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キミとの距離  作者: 狼花
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はじまらないいちにち。

『はじまらないいちにち。』

2013年10月31日

真坂倒さま企画「Trick with Treat」参加作品

 広がるのは、先が見えない底なしの闇。


 いまどこを走っているのか。いやそもそも俺は走っているのか。



 自分の姿すら見えない。聞こえるのは、荒い呼吸音のみ。それすら、俺のものであるのかすら自信がない。確かに地面を「踏んでいる」という感覚はあるけれど、それが果たして本当に俺の感覚であるのか。

 もしかしたら、俺はその場で足踏みをしているだけではなかろうか。いや、本当は地面なんてなくて、空中に浮いていたり――。




 ……ああ。




 俺はなぜ走っているのだろう?



 目の前の闇が、急にふっと揺らいだ。仄暗く明るくなったのだ。終わりのない闇の出口か――そう期待が生まれ、俺はさらに足に力を込める。

 どうしても前に進まなかった俺の足は、しかしどうしてか進んでいた。そう、目標物があったから近づいたことが分かったのだ。

 けれども、俺が前に進む速さと、目標の光に近づく速さがずれている。それで俺は気付く、『光のほうが俺に近づいてきている』のだと。



 思わず足を止めた。光は真正面から、滑るように近づいてきた。先程まで期待の光であったそれは、このとき何か不気味に見えた。

 カタカタ、と音がする。よく見てみると、その光は何かに閉じ込められて本来の明るさを失しているものであった。何に閉じ込められているのか――そう、ランタンである。



 カタカタ。カタカタ。



 音が増える。視界の左端が僅かに明るくなり、そちらに顔を向ける。同じようにランタンの光が、そこに近づいている。



 カタカタ。カタカタ。カタカタカタカタ。



 気が付けば、俺の周りを大量のランタンが浮遊しながら回っている――。



 カタカタカタカタカタカタカタ。



 ぼんやりと、正面のランタンの傍に人らしき輪郭が浮かび上がった。

 誰だ、誰なんだ。いい加減これがなんなのか教えてくれ。


 浮かび上がったのは――




 子供のころに絵本で見た、死神。


 目はくり抜かれ空洞と化して。

 顔の輪郭は白骨そのもの。

 だぼだぼの痛んだ黒いマントを羽織り。

 手には巨大な鎌を携え――。



 一直線に、俺のほうへ肉薄してきた。身を翻して逃げようと思ったのに、金縛りにあったように足は動かない。どうして、どうして。声すら出ない。声帯までいかれたか。



 目と鼻の先に、虚ろな死神の目がある。鎌を持たない骨の指が、俺の頬に触れる。ひんやりと、異常に冷たい指。嫌だ、やめろ。


 やめろ、やめろ、やめろ――。





 そして鎌は振り下ろされ――。





★☆





「れーんくんっ!」


 鼻に触れるのではないかと思うほど俺の顔に肉薄してあったそれは、オレンジ色の何か。


 三カ所ほど逆三角の形にくり抜かれた何か。


 ああ、カボチャか。……。



「――……カボチャぁああああああッ!?」

「わわわわっ」



 思わず飛び上がると、俺に超接近していたその巨大カボチャはどてんと横転して床にひっくり返った。ごろごろと転がり、部屋の隅にある本棚に衝突して動きを止める、オレンジのカボチャ。

 そしてベッド脇の床に座り込んで腰をさすっているのは、紛れもなく――俺の母親で。


「もうッ、(れん)くんったら、そんな急に飛び上がらなくてもいいじゃない! おかげで腰を打っちゃったじゃないの」

「お、俺が悪いのか? 俺が悪い!?」


 理不尽な逆ギレを受けて、いまだ整わない荒い呼吸のまま嘆く。ああもう、朝っぱらから心臓に悪い。


「大体、なんで勝手に俺の部屋に入って来てるんだよ」

「だってっ、煉くんちっとも起きて来てくれないんだもの」

「ちっとも!? ちっともって仰った!?」


 現在時刻は午前五時五十九分と五十六秒。ところで、俺は通常目覚まし時計のアラームを六時にセットしていた。

 で、そうしている間にも四秒が経過し、アラームが「ppppi!」と無個性な音を発した。八つ当たりがてら、手ではたくようにアラームを止める。


「……ほらほら、俺着替えるから母さん出てって」

「あら、お構いなく」

「そうじゃないだろッ」


 抵抗する母さんをなんとか部屋から押し出し、念のため内側から鍵をかける。一人になった途端にどっと疲れが押し寄せてきて、俺は大きく溜息をついた。

 母さんはいつもああだ。茶目っ気が抜けないというか、子どもっぽいというか。高校三年生になった俺を相手に、まだああやって悪戯を仕掛ける。こうやって寝起きドッキリを仕掛けられたことも、一度や二度ではない。


