がりますね!
いつも思ってた事だから、つい言っちゃった。でも皆そう思ってるはず!、だってタケルさんと居るとアクア様本人を何度も見るし、像と全然違うじゃんって思うんだもんしょうがないよ!
と思いながら脱衣所へ逃げた。
ちゃっちゃとバスタオルで拭いてからバスローブを着て、髪を乾かした。
ところでこのドライヤー、便利だなー、欲しいかも。
電気のコードがないのがすごくいい。あれいつも邪魔だったのよねー、何でか捩れるし絡まるし。
これって電気じゃなくて魔力で動いてるのよね、すごいなー。静かだし。中にファンがあるわけじゃないのかな。
感知でわかったけど風魔法っぽい。魔力の電池みたいなのがあるのかな?
あ、ドライヤーを置くとこで充電するみたい。充電じゃなくて充魔?かな?
よく出来てるなー、
鏡の端に映ってる、座り心地の良さそうな椅子が置いてあるのが気になったんだけど、いつの間にこんなのが…?、何ていうか、バスローブでワイングラス片手に座ると絵になりそうなそういう椅子。
ふっふふ、早速座ってやろうじゃないの。
ワインやワイングラスはたぶん入ってないと思うけど、こないだ知った冷蔵庫、これどうみても普通の戸棚なんだけどなー、とにかく開けてみるとやっぱり豆乳しか入ってなかった。
何で?
扉のところ1列きれいに空いてるから、そこに豆乳以外のものが入ってたのかも…?
お昼ごはんの前に豆乳はちょっと…、って思ったけどリビングまで取りに行くのも何だし、ガラス瓶のフタをぱかっとあけて、ストローっぽいものをさして飲みながらその椅子に座ってみた。
あー…、これ座り心地いいかもー、何だか偉くなった気分。ふふふ。
背もたれが倒れたりしないのかな、リクライニング、って言うんだっけ。
椅子の横とか探してみると、肘掛けの外側にリモコンがぶら下がっていた。
おお、さすが。すごい。書いてある文字はわからないけど、絵と矢印のボタンだから何となくわかる。
背もたれを動かしてちょうどいい姿勢にできた。すごい。
へー、何コレ、足?、おー、高さ?、おー、すごいすごい。
え?、マッサージチェアだったの!?、おお、って、あ、ちょっと待って!、あ、リモコンが!、え!?、あの、待って!、動けないんだけど!、リモコン落としちゃったんだけど!
わぁぁん!
「……何をやってるんだ?」
終わるまで待つしかないと諦めていたらサクラさんが浴室から出てきた。
- 動けないの。
「そうか。マッサージ付きの椅子なのか?」
バスローブの裾ごと脹脛の部分が固定されていて、揉み解されていて気持ちはいいことはいいんだけど、足が動かせない。
肘掛けに腕を置いたらそれも包まれてしまって揉み解されてしまった。そのせいで手に持っていたリモコンを落としちゃった。
- うん…。
いつの間にかシートベルトのように腰が固定されていて、背中や肩と腰を揉み解す物体が椅子の中をぐりぐりと移動してるのがとても気持ちいいんだけど、そのせいでバスローブの胸元がだいぶ広がっちゃってて、ちょっと恥ずかしい。
「もしかして、あまり気持ちよくないのか?」
- ううん、気持ちいい。
「あまり気持ち良さそうには見えないんだが…」
- リモコン、落としちゃって、止められないの…。できれば、助けて…。
「あっははは、ネリらしいというか何と言うか…」
サクラさんはバスタオル姿で笑いながらリモコンを拾ってくれた。
- 笑うなんてひどいぃ…。
「すまんすまん、それでこれはどれを押せば止まるんだ?、これか?」
こういう時ってお約束として強くなったりするものだけど、そうはならずにマッサージは止まったみたい。
- 止まったみたい…。
「その拘束は外れないのか?」
- わかんない。結構しっかり包まれてるし、腰はベルトで固定されてるから…。
「ボタンが点滅しているんだが、どうすればいいんだ?、これは」
- 見せてください。
「ん、ほれ。ここから下の部分が全部点滅してるだろう?」
- わ、ほんとだ。えーっと…。
「読めるのか?」
- 読めませんー、さっきどれを押したんですか?
