3-2. 魔女狩り5
ローアン攻城戦から五年。
旧王国連合領から海峡を挟んだ向かい側、帝国本土の南端に位置する港湾都市フローマスでは、騎士狩り事件で街中が騒然となっていた。
交通規制を実施してまで強行された重要参考人の捕縛作戦は、完全に失敗。
参考人である絵描き自身が殺害されるという、最悪に近い形で幕を閉じた。
その舞台となった東街区の路地裏は、野次馬達が集まってちょっとしたお祭り騒ぎだ。
現場検証中の騎士団が、押し寄せる市民達を懸命に追い払っている。
「はー、それではコリン様達も、騎士狩り事件を解決するためにフローマスまでいらっしゃったのデスね」
「あの事件は、ちょっと普通じゃ考えられないからね。地方騎士団の手には余ると判断されたらしい。そこで異端の専門家である俺達の出番という訳さ」
絵描きの殺害現場からほど近いパブ『王国の夕暮れ亭』
。
湯を借りていた一人の幼いメイドが、タオルで頭を拭きながら事情聴取を受けていた。
聞き取り役をしている青年の名はコリン。
コーヒー色の髪をした、いかにも頼りなさそうな若者だ。
これでもスリス公爵家の、次々期後継者と目されている。
現在の軍務省所属という身分は、箔を付けるための腰掛けポストだ。
一方、絵描きの殺害現場に居合わせたメイドは、自らをシャルロと名乗った。
まだ十歳前後ぐらいに見える、幼さを残したジュニアスタッフだ。
本来なら三つ編みにされているはずの銀髪を今は解いていた。
「はふー、ようやくひと息ついたのデスよー」
タオルから顔を離すと、シャルロがのんびりした声を伸ばす。
無防備すぎるその表情に、コリンは息を詰まらせた。
この世のものとは思えない可愛らしさが、庇護欲を掻き立てる。
湯上がりのせいだろうか。
シャルロのほどけた銀髪からは、とてもいい匂いがした。
思わず深呼吸をしてしまうコリン。
シャルロが、きょとんとした無垢な表情を向ける。
「あの、コリン様? どうかされたデスか?」
「いやいやいや! 違う! 別に見惚れてたとか、そーいう訳じゃないから!」
慌てて両手を振って誤魔化すコリン。
いけない。
初対面同然なのに、これでは危ないお兄さんだと思われてしまう。
聴取相手であるシャルロに、無用な警戒心を持たれることは非常に宜しくない。
<ちょっと待ちたまえ、コリン。君は何か、決定的な間違いを犯していないかい?>
「は? 何ですか先輩。急に口を挟んでこないで下さい」
脳裏に響くのは、少し離れた現場で実地検証をしているフレデリカ先輩の声だ。
通信法術は、遠隔地からの意思疎通を可能にする。
欠点は、コリン側から通話を切断することは出来ないということだ。
通話権限は、一方的に先輩だけが有している。
<ボクも君の視覚を通して見ているけど、確かにそのシャルロちゃんは可愛いよ? なかなかお目に掛かれないレベルだね。だけど、彼、男の子だよ?>
「はっはっはっ。嫌だなあ、先輩。こんなに可愛い子が、男の子な訳ないじゃないですか」
「いえ、わたし男の子デスよ?」
「へ?」
お風呂上がりの色気を醸すプラチナブロンド。
透き通る蒼色の大きな瞳。
小さく整った鼻と口。
白い肌はうっすらピンクに色付いて、発育途上な身体は絶妙なラインを描いている。
どこからどう見たって、美少女だ。
これほどまでの美少女は、コリンの人生で今まで目にしたことがない。
「あは、初対面だと良く間違えられちゃうデスけどね。でも、本当に男の子デスから。ほら、触ってみるデス?」
シャルロがコリンの手を取って、自分の胸元に当てる。
ぺたんとした真っ平らな胸。
しかしコリンぐらいのお年頃では、あまり証明になっていない気もする。
「ほら、お分かりになったデスよね」
「嘘だーーーーッ!」
コリンの絶叫がパブに響いた。
見るに見かねたウェイトレスが、コリン達のテーブルにやって来る。
どうやらシャルロの顔見知りらしい。
「信じたくないのも分かるけどね。でも、シャルロちゃん正真正銘の男の子よ? それが逆に萌えるんだけど! やーん、お風呂上がりのシャルロちゃんも、かーわいいー!」
「ちょっとリュシーさん、止めて下さいなのデス! ほら、コリン様がびっくりして固まっているのデスよ!」
「騎士様が固まってるのは、あたしじゃなくてシャルロちゃんが原因でしょ? 事実を受け入れられない男って格好悪いわよねー」
<そのウェイトレスが言う通りだよ。ほら、いつまでもショックを受けていないで、さっさと仕事を続けたまえ>
何ということだろうか。
コリンの中で価値観がガラガラと音を立てて崩れていく。
こんなに可愛いシャルロが男の子だなんて、世の中は間違っている。
衝撃が強すぎて、何だかもう騎士狩り事件のことがどうでも良くなってきた。
「事務官殿、何なら事情聴取は私が行いましょうか?」
同席するフローマス騎士団の兵士が、控えめに尋ねる。
彼はシャルロの性別を知っていたらしく、それほど衝撃を受けていない。
やばい。
軽蔑の眼差しがコリンに集中する。
若年ながらも階級が上の人間としては、毅然とした態度を見せる必要があった。
「いえ、取り乱しました。もう大丈夫です」
過去形じゃないけどね! 絶賛、今も取り乱し中だけどね! 等という心の声は、微塵も表に出す訳にはいかない。
平静さを取り繕って、ヒアリングを再開する。
シャルロの職場がヘイウッド邸だということは、既に聞いた。
