2-6. フローマス騎士団2
屋根上を軽快に跳んでいたコリンの足下では、フローマス騎士団の兵士達が、錯綜する情報に翻弄されていた。
懸賞金付き公開捜査に切り替えた弊害だろう。
移民街の青空市場に駆け戻った女騎士の周りには、絵描きを目撃した住民達で人垣が出来ていた。
『間違いないのですね?』
『へへ、もちろんです。それで旦那、チラシの懸賞金はいただけるんですよね?』
果物屋の店主が、代表して尋ねる。
目撃情報だけで金貨五枚。
臨時収入にしては美味しい額だ。
自然と表情も緩んでしまう。
女騎士は確かに頷いた。
『当然、支払います。これだけ証人が居れば、情報の確度も高いでしょう』
そこで言葉を切ると、女騎士は周りの群衆を見渡す。
絵描きは青空市場のストリートを、端から端まで駆け抜けていった。
つまりはこの市場に居た全員が、目撃者だと言っても過言ではない。
期待に表情を輝かす彼らに、女騎士は冷たく告げる。
『さて、これだけの人数で頭割りすると、一人当たり幾らでしょうね?』
『は?』
『代表者を決めて、北街区の騎士団本部まで取りに来るように。分配は皆さんに任せますよ』
がっくりと店主が肩を落とす。
そんな風に支払われても、地元の顔役であるマフィアに総取りされてお終いだろう。
店主の懐には銅貨一枚だって入らない。
すっかり気勢を削がれた住民達が、ぱらぱらと解散する。
ようやく群衆から解放された女騎士は、法札を路面に放り捨てた。
たちまち紫色の煙が噴き上がる。
信号煙だ。
街中に分散している指揮下の小隊を招集するのだろう。
店主が浮かない顔をして屋台に戻ると、店番をしていた女将が迎えてくれた。
『あんた、おかえり。賞金はどうしたんだい?』
『貰えたように見えるか?』
『まあ、世の中そんな上手い話はないさ。気にするんじゃないよ』
『お前が騎士を呼んでこいって言ったんだろうが!』
その時だ。
何かが空から、もの凄い勢いで青空市場に突っ込んできた。
正確には向かいの家屋の屋根を踏み抜いた何者かが、投石機から放たれた弾丸みたいな勢いで路上に激突した。
土煙を巻き上げながら、その身体がバウンドする。
『何だあッ?』
逃げる間もない。
驚きのあまり身体を硬直させてしまった店主と女将の目前で、地面を跳ねた落下者が果物屋の屋台に突っ込んでくる。
砕けた木片が盛大に飛び散り、落下した商品の果物が路上に転がった。
幸い店主夫妻に怪我はなかったが、被害は甚大だ。
何事かと騎士団も駆け寄ってくる。
たちまち店主の屋台は、野次馬達で囲まれた。
一部の糞ガキ共がこれ幸いとばかりに、転がる果物を拾い集めていく。
こりゃ死んだな。
誰もがそう思った。
『おい、どーすんだよこりゃ! 俺達の商売、もうおしまいじゃねえか!』
『慌てるんじゃないよ、あんた! 見ればこの人、随分と豪華な身なりをしてるじゃないか。売れば屋台を建て直してもお釣りが出るよ!』
『それはそうだけどよ。どう見たってこいつは貴族様だぜ? 俺らで身ぐるみ剥いじまって、後で縛り首はごめんだぜ?』
『屋台を潰されちまったんだ! 修理代の代わりだよ!』
揉める店主夫妻の前で、ガラリと木材が動いた。
立ち上がったのは、落下してきた貴族の青年だ。
金の縁取りがされた青いコートに、腰から下げた長剣。
あれだけの衝撃を身に受けたはずなのに、何事もなかったかのように服に付いた汚れを払っている。
『ひぃいいいいいいいッ、蘇ったッッ!』
『あんたが服を奪えなんて罰当たりなことを言うからだよ!』
『それはお前だ!』
腰を抜かす店主と野次馬達。
一方、女騎士は驚きつつも冷静さを保っていた。
青年の制服を見て、眉をひそめる。
「軍務省作戦局の竜騎士か? どうしてこんな所に?」
立ち上がった竜騎士の青年は、顔をしかめながら何事か独り言を呟いている。
見えない相手と話しているみたいで気味が悪い。
やがて周りの状況に気付いたのだろう。
気まずそうな表情を見せると、頭を掻いた。
「や、どーも、お騒がせしてすいません」
どうやら身分的には、フローマス騎士団より上位にあるようだ。
女騎士が冴えない青年を相手に敬礼をする。
「私はフローマス騎士団所属のメイヴィス少尉です。貴官は中央作戦局の所属で間違いありませんね? 状況の共有を求めます」
「あ、急いでいるんで、ご挨拶はまた後ほど。踏み抜いちゃった屋根と屋台については、ヘイウッド邸のコリン・イングラム宛てに修理費を請求して下さい。しばらくそちらに滞在しますから」
上級貴族にしては、やたらと腰の低い青年だった。
言いたいことだけを一方的に伝えると、青年は身体の調子を確かめるようにその場で軽く跳ぶ。
信じられないことに、完全に無傷のようだった。
「ちょっと道を空けて下さい」
青年が手振りで野次馬達に退くように示す。
得体の知れない青年の指示に、野次馬達が大人しく従った。
青年は女騎士に軽く敬礼を返すと、どんっと地面を凄まじい勢いで蹴った。
『うおあッ』
飛ぶような速さで、青年の姿がストリートの彼方に遠ざかってしまう。
さっきの絵描きに匹敵する脚力だ。
取り残された形の女騎士に、部下の兵士が指示を仰ぐ。
「少尉、どうします?」
「どうもしません。我々は我々の任務を続行するまでです。人員が揃い次第、次作戦を展開します」
「味方なんですか、あれ?」
「中央から派遣されてきた、軍務省の連中ですよ。今回の件で介入してくるとは聞いていましたが、事前連絡もなしで首を突っ込んでくるとは、ある意味で彼ららしいですね」
苦々しく吐き捨てる女騎士。
同じ帝国軍に所属はしていても、コートの青年と女騎士達とは組織が違うらしい。
軍事関連では素人の店主から見ても、仲が良さそうには見えなかった。
『あの~、屋台の修理代はどうすれば?』
緊迫した雰囲気の女騎士に、店主がおずおずと尋ねる。
あの青年が何か言っていたことには気付いていたが、帝国語だったおかげで内容までは理解出来なかった。
ぎろりと女騎士に睨まれて、店主が後退る。
その背中を女将が後ろからぐいぐい押してきた。
『仕方ありません。騎士団で立て替えましょう。金貨六枚といったところですか?』
『それだと遺失利益が……』
『面倒ですね。それでは金貨八枚で。これ以上ゴネると、ぶち殺しますよ?』
『ひいッ、充分です!』
懸賞金で金貨五枚もらえるはずが、屋台を潰されるとは思わなかった。
金貨八枚はボロ屋台の補償としては妥当なところだが、儲け損なった感は拭えない。
気落ちした店主に、女将が慰めの声を掛けた。
『まあ、良かったじゃないか。無料で屋台を新調出来ると思えばさ』
『そうだな。商品もあらかた盗まれちまったし、今日は店終いしかねえな。こんな日ぐらい、たまには夫婦一緒に飲みにでも行くか』
『その調子だよ。頑張るのは明日からでいいさ』
カラカラと笑う女将に、店主は少し救われる。
店主夫妻からすると、今回の事件はこうして幕を閉じた。
しかし、竜騎士の青年や女騎士にとっては、まだ本編すら始まっていなかった。




