バッドエンド直行なんか認めない
「望んではいけないとわたくしも思っていたの」
いつの頃からだろう。周囲に変わってしまったと嘆かれた少女は、問いかけた存在にそう囁いた。
豪華絢爛を表した、寝るのに困らない住むところ。一流が作り上げる食べ物。言うことを聞く僕。煌びやかな洋服に宝石たち。優秀な見目麗しい婚約者。
望んでしまえば手に入れられた。与えてくれた。そんな生活が許された日々の中で、彼女は静かに絶望して言ったのだ。
「あなたを、望んではいけないと言われたのよ」
――だから、代わりに手に入れられるそれらを望んだの。
そう言った彼女の瞳は、人知れず深い悲しみを湛えていた。それに気付いていたものは、どれほどいたのだろうか。
「でも、こんな生活も無意味ね。あなたを手に入れられないのなら、代わりを望んでも満たされないわ」
何をする気だ、と問いかけた。それを受けた彼女は、月に照らされながら今にも泣き出しそうに微笑んだのだ。
鎖が鳴く。去って行く彼女を追いたい自分を繋ぎとめるために。
「追ってこないで。わたくしは、ようやく望めるのよ」
彼女が、そう拒んだから。彼女の願いが、できる範囲のものなら最大限に叶えたかったから。ここに繋がれることが望みだと、そう告げられたから。
それでも思わずにはいられなかった。
たとえ、ここで一生を過ごすことになっても。
あなたさえいたら、幸せだったのだ。幸せ、だったのに。
あなたは、あなただけが言ってくれたのに。
「愛していたわ。――いいえ、これからも、あなたを愛している」
――だから、あなたに託すのよ。わたくしの“×××”を。
それからは、彼女付の侍女が迎えにやってきた。侍女も泣きそうに顔を歪めて、それでも仕事のためにやってきた。地獄みたいなこの場所から解き放たれて、初めて身を磨かれて。そうして初めて鏡で見た自分の姿に愕然とした。
「これから、お嬢様の元へ参りましょう」
「ああ、でも。もし、もしも叶うなら、お嬢様を……」
訪れる最期の朝。着させられたローブのフードを深く被り直して、侍女に連れられてやって来たのはたくさんの人がいる広場。こぼれ落ちた言葉は誰にも掬われず、沈黙を守って手を引く女に従って歩く。
「何があっても、どんなことが目の前に晒されても、お嬢様の願いのためにあなた様は生きてください」
「けれど、あなた様にその力が宿されているのなら。どうか、この下賎な民の願いを聞き届けては下さりませんか」
「なんて、お嬢様が解放なさったばかりだというのに、とんでもなく馬鹿な願いを口にしたものね……」
――どうしてだろうか。どうしてこんなことが許されるのだろうか。
彼女が見せてくれた婚約者の横に、口元を引き結んで目を潤ませている女がいた。風に靡く銀の髪、色素のない瞳はこの場の何処にも見当たらない特別な色。顔はいいのだろう。しかし、その醜悪さを隠し切れないオーラに反吐が出る。
そのうち、ドッと歓声が沸いた。いや、歓声と呼べるのだろうか。それはあまりに悲痛に満ちていて、慟哭のようだった。まるで彼女が惜しまれて、そしてその彼女に対する仕打ちに激怒しているみたいな、そんな声だった。
現れた彼女は、毅然と立っていた。いつ見てもそのオーラは美しく、そして心を安らぎで満たしてくれる。彼女の婚約者の横に我が物顔で立つ女とは天と地ほどの差だ。けれど、それもそうだろう。彼女は自分の世界で、そして唯一無二の肉親だったのだから感じ方に主観が入る。
「静粛に。これから彼の魔女を火炙りの刑に処す」
民衆を黙らせた王は一身に憎悪の目を向けられている。しかし、それも仕方ないことだ。
彼の王は、怒りを超えた恨みを持たれてしまった。
「どうしてこんなことが赦されるの」
自分から彼女を奪うなんてこと赦さない。こんなこと赦さない。
「教えて、ねぇ」
