第8話 医師との再会
火星の遺跡から、今、僕が一人暮らしをしている家までは、ダイモスで通常一時間はかかる距離なのだが、今日はハイウェイを使って、その半分の約三十分で帰ってきた。
ハイウェイの利用には特別料金が必要で、天王寺家の好意に甘えて生活をさせてもらっている身分としては、出来れば利用を避けたかった。
だが、そこまでしても、少しでも早く家に帰りたい理由が僕にはあった。
キキーッ!
家の前でダイモスを止めると、急ぎ足で玄関へと向かう。
高校入学の際に、一人暮らしをしたいという僕のわがままを受け入れ、天王寺家が用意してくれた家には、小さいけれどとても綺麗な庭があった。
そこには、一年を通して何かしらの花が咲いている花壇と、緑の鮮やかな広々とした芝生、それと、庭の中央には枝ぶりの美しい、大きな木が一本植えられていた。
火星の引っ越しはとても簡単にできる。
住所変更などの手続きを、予めネットで済ませておけば、基本的に家具などは、総て家に備え付けのため、初めての一人暮らしなどもスムーズに開始する事ができるのだ。
僕の前に住んでいた人の手入れがよほど良かったのか、建てられてから二十年は経っているはずの家だが、多少古さを感じる程度で家具も家も、そして庭も、とても良い状態をキープしていた。
だが、今は、そんな綺麗な庭を愛でる余裕すら無かった。
玄関のセキュリティを解除してから家の中に入ると、足早に寝室へと向かう。
寝室のチェストの上には小学校の時、誕生日のお祝いにと、莉子がくれたオルゴールボックスが、一つだけ置いてある。
近づくと、左手で押さえて蓋を開いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
本来なら、シリンダーが回転して、優雅なクラッシックのメロディが奏でられるのだが、もう何年もゼンマイを巻いていなかったので、オルゴールは沈黙したままだった。
僕はオルゴールボックスの中から、首から下げられるように、シルバーのチェーンの付いた『鍵』を取り出すと感慨を込めて見つめた。
ヘッド部分に美しい彫金の施された、かなり特徴的な鍵である。
僕の精神状態と病状を考慮して、両親の記憶につながる物は写真一枚すら残されていなかったが、この鍵だけは、僕が十一年前のあの事件の時も、その後天王寺家に引き取られる時にも、唯一持っていた物であった。
記憶を無くした後でも、この鍵だけは、常に肌身離さず大切に持っていたのだ。
しかし、ほとんどの記憶が戻ってきた今でも、この鍵が何の鍵なのかは思い出せなかった。
失った記憶の中でも、いまだに両親の記憶のみが曖昧な事から想像するに、おそらく、何かしら両親に関係がある品である事は間違いないとは思うのだか・・・・・・。
長さは約七センチ程度。真鍮製のその鍵は、古い家の玄関の鍵に見えた。
「いまどきこんな古い鍵を使う家なんか無いよな・・・・・・・」
独り言のようにそう呟くと、首に鍵を下げ、踵を返して玄関へと向かう。
慌てて帰宅した僕の目的。それはこの鍵の正体を探る事だった。
天涯孤独で失うものの何もない僕は、既に自分の中では、明日宇宙へ旅立つことは決めていた。
ただ、唯一の気掛かりは、両親との記憶のことだった。
明日の旅立ちまでの残された僅かな時間で、この鍵が何の鍵なのかを探り当てる。もし、それが分かれば、失われた自分の両親の記憶も取り戻せる。
そんな気がしたのだ。
再びダイモスにまたがると、エンジンを掛ける。
キューン
モノポールモーターの始動音が静かな住宅地に響いた。
ヘルメットを被ると、軽く右手のアクセルを開く。
ダイモスはフワン、と軽やかに上昇すると、モーターの回転音を響かせながら滑らかに走り出した。
僕には、この鍵について何かしら知っている人物の心当たりが有った。それは五歳のときに起きたあの事件の後、僕の担当となった医師、父の友人と名乗った医師である。
医師とは、病院を退院したてからは、検査のために二度ほど会っただけで、音信は途絶えていた。