 寝間着代わりに着ていたシャツを脱ぎ、ワイシャツに袖を通す。ボタンを留めつつ、母さんが置きっぱなしで出て行ったカボチャに視線を下ろした。

 なんで急にカボチャなんだ? 今日は何かあったかな――と思ってつと顔をあげる。

 机の上に置かれたデジタル時計は、今日が十月三十一日であることを示していた。


 ……ああなるほど、ハロウィンだったのか。





 しっかり着替え、鞄とブレザーを持って一階へ降りる。階段を降りて正面の扉を開ければそこがダイニング。いつも席には父さんが座っていて、新聞を読んでいる。それが日常の姿である。そんなことを思いながら扉を開け、部屋に入りながら、


「おはよう、父さん」


 と言えば、即座に返ってくる父さんの低音ボイス。うんうん、いつも通り。


「おはよう、煉」



 しかしながら、そこにいたのはカボチャであった。



「えぇッ、えええええ!?」


 カボチャがッ、カボチャが座って新聞読みながら優雅にコーヒー飲んでる!


「朝から大きな声を出すなよ」

「貴方が出させたんです!」


 ついつい突っ込んでしまう。父さんは無表情で、おそらく母さんのお手製であろうカボチャの被り物を外した。そこにあったのは、いつもの無愛想な父さんの顔だった。

 父さんまでこんなことをするのか。冗談とか笑いとか、そういったものと無縁の父さんが。無表情でふざける分シュールだ。

 要するに、この母さんと結婚したくらいなんだからこのくらいノリが良くないと駄目ということか。ああそういうことか。


 キッチンでは母さんが鼻歌混じりに料理の支度をしている。それを見ながら父さんの向かい側に座り、ちらりと部屋の中を見渡す。そこかしこに小さなジャックランタンが飾られ(しかも本格的に蝋燭が入っている)、天井からはコウモリを模ったモビールが吊り下げられ、窓には賑やかなテープが貼られている。まったく、行事の度にこうである。家族三人のうち誰かの誕生日には必ず部屋中をデコレーションするのだ。行事を大切にしていると言えばそうなのだが、特に西洋風の行事の際は大騒ぎだ。クリスマスにはイルミネーションで家をライトアップさせるし、バレンタインデーはそれはそれは手の込んだチョコレートを作ったりする。

 今回のハロウィンも、その一環だろう――。


 にしても、一体いつの間にこんなデコレーションをしていたのだ。昨日の夜に自室に引っ込んだ時点では家の中はいつもの通りだったから、夜遅くまで起きていたのか朝早く起きたのかのどちらかだろう。それでこれだけテンションが高いのだから、大したものだよ本当に。


「はーい煉くん、ご飯出来たわよー」

「うん」


 母さんがトレイに乗せて朝食を運んできた。しかしながら、俺のすぐ隣に立ってトレイを持ったまま、母さんはぴたりと動きを止めた。怪訝に思って見上げると、母さんはにこにこと笑った。


「煉くん、何か言うことは?」

「は?」

「言うことあるでしょ?」

「……」


 まさか、俺にあれを言えと? 

 逡巡した結果、どうやら言わなければ朝食にありつけないらしいと悟り、俺は溜息をつきながら呟く。


「……と、トリックオアトリート」


 すると母さんは笑みを深くして、トレイを食卓に置いてくれた。


「はぁいどうぞー! まあ、私は煉くんに悪戯されても嬉しいけどね?」

「誤解を招くようなこと言わないでください……」


 もう、なんだよこのテンション。朝から疲れます。

 しかしながら、トレイに乗せられた朝食の皿を見て、俺はさらに気分を重くするのであった。


 おい、なんでカボチャケーキと思わしきものがメインとして乗っている。

 俺は朝は米派なんだ。

 それでなくとも、朝っぱらからなんで……。


「煉、早く食べないと遅刻するぞ」


 父さんの静かな一言。父さんの前に置かれたトレイにも、俺のとまったく同じものが乗っている。そもそも朝は米と決まっていたのは、父さんが和食派の人間だからだ。だというのに何も抗議しない! 礼儀正しく両手を合わせてから、黙々とケーキを食べ始めたではないか!


