2ー062 ~ 髪
「タケルさま?、髪がぬれたままですよ?」
食事の用意ができている食卓じゃなく、リビングのソファーにぐでーっと座ると、エプロンのポケットから大きめのタオルを取り出しながらリンちゃんが近寄ってきて、そのまま髪を拭いてくれた。
室内に姿の見えないネリさんは、外で熱心に訓練してるっぽいのが魔力感知でわかった。
シオリさんが作った石壁はまだそのまま置いてあるようで、そこに石弾ぶつけてるようだ。
やりたかったのなら、一緒にやればよかったのに。
そんなにシオリさんと一緒がイヤなのかなぁ…。
お?、今の結構いい感じで撃ててるじゃないか。
風魔法のコツがわかってきたからかな?、リンちゃんが里から戻るまでの1時間ほどで、だいぶ上達してたもんな。
おお、今の音速超えたんじゃないかな、戸口のとこからもパーンって音が聞こえたし。
あ、びっくりしたらしい。挙動不審になってる。あはは。
ネリさんは、魔法への余計な先入観もなくて、根が素直だから覚えた通りにやるし、注意力は散漫だけど集中力はある。矛盾してるようだけど実際そうなんだよ。
シオリさんは魔法が使えていたのだから話は別だけど、先輩勇者たちもメルさんも、武力だと勘違いしていただけで、程度こそ差はあれど魔力を扱ってはいたんだよね。
その中でネリさんは、こう言っては何だけど、最も魔力の扱いが未熟だった。それを思えばあれだけ使えるようになってるってことは素直に評価したいし、頑張ってると思う。
勇者補正とか差し引いても上達の早さからして、もしかしたら風属性の適性があるのかもしれないね。
本人には言わないけどさ。
髪のほうはだいたい乾いたっぽい。
ドライヤーの魔道具まで使ってくれてた。
何気に便利なんだよね、これ。コンセントのコードなんて付いてないから、ねじれることも絡まることもないしさ。
うちのドライヤーもそうで、親父がそういうのスゲー嫌がる性格だからいつも洗面台んとこでブツブツ文句言ってたっけ。だからうちのは気にするほどねじれたりはしてなかったよ。
でも他所ん家のドライヤーを見たときは驚いた。え?、何コレ?、って感じ。
たまたま同じ店で同じのを買ったんだろう、同じ型だったから余計にね。ドライヤー本体は同じでも、コードだけが異次元の影響でもあったのか?、ってぐらいねじれまくってた。使いづらくないのかな?
うちの親父がどれだけ頑張ってたかをそのとき理解したね。
それにしても何でドライヤーのコードって、あんなにねじれるんだろうね…?
ま、どうでもいいけどさ。
- ありがとう、脱衣所でのんびりできなかったんだよ。
「今日はお疲れの様子でしたし、できればごゆっくりして頂きたかったのですよ…。
でもお風呂の順番がどうとかで3人が行ってしまいまして、お止めしたのですが、水の精霊様がどうとか言ってまして、なんだか非常に止めづらいと言いますか、決心が固そうな雰囲気でしたので…、それにウィノアが一緒ですし、妙なことにはならないだろうと…、申し訳ありません…」
なるほど…、確かに妙な事にはなりようがないね。あれは。
妙な事にはなったけどね!
ウィノアさんのマッサージのせいにするわけじゃないけど、気持ち良過ぎなんだよな。
油断して眠ってしまった俺も悪いしさ。
- リンちゃんが悪いわけじゃないよ。のんびり入りたいときは最後に入るようにするよ。
「仰せのままに。ところでタケルさま、だいぶ髪が伸びましたね」
そうなんだよなー、実は前髪とか後ろとか鬱陶しくなってきたと思ってたとこなんだよ。
いざとなったら自分で、とか思ってたけど、前や横はともかく後ろなんて切れないしな。
- うん、髪を切ってくれるお店なんてどこにあるか知らないしさ、こんなとこにあるわけないし、どうしようって思ってたんだよ。
防衛隊の拠点にはあったんだよ、髪切ってくれる場所がさ。
でも、超短髪というか角刈りとか丸刈りの長いのと短いのしか、店から出てこないんだよ、それも短時間でw、頭皮が見えない髪形が選べないって感じ。
だから、これはヤバい、って回れ右したよ。
そこまで短いのはちょっとなぁ……。
そういや超短髪以外の騎士の人って見たことが…、あ、ティルラ国境第二拠点にいた盗賊団、じゃなくて星輝団の何ていう名前か忘れたけど団長とその部下たちが髪長かったわ。短いのもいたけど。
でもオシャレな感じなのは団長だけだったような気がする。他は不精で伸びてるだけのようなのな。今は俺も他人のこと言えないんだけどさ。
「それならミドリさんに頼みましょうか?」
- え?、ミドリさんそういう技能あるの?
