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2 セカンド ミッション

 罪悪感というのはなかなかにしぶとい。ボディーブローを食らったようにジワジワと小心者の心を蝕んでいく。朝の挨拶はあれから当然のように繰り返されてクラスの仲間という意識は芽生えた気がする。けれど、時々感じる視線の意味は謎のままだ。健全な男子高校生の考えている事なんて私にはさっぱり分からない。

 蛇に睨まれた蛙の如く毎日小さくなって教室の隅っこで怯えていた私に更なる試練が訪れた。

 

 私は先に述べたようにこれといって自慢できるスキルは持ち合わせていない。勉強も苦手、容姿も普通、特化した趣味もない。運動だって人並み程度だ。それなのに、何故か今、リレーの選手に選ばれている。


「並木さん陸上部だから走れるでしょう」


「えっと……」

 それは思い違いというものです。

 平泳ぎのスイマーに背泳ぎの競技を強いているのと同じ理屈だと気付いて欲しい。


 私は長距離のランナーで瞬発力は並以下なのだ。

 全速力でグランド半周なんて小学校の運動会以来したことは無い。

 もしかしたら逃げ足はまっちゃんの方が早い位のレベルなのに、リレーの選手なんてとんでもない。しかも男女混合リレーは体育祭の花形。失敗を笑って許されるお遊びとはわけが違う。


「反対の人いますか~」

 是非反対して欲しい。何だったら当日ズル休みをすることも厭わない。それくらいに気持ちは拒否しているのに自分から言い出せないへっぽこさに情けなくなる。


「それじゃあリレーの選手は決定です。これから練習の予定を選手のみんなで決めるので放課後残ってくださいね」

 もう、どうにでもなれと言う気分だ。

 

 放課後の教室に数人の生徒が談笑している。

 このキラキラした人たちの輪に入って行かなければいけないというのは思った以上に勇気がいる。私以外に選手は3人。全員クラスの中心人物で当然仲が良い。勉強も運動も出来る華のある人たちが集っている。


「並木さんもこっちにおいでよ」


「はい」 

 そこには当然「出来すぎ君」の藤堂君もいるわけで、文化祭以来苦手になった藤堂君とまともに目も合わせられない中話し合いは続く。何度もリレーの経験があるのだろう。走行順に練習の日程など話し合いは迷いなくサクサクと進んでいく。私は第三走者で最終ランナーの藤堂君にバトンを渡す役回りだ。


「練習は各自で部活の合間にやればいいよ。頑張ろうね」

 そう言って笑うメンバーのみんなは不安が無いようにみえた。その余裕はどうやったら出来るんだろう。準備を怠らないと不安で仕方ない私と大違いだ。その日から私は部活の間ずーと、バトンを渡す練習を繰り返した。


 本番当日。

 見事な快晴の下、体育祭の競技は次々と執り行われていく。午前のラストが混合リレーの予選になる。緊張がピークに達して魂が抜けそうだ。


 私は「平常心」と自分に言い聞かせる。

 私の事なんて誰も注目していないのだから普段通りに走ればいい。そうして藤堂君にバトンを渡せば終わるのだ。

 第三走者が近付いて来るとゆっくり助走し、後ろに手を伸ばす。バトンが触れたと同時にしっかりと握り締め勢いよく走り出す。回りの声援は風にかき消され、心臓の音だけが聞こえる。目の前のカーブを過ぎれば藤堂君の姿が見える。もう少し、あともう少し、---そう思いながら砂を蹴った瞬間、ズルリと足が滑って前のめりに体が傾いた。野球のスライディングを想像してくれたら説明は必要ないだろう。バトンは藤堂君の待つ先方にコロコロと転がっていく。

 

 後悔と、悔しさと、悲しみと。

 頭の中が真っ白になる。


「並木さん!!」

 藤堂君の声がする。

 そうだ。

 考えるのは後でいい。

 今は行かなきゃ。

 藤堂君が待っている。

 泥だらけになりながらバトンを拾って藤堂君に繋ぐ為走る。確かに藤堂君がバトンを受け取ったのを感じた瞬間、藤堂君は見る見る遠ざかっていく。藤堂君の背中に翼が生えているようだ。