「右下の、これだな」
- じゃあそれをもう一度押してみてもらえます?
「わかった」
するとまた動き出した。
- あっ、動き出しました!、押してください!
「ふむ…、これはリン様に相談しないとわからんぞ?」
- えー、それまでこのままなんですかぁ?
「仕方ないだろう、勝手にあれこれ弄るからだ」
- うぅぅ…。
「リン様は出かけられているそうだし…、そうだ、タケルさんにきいてみるか…」
- え!?、この格好をタケルさんに見られるのはちょっと…。
「バスタオルをかけてやるから」
- うぅ…、わかりました。
「とりあえず私が着替えてからな」
そしてタケルさんに聞いてきてもらい、肘掛けのところに停止ボタンがあるのでそれを押せば解除されるとわかった。
すっかり湯冷めしちゃったし、お腹はすいたままだし、さんざんだった。
お昼ごはんはピザだった。
サクラさんが、『マッサージチェアであんな情けない顔をするのはネリぐらいだろう』と言って皆がわらっていた。
そのせいでやけ食いみたいにぱくぱく食べた。
途中からピヨちゃんも来て、タケルさんが作ったちいさいピザを美味しそうに食べてた。食べるごとにピヨピヨ言っててめっちゃ可愛いかった。
それでみんながひとくちサイズのを注文し始めたのであたしも頼んじゃった。
それも変わってて美味しかったのでぱくぱく食べた。
食べ過ぎちゃったかも…。
●○●○●○●
昼食の用意をしてから、皆がそろうまで少し部屋で横になった。
シオリさんとメルさんには、あとは焼くだけなので、皆が揃ったら起こしてくださいと言っておいたんだが…。
まさか脱衣所に置かれていたマッサージチェアのことで起こされるとは思わなかった。
昨晩、リンちゃんが置いて『タケルさまのご意見を伺いたいということですので、明日にでも一度使ってみてもらえますか?』と、説明書を渡されたものだ。
そもそも俺は例のウィノアマッサージがあるので、いや、あるって言っちゃダメかもしれないけど、いつも風呂に入るたびにしてもらってるので、マッサージチェアに魅力を感じないんだよね。
でもまぁ、意見が聞きたいってことだから夜にでも一度使ってみるかと思っては居たんだが、まさか昼間から使う人が居るとは思わなくて、説明書を俺の部屋に置いたままにしてたのがまずかった。
サクラさんから話をきいて脱衣所に行こうとしたら、ネリさんの格好が裸に近いらしく、なら、停止開放ボタンの場所だけ伝えればいいと判断した。
あとで聞いたらバスローブだったらしい、裸に近いっちゃ近いか。
聞いただけだが、おそらく全身揉み解しコースを選択してスタートボタンを押したっぽい。
設定をしてからスタートになるはずだし、リモコンには表示窓があって図示されていたはずなんだが…、適当にボタンを押してもそうはならないと思う。
そういうところはさすがネリさんだと思った。
あ、昼食はピザね。
リンちゃんが出かける前に生地を寝かせてくれていたので、俺は具を用意するだけで済んだ。
焼くのは皆が揃ってからでいいからね。
それで起こしてもらってすぐ焼き始めて、どんどん焼いて、俺も焼きながら食べて、という昼食だった。
食事中は和気藹々で楽しい食事だったが、食後にロスタニア東8ダンジョンの話がでて、1層の地図を広げて説明をしたとき、『それでタケルさんがすごく疲れた顔してるんですね』と、また言われてしまった。
やっぱり魔力を消耗しているのって、皆も魔力感知の訓練をしているから敏感にわかっちゃうんだろうな…、気をつけないと。
と思ったら、どうやら魔力感知の訓練で、個人判別や位置を探るのに俺やリンちゃんがわかりやすいからと、いつも俺かリンちゃんを感知することに集中していたせいで、俺の魔力の強さなどを覚えてしまっているからこうして消耗したことがわかりやすいんだとさ。
まぁそれだけ訓練の成果がでてるってことで、喜ばしいんだろうけど、なんか複雑だな。
というわけで、俺は今日は大人しく休養してくださいと皆から念を押して言われてしまった。
でも昼食のピザ、石窯で焼いてんの俺だったんだけど…。
ピヨは昼食直前に戻ってきたので、ちっちゃいピザというか、ちいさい生地にチーズ乗せたものとか、そういうピヨ用ひとくちサイズのものを作ってやったら、皆からもそういうのが欲しいと言われて、仕方なくせっせと作りまくった。
