3-4. 階下の世界1
「くはーっ、この愛くるしさは反則的だね! 男の子だというギャップ萌えがまた、ポイント高いよ! ヘイウッド邸の使用人なんて辞めて、是非、我がショーター家に来たまえ!」
「はわーっ、くすぐったいのデスよ!」
フレデリカ先輩にすっかり気に入られたシャルロが、抱きつかれて全身もみくちゃにされる。
シャルロが男の子という事実を鑑みると、これはもう立派な逆セクハラではないだろうか。
羨ましい。
先輩がシャルロをいつまで経っても離さないという小さなトラブルはあったが、現場検証そのものは滞りなく終わった。
後の調査をメイヴィス達に任せると、コリン達は騎士団の手配してくれた馬車に乗り込んだ。
コリン達の馬や荷物は、後から騎士団が回収して屋敷まで届けてくれるという。
馬車で少し揺られて橋を渡っただけで、車窓の景色が一変した。
混沌とした貧民街を抜け出て、閑静な高級住宅地の区域に入る。
同じ都市とは思えないほどの別世界だ。
やがて緑豊かな田園風景が広がってきて、蛇行する馬車道を進む。
到着したのは、青い屋根をしたカントリーハウスの前だった。
停まった馬車からまずはシャルロが飛び降りる。
続いてシャルロにエスコートされながら、フレデリカとコリンも降り立った。
「ふむ。ボクも来たのは久しぶりだけど、相変わらず洗練されたデザインの館だね」
「住みやすそうなカントリーハウスですね。うちの実家なんて、城塞スタイルだから見た目だけで息苦しくなっちゃいますよ」
「君のところは、歴史的建造物だろう? 帝国本土にも戦乱の時代があったことを示す、貴重な資産だよ。誇っていい。好んで住みたいとは思わないけどね」
「先輩の実家だって、似たようなもんですよね?」
「だからボクは、実家を出たのさ」
ヘイウッド邸は、帝国内のカントリーハウスでも比較的新しい部類に入る。
住みやすさを最優先した造りは、平和な時代の設計であることを示す。
白塗りの外壁に、青い屋根。
シンプルで爽やかな印象を与える外見は、古い城館にありがちな威圧感が全くない。
若草色に覆われた周りの景観にも良く調和していた。
「あれ? 出迎えがないなんておかしいデスね?」
ドアノッカーを叩きながら、シャルロが小首を傾げた。
重ねてノックを繰り返す。
やがてドタバタと物音がして、ようやく扉が開かれた。
中から姿を現したのは、女性にしては長身のメイドだった。
栗色の長い髪をサイドアップにまとめている。
肩で息をしながらも、彼女は営業スマイルを浮かべてお辞儀をしてみせた。
「い、いらっしゃいませ、フレデリカ・ショーター様。それにコリン・イングラム様も。お待ちしておりました、どうぞお入り下さい」
メイドに招かれて、コリン達は玄関ホールへ足を踏み入れた。
ホールは吹き抜けになっていて、開放感を演出している。
正面には大階段が据えられていて、来客者を二階の客間へと誘っていた。
コリンの背後で、メイドとシャルロがひそひそと言葉を交わす。
「ちょっとシャルロちゃん、到着するの早すぎない? ミスタが東街区まで迎えに行ったんだけど、一緒じゃないの?」
「騎士団の皆さんが、馬車を用意してくれたのデスよ」
「余計なことを!」
どうやらメイド達にとって、コリン達の早すぎる到着は予想外だったらしい。
接客の責任者であるバトラーとは、東街区で行き違いになってしまったようだ。
「シャルロ! ようやく帰ってきたか!」
大階段の上から、金髪少女の声がホールに響きわたった。
見上げると、フリルとレースに彩られたドレスで身を包んだ女の子が駆け下りてくる。
流れるような金髪に、猫耳のようなリボン。
助走を付けた勢いのままシャルロに抱きつこうとした少女だったが、ぎょっとしたシャルロがコリンの背中に慌てて隠れる。
「何故逃げる!」
「だってシェリー嬢様! その手に持っているものは何デスかっ?」
