王都への道
翌朝、慎一とテオドールの二人は店の中にいた。この店は傭兵ギルドの直轄店であり、極端に高い品物はないが、全体的に品ぞろえがよく品質も確かなものが置いてある。それゆえ、初めての装備を整えたりするのにうってつけなのだ。
「何より必要なのは、服と防具、それとマジックポーチですね」
「……初めの二つは分かるが、マジックポーチってのは初耳なんだが」
マジックポーチとはその名の通り魔法が仕込まれた、旅人の必須アイテムである。大きさは普通のポーチと変わらないが、中の広さが魔法の効果で広げられており、見た目以上の容量を持つ。加えて入れたものの重量は、装備している人間にかからないので、ほとんど空身で動き回ることができる。
「そんなものがあったのか」
「ええ。ただし全体的に高めなので、駆け出しの傭兵では手の出しようが無かったりしますけどね」
並べられたポーチを前に悩む慎一。値段も最低で大銀貨5枚からとなっており、確かに彼らには無理だろう。
マジックポーチはどうやら容量や機能で違うらしく、複数の種類がある。
「ちなみに、今回だとどのくらいの容量がいいんだ?」
「そうですね、王都までの一週間補給なしなら中くらいの、途中の村に立ち寄ったりするなら一番小さいものでいいと思います」
「……じゃあ念のため大きいのにするか」
慎一がとったのは勧められたものより一つ大きなタイプだ。金は嵩むが、実際の大きさが変わらない以上、大きいほうが役立つと判断した。
「少し大きすぎません?」
「金に余裕は持てそうだし、この先必要になる機会がある気がする。だからこれでいい」
テオドールは「そうですか」と言って、次に服と装備を選ぶことにした。
服と装備は、テオドールだけではなく店主も手伝って決めた。幸い早朝だったので、他に客もおらずじっくり決めることができた。
靴はとにかく丈夫な作りで山にも適応したブーツ。上下はこれまた耐久性に優れた長ズボンに長袖シャツ。その上から動きを阻害しないように胸当てなどの防具をつけ、腿丈のコートを着る。色合いは全体的に暗めだったが、明るい色はあまりに合わないだろうとのことで納得した。
「こんなところか」
店主が鏡で見せてくれた自らの恰好に、そう感想を抱く。今までのボロボロのものより、ずっとましになったことは間違いなかった。見ればテオドールも満足そうな顔で慎一を見ていた。
服飾品も整えたところで、残りの装備もそろえる。小型テントに寝袋、雨具や保存食やら買うものは多かったが、マジックポーチにしまうと全く負担はなかった。あまりの便利さに、これまで馬鹿正直にただのポーチを使っていたのは無駄だったのではないかと思うほどだ。
支払いも予算内に収まり、二人は店を出る。すでに日は登りきり、朝の喧騒が街を包みこんでいた。
町の出口、王都までの街道の始まりにある門では、つつがなく手続きも進み、町の外に出た。目の前に広がるのは果てが見えぬ森と、その中に消える街道だ。
「いくか」
「ええ」
二人は頷きあうと、王都へ歩を進めていった。
森に入って数時間、今のところ魔物の襲撃もなく平和な旅が続いていた。問題といえば二人の間に会話がないことだが、特に気まずい様子はなく、それでいてお互い周囲の警戒はできている。つまるところ、慎一とテオドールの相性は、雑談をしなくても構わないものだった。
二人が会話を交わしたのは、前方に異常が起きたためだ。
「あれは……?」
「どうしました? 魔物、というわけではなさそうですね」
「向こうの木の裏、人の陰があるんだが……様子が変だ」
慎一がさした先、遠くの木に確かに寄りかかっている人影らしきものがある。それだけならただ休んでいるようにも見えるが、件の人影は微動だにしない。しかも街道側に寄りかかるのではなく、その裏側にちょうど隠れるようにあった。
「確かに変ですね」
「確認しておいた方がよさそうか」
「ええ」
近づいてみると、理由はすぐにわかった。まず鼻につく圧倒的な血の臭い、そして気に寄りかかる男はこと切れているのが一目で見て取れた。それは生気の失った表情からも分かったが、それ以上に、男は顔の右半分と右肩から先を失っていた。
「……これはひどいな」
惨状を目にして、いくつもの死体を見てきた慎一も口と鼻を覆ってしまいたくなる。テオドールも同感のようで、ずいぶん渋い表情になっていた。
