討伐遠征、案の定の結果
やっとヒロイン登場です(なお大して絡まない模様)。
夜、慎一はベッドに転がっていた。今日一日でひどく疲れてしまったのだ。すでに宿の風呂にも入り、食事を済ませている。なので眠気は相当のもので、先ほどから何度もまぶたが重りの付いたシャッターのように落ちそうになっている。
現在慎一がいるのは王城ではない。勇者たちと騎士団の一行のために用意された高級そうな宿の一室である。彼らはつい先日王都を立ち、この宿を拠点に勇者たちに実戦を教え込むための遠征をしている。今日はその初日で、慣れないこともあってか皆疲れていた。
そして慎一はその中でも一番疲労していたといっても過言ではない。
あまりに眠気がひどいので、部屋にある紅茶――正確には紅茶に似た何か――を飲んで少しでも頭をはっきりさせる。一息つくとさっきよりは意識もクリアになった。そして紅茶を入れたカップを眺めながら、昼間の初めての実戦を思い返した。
生徒たちと教師は、騎士団に周りを囲まれながら森の中を歩いていた。目的はもちろん、魔物との戦いを経験することである。先導は騎士団長のジョアンがしており、護衛の騎士たちは整然としていたが、勇者たちははやる気持ちが抑えきれないものも多く、隣同士でしゃべっていたりする。
彼らはつい6日前に王都を出発し、今は国境近くの街ジュッテンに宿を貸し切って拠点を置いている。道中は王国が用意した馬車による移動で、慎一などは尻が痛くなることを覚悟したが予想はいい意味で裏切られた。どうやら魔法か何かを使っているらしく、馬車の揺れは新幹線の座席と同等ではないかと思うほどに抑えられ、お陰で生徒と教師合わせて41名は尻を赤くすることなく、目的地までつくことができた。
もっとも慎一にとっては、揺れが少なかったからといって快適な道中だったわけでもない。車内で一緒になった生徒からは、言葉には出さずとも見下した視線が突き刺さり、過去最悪の乗り心地であった。また、途中で宿をとるために立ち寄った街でも、慎一はあからさまにハブられた対応をとられていた。とはいえ、大塚たちから暴力を振るわれることはなかったので、その点に関してだけは良かったといえる。
そして道中は、さすが王国近世の馬車なだけあって、警護装置もしっかりしていた。その上多数の騎士団員が護衛してるとあっては手出し者は少なく、数回魔物の襲撃があったぐらいでしかも護衛の騎士があっさり倒してしまった。
これが数人の商人や旅人であれば何回もの襲撃に頭を悩ませるのだが、彼らはここではそんな経験はせずに済んだ。
結局ごく一部、もとい慎一の馬車を除いて極めて平和にジュッテンまでの旅を遂げることができたのである。
さて、騎士と勇者たちが歩いていると、戦闘のジョアンが突然止まり、後方に手で合図を送る。すると騎士団の面々はいっせいに剣を抜き、臨戦態勢をとる。様子を見て生徒たちにも状況が分かった。魔物が現れたのである。
「全員、武器を用意しろ!」
ジョアンの指示に従って武器を召喚する生徒たち。慎一も念のため「持ち手」を召喚するが、すぐにベルトにかけた即席のホルダーに突っ込む。代わりに腰につけた短剣を抜き、体の重心を落としていつでも攻撃できる態勢をとる。
そうこうしている間に魔物が目の前に現れた。小学生くらいの身長に汚れた緑色の肌、服はぼろきれ1枚を腰に巻いた程度で手には棍棒を持っている。
「ゴブリンだな」
ゴブリンは有名な下級の魔物だ。知性は低く、基本は群れで行動する。また明らかに勝てない相手でも挑む習性をもつ。その理由はとにかく繁殖力が強いので、たとえ数十体が死んだところで群れ全体には大した影響を与えないからだとされる。
そしてゴブリンは、今の勇者たちにとっては手ごろな実戦相手であった。
