■1日目 12月26日■ <3>
■1日目 12月26日■
<3>
昨日降った雪はうっすらと積もったが、行き交う人々が滑らない様にと普段より力強く踏み荒らされた足跡と、眩い日差しによって、その姿はほとんど消えてしまっていた。
キャンパスに着いたシンイチの足取りは重かった。
校門、本校舎、図書館、東京百景にも選ばれた欅並木、目に写るその全てにシオリとの思い出があり、それが辛かった。
シオリとは今まで通り友達として過ごして行ける様に、気持ちを入れ替える努力をしなければと思っていた。
食欲がなく全く手をつけなかった朝ごはんだったが、昼過ぎに差し掛かり空腹感を覚える様になった。こんな精神状態でもお腹が空く自分に対して苛立ちを覚えた。
コウジとの待ち合わせは午後一時半に“ガーデン”と呼ばれる学生の憩いの場所だった。
“ガーデン”は校舎内にあった老朽化した体育館を匠の技でおしゃれな空間に蘇らせたカフェで、近代化されたその設備は、学生が混雑状況がネットで確認できるように、ライブカメラも室内に設置されていた。また天井が高く開放的な作りが居心地良すぎるのか、このカフェが出来てからここに居座り、授業に出席しない学生が繁殖し、その結果、留年生が増えたらしいと学校内では噂になっていた。
シンイチがガーデンの入り口のショーケースで何を食べるか悩んでいると、藤田が話しかけてきた。藤田はお世辞にも明るいとは言えず、何を考えているか全くわからない謎の多い男だった。いつも全身真っ白な服を着て、友達と行動している事を一度も目撃した事もなかった。
「シンイチさん、今日は星川さん一緒じゃないんですね。」
いつも通り下を見ながらボソボソと藤田は言った。星川とはシオリの名字である。前髪が異常に長くその表情は読みづらい。
「うん。藤田は? 食べ終わったの?」
「はい。帰るところです。星川さんによろしくお伝えください。」
シンイチは藤田が苦手だったが、ゼミが一緒になったシオリが藤田をシンイチたちとの昼食に誘ってから、こうやって話しかけて来る事がしばしばあった。
「何で藤田を誘ったんだよ」とコウジが問いただすと「だって一人で寂しそうだったんだからたまにはいいじゃないのよ」と、シオリは悪気もなく答えていた。
シンイチは空腹感こそあれど、やはり食欲はそれほどあるわけではなく、サラダランチにすることにした。
失恋した後でカツ丼などを食べる気力も持ち合わせていなかったし、それを食べてしまうとシオリへの気持ちに対する否定に思えてしまうと感じたからだ。
約束の時間に十五分ほど遅れてコウジはやってきた。
「よっ! どうした? サラダなんか食べて。ダイエットか?」
ちょうど食べ終わったサラダを見て、コウジは不思議そうに聞いた。
「まあ、ちょっとね……」
「どうしたどうした? なんか元気ないな。今夜クリパだぞ! アゲげていこうぜ!」
コウジは去年からクリスマスの夜に友達の“港区女子”たちを集めて、クラブのVIPを借り切ってパーティを開催していた。
“港区女子”とは、芸能人やどこかの社長などに呼び出されて港区によく出没する、交友関係が広くノリが良い女子たちの事だと、シンイチは昨年コウジに教わった。
コウジは家庭が裕福で派手に遊んでいた。
シンイチは、仲のいい数人の友人たちと居酒屋で過ごしたりする事が十分に楽しいタイプで、派手に遊ぶことは苦手だった。パーティにも興味がなかったが、昨年無理やり参加させられ、コウジは今年もシンイチが当たり前の様に参加すると思っている。
「今年は昨年より女の子のレベルが高いんだよ! 来年からテレビ局のアナウンサーになる子も来るらしいよ!」
シンイチは必死にアピールするコウジを遮った。
「あのさ……実はさ、昨日、シオリと過ごしていたんだ」
シオリという名前に不意を突かれたコウジは固まり、その後のシンイチの言葉を待った。
「で……フラれたんだ……」
「そ、そうなんだ……」
コウジは動揺を隠せないでいた。薄々シンイチがシオリに好意を抱いている事に気づいていたが、まさか行動に移すとは思ってもいなかったし、自分がシオリと付き合うことになったとは、とても言い出すことができなかった。
シンイチは唇を噛み締めて下を向いている。コウジもそんなシンイチにかける言葉も見つからず、しばらく沈黙が流れた。
「俺、どうしていいかわからないよ……。シオリとどう向き合っていいのかも……」
数分の沈黙の後、シンイチは絞り出す様に言った。
「う、うん。今まで通りにしてやるのがシオリも嬉しいんじゃないかな……」
後ろめたさから、コウジはいつもより幾分早口になっていた。
「嫌なこと忘れてさ! 今夜のパーティで新しい女探そうぜ! いい女いっぱい来るし俺、協力するからさ」
と、コウジがシンイチを慰めている時だった−—。
−—突然、シンイチの脳内に異変が起こった。
頭の中で反響するように声が聞こえた。それは明らかに目の前にいるコウジの声で
(シオリと付き合っていることは、とてもじゃないけどシンイチには言えない)
と聞こえたのだ。
シンイチは目の前にいるコウジを驚いて見つめた。その表情は神妙にシンイチの相談に乗っている風に見えた。
(シンイチにタイミングを見てちゃんとシオリとの事は言わなきゃ……)
今度もはっきりと頭の中で聞こえてきた。
コウジが一言も言葉を発していないのはシンイチも確認していたし、表情は変わらず心配している。
シンイチは状況が飲み込めず、激しく動揺した。
また、コウジとシオリが交際しているという内容が、この現象にさらに輪をかけて動揺させ、押し殺していた心の底の感情を溢れさせ、涙がこぼれた。
「ど、どうした? 大丈夫か?」
コウジは、シンイチが自分を驚いたような目で見た後に、突然泣き出した事情を理解できなかった。
シンイチはそのまま机に突っ伏して声を殺して泣き始めた。周りで談笑していた学生もヒソヒソと注目をし始めた。
「シンイチ、本当に大丈夫か?」
コウジが声をかけた瞬間、シンイチは立ち上がり、涙したままガーデンから走り去ってしまった。
コウジはなぜシンイチが急変したのか分からずにいた——。