「はい、美容師の資格を持っているはずですよ」
へー、意外、とまでは思わないけれど、ミドリさんってそういえば何かふんわりした髪型で何となくおしゃれなイメージあるもんな。なるほど、って感じで納得だわ。
でも別にオシャレな髪型とか考えてないぜ?、だってセットとかできないし、毎日やれる自信がない。いいんだよふつーで。
- なら、お願いしてもいいかな。連絡してみてもらえる?
「はい、喜んで」
何かまたどっかの居酒屋みたいな返事。
もしかして流行ってんのかな?、光の精霊さんとこで。
これぐらいの軽さならまぁいいか。『謹んで』とか『御意』とか『承りました』とか『畏まりました』などの固いのよりは断然いい。
リンちゃんはいつもの電話のジェスチャーで、相手はモモさんかな?、今回は俺にも聞き取れる言葉で喋ってる。
「タケルさま、F{=J<YS4%=2@は…、あ、髪を波状にしたり染色したりもできるそうですが、どう致しましょう?」
ああ、パーマのことかな?、あてた事ないしなぁ…。
- 普通に切ってくれるだけでいいよ?
「わかりました。いらないそうです。はい、はい、え?、今からですか?、そろそろ夕飯なので、ええ、はい、え?、善は急げですか?、え?、明日の朝いちで?、それならまぁ、そうですね、はい、わかりました、ではそれでよろしくお願いします」
朝いち?、今からよりはいいけどさ、前のめりだなぁ、ミドリさん。
なんかもうちょっとのんびりしてそうな雰囲気だと思ったんだけど。
「明日の朝いちで来るそうです」
- え?、僕が行くんじゃなく、来るの?
出張美容師か。
「はい。ミドリさんもモモさんも楽しみだと言ってました」
- え?、モモさんも?
「あ、ミドリさんはまだ転移免許がないので…」
え?!、転移魔法って免許制だったの!?、マジか…、んじゃ俺あん時無免許で使ってたってことか?
俺が顔色を変えたのがわかったのか、
「あ、タケルさまは光の精霊ではないので免許は関係ありません」
と、慌てて言った。
「でもあたしかモモさんの許可が下りるまでは転移しちゃダメですよ?」
- あっはい、それは重々。
「なのでモモさんが一緒に来るそうです」
- なるほど。
「どなたかお客様が来られるんですか?」
と、そこにサクラさんとメルさんが脱衣所から出てきた。
- あっはい、僕の髪を切ってもらおうと思いまして。
メルさんならモモさんたちと面識があるよな、と思ったんだけど、あ、ネリさんを呼びに行ったのか。
もう晩御飯はできてるんだけど、今日はいろいろ段取りが合わないな。
風呂でのんびりしすぎて居眠りした俺のせいだけど。
おっと、まずい映像を思い出すところだった。危ない危ない。
サクラさんは普通にしてるけど、そういうもんなのか?
