1-3. カントリーハウス2
ヘイウッド邸には現在、長期滞在のゲストは一人だけだ。
これでも秋冬には、全ての客室が埋まることもあるらしい。
しかし、社交シーズン真っ直中では、カントリーハウスに賓客が少ないのも当然だった。
上流貴族達はこの季節、帝都の舞踏会で政争を繰り広げている。
「失礼します」
コリンが客室のドアをノックした。
生返事を確認してから、紅茶のセットを運び入れる。
客室は、ひどい有様だった。
元はそれなりに贅を凝らした造りなのに、今や見る影もない。
テーブルだけでなく、カーペットの上にまで紙や物が溢れていた。
特に目立つのは、得体の知れない実験器具の数々だ。
大学の研究室か、ちょっとした町工場みたいになっている。
よどんだ空気に顔をしかめ、コリンは窓を開いて朝の爽やかな空気を招き入れた。
「わわ! 止めたまえよ! 資料が風で飛ぶじゃないか!」
「少しは片付けたらどうですか、先輩」
「は! 君には分からないのかい? この完璧に計算されている備品の配置が! 散らかっているように見えて、必要なものはすぐ手に取れるのだよ」
子供のように童顔の女性が、コリンを押し退けて窓を閉める。
赤毛のショートヘアに、小柄な体躯。
勝ち気な性格が、そのまま表情に出ていた。
彼女こそがヘイウッド家のゲストにして、コリンの先輩であり上官でもあった。
見た目こそ幼く見えるが、これでも上級二等官。
階級と外見年齢のギャップが激しいが、その話題はタブーになっている。
子供扱いすると怒るくせに、実年齢に触れても怒るのだ。
「でも先輩、この間も大切な資料がどこか行っちゃって、半泣きになってましたよね?」
「う、うるさいね! それよりさっさと紅茶を淹れたまえよ!」
はいはいと返事をしながら、コリンが紅茶の準備をする。
目覚めの紅茶と言いつつも、先輩はコリンより早く起きていることが多い。
いつ寝ているのか、謎なお人だ。
「それで先輩、何か新しい手掛かりは見つかりそうですか?」
「お手上げだね。釣れるのは本命と関係のない、雑魚ばかりだよ。それにしてもこの都市は、異端が多すぎる。いくら特区でも、これは異常だね」
お手上げのポーズをする先輩。
それでも仕事熱心な先輩は、休むことを知らない。
良く挫けないものだと感心してしまう。
コリンの差し出したティーカップを、書類の束に目を通しながら先輩が受け取った。
口を付けて、「む」と唸る。
「コリン、随分と紅茶を淹れるのが上手くなったね。どうだい? そろそろ階下の生活にも慣れたかい?」
「まぁ、最初の頃に比べれば」
「それは良かった。ただ、君は上流階級の人間だ。いつかはこちらの世界に帰ってくる。その事だけは、忘れないようにね」
「?」
公爵家の御曹司であるコリンを、使用人の世界に放り込んだのがこの先輩だ。
どんな風の吹き回しだろう。
労働者階級に溶け込むことを指示しておきながら、今朝は真逆なことを言う。
「助言だよ。たまに居るんだ。演じているうちに、本来の自分を見失ってしまう輩がね」
先輩の思い付きには、いつも振り回されてばかりだ。
あまり真に受けないでおこうと、コリンは聞き流すことにした。
客室を退出し、台車を片づけようとする。
見計らったようなタイミングで、廊下にシャルロの声が響いてきた。
「ぎゃーーーーーーーーッ」
驚きはない。
やっぱりか、と思う。
シェリー嬢が何か企んでいたことなど、昨夜の様子から見え見えだった。
片付けは後回しにして、シェリー嬢の部屋に駆け付ける。
「シャルロちゃん、大丈夫っ?」
寝室に飛び込むコリン。
廊下ではドア前に屈んだメイド長が鼻息を荒くしていた。
