満月の夜
今日(11月22日)が「いい夫婦の日」なので、その記念に筆をとりました。日本史の時にふと思い付いた話です。
いい夫婦像を書ければと思っています。最後までよろしくお願いします。
月が、灯りのない部屋に光を差し込む。障子紙で光が濾され、淡い光が包み込むように、差し込むというより、降り注いでいる。
一室で眠るのは、一人の男と一人の女。同じ布団で、まだ冷たい夜の春風を凌ぐように肌を重ねあっている。既に行為は終わり、あとは日が昇るのを待つのみである。
結の儀を終えたこの一ヶ月の間に、毎晩のように肌を重ねてきた。五年前に男の父が亡くなり、実権を持つようになってからというもの、次の後継者を残すために結婚を強いられる。男の目の前に寝転ぶ女は、そのためだけにやってきた内の一人だ。
「お殿様。あたくしは、もう終わりですの?」
何の音もしない部屋に、ぽつりと響く声。それは、悲しんでいるわけでも喜んでいるわけでもない。
男――殿は、何がだ、と背中に投げ掛ける。すると女はこちらに顔を向け、「あたくしのお役ですわ」と、変わらない声調で言った。
「まだ一ヶ月しか共にしていませぬが、あたくしは、お殿様と一緒に居る時間が、これまでで一番楽しゅうございました。例えあなた様に何人もの側室がいようとも、それは変わらない、そう思いましたわ」
淡い光で、女の顔がより鮮明に見える。これまで何人もの側室を作ってきたが、その中でも一番年上だ。綺麗な肌をしており、他の男に取られなかったのが不思議なくらい美人だ。
「けれど、お殿様。また、新しい側室をご用意されているそうですわね」
殿は予想外の言葉に驚く。その話は、まだ執権しか知らないはずだ。殿でさえ今日初めて聞いたことだ。
「晴尚から聞いたのか」
すると女は、謝りを入れてから言う。
「お殿様の元へ行こうと部屋の前に来たとき、聞いてしまったんですわ。盗み聞きするつもりは一切ございませんでした」
「よい。いつか広まることだ」
女はまっすぐこちらへ向き直し、未だまっすぐにこちらを見つめている。
もう、執権が連れてくる側室が何人目か分からない。始めのうちは名前まで覚えていた。いくら良い暮らしが与えられるとはいえ、子供を産むことしか出来ないだなんて、人間を捨てたのと同じだ。それぞれの女が何を考えているのか、はっきりとは分からないが、始めのうちは皆、恐怖を前にして動けなくなっているようだ。だから、殿は自らの欲望を満たすだけではなく、ああここへ来て良かったと女が思えるように愛してきた。
だが、女が増えるごとに、愛が減ってきていることは事実である。
「お前は、それを不快だと言うか」殿は問うた。「自分以外の女と体を重ねていることを、側室はどう思っているのか」
それは、素直な疑問だった。誰でも男には自分だけを見ていてほしいと、少なからず考えるだろう。どうしてもそうにはならない側室たちは、辛い思いをしてはいないのだろうか。
「どうとも思いませんわ。愛しい者と一緒に居られるだけで十分でございます。それ以上を求めては、生きてはいけませぬから」
女は、儚い笑みを浮かべて言った。女とは、どうしてこうも感情が豊かなのだろう。新しい側室を見るたびに、殿はそう感じる。それと同時に、女はいつの間にか消えてしまいそうなほど、脆くて儚い。一人だけを選んで愛すことのできない殿は、それが辛くてしかたがない。多ければ多いほど、失ったときの喪失感は大きく、それが弱いものなら尚更だ。
「ならば、何故新しい側室のことを気にするのだ」
すると女は初めて俯き、視線を逸らした。
「やはり、不快に思っているのだろう」
女は首を振る。「いいえ、不快だなんて。滅相も……」
言葉を遮るように、障子の外に夜風が走る。音を立てて揺れ、まるで何かが通ったよう。それ以上言うでない、そう、優しく忠告している。
度々淡い光が雲に遮られ、女の顔が真っ暗になる。その時に感じる微かな不安は、きっと口に出さない方が良いだろう。この女だけに感じるものではないからである。
「あたくしは、お殿様に寵愛されたいのですわ」女は手を伸ばし、殿の頬に軽く触れた。「奥様や側室を全員捨てて欲しいだなんて贅沢は言いません。代わりに、他の誰よりも――奥様よりも寵愛して頂きたいのですわ」
頬から顎に指先をつけて滑らせ、奥から手前へ何度も指を滑らせる。その時の彼女の表情は虚ろで、徐々に近付いてくる。反対の手がまた頬に触れて束の間、女から唇を重ねた。殿は抗うこともこちらから求めることもしない。
こつ、と小さく音が鳴り、額がぶつかる。唇は離れた。
「ねえ、お殿様。あたくしを、寵愛してくださる?」
返事の代わりに、殿は女の腰に手を回し、身を寄せた。そして、今夜二度目の行為を行った。