3-7. ランドリーメイド1
裏階段を上っていく。
目指すのは一階にある洗濯室だ。
シャルロの後ろを付いていきながら、コリンは涙目で尋ねた。
「スージーってさ、いわゆる貴族嫌いってやつなの?」
「それはないのデスよ。普段のお客様も、貴族階級の方は多いデスから。第一、シェリー嬢様も貴族なのデス」
「じゃあ、俺だけ?」
「んー、スージーお姉ちゃんは職に誇りを持ってるデスから。メイドの仕事を甘く見られたり、半端な気持ちで口出しされるのが大嫌いなのデスよ。前にもメイド職を馬鹿にした男爵様が、フルボッコにされたらしいのデス」
「どうしてクビにならなかった!」
「あは。大丈夫なのデスよ。勝手に階段から転げ落ちたと言うことで、円満に解決したと聞いているのデス」
「円満じゃない! それは絶対に円満解決じゃないよ!」
コリンが使用人として放り込まれた場所は、どうやらとんでもない屋敷だったらしい。
そしてスージーを怒らせた原因にも心当たりがあった。
おそらくはコリンが、使用人の仕事を甘く考えていたことを見透かされていたのだろう。
これは心を入れ替えて取り組まないと、上手く立ち回るのは難しそうだった。
やがて洗濯室に到着した。
かき混ぜ棒付きの洗濯槽に絞り器、アイロン台といった様々な用具がずらりと並ぶ。
ただし、人の気配がない。
部屋から回収されたと思われるシーツ類も、隅に畳まれたままだ。
アイロン台にはシャツの代わりに新聞紙が置かれている。
インクを乾かす目的で使われているのだろう。
「誰もいないね。時間帯のせいかな? 俺の実家だと、洗濯室ってすごく忙しいイメージだったんだけど」
「それはねっ、うちでは洗濯の大半は、外注のクリーニング屋さんにお願いしているからさっ」
溌剌とした声に顔を向けると、大量のメイド服を山ほど抱えたランドリーメイドが、向かいの衣装室から出てくるところだった。
ぼふっと中央の作業台にドレス類を放ると、メイドは片手を上げて自己紹介をする。
「や! おいらはベッキー。ヘイウッド邸のランドリーメイドさっ。ま、そんな肩書きは名目だけで、実際は洋服の仕立てをしている方が多いけどね!」
ボーイッシュで溌剌とした女の子だった。
耳にかかる程度の長さで短くカットした栗色の髪に、眼鏡を掛けている。
刺繍や帽子作りに代表されるファッション関連の仕事は、普通ならレディーズメイドに任されることが多い。
それがヘイウッド邸の場合は、ベッキーの管轄になっているらしい。
ベッキーは手慣れた様子でメジャーを引き出すと、コリンに向けて、にかっと笑ってみせた。
「君がコリンくんだね? スージーくんから聞いてるよっ。軽く採寸するから、ちょっと脱いでくれるかなっ?」
「え? ここで?」
「恥ずかしがるような年でもないよねっ?」
もちろん見られて恥ずかしいような鍛え方はしていない。
コリンは颯爽と上着を脱ぎ去ると、続いてズボンに手を掛けた。
逆に慌てたのはベッキーだ。
「いやいや! 全裸になってくれとは言ってないからね! シャツとズボンはそのままで結構だよ!」
「あれ? そうなの?」
「何でそんな残念そうな顔をするかな! 君は露出すると興奮するタイプかいっ? ほら、もういいから手を挙げて!」
万歳のポーズを取ったコリンの胸板に、ベッキーがメジャーを回す。
抱き付かれるような姿勢になって、少し恥ずかしい。
「シャルロくん、読み上げた寸法をメモしてくれるかな! 今日のところは既製服で我慢してもらうけど、近いうちにオーダーメイドで仕立てるからね!」
「オーダーメイド? この屋敷ではみんなそうなの?」
「そんな訳がないさ、コリンくんだけが特別だよ! スージーくんからは予算上限なしと聞いているからね! おいらとしては男物よりメイド服の方が、デザインするのは楽しいんだけどさ!」
自分だけが特別扱いというのは、何となく気が引けてしまう。
他のメイド達に申し訳ない。
かと言って、折角の好意を断るのも失礼に思えた。
庶民階級にとって、服というものは一財産だ。
彼らには既製服でさえ、年収分以上の価値がある。
だからシャルロが、オーダーメイドを羨ましがるのも当然だった。
「わたしなんてサイズの合う既製服がなくて、ずっとメイド服なのデスよ。早くお給料を貯めて、子供用のテールコートを仕立てたいのデス」