彼女から与えられた知識。彼女から与えられた“自分”。自分の中には彼女が至上で、彼女が幸せになれない世界なんて滅べばいいと思う。牢に繋がれていた世間知らずとは思えない思想だろう。繋がれた年齢を考えても、きっと周囲は理解できない。
それでもよかった。あそこは何もなくて、あったとしても彼女との時間だけ。年々消えていく訪問者などどうでもいい。完全に意識の外だった。ただ、気になるとしたら、刻まれた傷に彼女が涙を流すことだろう。繋がれている自分を求める彼女に、笑みを返すことしかできなかったこと。それが彼女を追い詰めてしまったのだ。
侍女に繋がれていない手を空に出す。そうして寄ってきたものたちは、自分にありとあらゆる“真実”をくれた。呼吸をするようにそれらはできた。
民衆の嘆きをよそに、彼女が繋がれたそこに火を投げられる。轟々と燃え始めるそれに目を逸らす人々は絶えない。
その中で、自分は知ってしまった。嬉々としてそれを見つめる女をこの目で捕らえる。
「お前が、貶めたんだね」
この声が届くだろうか。この手は届くだろうか。
牢に繋がれていた。この世界から隔絶されていた自分が、この世界の決まりのような出来事に対して初めて使うもので太刀打ちできるのか。そんな悩みが動きを止める。
その横で侍女がしゃくりを上げて叫ぶ。
「誰か、お嬢様を助けて……っ」
その悲鳴が心臓を突く。するとどうだろう。狭くなっていた視界がパッと広がった。
届かせよう。その答えだけが自分の中に残った。
「私から奪うなんて赦さない」
そうだよ。こんなの赦さない。
彼女を貶めた女にもよく見えるように、そして今も尚燃え盛る炎ですらいなすモノを降らせる。民衆は突然降り注ぎ始めた雨にざわついた。隣に立つ侍女まで驚きで目を見開いている。
火は小さくなり、それを見た自分は囁きかける。彼女は大切な人だから、どうかその炎を収めてくれ、と。
その願いは聞き届けられ、炎は体を揺すって霧散した。また、一際ざわめきが大きくなる。
「どうして……っ!?」
醜い女が喚き始めたのが耳に届く。女がどんなに願っても聞き届けられないのだろう。取り乱しようは半端ではない。
侍女がそちらに集中したのをいいことに、自分はその手を離して人垣を掻き分けて進み出る。痩せ細ったこの体でも容易に前へ躍り出ることができた。
飛び出した黒いローブ姿の人間に、まず最初に気付いたのは誰だっただろう。
処刑台に縛り付けられた彼女は、目を丸くして自分を凝視していた。
「……ルー?」
呼びかけに、自分は首を傾げて見せた。その仕草に彼女は肯定を得たとばかりに涙を流す。
青空の下、こうして出会うことができるなんて、思ってもみなかった。彼女の処刑を見せられるためにあの牢から解放されたのだと思うと、激しい感情が沸いてくるが。それでも、彼女の望みは少しでも叶えられただろうか。
「リディア姉様」
これは青天の霹靂だ。口角を上げて、ボロボロと涙を落とす世界で一番大切な肉親へ呼びかける。
彼女は信じられないといった風に首を横に振り、嗚咽を漏らす。
「ルー、あなたどうして……」
「どうして? それを、お姉様が言うのね。わかっていて言っているのかしら。それとも、こんなことを仕出かした肉親を信じたくないのかしら。でも、残念ね。私は言葉を有しても、知識を有しても、あの牢屋の外の世界はあなたを通してでないと知らないわ。だから、これがどんなことなのか知らないし、知ろうとも思わない。何故なら、私にとっての世界が壊されようとしているから」
吐き捨てると、リディアお姉様は顔を歪めてしまった。涙に濡れたその姿は、もう何処にも貴族らしさなど見えないだろう。年相応だろう姉の姿に、その姿ですら奪われようとしていたのかと思うと腹立たしい。
辺りに漂う彼らの気配がより一層濃くなる。自分の感情に釣られてしまうのか、その元凶ともいえる女に向かって研ぎ澄まされた刃物のような殺意を向けている。離されていた期間も物ともしない彼らは、本当に自分を愛してくれているのだろう。狂ったようにうねるこの感情も、それを思うと少しばかり凪いでしまう。
