2-9. メイド長2
東街区での騒動は、まだヘイウッド邸に伝わっていなかった。
騎士団がコリン達の到着を伝えるべく早馬を走らせてはいたが、到着はもう少し先になる。
だからメイド長のスージーは、コリン達が港湾都市フローマスに到着していることを現時点では知らない。
コリンがシャルロに出会っていることなど、神ならざる身には想像すら出来なかった。
当初の予定ではそろそろ、来賓が訪れてもおかしくない時間帯だ。
男性使用人やパーラーメイドといった接客担当を例外として、他のメイド達は既に全員バックヤードへ引っ込ませている。
メイドとは本来、裏方に徹するべきだ。
華やかな上流階級の人々が行き交う表舞台には似つかわしくない。
スージーは屋敷内をひと通り回って、抜かりはないか最終チェックをする。
やがて満足そうに頷くと、シェリー嬢に声を掛けるため舞踏室へとやって来た。
「本当にこれで乗馬の練習になっているのか?」
「いーから、いーから。あたしに任せて」
扉の隙間からそっと中の様子を伺うと、少女の背に跨ったシェリー嬢が上体をふらふらとさせていた。
「うう、何でわたしがこんな役なの~」
シェリー嬢の下で泣きそうになっている大人しい雰囲気の少女は、スカラリーメイドのエリカだ。
ジュニアスタッフの一人だが、どうやらリリ達に強制連行されて来たらしい。
本来の仕事はキッチンの洗い場担当。
しかし、ヘイウッド邸におけるジュニアスタッフは、シェリー嬢の遊び相手という役割も兼ねていた。
当然のことながら、優先順位は後者が上だ。
「まあ、あれよ。練習になるのかどうかなんて、どうでもいいの。乗馬を教えてほしいっていうのは、シャルロちゃんに断られなくするための口実なんだから」
どうやらまた、リリの奴が良からぬことを企んでいるらしい。
仕事ではまるで役立たずのリリだが、遊びになると悪い意味で頭の回転が速くなる。
あの妹は才能を活かす方向を、完全に間違えていた。
「それじゃ、エリカちゃん進んでみて」
「うう~、次のコイントスじゃ負けないんだから~」
「おおっと」
四つん這いになったエリカが前進すると、その背に乗ったシェリー嬢がバランスを崩してよろめいた。
危ない。
あのバカ妹は何をしているんだと、スージーは飛び出しそうになった。
シェリー嬢に怪我でもさせたら大事だ。
「エリカちゃんもっと早く!」
「これ結構、疲れるよ~」
文句は言いつつも、一応はリリの指示に従うエリカ。
たまらないのはシェリー嬢だ。
慌ててエリカに抱きついて何を逃れる。
舞踏室を一周したところで、エリカの馬役は終わり。
あまり体力のない彼女は、カーペットに大の字になってぜーぜーと荒い息を整えていた。
騎手役のシェリー嬢も、うっすら汗をかいている。
「どう? 分かった?」
そんな二人の少女に、得意気な顔をしてリリが尋ねる。
「「何がッ?」」
エリカとシェリー嬢のリアクションは息ぴったりだった。
それはそうだろう。
こっそり覗き見しているスージーにも、リリの狙いが理解できない。
「はー、二人とも想像力が貧弱ねー。いい? 舞踏室を一周した状況を思い返してみて?」
「うむ、思い返したぞ」
「そのまま、相手がシャルロちゃんだとイメージしてみて。ほら、あたしの企画の狙いが分かったでしょ?」
「おおッ」
シェリー嬢が、目をくわっと見開いて感嘆の声を上げる。
「なるほど! 確かにこれなら、さりげなくシャルロに密着しまくりだな! 両足でがっつりホールドしつつ、全身くまなく揉みまくりだ!」
想像したら興奮してきたのか、シェリー嬢の鼻息が荒くなってくる。
水を差したのは、馬役をさせられたエリカだった。
「いやいや、全然さりげなくないよう。魂胆丸見えすぎ~。あたしなら断っちゃうな~」
「む、そうか? 確かに最近のシャルロはつれないからな。健全なお医者さんごっこだと説得しても、信じてくれない」
「ふふん、エリカちゃん甘いわね。それじゃあたしが手本見せてあげる。実証実験よ。エリカちゃん手伝って」
「だからもう、わたしは嫌だって~」
「コイントスなしで騎手役を譲ってあげるわよ?」
「本当~? それならやってみたいかも~」
「へい、かもん!」
勢い良く四つん這いになったリリに、恐る恐るエリカが腰掛ける。
最初はゆっくり進むリリに、エリカも上機嫌になってくる。
「あ、これはちょっと楽しいかも~」
「じゃあ、本気出すわよ」
「え?」
途端に暴れ馬みたいな勢いで、激しくリリが動き出した。
背中に乗るエリカは大混乱だ。
リリに抱きついたものの、目をぐるぐる回している。