ちょっと俺はついさっきのことだから、直視しづらいんだけど。
「伸ばされてるのでは無かったんですね…」
と、俺の頭に少しだけ視線を留めて、入ってきたメルさんとネリさんに視線を移した。
ん?、少し顔が赤いような…?、風呂あがりだからだな、うん。
俺もあまり見ないようにしよう。
脱衣所からシオリさんも出てきたようだ。入れ替わりにネリさんが入った。
テーブルのほうの席についた3人に合わせてか、リンちゃんが冷たい飲み物を配った。
あ、これ前にウィノアさんが食べてた果物の香りだな、果汁を炭酸水で割ったのか。
そいや炭酸ってこの世界で初だな。あったのか。
シオリさんも普通に飲んでるな、ロスタニアにもあるのかな、炭酸水。
メルさんも別に驚いたりしてないところを見ると、そう珍しいものでもないのか。
「冷たくて美味しいわ、この氷も魔法なのかしら?」
「たぶんそうだと思います」
「こんなに濃い泡生水は初めてですが、爽やかな味付けで素晴らしいですね」
「ロスタニアにも泡生水はありますがこれほどのものは…、はっ、これも魔法で作ったのでしょうか?」
へー、泡生水って言うのかこっちでは。
なるほど、それとこっちのはあまり強い炭酸じゃないっぽいな。
「(小声で)里から送ってもらった食料にあったんです。果汁を加えてシロップで味を調えました、いかがですか?、タケルさま」
- ん?、ああ、ちょうどいい甘さで美味しいよ?
「そうですか、それは良かったです」
ソファでぐでっと座ってる俺の隣にいつの間にか座ってたリンちゃん。うん。素直ないい笑顔。こういうのが癒されるんだよ、こういうのでいいんだよ。頭なでとこう。よしよし。
それはそうと炭酸水を作る工程って、光の精霊さんだったら魔法でも科学でもどっちでもありそうだ。別にどうでもいいよ、美味しければ。
「わかりません、でも久しぶりの炭酸飲料で懐かしいです」
「サクラはどこで飲んだの?」
「あ、元の世界でです」
「そうなの…、私の時にはこういうのは無かったわ…」(※)
へー、無かったのか…。日本じゃ普及が遅かったのかも知れないな。
欧米だと結構昔からあったような気がしたけど。そこまで詳しくないからわからん。
「あの…、『タンサン』とは?」
「あ、泡生水って言うのでしたね、つい懐かしくて。元の世界では炭酸飲料って言ったんです」
「そうなのですか、勉強になります」
こっちの世界って、科学的なことってあまり進んでないからなぁ、炭酸って言葉がないんだろうな、だからメルさんに意味が伝わってないと思う。
まぁ、名称的なもんとして伝わるだけでいいさ。
だって説明すんの大変だし。
「それにしてもこのグラスといいお風呂の設備といい、とんでもなく贅沢な暮らしよね?」
「そ、そうですね…」
「あ、それは常々思ってました。王宮でもこれほどの贅を凝らした生活ではありませんでしたし」
「そうですよね!?、サクラあなたずっとこんな暮らしをしてたの!?」
「あ、いえ、はい、えっと…、それは…」
あ、またサクラさんが問い詰められてる。
でもメルさんのほうが、森の家からずっとなんだし、サクラさんより長くこんな生活やってるのに、しれっとすまし顔でシオリさんの追求から逃れてる。
これも王女スキルなんだろうか…?、おそるべし。
あまり苛められてるのも何だからそろそろ助け舟を出すか…。
- あー、すみません僕の生活がこんななので、つき合わせてしまったようで…。
「あっ!、いえ、け、決してタケル様のせいではなく…!」
シオリさんが焦りまくってる。片手を口元に、もう片方をパタパタと。
ちょっとイヤミっぽい言い方しすぎたかな?
- でもこういうのってもう戻れないので、慣れてくださいとしか…、ははは。
「そ、そうですね、が、頑張ります!」
そうか、頑張るのか。あ、目線でサクラさんを問い詰めてる雰囲気。
サクラのせいでタケルさんに注意されたじゃないの、私のせいですか!?、みたいな感じか?、音声を補足するならだけども。
「はー、お待たせです。お腹すいたー、あれ?、どうしたんですか?」
脱衣所からネリさんがタオル片手に出てきた。って、バスローブ?、あるのは知ってたけど使ってるの初めて見たよ?
