第1話 『それ』は何?
「おーい、待てよ大和ー! そんなにスピード出したらついてけねーぞ!」
ここは、火星の第196番コロニー。
火星のコロニーは地上型ドーム都市と呼ばれ、直径約100キロメートルの半球形の特殊合金で作られたドーム型の屋根に覆われていた。
都市を丸ごと包む、巨大なプラネタリウムを想像してもらうと分かりやすいだろう。
ドーム内の壁面には時間に合わせて青空や雲、夜空が映し出され、内部の土地には人工的に作られた山や川や海などもあった。
ここが外と隔絶された世界だとは、まったく感じさせない、美しく快適な居住空間であった。
だが、一歩ドームの外へ出れば、火星は岩と砂ばかりの死の大地であり、このドームという閉ざされた世界の中でしか人類は生きていけないのであるが・・・・・・・。
ビューン!
ビル群の間を縫うように張り巡らされたハイウエイの上を、颯爽と走る四つの影が見える。
いま、僕ら四人は、ハイスクールに提出する課題のため、スクーターに乗って火星の遺跡へと向かっているところだ。
僕らの火星での移動手段は、この『ダイモス』と呼ばれる一人乗りスクーターが、日常生活での足代わりだった。
ダイモスのエンジンには、モノポールと呼ばれる磁気単極子をもつ磁石を利用したモーターを使っていて、少しのエネルギーで大きな動力を発生することが可能だった。排気ガスも出さずにとてもエコ。コロニーの中で使うにはまさに打って付けの乗り物なのだ。
僕達は、四人ひと組がチームとなって、独自のテーマを研究して発表するという、おお昔からよくある学校の課題『自由研究』というやつに取り組んでいるところなのだ。
ちなみに僕らの研究テーマは火星の歴史で、面白味もないが、とんでもない方向へ研究が飛躍することもまず無いだろう。
自分達で決めておいてなんだが、まったくつまらないテーマだと思っていた。
「おっ、わるいー」
と、僕は慌ててブレーキを握った。
「バッカ! 急に止まんなー!」
そう、叫び声にも似た言葉を発するやいなや、隼人が僕のダイモスの右斜め後ろに勢い良く突っ込んできた。
バギャン!
以前、歴史の教科書で見たことのある『漫画』で使われていた効果音そっくりの音が聞こえた・・・・・ような気がした。
(へー、昔の人の表現力の的確さには感嘆するなぁ・・・・・・)
などと、のんきな事を考えている場合ではなかった。
重力が地球の約40パーセント程度と少ない火星での、ダイモスの走路は地上20メートル。つまり空中を走るスクーターなのだ。空中で追突すれば次におこることは当然落下・・・・・という事になる。いくら重力が少ないからといっても、20メートルの高さから落下すればただ痛いだけでは済まないだろう。
「わわわわわわー!」
隼人にぶつけられた反動で、僕のダイモスの車体が右後方に大きく傾いた。
ガシッ!
だが、その瞬間。間一髪で大きな手が後ろからスッと伸びると、僕の体ごとガッチリと車体を支えた。
浩二だ。
がっしりとした岩石で組まれたかのような大きな体に、ラグビーで鍛えた彫りの深い筋肉。そして細く鋭い眼差し。初めて会う者は浩二の事を絶対に16歳とは思わないだろう。
しかし、そんな外見とは裏腹に、浩二はとても穏やかな、優しい心を持ったオトコだった。
何より、いざという時にとても頼りになる。
「おい。お前らもっと気をつけて走らんか!」
低く、凄みの効いた声だ。
「サンキュ! 浩二」
僕は振り返ると浩二に礼を言った。
「いゃー、悪かった大和。でもお前が急に止まったりするからだぞー」
この、謝っているのか責めているのか分からない発言をしているのが隼人だ。
僕らと同じハイスクールの同級生。ゲーム大好きのゲーム馬鹿、ゲームオタク、ゲームフリーク。暇さえあればゲームをしている。そのせいで学校での成績はいまいちなのだが、ゲーム界ではかなり有名な存在だった。
ゲームのしすぎで目が悪く、大きな黒いメガネをかけているのだが、実はそのメガネにはモニター機能が内蔵されていらしい。
つまり本人曰く、いつでもどこでもゲームか出来るように、という事のようだ。
お調子者でおせっかい、いい奴なんだけど空気の読めない。少々残念な存在だ。
「ちょっとあなた達、いい加減にしなさい!」
僕の後方から、キンキンと甲高い声が響いた。
「あなた達が問題でも起こしたら監督者としての私が怒られるんだからね!」
「隼人! あんたは落ち着きなさすぎ! レースしてるんじゃないんだから、無理してスピード出さなくていいのっ!」