雇用主はフローマス伯爵。
伯爵は港湾都市フローマスの領主であり、身元の確かさは折り紙付きだ。
メッセンジャーという職種にも不自然さはない。
書簡配達に美少年を採用する例は、帝国貴族の屋敷ではありがちだったりする。
使い走りの愛らしさは、一種のステータスシンボルとして機能するためだ。
シャルロほど現実離れした容姿なら、どの屋敷からでも引っ張り蛸だろう。
コリンの実家で雇ってほしいぐらいだった。
「えっと、どこまで聞いたかな」
「路地裏を歩いてたところまでデスよね」
今日も午後からシャルロは、乗合馬車を乗り継いで配達先を回っていたという。
そして最後に東街区の青空市場へ立ち寄った。
果実店ではオレンジを購入。
後は乗合馬車の停まる大通りに向かうため、近道である路地裏を歩いていた。
事件にはそこで遭遇したらしい。
「絵描きの追跡で、かなり騒ぎになってたけど気が付かなかった?」
「んー、気にしていなかったのデスよ。ほら、この街では強盗や殺人なんて日常茶飯事デスから。自警団に追われる犯人さんも珍しくないのデス」
「平然としすぎだから! もうちょっと君は、自分の可愛さに自覚を持つべきだ! そんな物騒なところをひとりで歩いて、誘拐でもされたらどうするの!」
改めて聞いてみると、とんでもない話だった。
大人でさえ身の危険を感じる貧民街。
首締め強盗や人攫いの多発地域だ。
危機感がなさすぎると言わざるを得ない。
ところがシャルロは、柔らかく笑うとコリンの注意をスルーしてみせた。
「あは。ご心配ありがとなのデス。でも、わたしにとっては第二の故郷みたいなものデスから。この移民街は、同胞には優しい街なのデスよ」
「それにしたって、無防備すぎるよ! 屋敷の人達は、何も言わないの?」
「あ、でも、帝国の方にはちょっぴり危険かもしれないデスね。コリン様がこの辺りを歩く時は、気を付けてほしいのデス。丸腰のまま、ひとり歩きしちゃ駄目デスよ?」
「逆に心配されたッ?」
そこから先の話は、コリンの記憶とも一部が重複する。
残念ながらシャルロも、犯人の顔は覚えていなかった。
シャルロの歩いていた路地に逃げ込んだ絵描きは、そこで待ち構えていた何者かに出会い頭で殺害された。
その瞬間を、シャルロは見逃したそうだ。
「ローブみたいのを被った人が、逃げていく背中は見たのデス。確信は持てないデスけど、女性のような肩幅だったデスよ」
コリン達がやってきたのは、その直後だという。
ちなみにコリンは、そのような人物を現場で見ていない。
足跡も残っていなかった。
ただ、相手は異端を一撃で葬るような化け物だ。
常識で考えて意味があるとは思えなかった。
直ぐに周辺を索敵しなかったのが悔やまれる。
中断したのは確か、フレデリカ先輩の指示があったせいだ。
残念ながらその判断は正しかったと思われる。
深追いをしてコリン達が全滅していた可能性も捨てきれないからだ。
「そうそう、もう一つだけ覚えていることがあるのデス」
「うん、どんな些細なことでも助かるよ」
「『助けて』
と」
「え? 聞き取れなかった。もう一回お願いできる?」
「帝国語に訳すと、助けてという意味デス。とっても切実な声色だったから、耳に残っているのデスよ」
「犯人は、絵描きの身内だったのか?」
そう考えるのが自然だ。
通りすがりの子供でしかないシャルロに助けを求めるとは思えない。
異端の中には、通信法術と同系統の能力を使う者も存在すると聞く。
絵描きは現場まで誘導されて、その上で犯人に口封じされた。
筋は通っている。
<コリン、シャルロちゃんをこっちに回してもらうことは出来るかい? もちろん無理そうならまた後日でいいよ。君の判断に任せる>
再びフレデリカ先輩からの通信法術。
何しろシャルロは、人が死ぬところを目前で見たばかり。
トラウマになっていてもおかしくない。
しかし、今はすっかり立ち直っているようにも見える。
王国出身のシャルロにとって、戦場は見慣れた光景なのだろうか。
これだけ元気なら、シャルロを実地検証に立ち会わせても問題なさそうだった。
「あ、はい。一応は本人に聞いてみます」
「あは、わたしは全然へっちゃらなのデスよ。記憶が薄れないうちに、早く済ませちゃうのデス。ただ、あんまり帰りが遅くなると、屋敷のみんなを心配させちゃいそうデスけど」
「それなら俺達の馬車に相乗りしていけばいいよ。どうせ行き先はヘイウッド邸だろう? 乗合馬車よりは早いはずだ」
「わあ、それは大助かりなのデスよ! ありがとなのデス!」
無邪気に喜ぶシャルロは、やはり底なしに可愛かった。
これで男の子だなんて、やはり信じられない。
労働者階級の中では、領主の屋敷に雇われているシャルロは勝ち組に属する。
本来なら妬みの対象になっていても不思議ではない。
しかし、『王国の夕暮れ亭』
の他の席からは、好意的な視線ばかりが寄せられていた。
何故だろう。
そんな疑問は、シャルロの笑顔を前にすれば一発で氷解してしまう。
移民街のアイドル的存在という立ち位置を、シャルロはしっかり確保していた。
整った容姿だけでは、そのポジションは得られない。
シャルロの立ち振る舞いがあってこそ、住人達にも好かれているのだろう。
ファンクラブがあるのなら、コリンも是非入会したい。
本当にそんなクラブが存在し、本当に入会してしまったのはもう少し後日の話だった。




