リーデン王国という国
野宿するも特に何も起きず、王都への旅は順調だった。道中何度か魔物の襲撃はあったが、ホーンベアですら秒殺してのけた二人だ。それ以下のランクが複数襲ってきたところで、コンビネーションの確認がてら一掃されてしまうのがオチだった。本来この街道は、魔物は出てもDランクがせいぜいであり、ホーンベアと遭遇することは極めてまれである。
そういうわけで慎一とテオドールは、互いの戦闘スタイルを確認しつつ、夜は雑談やテオドールから情報を教えてもらっていた。というのも、今まで王城にいたせいでこの世界のことは概論的なことしか知らず、傭兵ギルドの存在や魔物の部位の換金すらわからなかったのだ。クラスメイトすら信用できない慎一にとって、とにかく情報を集めるのは生き残るのにマイナスということはない。
また、テオドールも慎一が割とものを知らないということを十分察していた。慎一からしてみれば異世界でいきなりサバイバルなのだからあたり前なのだが、テオドールからは普通ならば知っていてもおかしくないことも知らないのだ。だが戦闘のセンスはあったり、何より見たこともない武器で魔物を打ち抜く慎一に、彼女個人としても非常に興味をひかれた。
そういうわけで、情報交換は有益であった。もちろん、お互いに突っ込みすぎた質問はしなかったが。
王都まであと二日の距離になった日。その夜は野宿ではなく、街道沿いの村に宿をとることができた。村といっても旅人向けの宿泊施設があるくらいなので、そこそこの規模がある。
二人がついたのは陽も沈みきった時間帯だったため、部屋は一つしか空いておらず、相部屋となった。
男と同室は気にならないのかとテオドールに聞いてみたところ、「傭兵ですから、何かあっても十分な腕は持ってます」とのことだ。もっとも、たった数日間とはいえ旅を共にしてきたのだ、テオドールはそんなことはないと思っていたし、実際慎一も変なことをする気はさらさらなかった。
夕食は宿の食堂で簡単に済ませ、今慎一は食料の買い物から宿に戻るところだ。とはいっても王都まではすぐであり、大した量は買っていない。マジックポーチに買ったものを入れ道を急ぐと、すぐ先に変わった建物があるのが見えた。
それは家や店の類には見えず、周りと比べてもいささか造りが立派なようだ。玄関先には黒い服を身にまとい、何か光るものを首にかけた男性が立っている。
(宗教施設か、これは)
何となく察しがいく。おそらくここは教会に相当する建物で、立っている男は聖職者なのだろう。考えてみれば、なるほどそれらしい恰好であった。
「そこの方」
じっと見ているのに気が付いたのか、男の方が話しかけてきた。男は30代半ばぐらい、眼鏡をかけた温和そうな風貌をしている。
慎一は怪しまれたと思い、適当に言いつくろって去ろうとした。しかし、そこで山賊が言っていた言葉を思い出す。
(『狂信者』、とか言っていたな)
以前から頭の片隅に引っかかっていた言葉だ。
むしろこれは情報を仕入れるいい機会ではないか、慎一はそう考えた。
「はい、なんでしょう」
「いえ、先ほどからこちらを見ていらっしゃるので、つい気になって声をかけてしまいました。気分を害したならすみません」
男は外見通り丁寧な対応だった。
「私は、この教会で神父を務めておりますベルリと申します」
「シンイチです。じろじろ見てすみません、ちょっと珍しかったもので」
「おや、教会を見るのは初めてですか?」
「ええ、なにぶん田舎から出てきたもので」
「そうでしたか。あなたも大変な思いをしてきたのですね」
さらりと嘘を吐く。
ベルリは予想通りにのってきてくれた。ここからさらに話を進める。
「シュタル教の教会ってどこもこんな感じなんですか?」
「とんでもない、街に行けばもっと大きなものがありますよ。それに王都の教会にはご神体である勇者様の銅像もありますし」
慎一はシュタル教について、王城にいたころの座学でちらりと耳にした程度である。勇者たちが宗教になじみがないことを見抜かれたのか、深くは教わらず笑りあっさり流されてしまった。そのため慎一が覚えているのはリーデンの多くの人が信仰していることと、崇拝対象が過去に召喚された勇者であるということぐらいだ。
「勇者……様って魔人族を倒した人たちですよね。お話でしか知りませんけど」
「そうですね。魔王の手先にして全人類の敵、魔人族。その者達を倒すために召喚され見事魔王を倒した、まさに人類の救世主と呼ぶべき方です。最近また魔王が復活した、なんて噂もありますが勇者様はそんな事態を見逃すような方ではございません」
ベルリの口調には熱がこもっていた。見れば胸元の光るものは剣を持った人のペンダントであり、これが勇者であることは想像ついた。
若干陶酔気味な様子にやや引いたが、気を取り直して気になったことをベルリにぶつけてみる。
「ところで、傭兵についてなんですが……」
そう口にすると一転、ベルリは眉をひそめていかにも不機嫌そうになった。
「傭兵ですか……。あなたは彼らと何か関わりが?」
「は、はい、まあ」
関わりも何も、慎一自身傭兵ギルドに登録された立派な傭兵なのだが、明かすメリットもないので黙っておく。
「傭兵にはかかわらない方がいいですよ。彼らは時として、魔人族とも手を組むことすらあります。彼らが色々と有能であるのは事実です。力を借りなければならない場面も時にはあるかもしれません。
しかし、真にシュタル教徒たるのであれば、あのような者と関わったりするのはおやめなさい」
