3-3. 魔女狩り6
絵描きの殺害された現場には、未だ生々しい痕跡が残されたままだった。
血に塗れた壁の前。
二人の女性が並び立っている。
周りでは兵士達が、地面に這いつくばって遺留品を捜していた。
「最初の一人は、通常の殺人事件として処理されました。中央の軍務省にも、定型的な報告しか上げていません」
騎士狩り事件の概要を説明しているのは、地元フローマス騎士団の女騎士。
名はメイヴィスという。
髪の毛を短く刈り上げ、褐色に灼けた肌を持つ女性だ。
階級は少尉、二十代半ばにして一個小隊の隊長を務める。
元は少女偵察飛行隊の出身だ。
おかげで同世代でも軍歴は長く、昇進のスピードも頭ひとつ早い。
隣りに立つ軍務省の女性事務官は、フレデリカ・ショーター。
小柄な上に童顔のため、外見だけだと子供にしか見えない。
階級は上級二等官で、武官なら中佐に相当する。
尉官のメイヴィスからすると、実感が沸かないほどの階級差だった。
こうして直に話す機会ですら、本来ならあり得ないだろう。
これが上級貴族の特権か。
若干の妬みを自覚しつつも、表面上は上官への礼儀を保ちながらも説明を続ける。
本来なら軍務省の相手など、大尉辺りにお願いしたいところだった。
しかしこの現場にいる士官は、メイヴィスだけなのだから逃れられない。
「私達が事態の深刻さを認識したのは、二人目の犠牲者が出た後です。初動の遅れについては、返す言葉もありません」
「勘違いしないでほしいんだけど、別にボクは君達を糾弾するために来た訳じゃない。そんなに緊張しないでくれたまえ。当時の対応としては、十分に適切だったと思うよ。帝国騎士が殺人事件に巻き込まれるケース自体は、珍しくもないからね」
一件で終わっていれば、誰も注目しなかっただろう。
問題は、間を空けることなく次の事件が発生したということだ。
しかも二人目の犠牲者は、現場に正面から交戦したと思われる痕跡まで残していた。
「三人目と四人目が行方不明になってから先は、報告書の通りです。ご存知の通りフローマスは異端の保護特区になっています。常識に囚われない事件は少なくありません。それでも今回のように、正面から帝国自体をターゲットにしてきたケースは初めてですね」
四人目の犠牲が出た時点で、フローマス騎士団長のウィリアム・ヘイウッドは事件の公表に踏み切った。
プライドを重視する領主なら、自領の恥は隠し通そうとするだろう。
彼の決断は評価の分かれるところだ。
フローマス伯爵領からの報告に、帝国軍上層部は衝撃を受けた。
三人目と四人目の犠牲者は、ツーマンセルで行動していた竜騎士ペア。
つまりは帝国陸軍の主力である竜騎兵法術が、テロリストに屈したことを意味する。
これは地方行政だけに留まる問題ではなかった。
本件の扱いは直ちに、国家レベルへと格上げされる。
軍務省作戦局の介入は、フローマス騎士団も予測していたことだ。
「ウィルは火消しに戻ってこないのかい? ボクが思うに、この件は彼の詰めの甘さが原因だよ」
団長を愛称で呼び捨てにされ、メイヴィスは内心で舌打ちした。
フレデリカとウィリアム騎士団長が旧知であることは知っていたが、彼女との身分差を改めて痛感させられる。
ウィリアム本人は現在、ローアン政務官として海外に駐在していた。
フローマス連隊の主力三個大隊も付き従っている。
あちらは帝国本土と違って、いつ戦場になってもおかしくない場所だ。
そう簡単には帰国してこない。
「本件については騎士団長より、我々フローマス駐屯大隊に一任されています。現在までに確認された犠牲者は八名。この絵描きを含めても九名でしょうか。ローアンで日々発生している死者数をご存じですか? 敵地に近いローアンではこの程度、日常風景の一部です。団長の帰還を待つまでもありません」