最初は火加減がよくわからなくて、少し焦げたクッキーみたいになっちゃったのもあったけど、これはこれで美味しいとか言われたんで助かった。
あ、前も言ったかも知れないが、『チーズ』って言ってるけど牛乳じゃないからね。光の精霊さんとこで作ってる植物性のものと動物性のもののブレンドらしい。
当然ながらいくつも種類がある。『豆乳』だって大豆じゃなくて似てる別のものだし、動物だって似てるけど別の生き物だ。それと、精霊さんや人種それぞれ別の呼び名があるんだけど、俺たちは似てるからという理由で『チーズ』や『豆乳』って呼んでる。
リンちゃんももうそれに慣れてくれてて、できるだけ俺に合わせてくれるのがありがたい。
何でも、光の精霊さんにもその呼び名が広まってるってのがちょっと怖いんだが、事後報告されたのでもうどうしようもない。
どうしようもないと言えば、『スパイダー』もそうで、元の意味は『蜘蛛』なんだけど、ああ、開発チームのひとはその意味まで知ってるよ、でもね…。
もう『多脚型』の乗り物は全部『スパイダー』って名前になっちゃったらしい。
だからこないだの試作品4号はどうみてもムカデなのに『スパイダー』って呼ばれてたわけ。足の数にこだわりなんて無いらしい。何だかなぁ…。
リンちゃんに聞いたんだけど、この世界の『蜘蛛』って足が8本とは限らないんだとか。
んじゃ『蜘蛛』の定義って何なの?、って尋ねたら、『糸を使って獲物を取る虫は全部蜘蛛ですよ』との事。ついでに言うと、お尻(あれは腹部なんだが)からじゃなく口から糸を吐くタイプも蜘蛛に分類されているらしい。
元の世界みたいに遺伝子などで分類されているわけじゃないもんなぁ、そういうことならもう何でもいいか、って思った。
話を戻すが、ダンジョンのほうは明日様子を見に行ってから、ということになった。
夜まで大人しくしてろってことなので、んじゃシチューのような煮込み料理でも作るかな、なんて台所でずっと煮込みをしていたんだけど、昼食のピザ生地がたくさん余ってたので、ふと、肉まんというか小籠包みたいにして包んで蒸せばいいんじゃね?、って思ったんでそうすることにした。
蒸す料理をするならついでに蒸しパンもいいなーって思って、そう言えば集会所の子供らと一緒に小籠包も蒸しパンも作ったことあったなー、懐かしいなーなんて思いつつせっせと作った。
そうしてると甘い香りが漂いまくったせいか、午後3時過ぎに皆が台所に殺到して蒸しパンをおやつだと言ってどんどん食べていくんだもんなぁ、ポーチに保管するためにもかなり量を作っていたんだけど、ほとんど皆の腹に収まっていた。
「この蜂蜜のものが素晴らしいです♪」
「こっちの柑橘系の香りをつけたものもいいですよ?」
「私はこのプレーンタイプですか?、これが好きです」
「姉さんそれクッキーに使われている香料が入ってますよ」
「そうなの?、プレーンってさっきタケル様が仰ってましたけど…」
「あ、そうでしたか」
「この、さつま芋っぽいのもおいしー♪」
「芋なのですか?」
「わかんないけど、元の世界のさつま芋と似てるから…」
「なるほど、確かにこれも美味しいです♪」
「これは…、お茶のような香りが…」
「タケルさん種類作りすぎー」
「どれも美味しくて困りますね」
だからね、この機会にあとで食べるためにたっぷり作ってるんだってば。
ポーチに入れておけばいつでもできたてほやほやだからね。魔法の袋があると定番ってやつだ。
それを作る端からもってっちゃったのはキミタチだよね?
「これは小籠包ですね、具はシチューのようですが、これも美味しいですね」
「甘いものばかりじゃないのがまた憎らしいわ」
「わ、おいしー!」
「このようなものまで…」
あれ?、間違えて渡しちゃったっぽい。それ今日の晩御飯用なんだけど…、今更返せとは言えないからもうしょうがないか。
それにしても食べすぎじゃね?、って思ったが、女性が甘いものを欲しがるのを妨げるとろくなことにならないのは分かっているので、言われるまま渡してしまった。
案の定、あとで食べ過ぎたと苦しんでいたけど、俺は悪くないよな?