ベルリはズイと顔を近づけて言う。威圧感すら覚えるその姿に、慎一は表面を取り繕いながら、内心にシュタル教、そしてリーデン王国への疑念と不信感を抱かずにはいられなかった。
「ベルリ様ー?」
教会の中から少女らしき声がする。おそらく教会の人間だろう。ベルリは我に返ったように顔を離し、自戒するかのごとく首を振る。
「申し訳ありません、つい熱くなってしまいました」
「とんでもない。ためになるお話、ありがとうございました」
「そう言っていただけるとありがたいです」
慎一は別れの挨拶をするとその場から去っていく。集めた情報はかなり重要であった。
(思い返してみれば、魔人族は倒すべき存在で人類の敵、としか教えてもらってないな)
王城の座学は終始、魔人族を悪に仕立て上げていた。しかしいま、慎一の知識からは必ずしもそうとは言い切れない、という結論が出される。
(『洗脳』か……あながち間違いでもなさそうだ)
自身の、というより勇者全体の置かれた環境が歪んでいる可能性もある。リーデン王国に対する疑惑の念は増すばかりであった。
宿の部屋に戻ると、テオドールが剣の整備をしていた。この世界では魔法があるため、血や脂で二、三人切ったらすぐ切れ味が落ちる、ということはない。それでも刃こぼれの危険は付き物で、定期的に確認し研いだりする。
慎一はそんな様子をはた目で見ながら、荷物を整理する。といってもやることは多くなく、作業はあっさり終わってしまった。
テオドールもちょうど作業が終わったらしい。慎一はポーチから小さなやかんとスタンドを取り出し、水を入れてお湯を沸かし始める。ポットと茶葉の入った袋、二人分のコップも用意してしばし沸騰するのを待つ。
二人は何を話すでもなく、やかんを炙る火を見つめる。ここ数日はもはやこれが習慣となっていた。きっかけはテオドールに教えてもらったシューという野草を、香りが似ていたので試しに乾燥させて湯で飲んでみたところ、緑茶そっくりの味わいになったことだ。日本の味に慎一はすっかり気に入り、興味ありげに見ていたテオドールにも飲ませたところ、彼女の好みに当てはまり、夜はこうして二人分の茶を用意するようになっていた。
やかんの口から湯気が出て、お湯が沸いた。茶葉を入れたポットに注ぐと、透明の湯が緑に色づく。少しなじませてからコップにつぎ、一つをテオドールに手渡す。
「はいよ」
「どうも」
湯気の立つコップに口をつける。口の中にお湯の温度と、日本茶を思い出させる渋みと苦み、そしてそれらを引き立たせるほのかな甘みが広がっていく。飲めばのどと腹の中が温まる感覚がし、思わずほうと息をつく。
テオドールはといえば、どうやら猫舌らしく、息を吹きかけて冷ましてから飲んでいる。
「ところで、テオドール。少し聞きたいことがある」
「はい、なんです?」
問いかけられコップを脇に置くテオドール。
「傭兵は随分この国じゃ嫌われているみたいらしいが、それは他の国も同じなのか?」
慎一はリーデン王国、もっと言えばシュタル教がこの世界でも異常なのか、それとも普通なのか確かめたかった。そんな中でもあえて嫌われる傭兵をしている人物であれば、分かるのではないかと考えたのだ。
「そんなことはありません。むしろリーデン王国の方が少数派です」
「……魔人族ともたまに手を組むとも聞いたんだが」
さんざん悪だと教えられてきた魔人族であるが、今やその教え手への信頼がぐっと下がった状態では、鵜呑みにするのは危険であった。
「まあ、そういう人もいますね。そもそも魔人族は純人族と友好だった時期もありますし、今でも規模は小さいものの、交易を続けている国もあるみたいです」
「……そうか」
「これも初耳で?」
「まあな、お陰で結構な知識が誤っている可能性が出て来たよ」
やはり王国の授業で教えられたことは嘘が多いように思えた。もちろん、テオドールの話を盲信するのも危険だが、どちらにせよ王城に戻ったら疑ってかかったほうがよさそうだ。
そう判断したところで、今度は逆に問いかけられた。
「シンイチは、このまま王都に戻るんですか?」
「……ああ、そのつもりだが、一体どうした」
いきなり不自然な質問をされて、疑問顔になる。もともと護衛の依頼も王都までであるし、今更だった。
「シンイチだったら傭兵としてもやっていけそうに見えたもので」
「さすがにリスキーすぎる。コネも知識も経験もない、おまけにやっていくにしても生活できる保証すらない。ないない尽くしだろう」
「やっぱり、そうですよね」
慎一の意見に、テオドールは残念そうにしながらも賛成する。実際問題、慎一が今から傭兵として活動するには、その基盤と環境がとてもでは足りない。少なくとも、しばらくは素直に王国に戻るのが得策だった。
「なんだっていきなりそんなことを聞いたんだ」
そう言うと、テオドールは言いよどむ。そして数秒逡巡して、少し恥ずかしそうに顔をかきながら言う。
「いえ、あなたの腕の良さもそうですが、一緒にいるとなかなか楽しかったもので。また機会があればいいなと思いまして」
「そればっかりは、本当に機会があればの話だな」
「ですね」
テオドールはあきらめたようにため息を吐いた。静寂が二人の間に流れる。
「もう遅い、寝るとしよう」
「そうしましょうか」
やかんやコップを片付けて、床に敷いた寝袋に入る。
(傭兵として、か)
現状、自分の身の安全を考えれば召喚国であるリーデン王国にいるのがベターなはずだ。しかし王国がうかつに信用できないと知った以上、従いきれない時が来るかもしれない。そうなった時に、傭兵というのは自分の性に合ってそうに思えた。
(選択肢として考えておくか)
そんなことを考えながら、慎一は眠りに落ちていった。