2-7. 魔女狩り3
絵描きを追ってきたコリンは、東街区の西の端、倉庫の並ぶ河岸区画に足を踏み入れていた。
潮の香りが近い。
南街区との境目となるレスフォード川は、内陸部とフローマス湾を結ぶ重要な水運経路だ。
コリンが索敵しているのは、東側の荷揚げ区画。
対岸に比べると、見るからにボロい倉庫が多い。
人ひとりが隠れるにはぴったりの場所だった。
<驚いた! 本当に驚いたよボクは! 屋根から落ちる竜騎士なんて前代未聞だね! 君はコメディ俳優でも目指してるのかいっ? だとしたら自信を持っていい。何なら推薦状を書いてあげようか? 君はそっち方面の才能だけはありそうだからね!>
さっきから脳裏には、フレデリカ先輩の罵声が響き続いていた。
思わず顔をしかめるコリンだったが、通信法術をこちらから止める術はない。
何という嫌がらせだ。
「いじめないで! 俺だってあれは格好悪かったと思ってますよ! 穴があったら入りたい!」
<そのまま埋まってしまえばいいよ!>
「ひどいっ?」
思わず涙目になるコリン。
しかしミスをしたという引け目があるので、あまり強くも言い返せない。
目標である絵描きを見失ったのは、完全にコリンの責任だった。
フレデリカ先輩からの探査波が空しく響くが、標識術式からの反応はない。
コリンがこの場に到着する数十秒前に、絵描きは先輩の感知エリアから消えてしまっていた。
測距法術の探査波から逃れる方法は二つ。
一つは術士から遠く離れて、法術のカバーエリアから外れること。
もう一つは探査波の届かない遮蔽物に身を隠して息を潜めること。
どちらのパターンでも、一定時間が経過すると標識術式は効力を失う。
そうなれば測距法術は意味を成さなくなる。
エリア外に逃げられたとは考えられない。
見失ったこの地点の近くにいるはずだ。
コリンとしては時間切れ前に、絵描きを潜伏場所から引きずり出してやる必要があった。
「そういえばさっき、地元騎士団がいましたね。連携しなくて良かったんですか?」
<彼女達が絡むと、指揮権の問題が面倒だからね。後でボクが調整するから心配いらないよ。ふむ、やはりそこの倉庫が一番怪しそうだ>
南街区へ渡る橋や東の街道は、既にフローマス騎士団が封鎖している。
そうなると絵描きに残された選択肢は、レスフォード川から水上を逃走するか、ほとぼりが冷めるまで東街区内に隠れるかだ。
何れにしても先方は、標識術式が無力化されるまでは身動きが取れない。
測距法術に追跡されたままでは、運良く水上に脱出しても船ごと沈められてお終いだろ。
実際、先輩ならそれぐらいはやりかねないから恐ろしい。
<コリン、ボクがそこに到着するより、標識術式の切れる方が早い。何としても遮蔽物から、感知エリアにあぶり出してくれ>
「了解しました」
答えながらコリンは倉庫の分厚い木製扉に手を掛けるが、びくりともしない。
ぐるりと倉庫を一周して確認したところ、出入り口は三つあった。
川側と道路側に搬入出用の大きな開き戸が二つ。
さらに人が出入りするための小さな扉が一つ。
スタッフ用の扉は錠前が壊されていたが、裏側から何かで抑えられていた。
コリンはハンカチのような四角い布を取り出すと、搬入口へと貼り付ける。
緻密な法術回路の描かれた、指向性爆破法布だ。
川側から追い込み、道路側に絵描きが逃げ出してくれると標識術式は再セットされる。
それでとりあえず任務は終了、またしばらく時間を稼げるはずだった。
後はフレデリカ先輩達の到着を待ってから、次の手を打てば良い。
「コリン・イングラム、突入します!」
法布に法力を流し込んで起爆させると、ゴバァッと盛大な爆音を響かせて砕けた木片が飛び散った。
「抵抗するな! 帝国軍作戦局だ!」
