流されてそれから
森の中を流れる川、そのすぐそばで慎一は飲み込んだ水を吐き出していた。
「げほっ」
ばしゃりと口から水が出される。幸いにも量は少なかったようで、二回吐いたところで体調も落ち着いた。
ふう、と一旦深呼吸をして辺りを見渡す。周りは身を投げたときと同じように、相変わらず森が広がっており、木々がうっそうと茂っている。おかげで日の光がさえぎられ、昼間にしては暗い。
そして隣には死ぬ気で抜け出した川が流れ、先をたどれば大きな滝があった。流されていた間小さな落差は何度か経験したものの、必ずその先に地面がはっきり見えていた。しかし今回は水でできた靄の先に遠くなった地面が見え、慌てて力を振り絞ったところ、向上した身体能力のおかげもあってギリギリ脱出できた。まさに九死に一生であった。
(というか、もしやこの身体能力が十全に使いこなせれば、あの渓谷も飛び越せたりしたのか……?)
わざわざ渓谷に飛び込んだのは無駄骨だったのではないか。そんな考えもよぎったが、終わったことであるし、意味もないのでやめにした。
ぼたぼたと水を垂らす服の裾を絞り、近くの適当な岩に腰かけて装備品の確認をする。
腰のポシェットは奇跡的に外れずにいた。中には水の入った皮袋と水に濡れた携帯食料が入っている。とはいえ量は少なく、どちらも二日持たせるのが限界だろう。他には短剣も流されずに済んだ。
(そしてこれか)
そう思った慎一の手に、再び二挺の散弾銃が現れる。どうやら武器の具現には銃と、必要ならば銃弾の大まかなイメージがあれば十分らしく、いちいちこまごまと思い出すことのなさそうだ。加えて具現化は最初から銃を出し消しでき、頭領の時のように一度ただの持ち手の形状を介する必要もない。
(とはいえ、こいつについてはまだ分からないことだらけだ)
試すべき点はいろいろある。
慎一は両手の武器を握ったまま、今度は左右別々の武器を想像してみる。
(どうだ?)
するとまたしても銃が光り、異なった形状をとっていく。光が収まったとき、右手には半自動装填の拳銃が、左手にはセミオート式の標準的なライフルが現れていた。相変わらずトリガーはついていない。
(デザイン細部は……やっぱり自動的に決まってるのか)
決して銃器マニアではない慎一のイメージはひどくぼんやりしたものだった。しかし出来上がった銃は細かいところもデザインされている。おそらく自分が今まで何となく見てきた、エアガンや銃の写真の記憶をもとにできてるようだ。
しばし鑑賞していると、ガサリと草が震える音がした。即座に音の方に向き銃を構える。
茂みの中から出てきたのは一体のゴブリンだった。
(ここにもいるのか)
ゴブリンは慎一をロックオンしたようで、ゆっくりと歩き寄ってくる。
(かわいそうだけど、こいつに実験台になってもらった方がいいか)
突進するゴブリンに後ろに跳ぶことで対応。距離を考えて左もハンドガンに変更、銃口を目標に向け睨みつけた。
戦いは数分足らずで決着がついた。元より余裕が持てると判断したからこそ、武器の試験を兼ねた戦闘をしたのだ。手こずるはずもなかった。
(この武器について、結構分かったのは良かったとするか)
分かったことは四つ。
一つは具現化した銃器にリロードは必要ないこと。明らかに込められる弾数以上を弾倉交換なしで打てた。
二つ目は空薬莢は出ないこと。正確に言えば排出はされても、すぐ霧のようになって空中に消えるのだ。これは空薬莢で足をとられる危険性がないと考えれば素直にうれしかった。
三つ目は、銃の具現化と変更にかかる時間は全て一秒程度であること。仮に剣を持った相手に懐に潜り込まれでもしたら、一秒という時間は貴重であり、うかつな武器変更はできなくなるだろう。
そして四つ目、反動は相当抑え込めるということ。こちらは武器というより、慎一の身体能力の話である。ゴブリンの止めには、対物ライフルをイメージした銃を片手打ちしたのだが、横っ飛びしながらだったにもかかわらず、ほぼ狙い通りの位置に打ち込むことができた。大砲を具現化するのでもない限り、移動と攻撃は両立できそうだった。