「しっかし、一体何に襲われたんだ?」
むせ返る死臭に耐えながら、死体を観察する。顔と肩の断面はまるで何かにえぐられたようであり、よほど強い力がかかったことがうかがえた。
「……ホーンベアかもしれませんね」
「ホーンベア?」
おうむ返しの慎一に、テオドールがうなずく。
ホーンベアとは、頭に一本の角を持つ熊の魔物である。体長は5メートル前後、並外れた力と厚い毛皮、そして巨体に見合わぬ俊敏さで知られ、単体ではBランク相当の強さを持つ。
特徴としては縄張り意識が強く、特に子育ての時期は母親・父親ともに非常に好戦的になるとされている。
「おそらくこの人は何かの拍子に縄張りに入ってしまい、ここまで逃げてきたものの殺されてしまった、というのが一番ありえそうですね」
「なるほどな」
説明に慎一が納得いく。よく見れば死体の靴周りがひどく汚れており、逃げていたのは間違いなさそうだった。
「もしかしてここも縄張りだったりするか?」
「縄張りに入った人を追いかけてはしても、ここまで縄張りとは考えにくいですけど……街道の傍も傍ですし――」
そこまで言いかけて、二人は危険な気配を感じる。テオドールは剣を構え、慎一は両手にライフルを召喚する。
気配を感じたのは森の奥からだ。そしてその気配は今も近づいており、それを裏付けるように何かが動いている音がする。
「テオ」
「なんですか、シンイチ」
「さっきの発言、撤回した方がいいんじゃないか」
「今そうしようと思ったところです」
「……それじゃあやっぱり今近づいてるのは」
気配の正体が見えた。角を持つ巨体の熊、まさしくホーンベアだった。
ホーンベアは二人を注意深く見つめ、今にも襲い掛かりそうな態勢をとる。
「……ところで、あなたの武器は遠距離系でしたよね」
「そうだ」
ホーンベアから目を離さないようにしつつ会話を交わす。
「私が一太刀浴びせるので、それに合わせて仕留めるなり妨害するなり、お願いします」
「ずいぶん信用してくれるんだな」
「外しても私一人で対応できるので。慎一の力も見たいところですし」
「さいで」
喋っていたのを隙とみたか、ホーンベアが突進してくる。テオドールは素早く反応し、同じように突っ込む。一瞬慌てたホーンベアだったが、間合いに入ったとみるや否や、爪を振りかぶり正面の侵入者を抹殺せんとする。
先ほどの死体が食らったのはこの一撃だろう。いくら鍛えた傭兵とはいえ、まともに受ければただでは済まない。
しかしテオドールは即死の一撃を、交わすでも受けとめるでもなく、斬ることで防いだ。女性らしい細身の体から、それと見合わない力で振りぬかれた剣は、テオドールに届くはずだった魔物の爪を、その腕ごと切り飛ばした。
腕を取られた痛みに悲鳴を上げようとするホーンベア。だがそれはすぐに断ち切られた。
パアンと音を立てて弾丸二発がホーンベアの頭部を直撃、貫通。生命を完全に断ち切られ、ランクBともいわれる魔物はあっけなく崩れ落ちた。
「案外あっさりだな……こんな感じで良かったか?」
銃弾の主である慎一が、テオドールに問いかける。両手はハンドガンに変え、咄嗟のことに対応できるようにしている。とはいえホーンベアはピクリとも動かず、ほぼ間違いなく死体になっている。
「予想以上、それに見たこともない武器ですね。魔法使いが使う杖とも違うようですが」
「まあ。詳しいことは後で説明する」
なにか聞きたそうな態度だったが、隠すべき部分もある。言葉を濁して、おざなりにしておく。察したテオドールもそれ以上突っ込んでくることはせず、魔物の処分について聞いてきた。
「で、ホーンベアの死体はどうします? かさばりますし角だけ取っておきますか?」
「こいつの角って換金できるのか」
「ええ」
魔物の皮や部位が換金できるのは珍しいことではない。魔物退治も請け負う傭兵ギルドに至っては、部位の買い取りも重要な資金運用の一つだ。えてして装備品や装飾品、まれに美術品としても取引されるので、流通のカギを握っているギルドの立場からしてみれば、持ってきてくれるのであれば越したことはない。
テオドールは結局角だけを切り落とし、残りの毛皮などは惜しみながらも放置することにした。
「さあ、先を急ぎましょう」
「そうだな。……とその前に、そっちの死体は放っておいて大丈夫か?」
慎一はもう一つの、先に見つけた旅人の死体を顎で示す。