フードの下から、女を射抜く。只ならぬ気配に、女はしきりにこんなの知らない、こんなイベント知らないと口走っている。何を言っているのかわからない。気が触れてしまったのだろうか。
「それにしても、あの汚らしいオーラを吐き出す女がお姉様にやったことを、まさか私が知らないとでも思っているのかしら。ああ、でもその見解は当たりね。確かにここへ来るまでの私は知らなかったわ。でもね、お姉様。私が望めば、差し出してくれる彼らがそこら中に漂っているのよ。彼らが知らないわけないわ。だって、あの女は精霊の愛し子なのでしょう? 常に侍らせていい気になっているのだもの。気に入らない子達は告げ口をしてくれたわ。彼らは良くも悪くも素直なの。私が望めばそこらを更地にしてくれるし、果てには人間が住まう土地から手を引かせることもできる。あら、それを言ってしまうと私はとんでもない人ね」
クスクスクス、と面白くもないのに笑ってみる。民衆から悲鳴が上がるも気にならない。この瞳は汚らしい女を捕らえて離さない。
きっと、散々綺麗だと持て囃されただろう。その特異で、けれど渇望される異名は彼女を驕らせた。銀に輝く髪の毛も、色素がない瞳も、それが精霊の愛し子だという証。でもどれも、彼女からあふれる腐臭に翳らされている。精霊が腐らされているのだ。ああ、本当に醜い人。
侍女の声が聞こえる。お嬢様、と叫ぶ声だ。それを聞いて、“私”はフードを取って見せた。
「ねぇ、あなたは特別らしいわね。でも、あなたは相応しくないわ」
ふわりとたなびく銀糸の髪、煌く色素のない瞳。これを持っているのが女だけとは限らない。それでも、稀に見るしかないものだけど。
この場で晒された私の姿に、民衆は歓声を上げた。先ほどの慟哭を露わにしたものより、喜色を孕んでいる。精霊の愛し子が現れたのだ。それも、リディアという処刑される少女を救おうとする、自分らの味方として。
女は喚く。どうして、と。こんなの知らない、どうして。そんなことを私に向かって言うなんて、馬鹿じゃないだろうか。
精霊が私を守るように囲いだす。それも常人の目にも映る密度で。駄目押しだろう。彼女も王族も目を離すことはできなくなった。
「ねぇ、あなた。名前も知らない腐った人。私の愛する人を殺そうなんてよくできたわね。ああ、でもおかげで私は外に出ることができたのかしら。魔力を封じられ、閉じ込められ、暴力を振るわれて、それでも無意味に生きたと思っていたけれど。それでも私に知識を与え、言葉を与え、感情を与え、愛をくれたただ一人の人を、世界はまだ滅びなくてもいいか、と思わせていたお姉様を、あなたはまるで道端の小石を蹴るみたいにするのね。それが赦せないわ。だって、あなたは精霊を腐らせる悪人なんですもの。オーラが濁りきっていて、今にも暴走しそう。ああ、本当に汚らしい。お姉様のほうが、とても綺麗だわ。ええ、ええ、本当に。言葉を交わしたくもない。その首が落ちればいいのに、なんてうっかり望んでしまいそうだわ」
私の言葉に女が無様に打ち震える。首を庇う姿に、もしかしたら、と思ったのだろうか。そんな姿を鼻で笑ってやる。お姉様を貶めたのだ。これで終わらせるわけがない。
「そうそう、証拠がほしいかしら。でも、そうね。どうしようかしら。私が牢に繋がれたのは、この世界に生を受けてわずか五つのときだったの。わけがわからないまま薄汚い場所へ押し込まれたときは、何がなんだかわからなかったわ。私とお姉様の親となるべく人たちが押し込めて、何も考えられないようにしていたのよ。それがどんなに罪作りか。ああ、駄目。私でも彼らをとめることはできない。今頃思い思いに手を下されていることでしょう。笑ってしまうわね。これが因果応報なのかしら。ああ、これもどうでもいいわね。今はあなたのことよ。あなたがお姉様を貶めたその証拠、精霊たちが覚えている範囲で見せてあげる。遠慮しなくていいわ。どうせあなたがお姉様に被せた冤罪の証拠よ。いいえ、あなたたちが、かしら。私とても怒っているの。お姉様の口調が移ってしまうくらいには、頭に血が上っているのよ。ちょうど王様もいるから見てもらいましょう。名案ね。しかと絶望してから後悔して下さいね」