 くそ、これは俺も父さんのように順応しなければならないのか。


 しかしながら、父さんの言葉はまったく事実である。朝からケーキとは胸焼けしそうだが、俺としては遅刻のほうが恐ろしい。

 しかたないと思いつつ、俺もフォークでケーキを口に運んだ。


 ……ベースはホットケーキミックスだ。美味いね、うん……。





★☆





 母さんの盛大な見送りを受け、俺はやれやれと自宅を出る。残暑はようやく鳴りを潜め、涼しくて気持ちの良い空気がそこにある。痛くない太陽の暖かな日差し、雲一つない青空。ああ、こういう天気は好きだよ。

 のんびりと道を歩き出す。車通りも少ないこの住宅街の朝は本当に静かで、昨日は少し暑苦しかったブレザーも着ていて丁度いいくらいの気温。ハロウィン、ヨーロッパでは一大イベントかもしれないが、俺たちは「だからなんだ」といった態で今日も登校。


 俺の通う高校は、自宅から徒歩二十分圏内にある私立高校だ。近場に良い高校があったもんだ、と心から思っている。

 高校三年生。これからは、受験に向けて本格的な勉強に取り組む季節――。


「煉!」


 不意に背後から声をかけられた。足を止めて振り返ると、ひとり女子生徒が駆けてきた。家が向かいの幼馴染、杉浦(すぎうら)真稀(まき)だった。

 おはよう、と朝の挨拶が出るより先に、「良かったこいつカボチャ被ってなくて」と思ってしまったのは不可抗力だ。こいつも、なんだかんだでうちの母親とテンションが似ている。しかしいい意味で俺の期待を裏切ってくれた真稀は、いつものように長い髪をひとつ肩で緩く結んで前にたらしている。少々髪が茶色っぽいのは地毛だ。清楚そのもののような外見でいて、その実中身はとんでもなくお転婆である。


「おはよ、煉」

「おう」


 ごく自然と挨拶して、ごく自然と肩を並べて歩き出す。同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校、同じ高校と通ってきた幼馴染だ。こうして朝会って、そのまま学校に行くのも俺にとっては日常である。

 と、真稀が俺の顔を見上げてきた。


「ね、なんか言って?」

「なんかってなんだよ」

「見てわからない?」

「……前髪切った?」

「あたり、ちょっと毛先切りそろえただけだけどね。……ってそうじゃないわよ!」

「キレのあるノリ突っ込みですね朝から」


 ばしっと軽く肩を叩かれる。しかしまあ、当てずっぽうながら髪を切ったのは正解だったらしい。大体において、「何か変わったところはないか」と女性に聞かれれば髪のことだろう。そのあたり、俺は母さんに仕込まれている。


