第8話 運命の交差点
失敗者の集落に、緊張が走った。
「来る……!」
セラの声が、集落全体に響き渡る。人型のシルエットが、激しく震えていた。
俺――ユウトは、集落の入口に立っていた。ミラが隣に並び、槍を構えている。その表情は、これまで見たことがないほど険しかった。
「ユウト」
ミラが、低い声で言う。
「本当に、ここで会うの?」
「ああ」
俺は頷いた。心臓が、激しく跳ねている。
「逃げても無駄だ。世界が"物語"を使う以上、俺たちはいつか出会う」
「なら――」
拳を握る。
「俺が選んだ場所で、俺が選んだタイミングで会う」
セラが、俺の背後から言った。
「でも、覚えておいて」
「勇者は、"君を倒すべき存在"として認識してる可能性が高い」
「……分かってる」
世界が用意したシナリオでは、俺は"倒されるべき障害"なのだろう。勇者の成長イベント。経験値を与える存在。
でも――
「俺は、そのシナリオに乗らない」
遠くから、足音が聞こえてきた。
複数の気配。四人、いや五人か。
やがて――地平線の向こうから、人影が現れた。
先頭を歩くのは、一人の青年。俺と同じくらいの年齢。黒髪で、真っ直ぐな目をしている。背には剣。
勇者――アレク。
その後ろには、仲間たちが続いている。剣士の少女、回復魔法使い、弓使い。皆、警戒した様子で周囲を見回している。
アレクの目が、俺を捉えた。
その瞬間――世界が、静止したかのような感覚。
風が止む。
鳥の声が消える。
時間そのものが、息を潜めたかのように。
アレクは、ゆっくりと近づいてくる。その足取りは迷いがなく、でもどこか慎重だった。
十メートル。
五メートル。
三メートル。
そして――立ち止まった。
俺とアレクは、向かい合う。
沈黙。
重く、長い沈黙。
やがて――アレクが、口を開いた。
「……君が、ユウトか」
その声は、思っていたよりも穏やかだった。敵意はない。ただ、確認するような口調。
「ああ」
俺も、短く答える。
「勇者様、自らお越しとは光栄だな」
皮肉を込めたつもりだったが、アレクは眉一つ動かさなかった。
「君に聞きたいことがある」
真っ直ぐに、俺を見つめる。
「この集落――"失敗者の集落"は、世界の地図にほとんど載っていない。まるで、存在を消されかけているように」
「……」
「でも、確かにここにある。人が生きている」
アレクは、集落を見回した。その目には、困惑と――何か別の感情が浮かんでいた。
「なぜだ?」
シンプルな問い。でも、その問いには――深い意味があった。
俺は、少し考えてから答えた。
「世界にとって都合が悪いからだ」
「都合が悪い?」
「ああ」
一歩、踏み出す。
「この世界は、成功例だけで作られてる。勇者が勝ち、悪が滅び、ハッピーエンド」
「でも――」
集落を指差す。
「ここにいる人間は、その"成功"から弾かれた。世界に不要と判断された。失敗例として、片隅に押し込められた」
アレクの目が、わずかに揺れた。
「……失敗例」
「そうだ。世界は完璧じゃない。でも、完璧なフリをしてる」
俺は、はっきりと言い切った。
「だから、失敗を隠す。地図から消す。存在しないことにする」
沈黙が落ちる。
アレクの仲間たちが、ざわつく。
「おい、こいつ何言って――」
「待て」
アレクが、手を上げて制止する。
そして――俺に聞いた。
「君は、この世界を否定するのか?」
「否定はしない」
即答した。
「ただ、疑ってるだけだ」
「疑う?」
「ああ。世界が本当に正しいのか。完璧なのか。それとも――」
空を見上げる。
「都合の悪いものを隠してるだけなのか」
その瞬間――アレクの表情が、変わった。
何かに気づいたような、驚きと理解が混じった顔。
「……俺も、疑ってた」
小さく、でもはっきりと言った。
「この世界、出来すぎてる。まるで、最初から全部決まってたみたいに」
仲間たちが、驚いた顔で振り返る。
「アレク?」
「いや、事実だろ」
アレクは、拳を握る。
「俺たちの出会いも、戦闘も、成長も――全部、"予定通り"だった」
「まるで――」
視線を、俺に戻す。
「物語のレールの上を走らされてるみたいに」
その言葉に――俺は、思わず笑った。
「……やっぱり、気づいてたか」
「ああ」
アレクも、小さく笑う。
「でも、確信が持てなかった。俺が勇者として選ばれたこと自体が、世界の意志だから」
「だから――」
一歩、近づく。
「君に会いに来た。世界の脚本にない、この場所に」
俺は、その言葉の重みを感じた。
勇者が、自分の意志でここに来た。
世界の導線を外れて、ここに来た。
「……アレク」
名前を呼ぶ。
