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側室への愛  作者: ヤブ
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初めての触れ合い

 矢をつがえた弓を打ち起こし、まずは左腕だけを動かして張る。続いて右腕を引き、大三(だいさん)を通って(かい)の形を作り、狙いを定めて手を離した。矢は真っ直ぐに飛び、乾いた音を立てて的に当たった。


皆中(かいちゅう)です」

 射場を出ると、晴尚(はるひさ)が弓を受け取り、そう言った。矢は全て中央に集まり、日頃の練習の成果が見てとれる。

「さすがお殿様。親典(ちかふみ)様も、きっと喜ばれることでしょう」

「父の名は出すな」

 三つがけと下かけを乱雑に外すと、晴尚の手に強く置いた。それらは座って外すのが規律だが、弓道場にいるのは殿と晴尚しかいないので甘くなっているのだ。


 弓道場は城内ではなく、少し離れた木々に囲まれた中に存在する。先々代が、「的に当たったときの音が不愉快だ」という理由で城内に作らなかったと、建設時の状況が記された書物に残っていた。どうやら、先々代は四人兄弟の長男で、一番弓道が下手くそだったそう。その為、やったり見たりするだけでなく、「弓道」という言葉や的に当たった時の音が嫌いなのだ。その結果、欠かせない弓道場を城外に建設したらしい。


 殿は畳に腰を下ろし、用意されていたお茶を飲む。晴尚は弓を立て掛け、三つがけと下かけを所定の位置に片付ける。

「今日は、これまでで一番調子が良さそうです。なのに、もうお止めになるのですか?」

「歯止めが利かなくなれば、今後の用事に支障が出る」

 そう言うと殿はお茶を一気に飲み干した。


 気分や調子が悪いとき、よくここで矢を飛ばす。幼い頃から触れてきた、愛用の弓が落ち着くのだと言う。もし今日これからの予定が無ければ、殿は夜まで()り続けるだろう。


 砂利道を歩く音が聞こえた。ここは殿の領地内で、今は昼であるため、晴尚は先日のように刀を握りはしない。扉の方を見て少しすると、一人の女がこちらを覗き込んだ。

「隠れる必要はない。入ってこい」

 殿の声に少し驚いた様子を見せたが、扉をそろそろと開けて入ってきた。山吹色の着物に白の羽織を掛けている。

「失礼いたします」


 頭を深く下げてから、足を滑らせるようにして寄ってきた。射場での歩き方を小娘が知っているのかと感心したが、偶然かと考え直す。

「お主から来るとは思わなかったぞ」

「私が来ては、迷惑でございましたか?」

 小娘は小首を傾げて、微笑んで問うた。だが、殿は返答をしなかった。

「何故来たのだ。愛してくれとの要求ならば、今夜にでも相手をしてやろう」

 すると小娘は殿の隣に座り、「間に合っています」と頭を肩に乗せた。志願したのに、少しの触れ合いだけで満足できると言っているならば、いつか小娘もあの女のようになってしまうのだろう。


 顔を合わせて日数が経っていないので当たり前なのだろうが、それでもこの小娘のことはよく分からない。何を考えているのか検討もつかないし、志願しながら愛されることを望んでいる様子はない。子供を欲しがっているのに、だ。

「お主は、何が目的なのだ」

「お殿様との子供を授かることでございます」

「ならば、今晩相手をしてやろう」

「遠慮しておきますわ」

 こういう所だ。どこに断る理由があるのか、殿には全く分からない。子供が欲しいというのは、嘘なのではないかと疑ってしまうほどだ。


 殿は立ち上がると、晴尚にかけを持ってくるよう命令した。

「小娘、見ておけ」殿は睨み付けるようにして見下ろす。「わしが何故後継者として亡き父に名指しされたのか、その目で」

 晴尚は直ぐに立ち上がり、新しい下かけとかけを殿に渡す。小娘は殿がよく見える場所へ移動し、「ぜひ、拝見させていただきますわ」と言った。


 入場し、国旗に一礼。本座に座り、(ゆう)。立ち上がると、射位まで進み、再び座る。


「お雪様、弓道のご経験は?」

 小娘と同じようにして見守る晴尚が話しかけた。頭二つ分身長差のある二人が並ぶと、晴尚がどれほど高身長なのかがよく分かる。小娘は軽く笑むと、「何故そのような質問をしようと思われたのでしょう」と、殿から目を離さずに言った。

「すり足で入ってこられたので、ご存じなのかと思いまして」

「慣れない着物が重たくて、と言えば納得していただけます?」小娘は楽しそうに答える。

 貴方がそう言うのならば、と言う。表情を変えない晴尚が隣にいると、それに比べれば小娘は豊かだ。だが、二人が表情の薄い人物であることには変わりない。


 矢をつがえ、手を添えてゆっくりと立ち上がる。足踏みをして胴造り、的と弓の状態を確認。それが終わると、弓を引く高さまで腕を上げる。


「祖父と兄が、弓道をしています」唐突に小娘が言った。「私も時々打っていたので、もしかしたらその癖が出てしまったのかもしれません。最近はそれを見ることすら無かったので、てっきり忘れていると思っていたのですがね」

 お殿様はいつから弓道を? と小娘が問う。

「生まれたときから、ですかね」

 腕が良かった先代――親典のお陰で、暇さえあれば殿は弓道場に足を運ばされていた。もし、嫌とでも言おうものなら、的にされそうなほどの勢いで見下す。言葉を発することはせず、それが反って金縛りのような不自由さを(まと)わせる。そのために断ることのできなくなった殿は、腕が上がるばかりであった。

高位(こうい)も、楽ではないのですね」


 大三から引き分け、最大まで引ききって(かい)。この時に引ききれていないと、的どころか安土(あづち)にさえ届かない。


 的の狙いを定めているとき、お雪様、と言う晴尚の声が聞こえた。ただの呼び掛けではなく、呼び止めているような。

「お殿様、姿勢が少し宜しくないですよ」

 すぐ近くで聞こえた声に、殿は手を離そうとしたのを途端で止めた。

「何をしている。危ないではないか」

 視線を逸らすと、弓の向こうに小娘が立っているのが見えた。


「体が少し反りすぎですよ。端から見て違和感しかありません」

 小娘は殿の背後に立つ。腹に手を回し、肩甲骨の間に手を置いて、真っ直ぐな姿勢になるよう力を加える。細い腕だのに、力はそれなりにあるようだ。触れられた部分から小娘の熱が伝わる。

「あまり触るな。崩れる」

「癖がついてしまうと、中々直りません。早い内から直すようにしなくては」


 この小娘に、殿を誘惑するつもりなど一切ない。だがそれが逆に、殿の小娘に対する“アイ”を増幅させる。春風に乗せて小娘の匂いが漂う。どこかで、嗅いだことのある匂い。これまでに何度も嗅いだことがあるのに、どうしても思い出せない。


 これで打ってください、と小娘の手が離れる。確実に距離をとったことを感じると、矢を放った。乾いた音が響き、矢は的の中央を射ぬいた。

 さすがですね、と手を叩く音と共に聞こえた。弓を下ろし、足を戻すと、殿は振り返る。


「今夜お主の相手をしてやろう。お前に拒否権などない。準備しておけ」


 きっぱりと断られたことは、これまでの小娘の態度を見れば、言うまでもない。

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