「え?、別に…、って、その格好は…!?」
「いやー、着替え持って入るの忘れちゃったんで、代わりに着てみたんですけど、いいですね、これ。着心地最高です」
いい笑顔で言ってるけど、皆の視線と雰囲気を感じたのか、笑顔が固まり、少し見回して、
「……ダメ?、かな…?」
「ダメじゃないけど、それで夕食の席につくつもり?」
「ですよねー、着替えてきます!」
走ってった。
急ぐのはいい。でも、もうちょっと気をつけて欲しい。
俺のところを通る時に、少しはだけた部分から見えてはいけないものがいろいろ見えたような気がしたけど、俺は何も見ていない。見ていないったら見ていません、何も見てないし見えてないんだからリンちゃんその手を離して……。
●○●○●○●
「お久しぶりですタケル様」
「おはようございます、タケル様」
- あっはい。おはようございます。
すみませんわざわざ来て頂いて。
モモさんいつも美味しいデザートをありがとうございます。
「いえいえ、喜んで頂けているようで何よりですよ」
翌朝、モモさんとミドリさんがやってきた。
2人ともゆったりとした衣装。夏服か?、そしてにこにこと笑顔でお辞儀。
朝から眼福です。何がとか言わないよ、おーっとリンちゃん何でもないですよー?、どうしたのかなー?、目が半眼になってますよー?
ああそうそう、言ってなかったけど俺の部屋の隣がリンちゃんの部屋で、他の皆と違ってふた間続きの部屋っていうか、いつの間にかカーテンの向こうがリンちゃんの部屋だったというか、ある日起きたらそうなってた。
もう今更、部屋の構造や配置が起きたら変わってたりするのには驚かないよ。いや驚くけどそういうもんなんだって慣れた。
んでリンちゃん側のほうに、転移マーカーの石板があって、『今から転移します』ってリンちゃんに連絡が来たので、2人で並んで待ってたってわけ。
- で、どこで切ってもらえばいいのかな?、リンちゃん。
「はい、脱衣所に洗髪台がありますので、そこでお願いします」
それで俺の部屋から移動。
リビングには何故か全員揃ってた。
「お久しぶりですモモ様、ミドリ様」
「あらメル様、おはようございます」
「おはようございます」
と、メルさんが挨拶をして、紹介が始まった。
軽い紹介と挨拶だけで、それほど待つこともなく、俺とミドリさんだけ脱衣所へ入る。
脱衣所の床にはシートが何枚か敷かれていた。
至れり尽くせりだなー、ここなら鏡もあるし、ってこんな椅子あったっけ?
「さすがはリン様です、充分な設備ですね」
ミドリさんが笑顔で言いながら、脱衣所の中央のテーブルの上に鞄を置いて櫛やハサミなどを並べた。
へー、本格的だな、そりゃそうか。
精霊さんもハサミとか普通に、ってそういえばリンちゃんが持ってた裁縫道具も、元の世界のとそう変わらなかったっけ。そういうもんなのかもしれないな。
何か魔法とか駆使してしゅばーってやるのかと思ってたよ。あはは。
「ではタケル様、どうぞ」
- は、はい。
うぉーなんか緊張する。おお、椅子が回るんだこれ。座りやすいようにこっちむけてくれたよ。
座ると、くるっと鏡のほうに椅子を向けて、
「それで、どういう風にします?」
と、尋ねられたんだけどさ…。
- ふつーで。
つい、街の安い散髪屋さんで言うみたいに言っちゃった。
「そういうのが一番困るんですけどね…」
苦笑いしながらミドリさん、不精して伸びてた俺の髪を少し弄って『うーん…』って。
一応、耳を出すとかそういう話で、大体の長さのイメージができたんだろう、首に肩掛けみたいなのを巻かれて、鏡に背を向ける。
「背もたれを倒しますね」
ミドリさんがそう言って俺の後頭部を軽く手で支えながら背もたれをゆっくり倒して、洗面台のくぼみのところにちょうど首の後ろがあたるように誘導してくれた。
いつの間にくぼみのところに何か置いたのか、軟らかい。
なるほどね、この凹みって何だろうって思ってたら、こういう事だったのか。
普段は椅子が前にないからわかんなかったよ。
そんで洗髪が終わり、軽く髪を拭ってもらい肩掛けを交換して散髪が始まった。
「では試しに切って整えていきますね」
え?、『試しに』?、どゆこと?