●○●○●○●
やっぱり晩御飯の時間になっても、皆は食欲がないとか言っていた。
そりゃあれだけ食べればね…。
そんで俺とピヨだけの晩御飯になった。
皆は外で剣振ってるっぽいよ。カロリー消費するんだとか言ってた。
食べてるとリンちゃんが帰ってきて、『また新しい料理ですか!?』なんて喜色満面で食べてたけど、ちゃんと元の世界の料理だよって念を押しておいた。
一応、パンの中に具を入れて焼く惣菜パンは存在するし、それを揚げたものもあるようで、それほど目新しいというわけじゃ無さそうだ。
蒸すという料理法だって、あるわけだからね。
食事中に『小型スパイダー』の使用感についてきかれたので、中に居ると索敵魔法が使えないことや、慣性でレバーの前後を動かしてしまいそうになるってこと、あとはリンちゃんも言ってた地図を取り込めればいいな、ってことを話した。
リンちゃんは『すぐに改善できそうなのは地図を取り込むことぐらいでしょうか…』と言っていたが、現状でも特に困るわけではないし、改善案として言ったんじゃないからあまり気にしなくていいよ、と宥めておいた。
そして食後に、『少し出かけてきます』と言ってまた転移していった。
直前に、モモさんに連絡を取っていたので、たぶん『森の家』だろう。
もしかしたらポーチの蒸しパンや小籠包の件だろうか…、既存の料理にもあるって言ってたんだから考え過ぎかな…?
リンちゃんが出かけたあと、お茶をちびちび飲みながらピヨと話をした。
昼間泳ぎながらやってたのはやっぱり魔法の訓練だったようだ。
ずっと泳いでいたわけじゃなく、飛びながらでも同じように土球と水球をくるくる回しながら魔力制御をしたりと、なかなかハードなことをやっていたらしい。
「だいぶコツも掴めてきましたので、長時間飛べるようになってきたんですよ!」
なんて嬉しそうに言っていた。
見かけは鳥だもんな。ヒヨコだけど。
この世界ではどうなのか知らないが、元の世界の感覚では、普通はニワトリのヒナというかヒヨコは飛べない。
翼に生えてる羽が飛べるものじゃないからね。
実際、ピヨの手というか翼を見ても、飛べる羽は生えてない。
でも魔法があるので、空力じゃなく魔力で飛んでるわけなんだが…。
まぁ竜族だってあの体のサイズからすれば小さすぎる翼で飛んでたもんなぁ…。
飛んでたのを見たのは1度だけなんだけどさ。
それもすぐ撃ち落としたので、浮き上がっただけしか見てないけどね。
どれぐらいの速度で飛べるんだろうね、竜族って。
あ、そか、似たような飛行方式なんだからピヨのを参考にすればいいのか。
- ピヨはどれぐらいの速度で飛べるの?
「そ、速度でございますか?、それがその、恥ずかしながら速度の単位を存じませんし、自分がどれぐらいの速度なのか、今まで気にしたことがありません…、申し訳ございません!」
あ、またテーブルの上で土下座…なんだろうか?、翼をひろげてべたっと…なってないけど、雰囲気はたぶん土下座なんだろうな、これ。
- 謝らなくていいよ、んじゃ今日はもう外が暗いから、明日の朝にでも一緒に飛んでみようか。
「は、はい!、…タケル様は空を飛べるのでありますか?」
ピヨはがばっと起きて勢いよく返事をしたが、はたと止まって首をかしげながら言った。
表情もそれに伴って嬉しそうから疑問っぽく。何だろうこのアニメキャラ。可愛いけど。
- ああうん、ピヨとは飛び方が違うけどね、空中を移動するという点では同じかな。
「そうでございましたか!、ではタケル様と空のデートができるのですね!、楽しみです!」
デートって…、どこで覚えてくるんだろうそんな単語。
嬉しそうだから訂正するのはやめておこう。
何せ言ってからテーブルから飛び立ち、俺の部屋へ飛んでいったからね。
皆はまだ外で剣振ってるっぽいし、そんじゃ俺は先に風呂に入るかな。
浴室に入ったら、奥の端のほうにちゃっかりウィノア像が設置されてた。
そういえば祭壇を置かせて欲しいとか言ってたような気がする。
適当に返事しちゃったしなぁ、だってリンちゃんには承諾もらったって言ってたし。
これのことだったのか…。
『リン様は、「奥の鉢植えのところになら置いても構いませんが、タケルさまに許可を頂いてください」と言っていたので、リン様が承諾をしたわけではありませんよ』
と、ウィノアさんが俺の背中を流しながら言った。
- 別に不満なわけじゃないですよ。ちょっと驚いただけですって。ウィノアさんはどう思います?