定期的に通院していた病院の看護師を通じて、今は、火星中央大学病院の医院長に就任しているということは知っていのだ。
まずは、そこへ向かってみることにした。
火星中央大学病院は、セントラルコロニーの中にあり、ハイウェイで約四十分の距離だった。
駐車場から病棟棟まで、ムービングウォークで移動した後は、一階にある総合受付から医院長へのアポ無し面会を試みる。一介の高校生である僕には、大学病院の医院長とのコネクションなど、当然有るはずがなかった。
「あら、大和君じゃない!」
受付を探してキョロキョロしている僕に、そう親しげに話しかけてきてくれたのは、偶然にも五歳の時、入院中の僕をずっとサポートしてくれた、あの看護師の女性だった。
「あっ? お久しぶりです」
黒縁の大きなメガネと、顎の下にある特徴的なホクロが当時のままだったおかげで、直ぐにあの時の看護師だと分かった。
「あなた、随分立派になって・・・・いまは高校生なのね・・・・」
僕の制服姿を見て感慨深げそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「はい。当時は本当にお世話になりました」
ペコッと、一礼する。
「あら、いいのよお礼なんか。それより、どうしたの今日は?」
子供の時の僕に接する態度と何も変わらずに、笑顔で気さくに問いかけてくる。
「実は、あの時お世話になった、父の友人だったという先生にお会いして、是非お尋ねしたいことがあって来たんですけど・・・」
「あら、それって医院長先生のことよね? 約束は取り付けてあるの?」
「実は・・・急に思い立ったので、約束とかしてないんですよ・・・」
「まぁ、それは困ったわね・・・」
軽く驚いた様子を見せた看護師だったが、直ぐに笑顔にもどると。
「それじゃあ、私が直接聞いて上げるわね」
「えっ、でもご迷惑じゃ・・・・」
内心、ラッキーと思いつつも、表情には出さずに僕が言うと。
「あら、大丈夫よ」
そう言って、右目でウインクをするや否や、胸のポケットから院内電話を取り出し、慣れた手つきでボタンを押し始めた。
「もしもし、医院長ですか。私です・・・」
『私です』で誰か分かるのかな? 何だか不思議な感じがしたが、このまま会話の流れを見守ることにした。
「・・・・・・・そうですよ、あの大和君が訪ねてきたのよ」
「会議? 後回しにして会ってあげて・・・・・・・・・・」
少し馴々しい? 看護師と医院長とのやり取りが続いていたが、やがて電話を切ると。
「大丈夫よ大和君。医院長、今から会ってくださるって」
看護師は、僕の手を握ってにっこりと笑った。
「有難うございます! 本当はどうしていいのか分からなくて、凄く不安だったんです」
お礼を言いながら、ほっと胸をなでおろした。
「でも、医院長先生に凄く影響力があるんですね?」
不思議がる僕の顔を、満面の笑みで見つめると看護師は言った。
「あら、だって、私の夫ですもの」
妻の無理を聞くのは、夫としての当然の義務。とでも言いたげな顔で胸を張る。
「ええっ! そうなんですか。全然知らなかったです」
「結婚したのは一年前だから・・・・・・・略奪婚てやつよ!」
そう言うと、看護師は、悪戯がばれてしまった子供のように笑って見せた。
略奪婚、と聞いて少しビビった。テレビドラマでしか聞かないようにセリフを、さらっと言ってのける大人の女性って凄い。
「お、おめでとうございます」
こんな時、なんて言っていいのか分からなくて、とりあえず祝辞を述べてみる。
「ありがとう。フフフッ・・・」
僕のその言葉に、嬉しそうに微笑む看護師に、底知れぬ何かを感じた。
医院長室までの順路を看護師に聞いて、六十五階でエレベーターを降りる。エレベーターホールから真っ直ぐ伸びている廊下の突き当りに一つだけ部屋があった。ドアには小さく『医院長室』と書かれたパネルが掲示してあるので、間違いなくここだろう。
コンコン。と扉をノックする。
その動作に反応して壁の監視カメラが微かに動くと、カシュン、と音が鳴り、扉が横にスライドして開いた。