「死亡を知らせる義務とか、そういうのはないのか?」
「街道ではあまり見かけないですが、野垂れ死にはよくあることです。何もしなくていいと思いますよ」
「ならいい」
ホーンベアと男の死体を置いて、二人は先を進む。振り返ることは特になかった。
その日は野宿することになった。簡易テントを手早く設置し寝床を整え、魔法を使って焚火を起こす。
夕食は固いパンと、運よく仕留められた鶏に似た鳥の肉だ。仕留めたのは慎一のライフルだったが、つい先日まで日本の高校生をしていたのに、捌き方など知るわけがない。しかしテオドールはしっかり知っていたようで、血抜きから解体までスムーズにこなし、今は肉を火で焼いているところだ。
「そろそろいいでしょう」
焦げの臭いと肉がじゅうじゅうと焼ける香りが漂う。テオドールはナイフを入れて二人分に分けると、一つを慎一に渡した。
「ありがとう」
「いえ」
食事の支度は整った。特に何か言うでもなく二人は食べ始める。
パンは相変わらず固く味も薄かったが、肉を焼いたのは満足が行くものだった。焼き方がうまいのか肉汁がしっかり閉じ込められており、一口噛むごとに中からじゅわりと肉の味と脂が溢れてくる。塩と香辛料も薄く効いており、ほのかな塩味と鼻をくすぐる香りが食欲を増す。
ふと思いついて、肉とパンを短剣で割き挟み込んでみた。するとこれまた美味であった。パンはすっかり冷めていたが、熱々の肉を挟むことで温まり、さらに肉汁がしみこむので柔らかくなる。かぶりつくと、まるでチキンバーガーのような食感で、素朴なパンの味に肉の味がどっしりと乗っかって、実に相性が良かった。
気が付けばあっという間に食べてしまい、その間会話は全くなかった。見ればテオドールも食べ終わっており、カップのお湯を飲んでいる。
しばらくはそのままだったが、ふとテオドールが尋ねてきた。
「ところでシンイチ、昼間のことですが……」
それを聞いて慎一はすぐ察することができた。
「武器について教えてほしい、か」
「ええ、私との連携にも関わってくるので」
「確かに、これは早めに伝えておくべきだった」
慎一は自分の武器、二挺の銃器を召喚できる『持ち手』について正直に話す。既に見られているうえ、これから戦闘することがあれば下手に隠す方がまずいと判断したのだ。もちろん伝えたのは特徴と性能ぐらいで、そもそもなぜそのようなものを持っているのかについては話さなかった。そこまで信用したわけでは無いし、もともとおいそれと口にしてもいいことではない。テオドールとてある程度は察しているだろうが、わざわざ自分から相手の情報を確定させる必要はないものだ。
一通りの説明を終えるとテオドールが再び質問してくる。
「つまり戦闘距離と威力が変更できる魔力弾発射機みたいなものですか」
「そんなもんだな」
そう返すと慎一も先ほどのテオドールと同じように、カップにお湯を注ぎ飲む。気温が下がって肌寒い身体に、温かさが身に染みる。
「だから基本的には前衛がテオで近接、後衛が俺で遠距離攻撃というかたちで今後も頼む。接近されても対応できる自信はあるが、されない方がいいしな」
「分かりました、では以降はそのように」
軽く打ち合わせもすむと、テオドールはテントの中に入っていく。
「シンイチ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
夜の警戒は慎一とテオドールで分担することになっていた。慎一は今夜は遅くまで起きてそのあと交代する。森でさまよっていた時と違い、ちゃんと睡眠時間が確保できるのはありがたかった。
周囲の音や気配に気を遣うが、今のところ何の異常もない。
(それにどうせ、テオにしたって何かあれば起きるだろう)
自身に興味を持つ少女の傭兵だが、最高ランクである以上経験は豊富なのは間違いない。おそらく眠りを浅くして、いざというときにすぐ戦えるようにするぐらいはできるとみていい。
(王都まで、順調にいけば一週間かそこらか)
上を見れば満点の空が広がり、神秘的な眺めを演出している。月はちょうど満月で煌々と輝きを放っていた。
だが月の模様が日本にいた時とは異なる。少なくともウサギには見えなかった。
(住む場所が変われば、元いた世界でもカニとかにも見えるらしいがねえ)
取り留めもないことを考えながら、しばし異世界の夜空を楽しんだ。