「ほら! 騎手なら鞭を打たないと!」
「え? ええ~?」
「遠慮なく! 力いっぱいね!」
「こ、こお」
正常な判断力も失ったエリカが、リリのお尻を軽く撫でた。
リリが、ガーーッと激高する。
「弱い! もっと強く!」
「え、えいっ」
「ひひーーーーんッ」
舞踏室を一周した頃には、エリカは完全に力尽きていた。
俯せでカーペットに倒れ伏せたまま、ぴくりとも動かなく。
逆にリリは、生き生きと瞳を輝かせてる。
「どーよ! この作戦の肝が分かったかしらっ?」
「師匠と呼ばせてくれ! シャルロに選択を委ねたふりをして、その実はMプレイを強要させるとは! リリは策士だな!」
「ふふーん! もっと誉めてもいいのよ!」
駄目だ、この変態少女達。
早く止めてあげないと。
そう思いはしたスージーだったが、幸せそうなシェリー嬢を見ていたら何もかもがどうでも良くなってきた。
「よし! シャルロが帰ってくるまで特訓するぞ! エリカ、いつまで寝ているのだ!」
「うえ、わたしもう限界~。は、吐きそう~」
「腰の回転と角度を極めることで、より高度な楽しみを得ることも出来るわよ!」
「すごい! リリは本当に天才だな!」
はっ、とスージーが正気を取り戻した頃には、何もかもが手遅れになっていた。
着衣も髪も乱れまくり。
全身汗だくでカーペットに転がり、荒い息を付く少女が三体。
ひどい惨状だった。
これはこれでえろ可愛いシチュエーションだったが、今はそんな妄想を広げてる場合ではない。
来賓を前にして、これはまずい。
こんなシェリー嬢の姿をお客様に見られたら、ヘイウッド家の威信はおしまいだ。
扉の影から姿を出すと、スージーはリリの枕元に仁王立ちをした。
「ねえ、リリ。あたしは今晩、大切なお客様がいらっしゃるって説明していたわよね? それがどうして、お嬢様がこんな状況になってるのかしら?」
「あー、姉ちゃん。ちょっと待ってて。流石のあたしも疲れちゃって、しばらく動けないから」
「これじゃお嬢様は、湯浴みでもしてもらわないと人前に出られないわ。リリ、あんたは余計な仕事を増やすことについては天才的よね」
「あれ? もしかして姉ちゃん、怒ってたりする?」
ようやくスージーの怒りを察したのか、リリの顔が青ざめる。
「乗馬ごっこだっけ? とても楽しそうね。あたしも混ぜてもらえないかしら? ほら、さっさと四つん這いになってお尻を出しなさいよ」
「ひい! 姉ちゃん目が怖い! 目が!」
「うふふ、しばらくは椅子に座れなくしてあげる」
「ぎゃーーーーっ」
ヘイウッド邸に、リリの悲鳴が響き渡った。
お決まりのパターンでオチを付けたところで、やれやれとスージーは嘆息する。
そんなメイド長に、シェリー嬢が首を傾げて尋ねた。
「なあ、まだシャルロは帰ってこないのか?」
「そういえば遅いですね」
懐中時計を取り出して確認する。
ただ、シャルロのことについては、そこまで心配はしていなかった。
もしかしたら今日の配達量は多かったのかも知れないし、立ち寄った移民街でお茶でもしている可能性だってある。
とりあえず今は、シェリー嬢の衣装直しが優先だ。
シェリー嬢を連れ出そうとしたところで、舞踏室にパーラーメイドがやって来た。
「お姉さま、騎士団の早馬が届きましたわ」
「騎士団?」
「フレデリカ・シューター様とコリン・イングラム様は、既にフローマスに到着されているそうですの」
「何でその連絡が騎士団から?」
「さあ? 詳しいことは直接お聞きになって下さい」
状況が分からない。
来賓の二人は、軍務省所属と聞いている。
領主のカントリーハウスへ訪れる前に、騎士団本部に寄ったということだろうか。
とりあえず使用人ホールへ急ごうとしたスージーに、パーラーメイドが付け加える。
「そうそう。お客様には、シャルロちゃんも一緒らしいですわ」
「何でっ? どーいう状況でそうなるのよっ?」
今度こそ意味が分からなかった。
客人とシャルロに接点はない。
とりあえずは悩むより、情報収集が先だろう。
先を急ごうとするスージーのスカートを、シェリー嬢がぐいっと引っ張った。
「シャルロが見つかったのかっ? それではすぐ帰ってくるな?」
「ええ、恐らくこれから、迎えの馬車を出すことになるかと思います。一時間後ぐらいになるでしょうか」
「そうか! それは良かった!」
どうやらシェリー嬢の頭の中はシャルロのことで一杯で、来賓のことなど欠片も覚えていないらしい。
こんなことで大丈夫だろうかと、少し心配になる。
今回の来客対応は、到着前から前途多難だった。