断罪劇を効率的にクローズする
豪奢なクリスタルのシャンデリアが放つ光が、王立学園の大広間に降り注いでいた。
卒業記念夜会の喧騒は、第二王子ルーファス・エドワードの高らかな怒声によって、一瞬にして凍りついた。
「セリア・フォン・アルトハイム侯爵令嬢! 貴様の卑劣な悪行の数々、もはや看過できん! 本日この場を以て、貴様との婚約を破棄し、王国外縁部への追放を言い渡す!」
劇場の舞台さながらの宣言だった。
金髪をなびかせたルーファス王子の腕の中には、今にも泣き出しそうに震える男爵令嬢エレナが縋り付いている。
周囲を取り囲む貴族の子息令嬢たちは、息を呑み、あるいは嘲笑を浮かべて、円環の中央に立つ私――セリアを見つめていた。
(……金曜日の午後八時に『至急で要件定義を白紙撤回したい』と喚き散らすクライアントを思い出すわね)
私は扇を静かに閉じ、心の中で小さくため息を吐いた。
私の前世は、真木芹香。享年三十二歳。
防衛・基幹インフラ系の大規模システム開発でプロジェクトアーキテクトを務めていた社畜エンジニアだった。
月百二十時間を超える残業の末、オフィスのデスクで心停止を起こし、気付いた時にはこの乙女ゲームじみた魔法貴族社会の侯爵令嬢に転生していた。
理不尽な感情論。
エビデンスのない言いがかり。
責任転嫁。
前世で散々味わった悪夢の再演を前にしても、三十代の精神を宿した私の心はさざ波一つ立たない。
むしろ、私の網膜の奥で起動した『相棒』の淡い光が、絶対的な冷静さを保たせていた。
『視覚野拡張リンク正常。対象:ルーファス・エドワードの生体反応を解析完了。心拍数毎分百三十、瞳孔散大、発話ピッチの急上昇。強い興奮状態にあります。発言の論理的整合性、推定十二%』
頭蓋の内側に響くのは、無機質でどこか懐かしい合成音声。
軍事支援型汎用知能――通称『アリア(A.R.I.A.)』。
前世の私が人生のすべてを懸けて開発していたプロトタイプAIだ。
私の魂がこの世界へ転移した際、量子情報として同調・定着し、私の脳内メモリと魔力器官をプラットフォームにして稼働している。
『宿主の生体データ:心拍数六十五、血圧正常。情動ストレスレベルは極めて低値です。……残業申請の承認を待つ時より落ち着いていますね』
(軽口を叩かないで、アリア。業務(トラブル対応)に集中するわよ)
視界の端に、青白い半透明のウィンドウが次々とポップアップする。
エレナが涙ながらに訴えている「階段から突き落とされた」「教科書を破かれた」「夜会用のドレスを切り裂かれた」という罪状がテキスト化され、即座に矛盾点が赤字でハイライトされていく。
『照合完了。該当の日時において、マスターは王立図書館の魔導閲覧室に在室、記録係による入退室ログが存在します。エレナ男爵令嬢のドレス破損日には、学園魔導実験棟の術式監査に出席。物理的接触は不可能です。完全なる冤罪ですね。反論用プロシージャを展開しますか?』
(いいえ、アリア。反論は却下。損得勘定のシミュレーションを出して)
『了解。シナリオA:公の場での完全論破および名誉回復。勝訴確率九十九・八%。ただし、逆上した第二王子派閥からの嫌がらせ、アルトハイム侯爵家への政治的圧力、および王都での泥沼の派閥抗争に巻き込まれるリスクが跳ね上がります。今後の想定残業時間:年間三千時間を超過』
(却下。過労死の二周目は絶対に御免だわ。シナリオBは?)
『シナリオB:追放処分の即時受諾。婚約破棄に伴う王家からの解放、アルトハイム侯爵家の家督相続権の放棄。および指定追放先への移動』
(行き先はどこを指定される予定?)