法札を構えて身を乗り出したコリンが、素早く倉庫の中に目を走らせる。
いた。
物棚に半身を隠れさせるようにしながら、絵描きがこちらを見ている。
手にしているのは、携帯式の連発法棒。
「ッ?」
パララララララララッと、秒間八発の法弾がコリンに襲いかかった。
慌てて飛び退き、地面に転がるコリン。
倉庫の外壁にへばり付くように背を預けると、左胸の辺りを鷲づかみにして必死に動機を抑えようとする。
<君の存在に気付かれていたか!>
「死ぬかと思った、死ぬかと思った、死ぬかと思ったーーーーッ」
<撃ち返せ! プレッシャーを与えて目標を倉庫から外に追い出すんだ! 標識術式の時間切れが近い!>
「ちくしょう!」
突入口に顔だけを覗かせると、構えた法札を弾く。
パパンッと軽い音がして方弾が放たれたが、ろくに狙いも付けられない状況では当たる訳もない。
直ぐに倍以上の方弾で撃ち返され、慌てて首を引っ込めた。
「駄目です! 火力が違いすぎる! 押し切れません!」
単発式法札に法力を込めながら、コリンが叫んだ。
コリン達が普段携帯している兵装は、必要最低限のレベルに抑えられている。
重武装の持ち出しは事前許可を要するが、今回は計画的な作戦行動ではないため申請を出していない。
それが仇になった。
手持ちの飛び道具は、使い捨ての単発式法札が二箱だけだ。
法術回路の焼き切れた法札が足下に散らばり、たちまち一箱が空になる。
残り枚数が心許ない。
せめてもの救いは、相手の武装も携帯式だということ。
弾数や連射速度はともかく、射程と威力は単発式法札と大差ない。
軍用の制式法傘でも持ち出されていたら、シャレにならないところだった。
相手に向けて何発か撃ち、すぐに次の手札に法力を注入するため身を引っ込める。
<コリン! 投擲法札だ!>
「え?」
シャッと投げ込まれた法札が、起爆する。
竜騎士法術によって強化された瞬発力を最大限まで引き出し、全力でコリンは跳躍した。
その背中を爆風が叩き、コリンの身体が吹き飛ばされる。
<……リン! ……コリン、大丈夫か! 返事をしたまえよ!>
「え? ああ、はい。生きてます」
頭を振ってコリンが起き上がる。
自動起動した防壁法術のおかげで、制服はボロボロになったが身体的ダメージはそれほど深くない。
軽傷ならそれほど時間を掛けずに自然治癒する。
これも竜騎士を構成する法術パッケージの一機能だった。
<うん。君の身体をスキャンしたが、致命的な問題はなさそうだね。良かった。君に何かあれば、ボクは君のお父上に顔向け出来なくなるからね。だがしかし、悪いニュースもある>
「何です? 想像は付いてますけど、一応教えて下さい」
<ボクの標識術式が効力を失った。方針変更だよ。ボクらがその場に到着するまで、何としても絵描きをそこに足止めするんだ>
「あと何分ぐらい保たせれば良いですか? 正直、もう単発式法札の残札がありません」
「五分。いや、三分でいい」
「了解です。それぐらいなら何とか」
そっと突入口から覗くと、まさに絵描きが道路側の扉から逃げるところだった。
標識術式を無効化した以上、この倉庫に留まっている理由は何もない。
コリンからの反撃がなくなった隙に、再び逃走を図るつもりだろう。
そうはさせない。
すらりと長剣を抜いたコリンは、絵描きの注意がこちらに向いていないことを確認して、お返しとばかりに投擲法札を投げつけた。
爆音。
物棚が崩れ、土煙が倉庫内を覆う。
既にコリンのことは排除できたと思い込んでいたのだろうか。
不意を突かれた絵描きが、連発法棒を見当違いの方向へ乱射する。
巻き上がった粉塵にまぎれて一気に距離を詰めたコリンが、倉庫の壁を蹴って跳躍した。