切ったつもりで幻影とか?、まさかやり直せるんじゃないよね?
そのまさかだった。
尋ねてみたら、回復魔法である程度なら伸ばせるんだってさ。
ある程度なら、っていうのはほら、前に『ツギのダンジョン』で救出してきた人たちいたろ?、体力が持たないから回復魔法に加減しなくちゃいけなくて、全快までかけられなかったってやつ。あれと同じことが髪で起きる。
これ以上無理をさせると頭皮がもたない、ってやつ。
切った髪が繋がるわけじゃ無いようだ。そりゃそうか。
「何か楽しそうですね?」
- え?、あ、はい、髪切ってもらうのって何だかわくわくしません?
「奇抜な髪型がお望みなんですか?」
- え!?、それはちょっと…。
「うふっ、冗談ですよ」
冗談でもそういうのは言わないで欲しい。
●○●○●○●
そしてこの世界に来る前とそう変わらない長さになった。
- 頭が軽くて涼しくなりました、ありがとうございます。
前髪とか鬱陶しかったもんなー、目に入ったりしたんでリンちゃんの裁縫道具にあったハサミでちょっと切ったりしたせいで、たぶんそこだけ変になってたんじゃないかなと思う。
それも2ヶ月ぐらい前だから、また目に入ったりして困ってたんだよ。
「どういたしまして。それで、今後ですけれど定期的に切られます?」
- あっはい、そうですね。よろしくお願いします。
こちらから頼もうって思ってたのを言ってくれて助かった。
「ではまたリン様を通じてご連絡下さいね」
- はい。ありがとうございます。
「うふっ、皆様お待ちですよ?」
いつの間に手にしたのか、毛の揃った箒を手に、もう片方の手で脱衣所の入り口を示すミドリさん。
入り口のところにはこちらを覗き込むように見ている数人が。
何で入ってこなかったんだろう?
リビングに出るとそれぞれが褒めてくれた。
あれからずっとそこに居たんですか、みなさん。
いつもなら外で訓練したりする時間だけど、脱衣所を使ってたから汗をかくような訓練ができなかったのかな。
「何だか普通になりましたね、でも似合ってますよ」
褒めてるんだか何だかよくわからないけど、まぁ褒めてるんだということにしとこう。
これはサクラさんね。
「もっと短くされるのかと思ってましたが、それはそれでよくお似合いですよ」
ロスタニアの兵士さんは超短髪と、こういう普通の髪型が半々だったっけ。
真顔でコメントするぐらいなら別に言わなくてもいいんですよ?、シオリさん。
「とてもいいですね、清潔な感じがします」
にこにこと言ってくれたのはメルさんね。
つまり今まで不潔っぽかったってことなのか…?、地味に凹むな。
ちゃんと清潔にしてたんだけど見た目の印象良くなかったんだな、やっぱり。
「あ、タケルさん終わった?」
そう言ってにこにこと軽い足取りでリビングに来て、そのまま足をとめずに脱衣所に入っていくネリさん。
え?、ネリさんも切ってもらうの?