「よし、ではこれから実戦を経験してもらう。そこの六名」
前の方にいた6人の生徒達がジョアンによばれる。
「訓練通りにあそこのゴブリンを倒してみろ。ほかのものは待機だ」
言われた生徒たちはおっかなびっくりな姿勢でゴブリンに近づいていく。もちろん彼らの傍には、何かあったら即座に対応できるようジョアンたちが控えている。
「ギ、キキィ!」
先に襲いかかってきたのはゴブリンの方だった。棍棒を構えながら迷いなく、あるいは考え無しに、男子の一人に突っ込んでくる。
「う、うおああああ!」
男子は構えていた召喚武器の大剣を勢いよく、目の前の魔物めがけて振り下ろす。
「ギャッ」
大剣は勇者の恩恵で強化された常識はずれの身体能力でもって、ごうと音を響かせて切り下ろされた。剣は見事ゴブリンの脳天から垂直に股まで引き裂き、右と左の半身に割れて倒れる。
「……やっ……た?」
「そうだ、見事だったぞ。とても初戦とは思えない太刀筋だった」
男子生徒は確認するように剣を見つめ、少しして雄たけびを上げた。
「よっしゃあ、やったんだ! 俺が!」
彼ははた目から見ても分かるほどに喜んだ。今まで訓練ばかりで、本当の意味で力をふるったことはなかった。それが初に実戦で初めて魔物をたおしたことで、勇者の力をふるった実感と、勇者の力で敵を倒したことに思わず感極まったのだ。
歓喜するクラスメイトが隣にいて、影響されないわけがない。ほかの五人も魔物を討ち取らんと態勢をとる。幸いにもゴブリンは、こちらを警戒しつつも逃げる様子はない。獲物としては申し分ない。
「よし、俺も行くぜ!」
「わ、私も!」
それぞれの生徒が魔物に突っ込み、剣で、槍で、鎌で攻撃していった。結果、騎士団が出るまでもなく、ゴブリンはあっさりと壊滅した。
「よし。では場所を移して、次のものはそこで戦ってもらうぞ」
ジョアンの声に生徒たちはいやおうなしに昂ぶった。
何度もローテーションして戦う生徒たち。戦い終わった後の彼らの顔は実に晴れ晴れしく、満足感に満ち溢れていた。ちなみに戦闘に直接参加しない、回復魔法特化の杖のような武器の持ち主は、戦い終わった生徒の疲労を和らげる、といったことをしていた。
ジョアンは何度目かのちょうどいい魔物を見つけると、全員を誘導する。しかし近づいていくと既に誰かが戦っていたようで、剣を振る音が聞こえ次第に大きくなってきた。そ
距離にして10メートルほどまで来ると、さすがに無視できなくなったのか、戦っている人物は片手に持った片刃直剣を魔物に向けたまま、招かれざる軍団に顔を向けた。
「……どちらの方です。わざわざこちらに来ることはないと思いますが」
その人物は女性だった。顔立ちはまだ少女の面影が残っていて、年齢は慎一たちと大差なさそうだ。赤茶色の髪は首のあたりから三つ編みにして流し、腰の近くまで伸ばしている。日本人ではありえない深い青色の目からは、今はあえて自らのところに来た集団への疑念と警戒に染まっている。
服装はスラックスと長袖シャツといった簡素なものだが、戦闘に耐える素材と作りのようで、よくよく見れば相当しっかりしていること気づくだろう。そして、シャツを押し上げる豊かなふくらみとそれに見合わぬほっそりとした腰回りが、彼女が女性であることを存分に主張していた。男子生徒や騎士団の中でも女慣れしていない者などは、思わず目が釘づけになってしまった。
慎一も彼女を見てきれいだという感想を抱いたが、それ以上に気になったのが女性の姿勢と剣だ。いついかなる状況にも対応できるように、余分な力を抜きつつ周囲に気を配っている。慎一は訓練でジョアンの手本を見たのを覚えている程度だが、今の彼女はまさにその状態であることが見てとれた。
「見たところ傭兵か」