視界に地図データが投影される。
ルーファス王子が口を開くよりコンマ数秒早く、アリアが予測ルートを割り出した。
『王子の事前通達書および側近の思考パターンから推測。追放先は最北端、帝国軍事境界線――「ヴェルク辺境領」です』
(ヴェルク領……あの『氷血公』レオンハルト元帥が治める土地ね)
王都の貴族たちからは「魔獣が跳梁跋扈する極寒の死地」「いつ死んでもおかしくない流刑地」と忌み嫌われている最前線だ。
だが、私の視覚インターフェースに表示されたヴェルク領の地政学データは、まったく異なる様相を示していた。
『ヴェルク領補足データ:中央政府からの干渉権限極小。領主レオンハルト・フォン・ヴェルクによる完全な自治権が存在。魔導鉱石の未開発鉱脈多数、高密度マナ層の滞留を確認。――結論として、中央の無能な上司(王家)が存在しない、裁量権百パーセントのホワイト開発拠点となり得ます』
(……最高じゃない)
私の口元に、無意識に薄い笑みが浮かびかけたのを、淑女の仮面で素早く覆い隠した。
くだらない宮廷の足の引っ張り合いから合法的にログアウトでき、しかも豊富な未開発資源と強力な自治権がある。
これを好機と言わずして何と言おうか。
沈黙を守る私を見て、反論すらできずに怯えていると勘違いしたのか、ルーファス王子が得意げに胸を張った。
「どうした、セリア! 己の浅ましさを思い知って声も出ぬか! 言い訳があるなら聞いてやってもよいのだぞ!」
彼が求めているのは、私がプライドを粉々に砕かれ、涙を流して足元に縋り付く惨めな姿なのだろう。
エレナもまた、勝ち誇ったような侮蔑の光を瞳の奥に宿している。
だが、三十代の社会人にそんな安っぽいプライドなどない。
欲しいのは「手離れの良さ」と「確実な合意形成」だけだ。
私はドレスの裾をわずかに持ち上げ、非の打ち所のない完璧なカーテシーを披露した。
「殿下。数々の身に余るご指摘、謹んで拝聴いたしました」
涼やかな私の声が、水を打ったように静まり返った大広間に響き渡る。
ルーファス王子が眉をひそめた。
「な……なに?」
「私の至らなさゆえに、殿下およびエレナ様にご不快な思いをおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。つきましては、殿下のご下命に従い、婚約の破棄を謹んで受諾いたします。また、私のような至らぬ身は王都に留まるべきではございません。速やかに領地……いえ、殿下が仰せの通り、国外縁部への追放処分を受け入れる所存です」
淀みなく、一切の感情を交えずに告げられた言葉に、ルーファスのみならず周囲の貴族たちも呆気にとられた。
糾弾していた側が、梯子を外されたように口を半開きにしている。
「あ、貴様……本気で言っているのか? 取り乱しもしないとは、どこまで不遜な……!」
「不遜などと滅相もございません。殿下のご温情あふれるご決断に、心より敬服しているのみです」
私は淡々と言葉を紡ぎながら、すっと手を差し出した。
「ただし、殿下。これは公爵家、侯爵家、そして王家を巻き込む重大な身分上の契約変更でございます。口頭のみでは後日、万が一にも法的な瑕疵が生じ、殿下のご威信に傷がつくやもしれません。今この場で、婚約破棄の承認印、ならびに追放先を明記した公式の『処罰決定書』に、殿下の御名と玉璽を賜りたく存じます」
『マスター、素晴らしい誘導です。言質および物的証拠の確定。これで後からの決定覆し、およびアルトハイム家への連座責任を遮断できます』
脳内でアリアが小さく拍手の効果音を鳴らした。
「な、なんだと……!? この私を疑うというのか!」
「滅相もございません。すべては殿下の正当性を後世に残すための手続きにございます。まさか、感情に任せて法的手続きも踏めぬなどという誹りを、殿下が受けるわけにはまいりますまい?」
完璧な微笑みと、逃げ道を塞ぐロジック。
若く血気盛んな第二王子に、この誘導を見抜く知性などあろうはずがなかった。
プライドを刺激されたルーファスは顔を真っ赤にし、「誰か、羊皮紙と羽ペンを持ってこい!」と側近に怒鳴り散らした。
数分後。
王家の紋章が刻まれた羊皮紙に、私の望んだ通りの文面が記された。
一、セリア・フォン・アルトハイムとルーファス・エドワードの婚約を正式に破棄する。
二、アルトハイム侯爵家には一切の連座を問わず、セリア個人の罪として処理する。
三、セリアは明日未明、ヴェルク辺境領へ出立し、無期限の蟄居追放に処す。
ルーファス王子が乱暴に署名し、赤い封蝋を押した羊皮紙を、私は恭しく受け取った。
指先で触れた瞬間、アリアが瞬時にスキャンを完了する。
『文書の真贋判定:真正。王家特有のマナ透かしを確認。法的拘束力百パーセントです。おめでとうございます、マスター。ブラック企業からの円満退職合意書、無事に受領いたしました』
(ええ。退職金(持参金)は置いていく形になったけれど、有給消化なしの即時解放だと思えば安いものよ)
羊皮紙を折りたたみ、胸元に大切にしまい込むと、私は再び深く一礼した。
「殿下、ならびにエレナ様。どうぞ末永く、お幸せにお過ごしくださいませ。皆様の輝かしい未来を、北方の極寒の地よりお祈り申し上げております」
「ふ、ふん! 強がりを言っていられるのも今のうちだ! ヴェルク領で『白銀の死神』に首を刎ねられるがいい!」
捨て台詞を吐くルーファス王子に、私はもう一度だけ完璧な笑みを向けた。
そして、誰に縋ることもなく、誰を睨みつけることもなく、背筋を凛と伸ばしたまま踵を返す。
ドレスを翻して歩き出す私の背中に、無数の視線が突き刺さる。
軽蔑、困惑、そして異様な気圧され方をした貴族たちのざわめき。
だが、私の視界にはもう、そんな矮小な者たちの姿は映っていなかった。
大広間の重厚な扉を押し開けると、夜の冷たく澄んだ空気が頬を撫でた。
星空の彼方、北の空には冷厳な銀白色の光を放つ星が瞬いている。
『追放先:ヴェルク辺境領への移動ルートを策定開始。全行程およそ一千二百キロメートル。馬車による想定所要日数、二十二日。体調管理モードへ移行します』
(よろしくね、アリア。……さて、三十代からの新しいキャリア設計を始めましょうか)
私は迎えの馬車へと軽やかに乗り込み、腐りきった王都に二度と振り返ることなく別れを告げた。