「髪のことじゃなくて、何か他にあるでしょ?」

「……?」

「今日は何の日なのよぅ」

「……ああ」


 ほら見ろ、やっぱりこいつも母さんと同じだ。というか、この言葉を『見てわからないか』というのには無理があるだろう。


「トリックオアトリート、ね」

「大正解!」


 真稀はそう言って、手に提げていた袋から小さな包みを取り出した。透明なビニールの袋に入っているそれは、手作りらしきクッキーだった。


「煉にあげる」

「……朝から思ってたんだけど、夜中に子供が仮装してあちこちの家に出向いて『トリックオアトリート』の合言葉でお菓子もらう、ってのがハロウィンだよな?」

「いいのいいの、ハロウィンなんて口実なんだから。昨日頑張って作ったのよ、黙ってもらっておいて」

「お、おう……サンキュ」


 真稀は昔からこうやって、何かと口実をつけてはお菓子を作ってくれる。……実は、すごい嬉しかったりする。


「あとはねぇ、美友(みゆ)真琴(まこと)笠井(かさい)くん。あっ、鳥海(とりうみ)くんにも」


 ……決して俺だけのために作ってくれたわけではないのは、分かっているけれども。


「随分大勢の分作ったんだな。ハロウィン口実にお菓子食べまくろうってつもりか?」

「うん、クラスの女子のみんなでお菓子持ち寄ってパーティーしようって! だから、男子諸君にもお裾分けだよ」

「そりゃどうも」


 そう、決して真稀は俺のためだけにでは――。


「そういえば、『朝から思ってたけど』ってなあに? もしかして、またおばさんにどっきりでも仕掛けられたの?」


 真稀の声に、俺はマイナスな考えを振り払った。と同時に寝起きに見たあの強烈的なカボチャを思い出してしまい、むっとする。


「ああ、また恒例の寝起きドッキリだよ」

「好きだねおばさんもー」

「いい迷惑だよ。おまけに、変な夢まで見ちまって……」

「どんな夢?」

「あー、それが……」


 そこで俺は、初めてあの夢の内容を他人に明かした。やけにリアルかつ得体の知れない恐怖に襲われる夢、いうなれば悪夢だったのだろう。しかしながら真稀はくすくす笑うのだ。


「まさにハロウィンな夢じゃないのー」

「そうかねえ」


 朝起きてカレンダー見るまで、今日がハロウィンであることなんて忘れていたけどな。




 通学路は最初こそ人気がなく静かだったが、さすがに学校の近くになれば学生で溢れかえるようになっていた。駅から徒歩十分というところ、徒歩の学生が殆どである。

 校門の前には数名の生徒が立っていた。腕には「生徒会」という腕章がついている。週に一回程度、生徒会と有志によって『朝の挨拶運動』なるものが行われているのだ。これは教員による服装検査も兼ねられており、俺たちのすぐ前を歩く男子生徒が慌てて緩めていたネクタイを締め直している。


「おはようございます!」

「おはよ」


 元気の良い、とはまさにこのことだろうという挨拶を投げかけられる。「一日は気持ちのいい挨拶から!」というのを信じたくなるほど爽やかだ。なんとも素っ気なく挨拶を返した俺に、小柄なその生徒会の二年――本間(ほんま)はただでさえ大きな目をさらに見開き、次いで輝かせた。そんな表現が似合う男子高校生、おそらくこいつだけだ。


市ヶ谷(いちがや)先輩ッ! おはようございますッ!」

「ああ、二回目おはよう」


 本間は生徒会長だ。こんなナリでも勉強、運動も含め成績優秀、そしてナリ通り生真面目で温和。

 九月に行われた文化祭終了後に、俺から生徒会を引き継いだ後輩だ。

 そう、俺はこれでも生徒会長だったのだ。信じられないだろう、俺が校門の傍に立って笑顔で「おはようございます」なんて言っていたなど。俺だってあの頃を思い出すと寒気がするのだ。


「ああ先輩ッ、少々ネクタイが曲がっておりますよ! 僕がお直しいたします!」

「あ、いやいいよ自分でやるから」

「そうおっしゃらずに! 是非とも! お願いします!」

「どうしてそこまでお前は拘る!?」


 相変わらずの本間に呆れつつ、自分でネクタイのずれを直す。それを見ている本間が『あああぁぁ~』と心底残念そうな声をあげるが知ったことではない。


 せんぱーい、また生徒会室来てくださいねー! と恥ずかしげもなく手をぶんぶん振っている本間をあしらいつつ、俺と真稀は校門をくぐった。溜息をついた俺を見て、真稀はにこにこと笑う。


「人気だよねぇ、かいちょっ!」

「元だよ、元。それに会長って呼ぶな」

「なんでよぅ、ほんとのことじゃん」


 俺が立候補したとでも? 担任に言われて無理矢理生徒会選挙に名前を入れられ、あれよあれよという間に通ってしまい、いつの間にか去年のこの時期は生徒会長を任されてしまったのだ。

 まあ、やって悪かったことがあったわけではないし、むしろ充実していたとは思う。決して嫌々やっていたわけではないのだ。


 昇降口で靴を履きかえ、階段で四階まで上がる。何の因果か、高校三年間真稀とずっと同じクラスだった。ふたりでこうして教室に入るのも、あと何回なのか――。



「おー市ヶ谷、はよー」

「おう、おはよ……」


 教室の後ろの扉を開けると、すぐクラスメイトの男子が声をかけてきた。この時間だとクラスの半数近くが登校しており、思い思いに朝のホームルームまでの時間を潰している。


 今日もいつもの通り、笠井あたりが席で漫画でも読んでいるのだろう――と思いつつ顔をあげて。



 俺は本日何度目の悲鳴を上げただろうか。



「おっ……お前らぁッ、何……ちょっ、えッ!?」



 クラスにいたのは制服姿の女子でも、体操着姿の男子でもなかった。


 魔女。吸血鬼。狼男。死神。悪魔。


 被り物を被っただけではない。仮装だ。変装だ。化粧というか特殊メイクをして、黒っぽいマントを羽織り、ウィッグをつけて。

 クラス全員が、そんな格好をしている。いつも大人し目だった女子もなぜか仮装している。なんだ、無理矢理着せられたのか?

