1-8. カントリーハウス4
使用人ホールのテーブルに、ささやかな夕食が並ぶ。
今宵のメインディッシュはキャベツと豚バラのスープだ。
帝国の伝統的なレシピではなく、王国料理がベースになっている。
おかげで出汁の旨みが効いて、しっかり味付けされていた。
階上でシェリー嬢に供されているコース料理に比べると、やはり見劣りはするだろう。
それでも仲間と囲む食卓は温かで、これはこれで悪くない。
他家のカントリーハウスでは、食事中は私語禁止というところもあるらしい。
ヘイウッド邸は上下関係も緩やかで、皆が自由気ままに食事と会話を楽しんでいた。
「ピクニック効果は絶大なのデスよ! セクハラされないディナーなんて、久しぶりだったのデス!」
大喜びで報告するシャルロだが、実際のところは少し違う。
ピクニック効果ではなく、押してダメなら引いてみな作戦によるものだった。
もちろんシャルロに作戦の存在は秘密だ。
「そんなこと有り得るの? あたしは給仕しないから、にわかには信じられないんだけど」
「いえ、シャルロちゃんの言う通りですわ」
給仕を手伝っていたパーラーメイドが、シャルロの説明を裏付けする。
ディナーはいつも通りの布陣だった。
シェリー嬢の給仕はシャルロ。
ゲストである先輩の給仕はコリンという担当割りだ。
本来なら使用人は、空気のような存在であることを求められる。
決してテーブルの会話には加わらない。
ところがシェリー嬢は困ったことに、いつだってシャルロにちょっかいを出そうとする。
それが今夜だけは様子が違った。
マナーを守って大人しくしているシェリー嬢に、皆が驚いたのも無理はない。
シェリー嬢の相手をしていた先輩が、心配になってコリンに耳打ちしてきたぐらいだ。
「今夜のシェリー殿はおかしいね。シャルロちゃんと喧嘩でもしてるのかい?」
おかげでシャルロは、さっきからずっと上機嫌。
ランチピクニックを定例行事にすべきだと熱く語っていた。
シェリー嬢に距離を取られて、少しぐらいは思うところはないだろうか。
コリンは冗談めかして尋ねてみた。
「でもさ、それはそれで寂しかったりしない? 肩すかし食らった気分というかさ」
「何でなのデス? たまにはこんな日があっても、良いのデスよ」
事も無げに答えられてしまった。
さすがに食事一回だけでは、作戦の効果も見られないようだ。
もう少し腰を据えて、じっくり取り組む必要がある。
逃げられると追いたくなるのが、人間心理というやつだ。
やがて不安になったシャルロは、シェリー嬢が少し隙を見せるだけで歩み寄るに違いない。
短期的にはシャルロへのセクハラを抑止、長期的にはシェリー嬢の想いも叶える。
一石二鳥の良案に、コリンは成功を確信していた。
しかし、使用人ホールに場違いな人物が飛び込んできたことで全てが破綻する。
「どうしてだぁああああッ」
使用人ホールにやって来たシェリー嬢は、すっかり涙目になっていた。
何事かとメイド達が食事の手を止める。
「何でシャルロは追ってこないのだ! ずっと全裸待機していたのだぞ! コリン殿、これでは話が違うのではないか!」
「気が短いな! そんなすぐ効果が出る訳ないじゃん! もうちょっとぐらい続けてみようよ!」
シェリー嬢の盛大な自白で、コリンの共犯までバレてしまった。
あんなに嬉しそうにしていたシャルロの視線が、危険温度まで冷え切っている。
「はあ、今度はコリンお兄ちゃんの仕込みなのデスか?」
「あれぇ? 何で俺が悪者なのっ?」
ちなみにシャルロちゃんを怒らせると、本気で怖い。
怖すぎて、ぞくぞくするほどだ。
「コリン殿、その席をどけ。私も食事に混ぜろ」
「シェリーお嬢様。つい先ほど、夕食を済まされたばかりでしょう?」
「良いではないか。一度、皆と同じ食卓を囲んでみたかったのだ。私の分も用意しろ」
シェリー嬢に命じられたメイド長が困惑する。
もちろんいつまでも、シェリー嬢を立たせておく訳にもいかない。
同席しているハウスキーパーの表情を、メイド長がちらりと覗った。
「あらあら、仕方ないわね。今夜だけ特別ですわよ? それで良いわよね、ミスタ」
「私に賛同を求めないでいただきたい。ただ、反対も致しませんよ」
ハウスキーパーに話を振られ、初老のバトラーが肩を竦める。
上司の了解を得たメイド長の指示で、すぐにシェリー嬢のスープが用意された。
「何てこった。シェリーお嬢様が来るなら、もう少しマシな材料を奮発したのに」
「限られた予算で工夫するのも、キッチンメイドの腕の見せ所さ!」