「いや、シャルロちゃんにはメイド服が似合っているよ。メイド服を止めちゃうなんてとんでもない」
「ふむ。コリン殿もなかなか分かっているな」
会話に割り込んできた声に振り向くと、洗濯室の入り口に金髪少女が立っていた。
フリルのドレスと猫耳っぽいリボン。
ヘイウッド邸の当主代行であるシェリー嬢だった。
「シャルロにはメイド服が一番だ。しかし、男装をしてみたいという気持ちも分からなくはない。そこで私からのサプライズプレゼント! ベッキー、用意は出来ているな?」
「もちろんさ! これでもおいらはプロだからね、納期は守るよ!」
シェリー嬢のテンションが高い。
やはり朝食室では、公式な場ということで猫を被っていたのだろう。
「わあ! 男の子用の制服を仕立ててくれたのデスか! 嬉しいのデスよ!」
「馬鹿な! そんな余計なことをしたら、シャルロちゃんのメイド服姿が見られなくなっちゃうじゃないか! 使用人になった俺の、数少ない楽しみを奪うなんてひどい!」
「いや、そこを楽しみにされても困るのデスよ?」
ベッキーに連れられて、シャルロが向かいの衣装室に消える。
ところがベッキーだけが洗濯室に戻ってきた。
「おっと危うく忘れるところだったよ! はい、これがコリンくんの制服さ! とりあえずは仮だけどね! 適当にぱぱっと着替えておいておくれ!」
そして再び衣装室に消えてしまった。
もそもそと使用人服に着替えるコリン。
シェリー嬢は隣でコリンが半裸になっても、まるで気にした様子がなかった。
コリンの存在など、最初から眼中になし。
衣装室からシャルロが出てくるのを、わくわくした眼差しで見守っている。
「さあっ、お待ちかね! シャルロくんの、新作制服のお披露目だよ!」
ババーンっと効果音を口にしながら、ベッキーが洗濯室の入り口を開けた。
一拍置いて、着替えたシャルロがもじもじ内股で恥ずかしそうに姿を表す。
「ふはーーーーーーーーッ!」
「こ、これは……っ」
歓声を上げるシェリー嬢と、息を飲むコリン。
制服をデザインしたベッキーは、得意気な顔をして胸を張った。
シャルロの新しい制服は、確かにパンツスタイルではあった。
ただし、ギリギリまで丈を短くした短パンに、ニーソックスという出で立ちだ。
シャツは胸元を辛うじて隠すばかりで、おへそが覗く大胆なデザインになっている。
頬を桜色に染めたシャルロが、涙目で抗議した。
「おかしいデスよねっ? これ、わたしが思ってたイメージと全然違うのデスよっ? スカートではなくなったデスけど、メイド服の時より露出が増えちゃってるデスから!」
「むふーっ、たまらんなこれは! ベッキー、ナイス仕事だ!」
「シャルロくんという最高の素材を活かせて、おいらも誇らしいよ! 服飾デザイナーとして冥利に尽きるね!」
「余計なアレンジは要らなかったのデスよ! 普通のテールコートで良かったのデス! コリン様からも何か言ってやってほしいのデス!」
「いや、これはこれでOKじゃないかな」
弛んだ鼻の下を片手で隠しながら、コリンが答える。
顔は背けながらも、目線はしっかりシャルロのおへそに固定されていた。
「何か嬉しそうデスーーーーッ! やっぱりわたし、着替えてくるデスよ!」
「どうしてーーーーっ?」
恥ずかしさに耐えられなくなったシャルロが、衣装室に逃げ込んでしまう。
再び姿を現した時には、すっかりいつものメイド服姿だった。
疲れきった様子で、ぽつりと呟く。
「シェリー嬢様に期待するのは、やっぱり止めなのデス。地道にお給料を貯めて、自分で制服を買うのデスよ」
「何ということだ! ベッキー、どうやらまた失敗したようだぞ!」
「うーん。シャルロくんの要求はレベルが高いね! まあ、次があるさ!」
「特別な要求はしていないデスから! というかこれでわたしの服、何着目デス? いい加減、もったいないのデスよ?」
男性向け制服は持っていないシャルロだが、少女趣味の衣装は何着も支給されているらしい。
後で聞いたところによると、屋根裏にはシャルロ専用の衣装部屋まであるという。
ほとんどが一度袖を通したきり、二度と出番はないらしい。
「もったいないから、シャルロくんはおいらの作品をもっと着るべきだよね! 贅沢ものめっ!」
「わたしだけじゃなくて、リリちゃんかエリカちゃんにも作ってあげるのはどうデスか? きっと喜んでくれるのデスよ?」