「大和! あなたボケっとしすぎ! もっと周囲に注意を払いなさい!」
と、凄い剣幕で怒っているのが、学年成績ナンバーワンにして僕の幼馴染の莉子だ。ドイツ人の血が入ったクォーターで、背が高くスタイルバツグン。腰まで伸ばした黒く美しいストレートのロングヘアを颯爽となびかせて歩くさまは、すれ違う者を必ず振り向かせるインパクトを持っている。
しかし、そんな素晴らしい容姿と才能に恵まれているにも関わらず、勝気なうえに直ぐに手が出る性格で、おまけにど天然で思い込みが激しかった。
隼人に負けず劣らず残念な存在なのだ。
「いやー、ほんと助かったよ、浩二」
面倒くさいので莉子の発言をスルーしようと試みたが逆効果だったようだ。
「へぇー。私を無視するとはいい度胸してるじゃない。言葉が通じない相手には体で分からせるしかないわね」
と、恐ろしい事を平気で言ってくる。
莉子は子供の頃から習っている合気道が五段の腕前なのだ。高い身長に比例し、筋肉もそこそこあって、僕のようなへなちょこ男子では喧嘩をしてもまず勝ち目はない。
「あ・・・。スミマセン・・・気を付けます」
「フン、わかればいいわ。以後気をつけなさい!」
などと、道中いろいろ有ったのだが、どうにか目的地の火星の遺跡に到着することができた。
ここは、火星の遺跡の中では最も古いと言われているカンブリア移籍である。地球のカンブリア紀にあたる、火星歴で約五億年前の遺跡ということでこの名前がつけられた。
僕らが暮らす196番コロニーのとなり、197番コロニーの外れにあるこの遺跡は、観光地としても有名で、週末にもなれば大勢の家族連れなどが訪れる、いわゆる観光スポットでもある。
「さすがに午前中だと全く人がいないよなー」
隼人はそう呟きながらも、ちょっと浮かれ気味に、我先にと遺跡へ向かうエレベーターへと足を進める。
人類が火星に進出した時、火星には生命体は存在しなかった。いや、正確に言うとその時にはすでに居なかった、と言った方が正解なのかもしれない。
理由は、コロニー建設時に、かつて高度な知的文明が存在していた証拠となる遺跡がいくつも発見されたからである。このカンブリア遺跡も、そんなかつての古代文明の名残とされている遺跡のひとつだった。
後に設置されたエレベーターで地下1000メートルに降りると、発掘のために掘られた広大な空間が広がっていた。
その中央に火星の遺跡と呼ばれる、巨大な正四角錐の建造物が鎮座していた。
太古の地球にはビラミットという建造物があったが、それと形状がとてもよく似ている。
ただ、高さ300メートルのこの巨大な正四角錐の、内部がどうなっているかは今だ不明であった。
表面を覆う光沢のある特殊な金属は、現在の人類の科学では傷をつける事はおろか、内部を透視することもできなかったからだ。
更にこの遺跡がもっとも不思議なのは、作られてから五億年は経過しているというのに全く腐食していない、それどころか作られた当初のままではないかと思えるほどの、美しく神秘的な輝きを放っていることだった。
「実物は始めて見たけど。何だか不気味ね・・・・・」
と、いつになく弱気な発言の莉子だった。
「えー! ドキドキするじゃん! 早速撮影っと!」
隼人は莉子の様子など全く気にする事も無く、ポケットからカメラを取り出した。
「この巨大な建造物以外は特になにも無さそうだね。とりあえず周囲を探索して見ようか」
僕が声をかけると、皆はそれに従うように、遺跡の外壁に沿ってぐるっと一周している遊歩道を歩き始める。
特殊合金で作られたた遊歩道の幅は狭く、なんとかぎりぎり人が二人ですれ違う事ができる幅だった。普通の人間よりも明らかに肩幅の広い浩二には少し窮屈そうだ。
ちょうど約半周、遺跡の裏側に到達した時だった。
「キャッ!」
突然、僕の真後ろで莉子が叫んだ。
「どうした莉子!」
莉子の悲鳴なんて珍しい。
僕は慌てて振り返った。
「そ、それ・・・・・・・・・」
と青ざめた顔で僕の足元を指差す莉子。
「なんじゃこれは・・・・・」
普段滅多なことで動じない浩二まで、僕の足元を見てもうろたえている。
「えっ! 僕なの?・・・・・」
僕は慌てて自分の足元を振り返る。
右後ろ足の踵に張り付くように、『それ』はいたのだ。
「うわーっ!」
僕は慌てて、勢い良く右足を振ったが、『それ』はガッチリと僕の足にしがみついて外れなかった。
一体いつから僕の踵に張り付いていたのか。少なくともダイモスで移動している時にはいなかったのだからやはりここで付いたのだろうか?