一応尋ねてみた。
外にもあるのに、ここにも置くのか、とちょっと気になったんでね。
どうせ気にしないんだろうけど。
『人種がどこで祈ろうが私には関係のないことですよ』
ほらね。
- ですよね。でもそれを彼女らに言わないで下さいよ?
『はい。タケル様がそう仰るのであれば』
にっこり微笑むウィノアさん。
そうですよね。それすら精霊さんからすればどうでもいいことだろうし。
●○●○●○●
一応、祭壇を設置するのには国の認可が必要だ。
この場所はロスタニアでもティルラでもないので、複数の国からの認可証が必要になるのだ。
ロスタニアの認可証だけが祭壇にあると、そこがロスタニア領だと勘違いする者がいる。
無用な争いを起こさないためにも、ティルラ王国の認可証も必要になるというわけである。
もちろん川小屋の隣にある通称『精霊の泉』にも複数の認可証がある。
余談だが、認可証は2種類ある。まず木札で、これは認可した国が保管するものだ。発行時の控えとして羊皮紙もあるが、それは認可証ではない。
もうひと種類はキーホルダーのような小さな木の台に金属製のプレートがついているものだ。これは2つあり、ひとつは精霊像の首からかけたり、祈る手から提げたり、祭壇の柱にかけられていたりする。残るひとつはその祭壇または祠の管理者が保管するためのものだ。たいていは扉の鍵に、キーホルダーのように使用されているようだ。
これは、たいていの管理者は教会の責任者を兼ねるし、その地域にある複数の祭壇を管理することになるので、どこの鍵なのかがわかりやすいように複製していたものを最初から対にして作り交付するようになったからである。
その『精霊の泉』はティルラ側の認可証と、ハムラーデルの認可証があり、今ではロスタニアの認可証まであるが、それぞれティルラのはサクラが、ハムラーデルのはハルトが、ロスタニアのはシオリがそれぞれ対となる認可証を持っている。
別に鍵があるわけでもないので、ただ保管しているというだけであるが。
さらに余談だが、『森の家』の庭にあるこれも通称『聖なる泉』の祭壇、ここにはホーラード王国の認可証が精霊像の手にかけられている。これの対となる認可証はメルリアーヴェル王女がもっていたりする。
最初は『森の家』の管理者であるモモにそれを渡そうとしたらしいが、モモはホーラード王国に所属しているわけではないし、そもそも精霊たちは人の決めたそのようなものに全く興味がないので、言葉巧みに断ったようだ。
同様に、川小屋の『精霊の泉』の認可証も、リンはそのようなものに全く興味はないし、リンからすればウィノアが勝手に作った泉を、なぜ自分が管理しなくてはならないのかと思うのも不思議はなかろう。なので『タケルさまにお尋ねしてください』と逃げたようだ。
そこでタケルに申し出たそうだが、タケルはどこの国にも所属していないし、そもそもイアルタン教ではない。
タケルは、『ウィノアさんが作ったんだからウィノアさんが管理者では?』と言ったが、それを聞いたサクラの複雑な心境は推して余りある。幸いかどうかわからないが、即座に『泉は私が作ったものですが祭壇については黙認しているだけですよ。それに自分を祀る祭壇を人種の枠組みで管理するのもおかしな話でしょう?』と首飾りからウィノアが答えたので、タケルが『なるほど、それもそうですね』と同意したためサクラが管理者ということになった。
風呂場の祭壇も、そういった経緯から認可証の発行元に所属する者がそれぞれ管理者ということになるのだろう。
次話2-86は2019年02月20日(水)の予定です。