(十分か)
成果に顔をほころばせる慎一だが、すぐに引き締める。派手に戦ったために、魔物や獣の注意をひいてしまったのは確実だ。微かにだが足音も聞こえる。
後ろを見るもそこには断崖絶壁が控えている。当分の目標として川沿いにさかのぼりながら、村があることを期待することにして、急ぎ足で歩き始めた。
10日後。
慎一はいまだ森の中をさまよっていた。あれから村はおろか、人っ子一人会うことができなかった。とっくに疲労はピークに達し、足元が不安げになっている。目の下にはくっきりと隈ができており、睡眠がまったく足りていないことを物語っていた。
ここまで弱った理由は、単独で魔物がいる森を進んでいるためだ。昼はもちろん夜も警戒しなければならず、うまく木の洞に寝床をとれても音がすれば飛び起きてあたりを確認する。大半は何もないが、まれに魔物が近くまで来ている場合もあった。倒すのであれば寝る場所を移さなければならないし、そうでなければ息をひそめながら立ち去るのを待つ。
いくら体が強くなり強力な武器が手に入ったといっても、寝ている間に襲われてしまえばどうしようもない。しかしその間の警戒も一人で行わなければならず、結果として慎一はひどい睡眠不足になっていたのだ。
付け加えるなら食糧事情も悪かった。携帯食料は当然亡くなっている。魔物は倒しても、ゴブリンなどは人型のせいでとても手を出す気にはなれず、角付きイノシシは純粋にまずかった。火を通した上で食べてみたが、ゴムのような食感と生ごみのような臭気で、二口も食べれば吐き気がのど元までせりあがってくる始末だ。
他の動物が食べている木の実などにも手を出したが、量が少ないので腹が膨れず、大半が渋かったり苦かったりと決しておいしくはなかった。
ただし水に関しては、水魔法で供給できたのでありがたかった。傍に川があるとはいえ、今慎一がいる場所はすでに渓谷になっていて気軽に水汲みには行けない。そもそも生水という時点でリスキーであり、可能であれば避けたいと思っていたぐらいだ。
とにかくそんなわけで慎一は今、体調・精神ともに限界であった。陽も沈む寸前であり、一刻も早く休める場所を探さなければならない。
すると、50メートル先当たりのところに洞窟があった。ちょうどいいと歩いていくと、中から何人かの声がする。
念のために足音をひそめ、入口まで行く。そこまでくれば会話ははっきりと聞こえた。
「なあ、これからどうするんだよ副頭領」
「そうだ。頭領は死んじまったし、今はあんたがたよりなんだぜ」
「うむむむ」
聞き覚えのある声だった。それは以前慎一たちの前に立ちはだかった山賊たちであった。皆洞窟の中で焚火を囲みながら、話し合っていた。副頭領と呼ばれたネズミのような小男は問いかけに唸っている。
「おまけにあいつらは取り逃がしちまったしなあ」
火を囲む男たちのうち、ひげ面の男がぼやく。察するに勇者の捕縛に失敗したらしい。
(ここを借りるのは無理だな。全員追い出すのも難しいし)
静かにその場から離れようとする慎一に、気になることが聞こえてきた。
「しっかしあいつらも不幸だ。よりによってリーデンの手駒にされちまうなんて」
「まったく、連中に洗脳でもされたんかね」
「違いないや!」
(……どういうことだ。手駒? 洗脳?)
もっと先を知りたいと思った彼は、そこで不注意にも枝を踏んでしまう。
パキリ、と音がしてそれは山賊全員にも聞こえた。
「そこにいやがんのは誰だ!」
(まずい!)
精神状態がまともなら音を立てずに済んだかもしれない。胃やそもそもここまで近づくリスク自体冒さなかっただろう。だが寝不足と一向に人と会わないという焦燥感は、着実に慎一の判断力を低下させていた。
しかしそれでもすぐに思考を戦闘用に切り替える。
(逃走は間に合わない。じゃあ、山賊を倒すには……この武器か!)