悔やむファースト・キッチンメイドを、ランドリーメイドが励ます。
シャルロの隣に座っていたコリンが席を一つずらして、その間にシェリー嬢は小さなお尻を下ろした。
無理矢理に割り込まれたせいでかなり狭い。
肘と肘がくっつきそうだ。
それでもシェリー嬢は嬉しそうだった。
「ランチとディナーの両方を、シャルロと一緒に食べるのは初めてだな!」
「あは。言われてみるとそうなのデスよ」
いつもシェリー嬢は一人きりか、ゲストと食事を取る。
シャルロ達は給仕には立ち会うが、同じテーブルに付くことはない。
それでもシャルロやパーラーメイドは、お嬢様との接点が多い方だ。
裏方を務める他のメイド達にとっては、シェリー嬢が食事する姿を見ることさえ初めてだった。
「あ、そのスープは自分で味付けした方が美味しくなるよ! あたしがやってあげる!」
「それ胡椒を掛けすぎだってば~。ちゃんと味を見ながら入れてよね~」
妹メイドと猫好きメイドの二人も加わって、ますます賑やかになる。
最初はシェリー嬢の登場に驚いていた他のメイド達も、すぐいつもの調子に戻っていく。
賑やかな夕食の様子に、シェリー嬢は少しだけ面食らった様子だ。
「シャルロ達は、いつもこんな風に夕食を摂っていたのか」
「騒がしいだろう?」
「いや、楽しい。少しだけコリン殿が羨ましいぞ」
「確かに俺も、ここでの生活は悪くないと思い始めてるところだよ」
自分の食事は終えて、ビールを手にしたコリンはにやりと笑う。
最初の頃はコリンも、階下の生活にカルチャーショックを受けたものだ。
洗練された上品さはないが、使用人ホールは活気に満ちてる。
特に夕食後のアルコールが入ってきたせいで、ますます場の空気は盛り上がっていた。
ワインが貴族の嗜みなら、ビールは労働者の糧だ。
ヘイウッド邸でも使用人に対して、毎日一杯のビール代が支給されている。
ビールは健康に良い強壮剤とされていた。
「あら、コリンが晩酌に付き合うなんて珍しいじゃない」
先にビールを飲み始めていたメイド長が、コリンに絡んでくる。
コリンがそれほどビールを好まないのは、彼女の指摘通りだ。
それでも決して、アルコール嫌いではない。
「俺だってたまには飲みたい時もあるさ」
コップを傾けて酔いに身を任せる。
酔っ払ってしまえば、シェリー嬢への入れ知恵をシャルロに追求されることもないだろう。
優しいシャルロは、潰れたコリンを責めるようなことはしない。
「あは。コリンお兄ちゃんとは、また明日以降にでもお話があるデスよ」
「思惑が読まれてた!」
すっかり凹んでしまうコリン。
大元の原因であるシェリー嬢は、コリンの飲むビールに興味を持ったようだ。
「そいつは美味しいのか?」
「最初の一杯は格別だね。俺の場合、そんなに飲める訳ではないけど」
空かさず妹メイドも便乗してくる。
「姉ちゃん、あたしにもちょーだい!」
「子供はダメ。あんたはジンジャエールで我慢しときなさい」
「ケチ! だってあれ、変な味するんだもん」
「それなら、ビールの味だって分かりはしないわよ。大人になってから楽しむことね」
美味しそうにビールを呷るメイド長を、妹メイドが悔しそうに睨む。
見渡すと使用人ホールは、すっかり酒宴の雰囲気だ。
シャルロが心配そうに、シェリー嬢に声を掛ける。
「シェリー嬢様、食べ過ぎじゃないデスか?」
「全然平気だ!と言いたいところだが、さすがにお腹は膨れたな。ほら、こんなにぱんぱんだ。触ってみるか?」
「あは。いつものシェリー嬢様に戻ったのデスよ」
「うむ、せっかくシャルロが隣りなのに、えっちないたずらするのを忘れていたな」
「それは忘れたままで良いデスよっ?」
結局のところシェリー嬢のセクハラは、シャルロに構ってほしいだけなのだろう。
不安と寂しさの裏返し。
だからシャルロがずっと側に居てくれると安心できれば、自然と過剰な行動も消えていく。
微笑ましい気持ちで二人を眺めていたら、背後から首に腕を回された。
すっかり出来上がったメイド長だ。
「ほーら、コリン! しっかり飲んでるう?」
「この酒乱め! ペース早すぎだよ! 俺はもう、酔いが回って頭痛いんだけど!」
「コリンお兄ちゃん、お水飲むデスか?」
「私はシャルロの黄金水が飲みたいぞ」
「シェリー嬢様! 酔ってもいないのに凄いこと言わないでなのデス!」
」
宴は続き、ヘイウッド邸の夜は更けていく。
使用人の朝は明日も早い。
それでも今だけは、嫌なことは全部忘れて思い切り楽しむべきだろう。
「よし! 俺ももう一杯だけ!」
地獄の二日酔いに向けてコリンは杯を重ねた。