「ふん。確かに数字だけ見ると、その答えで正しいけどね。ま、彼らしい考え方だと言っておこうか」
小馬鹿にした物言いに、メイヴィスのこめかみがピクリと反応する。
ここで怒っては駄目だ。
自制しろと心に刻む。
軍組織において階級は絶対。
小娘みたいな童顔をしているが、フレデリカの階級はウィリアム団長よりもさらに格上だ。
唐突にフレデリカが、目前の壁へと手を伸ばした。
既に絵描きの遺体そのものは回収されているが、それでも血や肉片はこびりついたまま洗い流されてはいない。
半乾きに凝固した血液を指先で拭うと、それをフレデリカは自らの口で舐め取ってみせた。
もごもご咀嚼して、そのまま路上に吐き捨てる。
隣のメイヴィスは、驚きのあまり目を見開いて硬直していた。
メイヴィスも帝国騎士の一員だ。
実戦経験もあり、死体には慣れている。
そのメイヴィスから見ても、フレデリカの行為は常軌を逸していた。
ナプキンで口元をぬぐうフレデリカは、あくまで平然としたものだ。
「ふむ。彼は異端の力に目覚めてから、まだ日が浅いね。交戦時に手応えのなかった訳だよ」
異端に対抗することを主目的として設立された特務四課は、異端級の化け物揃いだと聞いたことがある。
思い返してみれば倉庫区画で放たれた攻城級法術も、本来なら単身で扱える法術ではない。
フレデリカという事務官は、何もかもが規格外だった。
メイヴィスは生唾を飲み込むと、質問を重ねる。
声が震えていないか心配だった。
「覚醒のきっかけは分かりますか? 生まれつきの取替子? 魔薬のオーバードース? もしくは異端との接触でしょうか?」
「君達が期待する通りの答えだよ」
見透かしたような目付きで、フレデリカがにやりと笑う。
そして壁の血痕を親指で示しながら宣言した。
「間違いない。この絵描きを異端に導いたのは、幻狼の魔女だ」
「ッ!」
図星だ。
まさにそのキーワードこそが、フローマス騎士団が追い求めていた答えだった。
幻狼の魔女。
ローアン攻城戦において、立て続けに帝国側の司令官を暗殺した異端の通称だ。
戦後に姿を消し、現在まで消息は掴めていない。
幻狼の魔女なら、フローマス騎士団を恨むだけの正当な理由がある。
故国を滅ぼされた復讐。
大義としては申し分ない。
上等だ、受けて立ってやる。
フローマス騎士団にとっても、幻狼の魔女には多くの戦友が犠牲になっていた。
「やけに嬉しそうだね?」
「まさか。任務に私情は挟みません」
こみ上げる歓喜を抑え込み、努めて平静な表情でメイヴィスは答えた。
しかしそんなメイヴィスの内心も、フレデリカの顔を見た瞬間に凍り付く。
彼女の童顔に浮かんでいたのは、戦慄を覚えるほどの狂喜。
本能的な恐怖に、メイヴィスの背筋がぞくりと震える。
メイヴィスは理解した。
この事務官は、メイヴィス達と同類だ。
魂が遠い戦場に縛られている。
くく、とフレデリカが喉の奥を鳴らした。
「皮肉なものだ。表舞台から退場したはずのボクに、再びこんな機会が巡ってくるとはね。ずっとローアンの地で彼女を追い求めていたウィルは、これを知ったらどんな気分になるのかな?」
息苦しいほどに重い空気を振り払ったのは、場違いに平和ボケした呼び声だった。
「あ、先輩~。シャルロちゃん連れてきましたよー」
間の抜けた印象がする青年が、こちらに向けて手を振っている。
事前通達の資料には確か、フレデリカ上級二等官の他に補佐員一名が付くと書かれていた。