そのとたん。
「大和君! 大和君じゃないか!」
大きな声で二度、僕の名前を叫ぶと、医院長が飛ぶように駆け寄ってきて強く手を握った。
あの日と同じ、とても大きくて温かい手だった。
「あっ・・・・・はい、大和です。ご無沙汰・・・してます・・・」
相手のオーバーアクションに気圧され、言葉がたどたどしくなってしまった。
「ほんと、久し振りだね! 随分と背も伸びて立派になったねー」
「は。はぁ・・・」
「どうして、もっと早くに訪ねてくれなかったの? ずっと心配してたんだよ」
「ええ、あの、なかなか伺いにくくて・・・・」
やっと、握った手を離してくれた医院長から、少しだけ距離をおくと、僕は改めて深々と一礼をした。
「その節はお世話になりました!」
「やだなー。大和君お礼なんていいから・・・」
医院長は両手を胸の前に上げて、なぜか申し訳なさそうだ。
「じつは・・・・・今日お邪魔したのは、見て頂きたい物があったからなんです」
僕は単刀直入に切り出した。
「私に見せたいもの?」
「はい、父の友人だった医院長先生なら、きっとこれが何か分かるかなと思って」
僕は、首から下げていた『鍵』をシャツのボタンを一つだけ外して取り出すと、医院長に手渡した。
「これは・・・・鍵・・・だね」
手にとった鍵を、訝しげに見つめる医院長。
「これは、子供の頃に、自分たち家族の暮らしていた家の鍵だと思うんですが、その家が何処にあったか、ご存知じゃありませんか?」
僕の問いかけに、暫く考え込んでいた医院長であったが。
「うーん・・・・・。大和君ごめん。私はお父さんの家に行った事が無いし、何処に住んでいたかも知らないんだ」
そう言うと、ペコリ、と頭を下げた。
「あ、謝らないでください! 僕の方こそ突然訪ねてきて、無理なお願いを言って、申し訳有りませんでした」
と、こちらもペコリ。
「それにしても古そうな鍵だね」
鍵を手に持って、くるくる回しながら、ディテールを確認したあとで僕に返した。
「そうなんです、僕はきっと古い家のドアの鍵じゃないかと思っています」
僕は、受け取った鍵を再び首にかける。
「古い・・・家ね・・・・・・・・・あっ、そう言えば!」
医院長は突然手を叩くと、窓際に置いてある、オーク材で出来た大きな机まで足早に移動し、引き出しを開くと、ガサゴソと何かを探し始めた。
「あった! これこれ!」
慌てて僕の元へ戻ってきた医院長がその手に持っていたのは、一枚の写真だった。
写真には小さな赤ちゃんと、赤ちゃんを抱っこする男女が写っていたが、赤ちゃんを中心にしたトリミングのため、男女の顔は肩から上で切れていた。撮影した場所はどこかの公園か庭のようでもあった。
綺麗な花々が背景となっている。
「お父さんとお母さんが抱っこしている、真ん中の赤ちゃんが大和君だよ。この写真は大和君が生まれた時、お父さんが私に自慢するためにくれた写真なんだよ」
「これが・・・父さんと母さん・・・・・・・・・」
肝心の、両親の顔部分が写っていない写真であったが、僕を大事に二人で抱きかかえる様子や、ぼんやりと背後に咲いている花々の色合いなどから、暖かさが伝わってくる写真だった。
「この写真を撮った場所が、大和君の生まれた家らしいんだよね」
「ここが生まれた家・・・・・」
目を凝らして、僅かでも何かヒントとなる物を、写真から探そうと試みたが、何も分からなかった。
「そうだ、大和君。私にはその鍵のこと分からないけど、お母さんととても仲の良かった女性がいるから、会ってみるといい。彼女ならその鍵について、何か知っているかも知れない!」
医院長は再び机に戻ると、保存してあるアドレスデータの中から目的のデータを探し出し、画面を見ながら手書きでメモ用紙にメモして、僕へと渡してくれた。
「有難うございます!」
僕は嬉しくなって、深々と頭を下げた。
まだ手がかりが消えたわけじゃない。
家族の写真と、医院長から貰ったメモを握りしめた僕は、次の出会いに僅かな望みを託す事に決めた。