読み専の方へ送る弱小作家からのお願い
文中の『pt』とは作品の総合評価ポイントの事を指します。
※ぐだぐだ書いてありますが、最後の数行の内容だけきちんと受け取って頂ければと思います。
まず、なろう作家と一口に言いましてもヒエラルキーの頂点に立つ、複数書籍化作家様から私のような0pt作品を書く作家まで幅広くいるわけであります。
その階層図をこの文章内では野球界に例えてみようと思います。
さっき出てきた複数書籍化作家様は言わずもがな――メジャーリーガーです。はい、もうヤバいですね。
書籍化一作目というプロ野球界入りを果たした後、更に躍進を遂げた姿。正しく頂点と言うにふさわしい選手です。
それと対比して0pt作家は何か。
高校野球選手? 社会人野球選手?
いいえ、違います。少年時代からそんなに続けられるのなら少なからずptは貰えます。
0pt作家とは、自宅の近くの公園で壁当てをする野球少年です。(偏見)
観客もいない、近くを通りかかる人が居ても何の感情も向けられない。そんな存在です。
ブクマなし&感想・評価なしってそういう事です。
PVだけは辛うじてあるので近くを通りかかる人はいるけど評価するに値しないと思われているわけです。
近くで犬の散歩をする人は少年よりよっぽど犬の糞に興味があります。
そして、何なら一緒に野球をする(作家)友達もいないわけです。お先真っ暗過ぎ。
しかし、意外と苦悩を知る野球少年は他の野球少年に優しくなります。
私自身、作品を書くようになってから評価を付けるのを意識して行っています。
そんな一人ぼっち、絶望的状況の中、野球少年は思うわけです。
「すごい速い球を投げたなら、誰か気付いてくれるのではないか」
「自分だけの変化球を投げれたなら、プロ入りも夢では無いのではないか」
当然、そんなことは99%無理です。
でも、考えてしまうのが人の性というもの。特に焦りがあるなら尚更。
そして、それを実行します。『もしかしたら』という感情があるから。
結果どうなるか。
スピードだけいつもより速く、コントロールを失ったボールは自分に跳ね返ってくるかもしれない。
変な投げ方をしたせいで肩や肘を痛めて二度と投げられない身体になってしまうかもしれない。
作家ならなおのこと。
私含め、間違いなくほとんどの作家さんは『これは面白い! イケる!』という気持ちで投稿を重ねているのでしょう。
しかし、それは小学校の卒業文集に『プロ野球選手になりたい』と書くのとほぼ同義。
哀しいかな、かなりの確率でその夢は潰えることとなります。
そしてその反動は期待が大きければ大きいほど耐え難いものに。
仮にもし、壁当ての最中にフォームの崩れを指摘してくれる人が居たならば。
指摘までいかなくとも応援をする、見守ってくれる人が居たならば。
プロ野球に行けなくとも、その野球少年が高校まで野球を続けることは出来たかもしれない。
極低い確率だけど、もしかしたら地元の野球少年がメジャーリーグへ行く事が出来るかもしれない。
自分が目を付けていたひよっこがメジャーリーガーになる。滅茶苦茶誇らしいと思いませんか。
「は? 俺はサッカーやってる(読み専だ)からしらねーよ」とか言わないでください。
サッカーも作家も同じようなものです。()
感想を書けとは言いません。私自身人へのメッセージを書くのが下手なので書いていませんし。
(ただ、誤字等の修正に関しては機械的にでも意見を下さると助かる場合が多いです。)
代わりに評価3pt・3ptでも良いのです。何もないより(多分)マシです。
評価が少ない作品ですと入ったポイントが丸分かりになって作者的には怖いですけど、匿名ですからバンバン評価してあげましょう。
毎日読まなくても良いのです、ブクマして暇なときにでも見て貰えれば。
作者は見てくれていると勘違いして頑張って書きます。
SNSで『いいね!』を押すのとほとんど変わりません。
そんな数秒の作業で続く作品があるかもしれない。その事を忘れないで欲しいのです。
最後に、少しでも0pt作家が減るように、筆が折れる作者が減るように、そしてなろうに素晴らしい作品が増える事を願って止みません。
最後に、このエッセイに評価を付けて頂ける心優しい方が居るのなら、その代わりに他のマイナー作品の発掘に協力して頂ければ幸いです。
(追記:ごめんなさい、嘘です。本当は滅茶苦茶pt欲しいです。なろう作家はptを食べて日々文を吐き出しているのです。上文はこのエッセイに評価が付くならもっと他の良作に付いて欲しいという気持ちの表れです。あしからず)