 おいてめぇら、化粧禁止だろうがこの高校は!

 いや、突っ込むべきところはそこじゃないだろう、俺!


「なっ、何やってんだよお前ら!?」

「何って、今日はハロウィンだからよー」


 吸血鬼の格好をした笠井がへらっと笑う。こんな話題昨日出てなかっただろう、なんだ俺に対するドッキリか?

 俺はゆっくりと、後ろでにこにこしている真稀を振り返る。


「真稀……お前、知ってたのか……?」

「うん、だって煉以外みんな仕掛け人だもん」


 そう言って真稀は、袋の中から黒いローブを取り出して優雅に羽織り、その場でくるっと一回転してみせた。俺は盛大に溜息をついたのだった。



 予鈴が鳴る。教室に担任の体育教師が入ってきた。


「おーい席着けー」


 いつもの言葉だ。うんうん、いつもの……。



 なんだよあのフランケンのメイク。

 担任まで!? というか教師まで!? どういうことだよおい!? クラス単位でドッキリ!?




 ホームルームが終わり、クラスメイトは面白おかしい格好のまま次の授業の用意をしたり、他のクラスへ遊びに行ったりした。そわそわと落ち着かず生きた心地がしないのは俺だけのようだ。

 というかむしろ、俺だけ仮装していないのでまるで俺が間違っているのではないかと錯覚させられてしまう。いかん、正気を保て。まともなのは俺だけだ。


「市ヶ谷ぁ!」


 名前を呼ばれ、俺は思わず身を硬直させる。あの声は、隣のクラスの飯島(いいじま)だ。去年同じクラスだったこともあり、結構親しい。が、最近はもっぱら忘れた教科書の類を借りに来る。

 恐る恐る顔をあげる。教室の入り口に立って俺に手を振っている――全身カボチャ。


「お前もかっ」

「あー、何の話ー?」

「っていうか全身カボチャって趣味悪いな。もはや着ぐるみじゃねえか」

「だから聞こえないってー。そんなことより市ヶ谷ぁ、化学の教科書貸してー」


 その面白い恰好は『そんなこと』なのか。短足に見えるぞ、飯島。

 鞄から化学の教科書を取り出し、戸口で待つ飯島のところへ向かう。教科書を差し出す動作が緩慢になってしまったのは不可抗力だ。そんなことも気にせず飯島は教科書を俺の手からひったくり、心底不思議そうな顔をする。


「なんか腰が引けてねぇ?」

「気のせいだ」


 そういえば、何で別のクラスの飯島までハロウィンの格好をしているんだ? 飯島が仮装しても不思議じゃないタイプの人間だから、むしろ似合っているとまで思ってしまったのだが――。

 少々小柄な飯島の頭越しに、廊下の風景が見える。そこには他のクラスの生徒がたくさん――。


 愉快な格好をしていた。


「嘘だろ……」


 無意識のうちに呟き、俺は飯島を押しのけて廊下へ飛び出した。そして一気に駆け出す。後ろから飯島が何か叫んでいたが、気にするものか。


 階段を駆け下りる。途中で一年と二年とすれ違う。一人残らずハロウィンの仮装をしていた。どういうことだ、最初はクラスだけの催しだと思っていたのに、三年全体が、そして学校全体にまで規模が膨れ上がっている。朝、校門で見たときは誰ひとり仮装なんてしていなかったのに!

 学校全体のこととなれば、職員室は一体どうなっている!?


 一階にある職員室の横開きの扉を、俺はノックすら忘れて思い切り開け放った。途端、まさにいま中から扉を開けようとしていたらしい人影が飛びのいた。


「ひゃっ!?」

「うわっ、と……す、すいません!」


 慌てて頭を下げ、顔を上げ――絶句する。


「なんだぁ、市ヶ谷くんかぁ。吃驚したぁ」


 ほわほわとした様子で笑うのは、数学科の増田(ますだ)先生だ。俺たちの学年が入学当初からお世話になっている若い女性教師で、なかなか生徒から人気がある。そういえば今日俺のクラスの一限は増田先生の数学だったか。

 ……が。


「いや、俺のほうがもっと吃驚しました」

「ほんとぉ?」

「ほんとです。だってその格好……」


 言葉通りハロウィン一色な校内の中で、異質な白装束。

 雪女の格好だ。

 似合ってる。その清楚な感じがとてもよく似合っているが!