ジョアンが女性に問いかける。口調にはきついものか籠っており、どうやら傭兵に対してあまり良い印象を持っていないようだった。
「そうですが、何か」
「そのゴブリンどもは我々が相手にする。貴様は引っ込んでおれ」
普段は紳士的な態度のジョアンにしては、ひどくきつい言い方だ。驚いて彼の顔をうかがう生徒もいた。
「……これは私が最初に戦っていたのですけど」
「どうでもよいわ。薄汚い傭兵のことなどいちいち勘案している暇などない。もし渋るようであれば、我々王国騎士団の相手もしてもらうぞ」
そう言ってジョアンは腰の剣に手をかける。それに続いて周りの騎士も同調したように戦闘態勢をとる。
さすがに多勢に無勢で不利と見たのか、女性――もとい女傭兵――は仕方ないとつぶやくとゴブリンを騎士たちに譲った。
「このことはギルドを通じて、抗議させてもらいますよ」
そう言って彼女は去っていった。その身のこなしは素早く、状況的に置いてけぼりをくらった生徒は一瞬で見失ってしまった。
「すまなかったな、みんな。それでは実戦訓練を再開しようか」
振り返ったジョアンは先ほどまでの危うい雰囲気はどこへやら、普段通りの顔で勇者たちについげた。
トラブルはあったものの、とにかく慎一の順番だ。目の前には相変わらずゴブリンがいる。数は十体で、これまでの戦績を見れば勇者たちが手こずるはずもない相手だ。
しかし、慎一には注目が集まっている。性格には注目というより、慎一がどんな無様を見せてくれるのかという期待だ。
体にまとわりつく粘ついた、嫌味ったらしい視線の数々を意識の外に置き、短剣を構える。
「おい高見、自慢の武器は使わねえのかよ?」
「無茶言ってやんなよ。そもそも使えないんだからさあ」
後ろに控える生徒からヤジが飛ぶ。ジョアンが一応たしなめるので収まったが、依然嫌な空気を慎一は感じていた。
ゴホンと咳払いをして、ジョアンが合図をかける。
「では……かかれ!」
一斉に勇者たちがゴブリンにかかる。ほかの生徒はあっさりとゴブリンを倒してしまうが、慎一は違う。
慎一はまず眼前のゴブリンをしっかりと見据える。棍棒を振りかぶる姿勢をとり、今にも襲いかかってきそうだ。短剣はすでに抜き、構えをとっている。片手で扱えるタイプの剣なので右手に持ち、左手は体術のためにからである。
「ギェア!」
先に仕掛けたのはゴブリンだ。奇声を上げながらまっすぐ突っ込んでくる。棍棒の軌道は縦、体の中心線を狙ってくる。
ギリギリまでひきつけたところで体を横にする。棍棒は慎一のすれすれをすり抜け、ゴブリンはいきおい前につんのめる。それを見逃さずすかさず足払い。前のめりに倒れるゴブリンを確認し、短剣でその無防備な背中を襲う。
ここで達人なら狂いなく急所を一刺しするのかもしれない。しかし慎一は自身がそこまでの技量を持っていないことを知っていた。勇者としての身体能力があれば可能だったろうが、今この場ではないものねだりだ。
短剣の狙いは背中の下の方、腰のあたりだ。起き上がろうとするゴブリンを見て、素早く差し込む。
「ギイッ!」
ぐちゃりと肉がえぐれる感触とともに、短剣が根元まで突き刺さる。間をおかずして慎一は剣身を九十度ひねり、引き抜く。
「グギャウ!」
激痛に耐えられず、ゴブリンが悲痛の声を上げる。だがまだ止めはさせておらず、動きを止めただけだ。
今度こそ急所を狙おうとして、右から気配が迫ってくるのに気付いた。慌てて止まろうとするもよけきれず、横から割ってきた男子生徒に突き飛ばされた。
「一匹、もーらいっと!」
その男子生徒は案の定大塚健史だった。大塚は手にした聖剣を無造作に薙ぎ、その一撃でゴブリンはついに絶命した。そしてにやついた表情で、慎一の方に振り向く。
慎一は突き飛ばされた衝撃で背中を地面にしたたかに打ってしまった。しかし痛みに耐えながら何とか立ち上がり、大塚に怒りの視線を向ける。
