帰ってきたら妻がひき肉と見つめ合ってた。
そこにあるものはなんだろう。僕は、彼女が机の上にわざわざおいたそれを見つめる。
「ねえ、お嬢さん。それはなんですか?」
「何に見える?」
僕は首をかしげてそれを見つめる。塗装が剥げててかてかに年季が入ったテーブルの上には、白いトレイに鎮座した白とピンクが入り交じった食材。グラム100円の、特売品。ちなみに賞味期限の関係で、値段が30%オフ。さっき買ってきたんだろうなあ。僕はしげしげとそれを見つめた。
「ひき肉、だねえ」
「そう。ひき肉です」
「うん。ひき肉だ」
「ひき肉なのです」
何か重要なことを告げるように、重々しくぼくに彼女は言葉をくれた。僕は、ネクタイを緩めながら、その言葉の意味を頑張って咀嚼する。前歯で食いちぎり、奥歯でよく解しながら、舌の上で転がし、ごくりと喉を鳴らして嚥下。
たくさんの可能性の味を色々吟味してみたものの、僕が至ったのは簡潔なものだ。
うん、さっぱりわからない。
「ひき肉に、どんな意味があるのかな、お嬢さん」
「大きな意味です。旦那さん」
結婚していくばくかの月日が流れ、子どもが奥の部屋でぐーすか夜啼きもせず眠るようになった。お互い寝不足になって喧嘩をし、泣きながら謝った日もある。浮気騒動が出たときは、本気で僕も色々悩んだ。山あり谷ありの夫婦生活、本当に面倒ながら、ささやかな幸いに満たされてきたものだが、本当に今回のことはさっぱり見当がつかない。
僕は、それほどまでに理解ができない夫だったろうか。
むしろそれは妻だろうか。
お嬢さん、とつい呼びかけてしまうくらい、未だあどけない表情を見せる妻を、たまに憎々しく思いながら、大切に思ってきた。でも、それでも僕には妻が良く分からない。
仕事に疲れて帰ってきた夫に、重々しくテーブルの上にひき肉を置いて、「お話があります」なんていう妻のこと、どうやって理解しろっていうんだ。
「わかりませんか、旦那さん」
「さっぱりだよ、お嬢さん。解説してくれないかな」
「よろしい。解説いたしましょう」
ふんす、と鼻息荒く、ぼくを見つめ、大人しく座っていた椅子から、がたん、と立ち上がり、握り拳を作って力説し始める奥さん。お互いそれなりの年なのに、その仕草が可愛らしいと思うから、僕も大概始末に負えない。
「ひき肉とは! 調理者の意思に沿ってあらゆる形に変形するのです! 固形だったものを細かくちぎり、柔らかく、そしてもう一度固形たらしめる権利を購入者に譲り渡した、いわば『あなた色に染めて』食材なわけです! そんな食材を見てわたしは思いました! そんなセリフを昔云ったわたしに、あーんなことやこーんなことをして、今ではしっぽり夫婦ですが、甘さに足りないのではなかろうか!! 甘さがないのではなかろうか!! そう、いわんや足りているはずがない!!」
奥さんの力説は、もっと長かったけれど、要するにこんな感じで。
僕はぽかんと奥さんを見上げながら、真っ赤にしながらきゃんきゃん吠える円い頬のしわに気付いた。以前は見れなかったそのしわは、僕といたからできた年月のようなもので、彼女からしたら若くないという証拠で。
でも不思議と僕は感慨にふける。一緒に歩いてきたんだなあ、と。
「聞いているのでしょうか、旦那さん!」
「聞いていますよ、奥さん」
「へあ」
妙な声を出してこちらを見つめる彼女を、ぼくは笑って見つめる。奥さん、と呼ぶのはあんまりない。こういうとき、驚いてぼくを見てくれるから、とっても便利だ。
気恥ずかしいからだ、なんて言わないけれどね。
「それは、お誘いですか?」
真っ赤になってこちらを見つめる彼女に、もう一度笑った。
うん。こういう性格だから、ぼくは彼女と一緒になって、ここまできたんだなあ。
ひき肉を引き合いにぼくに愛を強請る彼女の頬を撫でて、
「ただいま」
「…おかえりなさい」
ぼくはもう一度仕切り直し、と彼女の唇にキスをした。