その言葉のとおりに、空には精霊の記憶が映し出される。今にも腐り落ちそうな彼らの、決死の覚悟で持って映されたそれはとても鮮明だ。醜悪な女の顔も、すべてが曝け出される。金切り声が広場に満ちるも気にならない。侍女に抱えられたお姉様が、私を見つめてしゃくりを上げている。求めるように手を伸ばされたら、応えないわけにいかない。
鉄格子を挟まないで触れ合うのは、いつぶりだろうか。とても久しぶりのそれは、ゆっくりと心に安らぎをもたらす。
「お姉様。リディア姉様」
「ルー。ルーテシア、わたくしの無二の妹。……ようやく、お前に会えましたわ。望んでいたのよ、ずっと」
「知ってるわ。お姉様のおかげで、私、外に出られたの。精霊たちにも会えたわ。託された命も、こうして手にできた。お姉様が形振り構わず私を救ってくれたように」
望んではいけないと思っていた。――それは、私もだった。
私という存在が足枷になっているのではないか、なんて考えない日はなかった。
それでも、手放せなかった。手放したくなかった。どんなに無力になろうとも、彼女だけは失いたくなかった。どんなものでも代わりにできない。代わりになんかなれない。それを、ずっとずっと思い知らされた身だった。
「お姉様、だから、もう自己犠牲なんかしないで。私はそんなの望んでない」
強く訴えるように言葉にしたら、お姉様はわっと泣き出してしまった。それでも懸命にうなずいて、私を抱きしめてくれる腕に嘘はない。
――本当に、綺麗。キラキラ、キラキラ。あなたの周りはまぶしい光に包まれている。
お姉様は愛されている。ずっとずっと、この世界に。それを私はずっとずっと知っていた。理屈じゃなく、それはもう本能で。
「ルーテシア。これからは、一緒に暮らしましょうね。やっと、やっと望みが叶う」
人が変わったと周囲に嘆かれ、深い悲しみに沈んでいたお姉様が望んだ、それは。
望んではいけないと諭されてきた私という、無二の妹との暮らしだった。
背後で醜悪な女がお姉様の代わりに断罪されている。我慢できなくなった精霊が食べてしまったのだろう。一種の魅了に取り付かれた精霊も、そのあとの末路は悲惨なものだ。
それすらも、私には気にならない。
だって、それもすべて、因果応報であって。私にはもう関係ない代物だから。
「お姉様。大好きなお姉様」
抱きしめるぬくもりに確かめるように腕に力を込める。ああ、とても温かい。これが人のぬくもりなんだと、ようやく知れた。
長い年月奪われていたそれに、私も静かに涙を落とす。
「これからは、あなたの傍で、あなたの幸せを望めるのね」
END
思いついたままに書き連ねた悪役令嬢の断罪イベントです。
ヒロインが現れるまで庶民にも心寄り添い淑やかな令嬢だとされていたリディアがその箍を失ったように人が変わってしまい、悪役令嬢のような振る舞いをした結果、執行されるはずだったイベントはそのリディアが長年望んでいた妹ルーテシアを解放させるための足がかりでしかなかったという。
そしてね、その妹ルーテシアの豹変が恐ろしい。どうしてこうなったのか、書いているうちにそうなったから仕方ない。牢に繋がれて、外界との接触は訪問者の罵詈雑言と姉との対話。それが純粋になるわけないし、性格も見事に捻くれる。お姉様至上主義。結果、自己犠牲なんか赦さないし、ヒロインめっちゃ嫌いだし、精霊まで腐らせるとかまじないわ。本能に刻まれた愛し子の力。存分に披露しましたね。きっと将来は理性的にも使っていることでしょう。
あとがき長くなりましたが、どうでしたでしょうか。少しでも閲覧された方たちが楽しめたら幸いです。ありがとうございました!