「あ? 何それ、ケンカ売ってんのか?」
いかにも慎一の態度が気に入らない様子で、大塚がにじり寄ってくる。周囲に危険な雰囲気が流れ始めたが、それを止めたのはジョアンだった。
「待てタケシ。なぜいきなり他の者が戦っている場に割って入った」
ジョアンの詰問に大塚はちっと舌打ちをして向き直る。
「だって、どう見たって手こずってたじゃないですか。俺はただ、高見を助けただけですよ?」
「ゴブリンは瀕死の状態だったぞ」
「ジョアンさん、俺たちの戦いを見てたでしょう? ほとんどは一撃で倒してたのに、こいつだけはわざわざ時間をかけてやってたんですよ。ほら、間違いなく俺たち(・・・)よりは手こずってたでしょう」
どうやら大塚は自分の担当する分を瞬殺して、慎一の戦いを見物していたらしい。
ジョアンはそんな態度に、内心で肩をすくめた。そして一応全員が実戦を経験したということで、今日の戦いを切り上げて、全員を連れて宿に戻ったのだった。
そして一団を見つめる人物が一人、先ほど騎士団に無理やり追い出された女傭兵だった。彼女は傭兵ギルドに報告する情報を少しでも集めるべく、魔法で一時的に強化した視覚でもって集団の戦いを見ていた。
「何なのですかね、彼らは」
彼女は、騎士団とそれに守られる一行の正体をつかみかねていた。見た限りでは戦闘訓練だというのは分かるが、それ以上がとんと見当がつかない。騎士たちに守られているのは自身と大して年も変わらない男女で、それが何十人も集められている。そこまでは見てわかることだが、しかしなぜそんな集団がいるのかまではつかめなかった。
「でも一人、興味深いのはいましたね」
それは、周りが武器を召喚してとしているのに対して、一人だけ召喚せず短剣でゴブリンを相手取り、あと一歩まで追い詰めた男――すなわち慎一のことだ。もちろん彼女は名前など知らないが、予感を抱いていた。
「彼が傭兵にでもなったら、相当才能のある傭兵になりそうでしたけど」
棍棒をギリギリまでひきつける度胸。態勢を崩したい見るや否や間髪を入れず足払いする判断力と反射神経。そして確実に相手を殺すために、まず攻撃を当てやすい背中を狙ったこと。どれをとっても傭兵には必要なものだ。
そこまで考えて、彼女は頭を振る。今必要なのは未来の優秀な傭兵ではなく、ついさっき起きた問題の情報の整理だ。ギルドに報告すべきことを、頭の中で再度考え直す。
(また彼に会えるとしたら、楽しみですね)
しかし、そんなことを考えながら女傭兵、テオドール・バリウスは森を抜ける道を歩いていった。
「考えてみれば、今日一日は散々だったな」
むしろ今日一日も(・)、の方が正しいか、とひとりごちる。こぼれる愚痴には、もはや諦めの色すら見えていた。今日初めて経験した実戦を思い返したが、ゴブリン一匹とすこともできず、むしろ水を差された気分がぶり返して来るだけだった。
慎一はカップに残った紅茶を飲みきると、日課と化した「持ち手」の調査を始める。始めは魔力を武器に流し、そして徐々にその量を増やしていく。
(そういえば、明日は班ごとに行動するんだっけ)
作業をしながら、明日の予定について考える。今度は全員ではなく、あらかじめ決められたメンバーと班を作り、そこに護衛の騎士が付く。そしてそれぞれ別行動を取り、協力しながら戦闘していくという形式だ。ちなみに班のメンツは翌朝発表されることになっていた。とはいえ、慎一にはあまり関係のない話かもしれない。
「どうせ誰と組んでも、あんまり変わらないだろうし」
面々がだれであっても、慎一の立場が下になることには変わらなそうだった。もはや諦観しながら、今日の出来事を洗い流すように、武器の調査に没頭していった。