対面キッチン越しに見るとリンちゃんが頷いてる。
そういう話になってるらしい。
あ、そういえば昨夜の食事のあと、そういう話してたっけね。
しかも髪がどうのの話のときに、モモさんが今まで食べてたデザート類を作った人だってメルさんが話に出しちゃったもんだから、そっちの話に移ってしまったわけで…。
そのせいでダンジョン攻略の話が全然できてないままなんだよ…。
だって何か盛り上がってるとこにそんな話しづらいだろ?、しょうがないよ。
結局その後、朝食を挟んでリンちゃん以外の全員がミドリさんのお世話になった。
と言っても髪型が大きく変わったのは俺だけで、他は毛先を整えてもらったりした程度のようだ。
櫛通りが良くなったとか、まとめやすくなったとか、そんなこと言ってた。
それに、やっぱりシャンプーとかが光の精霊さん産のものなのが大きいのか、みんな髪の色艶がいいんだよね。普段ならこういうのは微妙な話題なので思っても絶対に口にはしないけどさ。
ああ、そうだよ。過去の経験から学んだんだよ。
子供相手でも女性にはそういうのを思っても絶対に言ってはいけないんだということをね。
あ、褒めるのは別ね。でも微妙な褒め方は厳禁。
もちろん終わったら皆に言ったよ?、いや、言わされたというのが正しいかな。
だってこっちじっと見るんだよ?、何か言わないとダメな雰囲気で。
だから『すっきりしましたね、お似合いですよ』とか、『まとまりが出てきれいです』とか、『メリハリがついて引き立ちましたね』とかね。
もう内心びくびくして冷や汗かきまくりだよ。
元はどうだったっけ?、えーっと前髪がほんの少し前より短くなった?、眉のところで揃った?、横に垂らしてる部分がきれいに揃った?、って言うようなびっみょーな差しかないのを、目線や表情などをヒントにさ…、神経使いまくりできつかったよ…。
下手なこと言えないし、どう言って欲しいのか必死で読み取って考えて、だからね。
まだメルさんみたいにビフォーアフターがはっきりしてるのはいい。サクラさんみたいに揃った部分が分かりやすいのはいい。
でもさ、ネリさんはどこを切ったんだ?、そもそもいつもポニテにしてる姿ばかり見てるのに、髪降ろして出て来られてもさっぱりわからんぞ?、指通りがよくなったってポーズをされなかったら分からなかったところだよ?
あと、シオリさんな。腰近くまであった髪の毛先、すこし傷んでる箇所だけ切っただけとか、見てわかるか!?、脱衣所のほうでミドリさんがジェスチャーで教えてくれなかったらわからなかったよ!
あとで聞いたけど、シオリさんは洗髪指導がメインだったそうだ。
ミドリさんは言わば専門家だもんな。
それで精霊さん産のシャンプーやリンス、トリートメントやコンディショナーの使い方、髪のお手入れの方法を丁寧に教わったんだってさ。
そんなのの違いなんてわかるかよ…。
でも言われて見ればだけど、毛先が揃うと何か引き締まった感じがするね。
シオリさんは前髪とか横とかなくて全体的に長いんだけど、サクラさんとネリさんは前髪があるから、そこを切ったと気づけばなるほどってわかる。
気付くまでがとにかく緊張した。見当違いのこと言えないんだもんな。
間違えたらどうしようって、いやマジで。全員の視線がさ、怖いんだよ。
それに前髪とかをちゃんと見るにはほら、顔をまじまじと見なくちゃいけないわけで、それがまたほら、ネリさん以外は昨日のことがあるせいで気まずいんだよ…。
何で俺ここに居る、いや、居らされてるんだろう?、ってずっと逃げたいって思ってたよ!、外で訓練してたかった…、でも席を立とうとすると、敏感に察知されて話を振られるんだよ…、スゲー居心地悪いんだけど。
本当なら、今日は俺の散髪が終わったあと、中央東8ダンジョンのことを話し合うつもりだったのに、全然そんな雰囲気じゃないんだもんなぁ…。
あとさ、リンちゃんよ、キミは、キミだけは、俺の味方だと思ってたよ…。
でも、俺が席を立とうと思ったとき、お茶のおかわりを入れてくれたり、モモさんと作ってたのかタイミングよくお菓子を出したりしたよね?
いつも朝食後にはデザートなんて食べないのに。今日に限って。2度も!
そのせいで俺が席を立つタイミングが何度もつぶされたんだけど!
俺がリンちゃんを見ても、全然目を合わさなかったよね?、絶対分かってやってたろ!?