決めるが早く両手に武器を召喚し、入り口で山賊と相対する。
「手前か!」
近くにいた髭の男が剣で切りかかる。
この時慎一の両手の武器は、銃ではなかった。パイプの先にノズルがついており、消火栓の先の方を思い出すデザインだ。しかしパイプには小型のタンクがついており、それとは違うことがわかる。
慎一は両手の二挺をひげの男に対して構え、発射した。
「ぎゃあああああああああああああ!?」
発射されたのは炎だった。まともに受けた男が一瞬で火だるまになり悲鳴を上げる。更にその周囲にいた男も何人か、巻き添えになった。と同時に洞窟内の温度が一気に上がり、猛烈な熱気が山賊たちに襲いかかる。
「あ、あっちいいいい!」
一人が慌てて外に出ようとするが、出口には火炎放射器を抱えた慎一が待ち構えている。右手の一丁をその男に向けると、火の玉がもう一つ出来上がった。
「に、逃げろお!」
山賊は入り口からの脱出をあきらめざるを得なかった。さらに奥にある部屋にかくれることで、慎一の炎攻めから逃げることにしたのだ。
だが慎一からしてみればそのまま逃げられるのは好ましくない。注ぐ魔力量をいい気に増やし、炎がその激しさを増した。運悪く最後尾にいた五人がとらえられ、全身をあぶる炎と火傷の痛みに悶え狂う。
様子は慎一からもうかがえたが、今更攻撃をやめたところで意味はない。火勢を強めたまま、窒息死狙いで洞窟を炙り続けることにした。
そのまま何十分か何時間かして、ようやく放射器をしまう。中の様子をうかがうも、動く気配はしなかった。念には念を入れてグレネードランチャーを召喚、奥の部屋につながる通路に二発打ち込むも反応はなかった。
(確認に行ってもよさそうか)
そう思った瞬間、がくりと慎一の膝が折れた。おまけに眠気と風邪を引いた時のようなだるさが全身に襲いかかってくる。明らかに魔力切れの症状だった。
(ま、まずい。このまま意識が切れるのは……)
しかし体は思ったように動かない。極度の睡眠不足、たまりにたまった疲労、体調最悪のせいで気づけなかった魔力の枯渇。抗うのは勇者の体でも限界だった。
慎一は洞窟の壁に身体を預け、寝入ってしまった。
洞窟に差し込む朝日に、慎一が目を覚ます。変な姿勢で寝たものの、睡眠がとれたことで体調は良くなっており、ここ十日間で最高の目覚めである。
辺りを見渡すと、まさに惨状というべき光景が目に入ってきた。転がっているのは九体の焼死体。おそらく相当苦しんだと思え、地面にはのた打ち回ったらしき跡がいくつもついていた。だが顔面からは察することはできず、なぜなら全身が黒くなっており、およそ表情とよべるものが読み取れないからである。服はほぼ燃え尽きたようでみな裸だが、苦悶した証らしき限界まで開いた口に、真っ黒の人間だったものが何体も並んでいるのは下手なホラーより恐怖を煽りそうだ。
(口を開いてるってことは窒息死。いや酸素不足の状態で、痛みによるショック死の可能性もあるか)
そんなことをぼうっと考え、ふと我に返る。
「こんなところで寝てたのか、俺」
よく寝られたもんだと思いながら、やるべきことを考える。目の前の死体は放置して、まずは奥の部屋に生存者がいるかを探さなければならない。もし万が一いるようならば、街道に出る案内なりを頼むつもりだ。またいなければ、物資や地図を探す必要もある。
慎一は通路に入り、そして前者の可能性が潰えたことを悟った。なぜなら通路にもこれまた死体が並んでいたからだ。見たところ30人ほどの山賊が折り重なっており、下の方はわりかし奇麗なままで、上の方は焼け焦げていたり体の一部が吹き飛んでいたりする。
(将棋倒しってこと)
予想はつく。昨晩慎一の襲撃で通路に殺到した山賊は、この通路で将棋倒しを起こし奥の部屋に進めなくなった。そのまま動けない状態で、下の人間はその場で圧死。後ろにいた人間は炎で焼かれ、前にいた者も熱か酸欠で死んだのだろう。また手足や指の一部が吹き飛んでいるのは、昨日撃ったグレネードをくらったためであろう。
とりあえずこのままでは奥の部屋に行けないため、死体を運び出す。ついでに荷物を漁って、何か有益なものを持っていない確認するもこれといったものはなかった。
ようやく奥の部屋につく。部屋には何個も木箱が並んでおり、倉庫になっているようだった。端から探していくと、保存に向く食料や待望の地図、そして金貨や銀貨も出てきた。
(持っておけば役に立つときもあるだろう)
十分な食料と金銀貨を適当に突っ込み、地図を確認する。
「意外と近いな」
山賊の手製なので詳細ではないが、街道やジュッテンの街の場所も書き込まれており、ありがたいことに洞窟からの方角・所要時間もご丁寧に書いてあった。そしてジュッテンには、何とか夕方までにはつきそうだった。
(これでやっと帰れる)
ふうと安堵の息をつく。
荷物を確認し両手に対魔物用に拳銃を用意する。地図を片手に、慎一は死体の積み重なる洞窟を後にした。