コリンを盾にしたシャルロは、完全に怖じけ付いていた。
シェリー嬢様と呼ばれたこの少女こそが、ヘイウッド家の当主代行となる。
随分と可愛らしいご主人様だった。
ストレートの金髪と、少し吊り目な翠の瞳は、いかにも貴族令嬢といった顔立ちだ。
鋭い質問を受けたシェリー嬢は、手にした乗馬用の鞭をきょとんとした顔で見つめる。
「む? お馬さんごっこの小道具だが?」
「SMごっこの間違いじゃないのデスかッ? 痛いのとか嫌デスよ!」
「はー、シャルロはわがままだなー。しかしその程度のリアクション、私達は既にシミュレーション済みだぞ。仕方ない、馬役は私がやろう」
シェリー嬢が鞭をシャルロに手渡した。
何気なく受け取るシャルロ。
そしてシェリー嬢はくるりと背を向けると、小さなお尻をシャルロに突き出す。
「さあ! 思いっきり叩くがいい! 遠慮は無用だ!」
「何でーーーーッ?」
涙声で叫ぶシャルロ。
しかしシェリー嬢は、むふーと期待に鼻息を荒くしながら、今か今かと一撃を待っている。
シャルロが何か言いたそうに、コリンを見上げた。
「いや、そんな目で俺を見られてもね?」
助けてあげたいのは山々だったが、状況がいまいち理解出来ない。
やがて観念したように溜息をついたシャルロは、シェリー嬢のお尻を鞭で軽く撫でた。
「あひゃんっ」
「へ、変な反応しないでほしいのデスっ。何だかわたしがえっちなことしてるみたいデスよっ?」
シェリー嬢の過敏な反応に、シャルロが耳まで真っ赤になる。
そんなお子様二人のやり取りを眺めていたメイドが、頭痛に耐えるような顔をしながら口を挟んだ。
「シェリーお嬢様、お客様が目の前にいらっしゃいます。お喜びになるのは分かりますが、少しの間だけ自重して下さい。それにその鞭、一体どこで入手されたのですか?」
「うむ、リリから貸してもらったのだ。乗馬ごっこには必需品だと聞いてな。他にこんなのも借りたぞ!」
嬉しそうにシェリー嬢が取り出したのは、猿ぐつわだった。
メイドがこめかみに怒りマークを貼り付けたまま、凄味のある笑顔を浮かべる。
「シャルロちゃん、お客様の案内を任せていい? あたしは別の仕事ができちゃった」
長身メイドから立ち上る殺気のオーラに、驚いたシャルロが目を丸くした。
止めるのは無駄だと判断したのだろう。
せめて死人が出るのだけは避けようと思ったのか、フロアの奥に向かって大声で叫んだ。
「リリちゃん逃げてーーーーっ! 全力でッ!」
大階段の陰に隠れていた子供メイドがひょっこりと顔を出す。
髪型をツーサイドアップにした、いかにも悪戯好きそうな少女だった。
「てへ。やりすぎちゃった?」
そしてそのまま、ドタタタタと脇目も振らずに猛ダッシュで逃げていく。
「逃がすかーーッ」
間髪入れずに雷光のような勢いで、長身メイドが少女の後を追った。
すっかり取り残された格好のフレデリカ先輩が、しみじみと呟く。
「ふむ。ボクも随分と変わり者だと言われるけどね。そんなボクから見ても、この屋敷の住人はおもしろい人間が多そうだ」
「あ、先輩。変わり者の自覚はあったんですね」
先輩が無言でコリンの臑を蹴り飛ばした。
激痛に足を押さえながら、コリンが床を転がる。
「だ、だだだ、大丈夫デスかっ? 何だか凄い音がしたデスよ! 包帯とかいるデス? ミセスーーっ、誰かミセスを呼んでーーーーッ!」
「うわあっ、こいつ私のスカートを覗こうとしたぞ! 変態かっ?」
「シェリー嬢様! 足下へ転がってきたお客様の顔面を、そんな風に踏みつけちゃ駄目なのデスよっ! 死んじゃう! コリン様が、死んじゃうーーーーっ!」
右往左往するシャルロ。
シェリー嬢に頭を踏まれて、顔面をカーペットに埋めるコリン。
そんなコリンを涼しい顔で見下すフレデリカ先輩。
到着早々、何でこんな目に遭わないといけないのだろうか。
コリンはあまりの理不尽さに、赤い絨毯を涙で濡らした。