 藤堂君は格好良すぎだ。

 私の所為でドンビリになったのに最後は皆のヒーローになった。負けは分かっていたのに最後まで本気の全速力で皆をあっと言わせた。皆の心に残ったのは無様な私の姿じゃなくて藤堂君の風を切って走る姿だった。

 

 お手上げだ。

 こんな人に敵いっこない。私のちっぽけなプライドとか意地なんてこのグランドに無数に転がっている砂と同じだ。風に流されて東に西にコロコロと転がっていく。吹けば飛ぶような軽さでしかない。


「ひかり! 大丈夫? 取りあえず保健室行って手当てしよう」


「ごめんね、まっちゃん」


「何謝ってんの。ひかりは頑張ったじゃん。ちゃんと見てたよ」

 泥だらけの体操服とこびり付いた血を気にするでもなくまっちゃんが肩を貸してくれる。痛い足を引きずりながらグランドを後にする私の耳には皆の歓声が遠去っていく。それが酷く悲しい気持ちにさせた。


「派手に転んだのね~」

 先生も呆れるほどの汚れようらしい。

 まっちゃんは教室に着替えを取りに行ってくれる。タオルで身体の汚れをふき取ると真っ黒になったタオルを握りしめた。どうして肝心な時にしくじるんだろう。この先の事を考えると憂鬱になるばかりだ。

 ガラリと戸の開く音がする。

 教室に行ったまっちゃんが戻ったと思った私は無遠慮にカーテンを開いて、現れた人物にドキリとさせられた。そこにいたのは心配そうに様子を伺う藤堂君だった。


「並木さん、大丈夫?」


「うん。平気。ちょっとすりむいただけだから」


「これ、よかったら使って。洗濯してあるから大丈夫だよ。お節介な母親が着替え用に持たせてくれたんだけど、役に立って良かった」


「ありがとう。でも、今制服を取りに行ってるからいいよ」


「まだ半日残ってるのに制服じゃ不便だよ。少し大きいかも知れないけど着てみて」


「……うん」

 親切を無下にするなんていけないことだ。

 気使ってわざわざ保健室まで来てくれた藤堂君に八つ当たりするほど幼稚じゃない。

 カーテンを閉めて着替えをする。藤堂君はそんなに肥っていないのに男の子のジャージなんだな。大きいなんてものじゃない。ブカブカだ。


「やっぱり、すごく大きいね」


「並木さん、華奢なんだね。なんか、すげーかわいい」

 イヤイヤ、私は月並みなMサイズの体型をしているのです。華奢なんて何処を切り取っても出てきません。幼い子どもを愛しむみたいに笑われても説得力はない。むしろ慰められている気がする。


「---力になれなくてごめんね」

 今このタイミングを逃すまいと、文化祭の時には言えなかった言葉を含めて謝ってしまう。まるで今日の出来事がこの一言を言う為のお膳立てだったような気がしてくる。


「俺のほうこそごめん。最後まで諦めずに走ってくれた並木さんのバトンを受け取ったのに、力不足で追いつけなかった」


「そんな……」

 泣きそうだ。

 毎年夏休みに上映される国民的アニメの感動シーンのようだ。流石は出来すぎ君。レギュラーじゃなくても存在感はピカイチだ---なんて、こんな馬鹿なことでも考えていないと本当に涙が出そうだ。

 藤堂君はずるい。どうしたって私の中では頭の上がらない優等生で雲の上の人だ。いじけてひねてみても可愛くも何とも無い私が安い涙を出すわけにはいかない。


「次に私が藤堂君のバトンを受け取る時には全力でゴールするね」


「うん。任せたよ」

 次なんて有りはしないと知りながら精一杯強がってみる。

 安堵して笑顔を零す藤堂君は偶像のように現実味がない。こんなに近くにいても手の届かないスクリーンの中の人のようだ。

 ジャージに刺繍された藤堂の文字を指先でなぞってみてもその思いは消えてくれなかった。 


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