とりあえず見なかったことにしておく。
シェリー嬢の寝室は、子供ひとりが寝るにはあまりに広い。
部屋の中央には、大きな天蓋付きベッド。
シャルロの姿は、探すまでもなかった。
「はうあーーーーっ! 嬢様っ、やめるのデスよ!」
シーツから両足だけを突き出して、ばたばたさせているのがシャルロだろう。
コリンほどのレベルになると、ハイソックスを一瞥しただけで女の子や男の娘を識別出来る。
それはともかく、メイド服のスカートが大変なことになっていた。
盛大に捲り上がって、ドロワーズが丸見えだ。
まずはその光景を、しっかりと網膜に焼き付ける。
「よし! 今すぐ助けるからね!」
「コリンお兄ちゃんっ? お願いするのデス!」
コリンは掴んだベットシーツを、一切の容赦なく思い切り剥ぎ取った。
ベッドに広がる金髪の下に、ピンクの下着と肌色が見える。
抑え込まれている格好のシャルロは、すっかり息も絶え絶えだった。
「……シェリー嬢、何してんの?」
冷たく尋ねるコリン。
腕挫脚固めみたいなポーズのまま、金髪少女がコリンを見上げてくる。
「何だ、コリン殿か。
今は取り込み中だ。
用事があるなら後にしてくれ」
無言でコリンはシェリー嬢の両脇を抱えると、力尽くでシャルロから引き剥がした。
今度はシェリー嬢が悲鳴を上げる。
「ぎゃーーーーッ! 放せ! 触るな! この変態!」
「どっちが変態だよ」
「あぅ、助かったのデスよ」
涙目で着衣の乱れを直すシャルロ。
両脇で掲げられたシェリー嬢が、素足でコリンの胸元を蹴ってくる。
離してやると、素早くベッドシーツの中に逃げ込んでしまった。
どうやらシャルロ以外には、一応の羞恥心もあるらしい。
「それでシェリー嬢、朝っぱらから随分と元気だね?」
皮肉たっぷりにコリンは尋ねた。
コリンの立ち位置はちょっと特殊だ。
シャルロやメイド長と違って、ヘイウッド家に雇われている訳でもない。
公爵家出身だから、身分的にも対等以上と言えるだろう。
おかげでコリンは、シェリー嬢を真正面から叱ることの出来る数少ないポジションに立っていた。
「コリン殿こそ、レディの寝室にノックもなしで入るとはマナー違反だぞ」
「レディは、男の子を押し倒したりしないからね?」
ふて腐れたように、シェリー嬢がそっぽを向く。
この残念美少女、コリンに対してはとことん愛想がない。
かつてのシェリー嬢は、模範的な貴族令嬢だったと聞く。
現在の彼女からはとても信じられない。
何がどうしてこうなってしまったのだろう。
他人事ながら、ヘイウッド家の将来が心配だった。
「それだけ元気なら、もう目は覚めてるよね。シャルロちゃんは返してもらうよ」
「はう、腰が抜けて立てないのデスよ」
ぺたんとカーペットにお尻を付けたまま、シャルロが情けない声を出す。
白い肌がいつもより桜色に上気していた。
ああ、もう本当に可愛い。
この可憐さを、シェリー嬢にも見習ってほしかった。
「シャルロ、この部屋で休んでいけ。このベッドを使って良いぞ」
「そんなこと言って、またいたずらするデスよね?」
「しない! 添い寝するだけだ!」
断言したシェリー嬢がもぞもぞ動いて、ベッドシーツに包まったまま何かの布きれを捨てる。
「何でパンツを脱いだデスかーーーーッ?」
「うむ。どうせなら全裸で待ち構えていれば良かったと、反省していたところだ」
「こら、いい加減にしなさい」
「はうっ」
シーツから顔だけ出していたシェリー嬢の脳天を、ぺしっとコリンが叩いた。
こんな調子では、本当にシャルロの身が保たない。
早急に何らかの対策が必要そうだった。