中央の軍務省所属なら、彼も何れかの上級貴族に連なっているのだろう。
「それでは私は、これで失礼します。何かあればお声掛け下さい」
メイヴィスは敬礼をすると、やって来た竜騎士の青年と入れ違いに壁面を離れた。
青年が伴っているのは、事件の目撃者であるヘイウッド邸のメイドだ。
シャルロとは、メイヴィスも顔見知りだった。
早速フレデリカが、シャルロに向かって何やら聞き込みを始めている。
◆◇◆
現場から離れたメイヴィスに、並んで歩くように伍長が近付いてきた。
押し殺したような小声で尋ねてくる。
「少尉、あいつら一体何者っすか?」
フレデリカが上級貴族だということは、一目で分かったのだろう。
そのためメイヴィスが、彼女から離れる頃合いを見計らっていたらしい。
下級貴族出身のメイヴィスでさえ、物怖じしてしまう身分差だ。
平民である下士官や兵士達が、フレデリカを避けるのは当然のことだった。
「彼女はフレデリカ・ショーター。名高きルーンベリー公ショーター家のご令嬢にして、中央軍務省から派遣されてきた特務四課の事務官です」
歩きながらメイヴィスが応じる。
帝国軍の内部には、大きく分けて二つの組織が存在する。
まずはメイヴィス達も属している、作戦実行部隊。
戦場に兵士を投入する際には、諸侯が所有する連隊の組み合わせにより師団や方面軍が構成される。
戦地で泥を啜り血を流すのは、メイヴィス達のような前線の兵士だ。
もう一つが軍務省。
彼らの主戦場は、帝都の会議室にある。
封臣会議の方針に基づき情報を収集し、作戦を立案するのがその役割だ。
予算と人事権を握るため、作戦実行部隊の上位組織として振る舞う。
シビリアン・コントロールというやつだ。
もちろん頭脳には、手足も必要となる。
フレデリカ達が所属する作戦局特務本部は、軍務省自らが有する唯一の実行部隊だった。
正規軍では都合の悪い不正規戦を専門とする。
メイヴィス達の雇い主はフローマス伯爵だが、軍務省は女王陛下と封臣会議に直接仕える。
そのため軍務省に勤めるのは、エリート中のエリートに限られた。
具体的には、爵位持ち上級貴族の縁故がなければ事務官にはなれない。
「お偉いさんって訳ですか。そいつは面白くない話っすね」
伍長の率直すぎる発言を、メイヴィスは聞き流したふりをした。
本来なら懲罰ものの失言だが、メイヴィスも本心では全くの同意なのだから達が悪い。
しかし部下に同調しても、不満を増大させるばかりで益がない。
少なくとも立場上は、軍上層部と上手く調整してみせる模範を示す必要があった。
メイヴィスは足を止めると、わざとらしい仕種で肩を竦めてみせる。
「まあ、要は付き合い方ですよ。彼女らの通称を知っていますか? 魔女狩り特務四課。その実力は、神聖王国の異端審問官に匹敵すると言われています。異端専門家としての知識は、私達より上でしょうね」
おまけに付いてきた竜騎士の青年はともかく、フレデリカの実力は本物だ。
ただの貴族令嬢ではない。
好き嫌いで相手の能力を見誤ることは、愚か者のすることだった。
無闇に敵を増やすバカはいない。
利害が一致するうちは、利用させてもらうべきだ。
彼女から得るべきノウハウも多いだろう。
ただし、とメイヴィスは付け加えた。
「これは我々の戦争です。他の誰にも譲りません。そのことを忘れたら、ぶち殺しますからね?」
「はッ。了解です!」
敬礼する部下を、メイヴィスは満足そうに眺めた。
軍務省がどれだけ現場に介入してきたところで、メイヴィス達の目的は微塵も揺るがない。
幻狼の魔女の首を獲る。
それだけだ。
結果的に目的を達成できるのなら、手柄など軍務省にくれてやるつもりだった。