「なんかおかしい?」

「おかしいですよ! 雪女思いっきり和だし! ハロウィン全然関係ないし!」


 いや突っ込むのそこじゃないぞ俺!


「大体、なんで今日はみんな変な格好して――」


 まさかと思いつつ職員室を覗けば、案の定ひとりのこらず教職員は仮装している。そこには、これまたなんと形容して良いのか分からない格好をした校長の姿が。


「生徒会主導のイベントよぉ? 面白い、って校長先生が企画書にハンコ押してたの」

「……校長先生ぇ、なんでそこでハンコ押すかなぁ」


 っていうか、そんな茶目っ気のある人だったっけうちの校長は?


「それより市ヶ谷くん、いいところに来てくれたねぇ。一昨日集めたノート返そうと思ってたから、持ってって」

「え」

「どうやって上まで持って行こうかなあって思ってたところだったのよぉ。はい、どうぞ」


 有無を言わさず、俺はクラス三十人分のノートを両手に抱え、四階まで階段を上る羽目になったのだった。



 教室に入れば『ますみん可愛い!』という女子の声がお出迎え。ちなみに「ますみん」とは増田先生の愛称である。女子はこういうのつけるの好きですよね。

 照れたように笑いながらも増田先生はしっかり授業をした。

 続く二限、三限も、ごく当たり前のように先生たちが各々仮装をして教壇に立った。一番驚いたのは四限の体育だ、まさか狼男のマスクをしたままサッカーをやるのか! と同級生に突っ込みを入れたくて入れたくて仕方がなかった。

 昼休みに生徒会室に行ってみれば、本間が可愛らしい幽霊の覆面をつけてお出迎えだ。一体これはどういうつもりだと覆面を引っぺがして問い詰めてみれば、「市ヶ谷先輩への感謝をこめて、学校全体でドッキリをやろうということになりまして」との返事が返ってきた。

 ……そりゃあ、生徒会主導で退職してしまう先生にサプライズをしたことがある。だが今回の対象が俺、市ヶ谷煉であるのはどういう理由だ? しかも教師を巻き込んでまで。


 学校全体をボケに回し、突っ込みも疲れた俺は、午後は黙っていた。魔女に指名されて狼が立ち上がって教科書の本文を読みだしても、今更「シュールだ」なんて笑えない。人は順応する生き物だというが、まことその通りだとこの日痛感した。



 ――だが、それもようやく終わる。

 ついにやってきたのだ、放課というそのときが。



「あー……やれやれ……」


 フランケンの帰りのホームルームも終了し、愉快なクラスメイトたちは続々と教室を出て行く。ふん、今更何を見てももう驚かないぞ。カボチャがコウモリを呼びに来たところでそれがなんだ。魔女と狼が一緒に帰っているからそれがなんだ。


