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側室への愛  作者: ヤブ
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隣に立つもの

 差し出された徳利とくりの注ぎ口に魅力を感じたものの、殿はそれを断る。昼間から酒を飲んでいては、これからの仕事に支障が出かねない、と隣に立つ晴尚はるひさが訴えかけているのを感じたからだ。鷹右たかすけは失礼しましたと頭を下げ、徳利とさかずきを端に寄せた。

 赤い布がかけられた長椅子に腰を掛け、心を落ち着かせる音を響かせながら流れる川を背景に、二人は優雅な時間を過ごしているように見られる。だが実際は、鷹右は殿を隣にして体を強張らせており、先ほどから動きがたどたどしい。これでは、殿も落ち着きにくい。


「町はいつもと変わらぬか」

 殿は道を歩くたみを眺めながらそう言い放った。

「そうですね。いつもと変わらない、普通の日です」鷹右はふっと表情を落とすと、「ただ、少し怯えているようではありますが」とこぼした。

 殿はそれにとぼけることができなかった。原因が自分であるのではと予想してしまったからだ。

「先日、羽柴はしば殿が兵を引き連れて壁の向こう側まで来ていたという話は、老若ろうにゃく男女なんにょ、ほとんどの者が知っているでしょう。それらから、もうすぐいくさが始まるのではという噂を耳にします。いえ、これは、殿を責めているわけでは」

「よい。事実じゃからな」

 続けよ、と殿は鷹右の言葉を望んだ。しかし、いえこれ以上話すのは、と顔を下げてしまった。

「お殿様もご多忙でしょうに、わざわざ足を運んでくださったことに感謝いたします。まさか、こうやって殿のお顔を拝見することができるとは思っておりませんでした」

「国の存続のために愛娘が家を出るのを許してくれたことに感謝する。わしは、まだ年端のいかない彼女の申し出をどうして承諾したのか、気になっておる」

 殿が見つめると、鷹右はその威圧からのがれるために一度視線を外す。しかし、再び殿の目を見つめ、彼は言う。

「私とて、簡単に、そうかと頷いたわけではございません。雪が殿のもとへ参りたいと言ったときには、国を治める殿のお顔を見たいのだと考えました。ですが、どうも話が噛み合わないのです。この身を捧げたいと聞いたときに、はっきりと感じました。雪は、殿からの寵愛(ちょうあい)を受けたいのだと」

 一息つき、空を見上げる鷹右。「愛に飢えていたのかもしれません。年の離れた弟妹が多い故に、手を借りることも少なくはありませんでした。外で自由に遊ばせることが子供に大切なのは分かっておるのですが……。雪は優しい子なのです」

 そして彼は、殿の目を見つめると、「どうか、娘を、よろしくお願いします」と、深く頭を下げた。


 普通ならまだ見えないはずであろう場所の肌色を見つめ、殿は、小娘の姿を思い出す。はて、本当に彼女にそのような思いがあるのか――。

「娘を心配する心情は察する。しかし、彼女を無理矢理我が物にしようとは思っておらぬ。年齢相応に、時間をかけて距離を詰めようと考えておる。じゃから、安心せい」

 殿がそう言うと、鷹右は顔を上げる。凛々しい顔を緩ませた表情に、鷹右も口角を少し上げた。そして、一息つき、

「お殿様にそう言っていただけると、嬉しい限りです」

と言って、また一度、頭を下げた。





 城への帰り道、目的を無事果たすことができたのにも関わらず、殿は妙に顔を曇らせていた。

「お殿様、いかがされましたか」

 晴尚の言葉にどう答えるべきか、殿は悩みの種を植えられたような気分になった。小娘と鷹右の中に、同じ思いがあるようには思えない。小娘は自由になるために来たと言った、だが鷹右は、愛に飢えていたのかもしれないと言った。愛の飢えから解放されれば、それは自由になるのであろうか。殿には、それが分からない。愛されること、それが小娘にとって自由なのであろうか。

「……いや、何でもない。人には人の思い、考えがある。それをこちらの都合で否定しようとするのは良くないじゃろう」

 殿は一息ついてから、

「晴尚、それを踏まえて問おう。お主は、嫁を作らぬのか」

「唐突ですね、作りません」

 彼の一直線な返答に、まるで殿自身が振られたような心の痛みをチクリと感じた。その整った顔に掘られた目から放たれるそれは、具現化すれば刀のよう。

 それでも殿は再び問う。

「即答か。お主なら素敵な嫁を取ることはできるだろう。むしろ側室の一人や二人、いても可笑しくはなかろう。実のところ、いたりするのか?」

 殿は茶化すように言う。晴尚はゆっくりと首を左右に振り、前を見つめる。

「今は殿の力になるのが勤めです。殿を支え、殿を守り、殿に支配される。それが、私にできる最大の恩返しです。――伴侶を作るとき、それは、殿が殿を辞められたときでしょう」

 殿にいちばん近い存在。正妻よりも近くにいる彼は、殿に救われた故、その身をその人生を捧げようとしている。体を重ねていなくともいつまでも隣に立っていることができる存在の彼は、より伴侶という言葉が近いのかもしれない。

 伴侶。共に連れ立っていくもの。始まりが同じであれば、さて、終わりは如何いかに――……。

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