今更だけど、俺の髪を切るって話がどうしてこうなったんだろうなぁ…。
もっと今更だけど、なんで女性のほうが少ないはずの勇者なのに、女性ばっか集まってんだろうなぁ…、ああうん、国境担当してる勇者が女性ばかりだったからだよね。わかってる。わかってるけどね…。
え?、いい思いしてるんだからいいじゃないかって?、いい思いしてるんだろうか?、俺…、気苦労のほうが多い気がする。うん、今更だよね。わかってるって。はぁ…。
そう言や森の家に来てる光の精霊さんも、ほとんど女性なのはどういうことなんだろう?
里の精霊さんはちゃんと男性も居たし、むしろ役人の人たちは男性のほうが多かったように思えたのに、森の家の4人とも女性だし、燻製工場(笑)の作業員さんたちも女性ばっかりだったぞ?、どういうこった。
寮のこともあるだろうから、女性で揃えたのかも知れないけどさ…。何だかなぁ…。
いかんな、何だか愚痴っぽくなってるな。俺。
癒しが欲しいな…、昨夜はひさびさにリンちゃん見て癒されたけどさ、ここんとこ最近、何かリンちゃん見てても純粋に癒されなかったりすることが多かったせいかな…。
ちょっと前までは美少女と美女がにこにこお茶してるのを見て癒されたりしてたはずなんだよな……、それがどうしてこうなってしまったのか。
何だろうなぁ、見慣れてしまった?、そんなわけないだろ。
「……けるさま、タケルさまっ」
- ん?、あ、リンちゃん何?、どうかした?
「さっきから、空のカップを口に運んでおられたので、お茶のおかわりをお持ちしたんですが…、タケルさまこそどうかされたんですか?」
あ、そういえば口にお茶が入ってこないなってちょっとは思ってたよ。
でも正直お茶はもういいよ。俺2つ目のデザートは遠慮したんでお茶ばっか飲んでた気がするし、別に喉かわいてないし。
- ああ、ちょっと考え事してた。
見回すと皆こっちを不思議そうに見てた。
そんなに長いこと空のカップを口にもってってたのか…?
- ん?、そんなに変だった?
「だって空なのにカップ置かずに何度も口に持ってってたんですよ?」
「うん、何だかぼーっとして、声かけても上の空で『うん』って…」
ありゃ、空返事しちゃってたか…。
- あ、ごめん。中央東8ダンジョンのこと考えてた。どうしたもんかなって。
そりゃ女性ばっかりだとか愚痴みたいなこと考えてたなんて言えないからね。
いい機会だから話をこっちにもっていこうってね。
「そういえば調査してこられたのでしたね、どうでした?」
サクラさんが引き締まった表情になって言った。
ダンジョンのこと忘れてたんじゃないのね。お仕事モードに切り替わった雰囲気が皆の表情にも表れている。
- やっぱり巣部屋が複数あるのが面倒だなって。
「巣部屋とは何でしょう?」
あ、シオリさんに説明してなかったっけ。
地図を取り出して巣部屋のことを説明した。
「こういう意味でしたか、確かに巣ですね、これは。今まではどう攻略されてたのですか?」
「今までは普通に、タケルさんとリン様が石弾で倒してました」
「それが普通なのですか?、サクラたちは何を?」
なるほど、普通じゃないのか。シオリさんの呆れた表情でわかった。
皆は慣れてるからなぁ、そういえばハルトさんとカエデさんも最初に見たときにはすごい表情して固まってたっけ。と言うか皆最初はそんなだったような…。
「対処が間に合わなくて近寄ってきた魔物を倒してますね」
「なるほど、前衛として壁役をしていたのね」
「はい」
「盾を持たずに?」
「……はい」
その疑問が出るのもわかる。
壁役が、両手持ちの剣を持った2人と、槍持ったメルさんだもんなぁ、客観的に見ると微妙だよな、やっぱり。
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作者注釈:
※ シオリが元の世界に居た頃には炭酸飲料は存在していました。
ヨーロッパでは18世紀には存在したらしく、日本では明治の中ごろから大正時代にかけて、炭酸飲料が普及し始めたようです。
たまたまシオリの生活圏や、経済的に身近な範囲に無かった、ということでしょう。
次話2-63は2018年09月12日の予定です。