「お前、世界に消されるぞ」
「は?」
「世界は、脚本通りに動かない存在を修正する」
俺は、自分の胸を指す。
「俺みたいにな」
セラが、前に出てくる。
「ユウトは、"修正不能例"として世界に登録された」
「何度も消されかけて、でも生き残った」
ミラも、槍を下ろしながら言う。
「だから、世界は今度は"物語"を使った」
「勇者に倒させることで、正当な理由で消そうとしてる」
アレクの仲間たちが、警戒を強める。
「やっぱり、こいつは敵じゃ――」
「違う」
アレクが、強く言った。
「もし本当に敵なら、今すぐ俺たちを襲ってるはずだ」
俺を見る。
「でも、君は襲ってこない。説明してくれた」
「……鋭いな」
俺は、苦笑した。
「俺は、勇者の敵じゃない。世界の敵だ」
はっきりと、宣言する。
「俺は、この世界が本当に正しいのか確かめてる」
「失敗が存在し続けられるなら、世界は完璧じゃない」
「完璧じゃないなら――」
拳を握る。
「書き換えられる」
アレクが、目を見開く。
「書き換える……?」
「ああ」
《失敗作》――そのスキルの本質を、初めて他人に説明する。
「俺のスキルは、世界が定めた"役割"を上書きできる」
「敵を味方に。削除対象を保護対象に」
「そして――」
アレクを見つめる。
「勇者を、勇者じゃない何かに」
空気が、凍りついた。
アレクの仲間たちが、一斉に武器を構える。
「おい、今――」
「脅してるのか!?」
だが、アレクは動じなかった。
ただ、じっと俺を見つめている。
やがて――
「……やってみろ」
静かに、でも力強く言った。
「え?」
俺も、仲間たちも、驚いて振り返る。
「アレク、何言って――」
「いいから」
アレクは、剣に手をかけたまま――でも、抜かずに言った。
「もし君が、俺の"役割"を書き換えられるなら――」
真っ直ぐに、俺を見る。
「俺は、本当に世界に縛られてるってことだ」
「でも、書き換えられないなら――」
「俺には、まだ自分の意志がある」
その瞬間――俺は、理解した。
この勇者は、自分が"操られているのか"を確かめたいんだ。
「……面白い」
俺は、一歩踏み出す。
「いいだろう。やってやる」
セラが、慌てて止める。
「ユウト! 勇者を書き換えたら、世界が――」
「黙ってろ」
俺は、アレクの前に立つ。
手を伸ばす。その手が、わずかに震えている。
「覚悟はいいか?」
「ああ」
アレクは、目を閉じない。ただ、真っ直ぐに俺を見ている。
俺は――《失敗作》を起動した。
【《失敗作》起動】
【対象:アレク(勇者)】
【処理:役割解析中……】
頭が、熱を持つ。いつもの痛み。でも――
次の瞬間、俺は目を見開いた。
【エラー】
【対象は役割を持っていません】
【再定義不可】
「……は?」
信じられない結果だった。
「どういうことだ……」
セラが、驚いた声を上げる。
「役割がない……?」
「でも、勇者のはずなのに……」
俺は、アレクを見つめた。
彼も、同じように驚いていた。
「……書き換えられなかった?」
「ああ」
俺は、手を下ろす。
「お前には、"役割"がない」
「つまり――」
ゆっくりと、言葉にする。
「お前は、世界に"用意された勇者"じゃない」
アレクの目が、大きく揺れた。
「じゃあ、俺は――」
「分からない」
正直に答えた。
「でも、一つだけ確かなことがある」
俺は、アレクに手を差し出した。
「お前は、自分の意志で動いてる」
「世界の脚本に縛られてない」
「だから――」
はっきりと、言った。
「お前は、俺と同じだ」
アレクは、しばらく俺の手を見つめていた。
そして――
その手を、握った。
「……なるほどな」
アレクは、笑った。初めて見せる、心からの笑顔。
「俺、ずっと違和感があったんだ」
「勇者として目覚めた時から、何かがおかしいって」
「でも、今分かった」
俺の手を、強く握る。
「俺は、勇者のフリをしてただけだ」
その瞬間――空が、鳴った。
低く、不吉な音。
【警告】
【想定外の接触が発生】
【物語の進行が著しく逸脱】
【修正プロセス準備中……】
セラが、叫ぶ。
「まずい! 世界が反応してる!」
ミラも、槍を構える。
「二人とも離れて!」
だが――俺たちは、手を離さなかった。
アレクが、笑う。
「やっぱり、世界は俺たちが手を組むのを嫌がるんだな」
「当たり前だ」
俺も、笑い返す。
「失敗作と、役割のない勇者が組んだら――」
「物語、めちゃくちゃになるからな」
空が、さらに大きく鳴る。
でも、俺たちは――手を離さない。
ここから始まる。
世界が最も恐れていた――二人の主人公による、物語の破壊が。