絵描きが驚愕した顔でコリンを見上げるが、遅すぎる。
コリンは確信した。
この絵描き、兵装はともかく戦闘経験は素人だ。
殺してしまわないように気を付けながらも、腕の一本ぐらいはもらうつもりだった。
コリンが一気に長剣を振り下ろす。
「なあッ?」
竜騎士法術の斬撃は、板金鎧すら易々と切り裂く。
その一撃を、絵描きは素手で受け止めていた。
剣先を掴まれたコリンの身体が、一瞬だけ宙に止まる。
時まで止まったように感じたのは、コリンの錯覚。
絵描きが乱暴に腕を振り、凄まじい速度でコリンの身体が素っ飛んだ。
倉庫の壁に叩き付けられたコリンが、がはっと血を吐いた。
視界に亀裂が走り、赤く滲む。
有り得なかった。
理解が追い付かない。
コリンの戦闘力は竜騎士法術で強化されているというのに、この差は一体何だ。
防壁法術でダメージの大半を相殺したはずにも関わらず、コリンは身動き一つ取れなかった。
竜騎士法術が自動的に生命維持モードへ移行。
法力リソースの大半が、傷の修復に回される。
状況は深刻だ。
この様子では起き上がれるまで数十秒を要する。
もちろん相手は、悠長に待ってはくれない。
止めを刺すつもりだろう。
絵描きが注意深くこちらの様子を伺った。
やばい。
死ぬ。
コリンは直感でそう悟った。
さっきまでとは、絵描きの雰囲気が全く違う。
人間を超越した存在が、そこには居た。
<その通り。そいつこそが法術のコピー元にしてオリジナル。異端と呼ばれる存在だよ。コリン、よく耐えた。危ないから頭を下げているといい>
フレデリカ先輩の声はそれだけを伝えると、それっきりぷつりと通信法術ごと切れた。
ぞくぞくと悪寒が背中を駆け上がる。
これは絵描きの威圧感ではない。
もっと身近で慣れ親しんできた恐怖だ。
「うわぁああああああーーーーッ」
ほとんど崩れるようにして、コリンは頭を抱えて床に這い蹲った。
その直後。
コリンの頭のすぐ上。
倉庫の壁が豪快に吹き飛んだ。
圧倒的な破壊力が、壁や物棚ごと何もかもを押し流す。
熱量がコリンの髪の毛をチリチリと灼いた。
本来は城門を破壊する用途で開発された、攻城級法術。
こんなものを単身で扱える術士など、帝国広しと言っても数えるほどしか存在しない。
全ての衝撃が去った後、倉庫の外壁は大きく崩れ、穴が二つ空いていた。
中の様子は廃墟そのもの。
倉庫主には気の毒なことだが、在庫の品は全滅だろう。
「殺す気ですかーーーーッ!」
瓦礫に埋もれていたコリンが、起き上がりながら叫んだ。
崩れた壁を挟んでコリンの真後ろ、倉庫の外に仁王立ちをしていたフレデリカが「ふむ」
と頷いた。
「逃げられたか。この攻城級法術、起動時間に改善の余地があるな」
「本気で死ぬかと思いました! それも戦死じゃなくて、同士討ちで! 異端よりあんたの方がよっぽど危険だよ!」
「せっかく助けてあげたのに、失敬だね君は。そろそろ動けるだろ? さっさと立ちたまえ。やれやれ、また追跡劇の再開だよ」
「外傷は回復しましたが、法力の方が底尽きそうです」
「法力のスタミナだけが君の取り柄だろう? 並の人間ならとっくに枯れてる。何世代も計画的に濃縮されてきた、貴族の血ってやつだろうね。生まれながらの才能を、ご先祖様に感謝することだ」
フレデリカが手を伸ばし、コリンの身体を瓦礫の中から引き摺り起こした。
見渡すとフレデリカの周りには、フローマス騎士団の兵士達が慌ただしく動き回っている。
「目標の絵描きは、船の奪取は諦めてまた東街区に逃げ込んだようだね。ま、後は袋の鼠。掃討戦はボクらとフローマス騎士団の共同作戦と行こうか」
苦々しい顔をしている地元騎士団の女騎士と目が合った。
彼女が小隊指揮官だろう。
休ませてくれる間は、まだ貰えそうになかった。