3-9. 階下の世界3
帝国社会ではメイド達のことを、階下の人々と呼ぶ。
その名の通り、彼女らの寝室は半地下フロアに配置されることが多い。
ヘイウッド邸も例外ではなく、スージーを初めとしたメイド達の寝室は地下に並んでいた。
一方で、男子部屋は女子部屋から離すことが望ましいとされる。
シャルロの寝室にも、屋根裏部屋が割り当てられていた。
客室に運ばれていたコリンの荷物を持ち出して、裏階段から屋根裏フロアへ上がる。
殺風景な廊下を進んだ先が、目当ての部屋だった。
「さ、どうぞ。遠慮なく入ってくださいデス!」
「失礼しまーす」
屋根の真下だけあって、天井が大きく傾いていた。
慣れるまでは圧迫感を覚えてしまいそうだ。
申し訳程度に出窓が付いていて、月明かりが射し込んでいる。
半地下フロアより風通しは良さそうだった。
飾り気のない室内は、寝るためだけの場所という表現がぴったりくる。
スペースの大部分を占めているのは、木製の二段ベッド。
後は小さな机と洗面台があるぐらいだ。
コリンは持ち込んだ荷物を、ベッド下の収納スペースに放り込んだ。
テールコートを脱ぐと、どこに掛けようかと視線を彷徨わせる。
そこで、ぎょっとしたコリンの動きが固まった。
「シャルロちゃんッ?」
ふと見ると、シャルロもメイド服から寝間着に着替えている。
今は丁度、スカートから足を引き抜いたところだ。
シャツの下はパンツ一枚という姿で、スカートを持ったままのシャルロが微笑む。
「あは。
ハンガーなら壁に余ってるのデスよ」
「ぶはッ」
慌てて目を逸らしたコリンだったが、一瞬だけシャルロの生足が見えてしまった。
早く何か着てくれないと、直視することが出来ない。
「それからコリン様、二段ベッドは上と下、どちらを使うデスか?」
「下を使わせてもらおうかな!」
手早く自分の着替えを済ませると、コリンはベッドに潜り込んだ。
やばい。
シャルロちゃんが無防備すぎて、色々な意味で危険すぎる。
覚悟はしていたが、ベッドの寝心地はやはり良くなかった。
板張りに薄いマットを敷いただけの簡素な造りで、スプリングも仕込まれていない。
ただ、シーツなどは清潔に保たれていた。
とりあえずシャルロの方向を見ないようにして、精神を落ち着かせる。
着替えを終えたシャルロが、小さな椅子に座って銀髪にブラッシングを始めた。
それぐらいのタイミングで、勢い良く寝室の扉が開け放たれる。
「シャルロ! 一緒に寝よう!」
やって来たのはシェリー嬢だった。
ピンクのベビードールは、ほとんど下着姿と変わらない。
ブラシの途中だったシャルロが、目を丸くする。
「シェリー嬢様、どうされたのデスか?」
「うむ! なかなか寝付けなくてな! ミセスの目を盗んで、シャルロと寝にきた!」
「女の子が無防備すぎなのデスよ! わたしだって男の子なのデスから。そこを意識してくれないと困るのデス」
「狼のように私を襲うのか! シャルロ相手ならいつでも大歓迎だぞ!」
「いえ、しないデスけどね」
「それは残念だ。まあ良い。下のベッドを借りるぞ。安心しろ、夜這いなどは企んでいないぞ?」
「あ、シェリー嬢様、そっちには」
シャルロの忠告は間に合わない。
ベッドに潜り込もうとしたシェリー嬢は、そこに居たコリンと目が合った。
「ぎゃーーーーーーーーッ」
「ぎゃーーーーーーーーッ」
可愛い顔を真っ赤にさせたシェリー嬢が、シーツをはぎ取って自らのベビードール姿を隠す。
シャルロ以外の男性には、人並みの羞恥心も持っているらしい。
「な、ななな、何でコリン殿がここにいるのだッ!」
「だって此所、俺の部屋だよ?」
「ありえーーーーんッ、ミスタは何を考えているのだ! そんなことが許されるなら、私だってシャルロと同じ部屋がいいぞ! コリン殿、私と代われ!」
地団駄を踏みながら羨ましがるシェリー。
残念ながらこれは、使用人身分に転落したコリンに天が与えてくれた役得だ。
いくらシェリーが悔しがっても、代わってやる義理はない。
そこでさらに扉が開かれ、二人組のパジャマ少女が現れた。
「やっほーー! シャルロちゃん遊びに来たよー!」
「ごめんね~。リリちゃんがどうしてもって言うから~」
栗色の髪をサイドアップにまとめた元気な女の子はリリ。
おっとりしたくせっ毛の少女がエリカというらしい。
シャルロと同様に、ヘイウッド邸で働くジュニアスタッフということだ。
上体を起こしたコリンは、軽く手を挙げて挨拶をする。
「やあ、はじめまして」
「ぎゃーーーーッ! 変な人が居るーーッ?」
コリンの存在に、完全に意表を突かれたらしい。
リリが悲鳴を上げた。
エリカの方など、一目散に逃げ去ってしまった。
「エリカちゃん逃げるの速ッ。シャルロちゃんまたね! 今夜のところは撤収ーーーーッ」
「ちょ、待つのだ! 私を置いていくな!」
エリカを追うようにして、リリとシェリー嬢も逃げていく。
露骨すぎる避けられっぷりに、コリンはしょんぼり落ち込んでしまった。
そんなコリンに、シャルロがきらきらと羨望の眼差しを向ける。
「コリン様、すごいのデスよ! リリちゃん達を、目を合わせただけで撃退しちゃったのデス! わたしには真似できないのデスよ!」
「俺ってさ、そんなに怖い人に見える?」
「とっても心強いのデスよ! コリン様がいれば、リリちゃん達のいたずらに悩まされることもないのデス」
シャルロが無邪気に喜んでくれるのは嬉しいが、さすがにこれはキツい。
子供に嫌われるのが、これほど心にくるとは思わなかった。
思わず涙ぐんでしまう。
「あ、そうなのデス。ひとつ、言い忘れてたことがあったのデスよ」
「ん? 何?」
すっかりブルーな気分になっていたコリンが、力なく顔を上げる。
「ようこそ、ヘイウッド邸へ! これからよろしくなのデスよ」
重い気持ちを振り払うように、ふうーーーーっとコリンは息を吐いた。
シャルロの笑顔には救われてばかりだ。
不安ばかりが先行する使用人生活も、シャルロと一緒なら楽しくやっていけるだろう。
立ち直ったコリンが、二段ベッドの下から手を差しのばした。
「ありがとう。こちらこそ、よろしく頼むよ」
「はい!」
コリンの手を、シャルロの小さな手が握り返してくれた。
芝居がかった流れがおかしかったのか、シャルロがくすくすと笑う。
そのあまりの可愛さに、どきりとコリンの心臓が跳ねた。
「それではおやすみなさいなのデス、コリン様」
シャルロがランプを吹き消し、月の淡い光だけが室内を支配する。
使用人の朝は早い。
二段ベッドの上に登ったシャルロは、早々に寝入ってしまった。
すーすーという寝息と、衣擦れの音がする。
「ね、眠れるかーーーーっ」
板一枚を隔てたすぐ上にシャルロがいると思うだけで、どうしても意識してしまう。
身体は疲れ切っているのに、とても寝付けそうにない。
使用人として迎える朝が、刻一刻と近付いていた。