それはまるで生物のように見えた。ライターほどの大きさの、ズングリとした光沢のある黒い身体には、刺のついた足が四本あり、その四本の足で僕の踵をガッチリと抱え込んでいる。そして頭には、ブルーに輝く不気味な目のような物が二つ付いていた。
「なにこれ、グロッ!」
と言いながら、楽しそうに写真を撮りまくる隼人。
「わわわわわわわわわわわわわわ・・・・・・」
僕は、更にブンブンと勢い良く右足を振り回したが、『それ』はピクリとも動かなかった。
「まってろ、オレが今剥がしてやる」
冷静を取り戻した浩二が、大胆にも『それ』の体を鷲掴みにして、力任せに引き離そうと勢い良く上に引き上げる。
「うわー!」
その瞬間、僕は右足を上に、頭を下に逆さ吊りに引き上げられてしまったのだ。
そんな状態でも、『それ』はガッチリと僕の足を抱え込み、まるで足の一部にでもなったかのように離れなかった。
「むっ・・・離れないな」
浩二は、そのまま更にブンブンと振り回す。
「うわー・・・・気持ち悪い、浩二、頼むから下ろしてくれ・・・・・」
と半泣きの僕。
「おおっ。すまん」
浩二はいきなり手を離した。
「アッツ!」
いくら火星の重力が弱いとはいえ、頭から歩道に落とされればそれなりに痛いのである。
とっさに手をついてどうにか歩道との直撃は避けたが、頬をすりむいてしまった。
「てててっ・・・・・・」
傷を手で触れてみたが、どうやら血は出ていないようだ。
「おおっ。大和、すまん、すまん」
と更に申し訳無さそうな浩二。
「ああ、大丈夫。気にすんな・・・」
そう言いながらも内心では、片手で人間を軽々と持ち上げるなんて、どんだけ怪力なんだよ、と僕は思っていた。
「あら、大した高さでも無いのに、受け身も取れないなんてホント情けないわね」
上から目線でものを言う莉子。すべての人類がお前と同じ運動神経を持っていると思うな。
「ヒヤッホー。すげーいい写真が撮れたぜー」
全く空気を読まない隼人の発言はこの際、無視をするとして・・・・。
「それにしてもこれは何なんだ? どうやら生物では無いようだけど?」
歩道にしゃがみこんでいる僕は、改めて貼りついたままでピクリとも動かない『それ』に目を落とす。
「そうね、そもそも火星には、人間が飼育いている以外の生物はいないし、それに、生物にしては動きが無さすぎるものね・・・・・」
莉子は興味深そうに、だが、やや離れた位置から『それ』をじっと観察している。
「あっ! オレさー、古典映画のアーカイブで、人類を襲うエイリアンの映像を見たことがあるけど、たしかそんな風に取り付いて離れなかったよ。それで最後には取り付いた人間を殺しちゃうんだけどね」
隼人のその言葉で、皆が、僕からジリジリと離れるのが分かった。
「げっ、マジか・・・」
映画の中の作り話とは分かっていたが、僕はすこし不安になる。
「あら、私もその映画見たわ。確かに・・・・・似てるわね」
と不安に追い打ちをかける莉子。こんな時は肯定ではなく否定だろっ!。
「とにかく、浩二の怪力でも剥がせないのなら、もう脱ぐしか無いわよね」
まさか、莉子はこんな場所で僕にストリップでもさせようとしているのか。まぁ、莉子ならそのくらいのことは言い出しかねないのであるが。
僕が、そんなことを真剣に考えているのに気づいたのか、莉子が続けて言った。
「ちょっと、変なこと考えてないわよね? 私が脱ぐと言ったのはそのブーツの事よ。まったく、馬鹿じゃない!」
「あっ。なるほどブーツか!」
思った以上に気が動転していて、簡単なことに気づかなかった。というか、お前冷静すぎだろ、莉子。
僕らはダイモスに乗る事を考慮して、普段からライディングブーツを履く事が多い。
幸いにも『それ』はブーツの踵部分に張り付いているので、ブーツを脱ぐ事によって、ひとまずはこの気持ちの悪い状況からは、逃れることができそうだ。
「よし、脱ぐぞ!」
僕はブーツのロックに手をかけた。
この時この瞬間まで、確かに僕らは普通の高校生だった。今日始めて遭遇した『それ』との関わりが、僕らの運命のみならず人類の、いや宇宙の運命までをも左右する事になるなんて、勿論、微塵も考えていなかったのである。
僕のブーツに付いた『それ』も、きっと友人の誰かが仕掛けた悪戯・・・・・程度に、その時はまだ心の底で思っていたのだった。