「煉、一緒帰ろ?」


 真稀がそう声をかけてくる。黒いローブを羽織っただけの真稀は、クラスの中ではまあ比較的控えめな仮装だった。俺は「おう」と力なく頷く。



 部活動に精を出す生徒の掛け声が聞こえる。うん、振り向くなかれ。どんな格好をしているかなど見なくともわかる。


 校門を出て市街地を歩く。うん、目を見張るなかれ。すれ違う一般の大人の人から子供までがハロウィンの仮装をしていたってそれがどうした。

 そうか、うちの高校、地元の住民からの人気があるからな。こうやってドッキリに乗っかってくれたのだろう。そうに違いない。


「なんか疲れてる?」


 隣を歩く真稀に聞かれ、俺は苦笑を浮かべる。


「ああ、疲れたよ」

「うーん、でもみんな面白い恰好してて楽しかったじゃん?」

「……まあそりゃ、愉快だったけどな」


 ほんと、俺だけ制服なのがおかしいくらいに。



 日が暮れる。真正面に大きな西日があって、ひどく眩しい。

 ああ、太陽の色がカボチャみたいだな、なんて思う俺は末期症状。



「……あのね、煉。黙ってたことがあるんだけど」

「ん?」


 急に改まった真稀の様子に、俺は脱力しかけていた姿勢を戻す。


「実はね」

「うん」

「――なんて、言ったらいいのかな」


 どうにも言いにくそうだ。俺は足を止め、夕陽に照らされる真稀を見やる。


「落ち着いてでいいよ」

「うん、でも……笑ったりしない?」

「笑わない」


 はっきり言ってやると、真稀はほっとしたように微笑んだ。


「じゃあはっきり言うね」

「ああ」

「私、本物の魔女なんだ」



「……は?」



 俺が絶句の果てに一言絞り出した瞬間、ばっと太陽が弾けた。

 赤く染まっている太陽の内側から、深く昏い闇が吹き出す。あっという間に、その闇は世界を覆った。周りが見えない。さっきまで見えていた住宅、電柱、道。隣にいた真稀のことも、俺の姿すら。


「ま、真稀!?」



 返事の代わりに聞こえたのは。



 カタカタカタカタカタカタカタカタ。




「!?」


 宙に浮かぶ、ランタン。


 その後ろに浮かび上がる、黒いシルエット。


 そこにある、白銀の大鎌。



『ごめんね、煉』



 その黒いシルエットは、真稀の声を発した。この死神が真稀なのか。だったら今朝の夢は予知夢? いや、そもそもどうして――。



 大鎌が、振り下ろされた。





★☆





「……れーんくんッ!」



 はっと我に返ったとき、世界は明るかった。



 うん。視界一面がオレンジ。


 また、カボチャか。……。



「お前ぇえええええッ、またかよぉおおおッ!?」

「わわわわっ」


 思わず飛び起きると、カボチャがぽんと弾け飛んだ。代わりに座り込んでいるのは、俺の母さん。


「もうっ、煉くんったらひどーい」

「へっ……あ、あれ? なんで俺、家で寝て……」


 家を見回せば、間違いなく俺の家の俺の部屋。母さんはカボチャの被り物を拾って笑う。


「なぁに、寝ぼけてるの? えいっ」


 おもむろに手を伸ばした母さんは俺の頬を思い切りつねった。これは痛い。


「いたっ、いたたたた」

「ほーら夢じゃない! 今日はハロウィンなんだから、テンション上げていきましょー!」

「え!? 今日ハロウィン!?」


 母さんは「まだ寝ぼけてるのー」と笑いながら部屋を出て行く。俺は慌てて机の上の時計を掴んだ。

 その表示は、間違いなく『十月三十一日』、ついでに言えば『五時五十九分五十六秒』。


 目覚ましが鳴ったので、呆然としたまま止める。試しに携帯を開いてみたが、やっぱり十月三十一日。テレビをつけてみても、十月三十一日。



「……まさか……あれ全部、夢?」



 俺は夢の中で夢を見て、目覚めて、朝から疲れる母子漫才をして、学校で一日過ごしたのか。


「まじかよ……ああもう……学校行きたくねぇ……」


 なんだろう、目覚めただけでなんでこんなに疲労しているのだろう。

 窓のカーテンを開ける。と、丁度真正面にある向かいの家の窓辺に、真稀が立っていた。ばっちりと目が合ってしまう。

 そういえば、昔はこうやってお互い窓を開けて夜中話したりしたよなあ……。


 とりあえず今思い出されてしまうのは、大鎌を振り下ろしてきた死神の真稀だ。目をこすり、もう一度真稀の姿を見る。

 真稀はにっこり笑い、大きく手を振って「れーん!」と叫んできた。おいやめろ、いくらなんでも朝からそんな大声で人の名前を呼ばないでくれ。



 まさか、またこれも夢なんてオチじゃないだろうな。



 真稀のあの笑顔が実際のものでないなんて、思いたくない。



 手を振りかえす。俺が振りかえすなんて珍しいことだ。真稀は驚いたように目を見張り、そして嬉しそうに笑った。「あとでねー」と叫び、真稀は部屋の中に引っ込んだ。あとで、と俺も口の中で呟く。


 高校三年生。受験も間近。そんなぴりぴりで陰鬱な雰囲気の中で俺が見た、飽きれるほど馬鹿げた夢――。


 結局俺の結論は、先月の文化祭ムードが抜けていないのかなと分析するとともに、『息抜きでもしやがれ』という人ならぬものの警告だったのかもしれないということだ。




 ……よし。

 今日は学校の帰り、真稀と一緒にカボチャのケーキでも食べに行こうか。



 だって、ハロウィンだもんな。

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