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側室への愛  作者: ヤブ
12/19

満月の癒し

 小娘と別れ、部屋に戻った殿はゆっくりと戸を閉める。殿としての活動を行う部屋ではなく、幼いころから過ごしてきた部屋。気持ちを落ち着かせるために来ることが多い。

 中央に置かれているちゃぶ台の前に腰かけ、肘をつく。手を重ね口を近づけ、しばらく一点を見つめる。――そして一つ、大きなため息をついた。

(わしは、何をしてしまったのだろうか)

 その感情を一言で言い表すとしたら、戸惑い。自分がした行動の意味さえ分からず、そして、小娘に対して自分がどう思っているのか分からずにいる。

 突然の口づけに、小娘だけでなく殿も驚いている。側室おんなの涙など、これまでに何度も見てきた。この間追い出された側室だって泣いていたのに、最後の別れとして口づけをしようだなんて思いもしなかった。状況が明らかに異なっているので比べるのはどうかと思うが、それでも、女の涙を見てこんな行動に走ってしまったのは今回が初めてだ。


 その時の勢いのままに、今夜小娘の部屋へ行くと言ってしまった。それに対して小娘が何も言わなかったのは、突然の口づけに驚いていたからなのか、来てもよいと思ったからなのか分からない。

 今夜、遂にとうの娘を抱き妊娠させるのかもしれないと思うと、片隅に罪悪感というものが生まれる。これまで幼くても十二、いつしか殿には幼女趣味があると噂されてしまうのではと恐ろしくなるほどだ。国に手頃な年齢の女が少なくなってきていることも一つの要因だろう。

 殿は一つため息をつくと、

(今夜は相当に疲れそうだ。前戯だけで終わらなければ良いが)

と、明日に来るであろう疲れを想像しながら思った。




 数日振りに湯あみをし、風呂から上がってきた殿は緩めに帯を締める。この時間にかしこまる必要はないし、どうせすぐに脱ぐのだから丁寧に着付けをしても仕方がない。

 女のためにわざわざ湯あみをする当主は殿だけでしょう、と以前晴尚はるひさに言われたことを思い出した。何度も体を重ねてきた側室おんなに対してはしないが、できるだけ嫌だという印象を与えないよう、初めて夜を共にする側室の元へ向かう前はいつも湯あみをしている。全員を分け隔てなく愛することができなくなってからも、それだけはずっと続いている。


 使いの者や親族もほろほろと眠りにつき始める頃、殿は音を立てぬよう小娘の部屋に向かう。藍色の空に浮かぶ月を眺めながら腕を組む姿は、まるで散歩をしているかのような雰囲気をもたらす。蕾を付けた桜は小さく音を立てて揺れ、そのせいで殿は母の幻影を見る。背を向けている母は桜の木に手を添え、そして頬をつけた。その表情はとても愛おしそうで、寂しそうでもあった。殿がまだ重くて刀を持てなかった頃が、それを見た最後であっただろうか。


 ふと殿は、今はここにはいない元側室のことを思い出す。子供ができ、よい環境で産み育てるために実家へ帰ったのだ。出て行ったのが去年の夏だっただろうか。もうそろそろ戻ってきてもよい頃だろう。

 これまで生まれてきた子は、何故か全員一年も経たないうちに命を落とした。殿にできた子供の数がまだ少ないのもあるが、それにしても、呪いではないのかと思うほどに亡くなっている。

(次は元気に育ってくれるといいのだが)

 子を亡くした側室たちの大半がでていった。それも、殿の子は呪殺されるという噂が広まってからその数は増えていった。その度に晴尚はるひさが新しい側室を連れてくる、その繰り返しだ。

(だがもし亡くなったとしても、あやつはここから出て行ったりはしないであろう。――できないというのが、正しいか)


 気を取り直すためにふうと息を吐く。

 顔を前に向けた時、縁側に腰掛ける一人の少女が目に入った。――小娘だ。月の光に照らされる横顔は油断すれば見るものをとりこにしてしまうほどの幼さの中にある美しさを放っている。少女にしては哀愁に満ちた表情をしている。