「そいつは無理な相談だね! リリくんはすぐ古着屋さんに売り払っちゃうし、エリカくんは恥ずかしがって着てくれないからね!」
「エリカちゃんでさえ恥ずかしがる服を、男のわたしが着るのはもっとおかしいデスよねっ?」
結局のところ、シャルロが男性向け制服を手にするのはかなり先になるだろう。
しばらくはシャルロのメイド服姿を愛でることが出来そうで安堵する。
落ち着いたところで、コリンは気になっていたことを聞いてみた。
「ところでさ、俺も使用人服に着替えてみたんだけど、どうかな? 似合う?」
「黒いな」
「シャツは白いね!」
「それ、感想じゃないよねっ?」
女性二人は、コリンに対して全く興味がないらしい。
コリンとしてはかなり冒険したつもりだっただけに、淡泊すぎる感想に少し気落ちする。
「あは、わたしはとってもお似合いだと思うのデスよ?」
慌ててフォローしてくれたシャルロの気遣いが心に染みた。
ひとまずサイズ的に問題はなさそうだ。
明日からはこの制服が、コリンの普段着になる。
軽く身体を動かしていると、じゃらりと鍵束の音が洗濯室に響いた。
シェリー嬢が、びくりと反応する。
にっこり微笑を浮かべた、ハウスキーパーのミセスがそこには立っていた。
「あら、お嬢様。こちらにいらっしゃったのですね。もうお休みの時間ですわ」
「嫌だ、私はまだシャルロと遊ぶぞ」
「夜更かしはお体に障ります。さ、寝室に行きましょう」
穏やかなのに威圧感が半端ない。
口をぱくぱくとさせたシェリー嬢だったが、やがて力なく項垂れた。
どうやら屋敷の主であるシェリー嬢も、ミセスには頭が上がらない様子だった。
「コリン様もお疲れ様です。困ったことなどはありませんか?」
「あ、えーっと」
一瞬だけ、親しみの欠片もないメイド長のことを相談しようかと迷う。
しかしすぐに思い直した。
スージーとの関係は、まずは自分で何とかするべき問題だ。
「いえ、何もありません」
「相談事などあれば、いつでも私かミスタにお伝え下さいね。私共は決して、コリン様に使用人生活を強要しませんわ。止めたくなりましたら、いつでもどうぞ」
「ありがとう、ミセス。でも、やると決めたのは俺ですから。出来るところまでは頑張ってみますよ」
始める前からギブアップするつもりはない。
その決意を確認するように、ミセスがじっとコリンの瞳を見詰める。
やがてミセスは一礼すると、シェリー嬢を連れて洗濯室を立ち去った。
「おいらも仕事に戻るとするよ! 制服をクリーニングに出す方法は、後でシャルロくんから聞いておいてね!」
ベッキーが作業机に山と積まれたメイド服に向き合う。
クリーニング自体は外注でも、仕分けや補修などはランドリーメイドが行っているらしい。
派手そうに見えるベッキーの仕事も、大半は地味な作業の積み重ねなのだろう。
ここに長居しても、ベッキーの邪魔になるだけだ。
今のコリンに手伝えることはない。
ハウスキーパーが去って気が緩んだのか、ふわぁとコリンが欠伸を噛み殺した。
シャルロがコリンを見上げて柔らかく微笑む。
「さて、わたし達も早めに寝るとするデスよ」
「実は気になってたんだけど、俺ってどこで寝ればいいの?」
「ご心配はいらないのデスよ。コリン様の客室は用意してあるのデス」
「それって客人向けの部屋だよね?」
「もちろんなのデス。コリン様が使用人になってくれるなんて、誰も予想していなかったのデスよ」
考えてみれば当たり前の流れだった。
メイド達は今回の来客に備えて、ずっと前から準備を進めていた。
例えば客室のベッドなどは害虫対策として、一度ばらばらに分解して磨き直した上で、組み立てているそうだ。
彼女らの労力を無駄にしてしまうのは心が痛む。
それでもコリンとしては、制服をオーダーメイドで仕立ててもらうことに引け目があった。
せめて寝室ぐらいは、メイド達と同じ環境に身を置きたい。
コリンが決意を伝えると、シャルロは目を丸くして驚いた。
「大丈夫なのデスか? あまり無理しない方が良いのデスよ?」
「これでも俺は、帝国軍に所属している身だよ? 屋根と壁があるだけ、野宿よりマシだって」
「あは。それは男らしくて素敵なのデスよ」
本音では、ふかふかのベッドはやはり恋しい。
しかし、シャルロだって使用人部屋で生活をしているはずだ。
シャルロに出来ていることを、出来ないとは言いたくなかった。