 今夜は満月、かの有名な物語の姫は、満月の日に月へ帰る。

「いくら春になったとはいえ、体が冷えるだろう。部屋に戻れ」

 声をかけると、小娘は一度こちらを見るが、すぐに月に目を戻した。

「そんなに欲が足りないなら、他の方の元へ行っていただいても良いのですよ」

「馬鹿を言うな。今夜はお主の相手をするのだ」

 そう言っても一向に部屋に戻ろうとしない小娘を見た殿は、小娘と人一人分の距離を空けて腰かけた。手を床に付けて月を見上げれば、心なしか月が大きく見えた


「……こうやって毎晩、月を見上げるのが日課なのです。ここに来る前からの」

「月を見上げて何になるというのだ」

「何かが得られるということではありません。一日で溜まってしまった不安や不満、怒りや喜びまでを、月を見て消すのです。そうして、明日に向けての準備をしているのです」

「今日は今日、明日は明日と区切りをつけているのか。……呑気なものだな。わしには一人の時間など、ほぼほぼ無い。作ろうにも作れないのだ。その気持ちが、お主にはわかるか」

「……はっきりとは分かりません。実家には贅沢にも一人部屋がありますし、籠ってしまえばいつでも一人になれましたから」

「わしは一人部屋があっても一人にはなれぬ。傍に晴尚はるひさがいるから」


 小娘は殿の方をちらりと見る。月を見つめる顔は、年の割には老けているように見える。

 長々と続く廊下を奥まで目を通してから、

「さすがに今はいないようですね」

と、瞼を下した。


 晴尚にそのような趣味はないからな、と言った後、急に真剣な顔つきをして殿は問う。

「――お主、晴尚について、どう思う」


 小娘はしばらく月を見つめたのちに、殿を方へ顔を向ける。

「晴尚とは、執権の方ですか?」

「ああ。どう思う、奴について」

「どう、と言いますと」

「……まあ、単刀直入に言うと、男として見ることができるか、ということだ」


 何故殿がそのような質問をしてくるのか、小娘には分からなかった。小娘には既に、典影のりかげ(殿)という男がいる。恋人とは言える関係ではないが、だからと言って他の男の元へ行ってもよいわけではない。そんな小娘に、何故殿はそのような質問をしてくるのだろうか。

 悩み黙る小娘を見た殿が言う。

「どうした、一度話したことがあるだろう。男として見れるか見れないかの話だ」

 側室である小娘は、何と返事をするのが良いのだろうか。恋人どころか想い人さえできたことのない小娘には、それが分からない。


 悩んだ挙句、小娘は顔を見られないように逸らしながら、

「男としては、見れない、です」

と答えた。

 殿は、そうか、と呟き、顎に手をやる。

 この答えで合っていたのか、その答えは次の殿の言葉でわかった。

「晴尚に女の噂が立たないのは、やはり女から見た魅力が少ないからなのだろうか……」

 背後から聞こえてきた殿の言葉に小娘は驚く。

 晴尚には女がいない? 心配していたのは、そこだったのか。

「……晴尚様は、ご結婚されていないのですか?」

「ああ、早くしないといい女を取り損ねるとは言っておるのだが。仕事に対して真面目に動いてくれるのは助かっているのだが、少しは自分のことにも目を向ければ、女くらい簡単にできるだろう。あまりに噂が立たなすぎて、彼は男が好きなのではと言われる」


 小娘は安堵のため息を漏らした。

 なんだ、深く考える必要など無かったのだ。殿は単純に、女から見た晴尚の印象を知りたかっただけなのだ。

(私が晴尚様に想いを寄せていると勘違いなさったお殿様が……なんて、考えた私が馬鹿だったようですね)

 殿は手が足りないほどの側室おんなを持っている。そのうちの一人が、他の男に想いを寄せても、痛くも痒くもないのだろう。むしろ相手が晴尚ならば、全力で手を貸してくれそうだ。


 小娘は心の中に、隙間ができたような寂しさを覚えた。

(これなら、家にいた時と同じだ。私は、ただの、道具……)


 このまま二人は夜明けまで、縁側で月を眺めていた。それでも、小娘の心の中でできた寂しさを消すことはできなかった。

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