第7話 勇者の疑念
光の中で――アレクは、目を覚ました。
天井は高く、白い石で造られている。神殿特有の荘厳な造り。ステンドグラス越しに、柔らかな朝日が差し込んでいた。七色の光が、床に幾何学模様を描いている。
「……ここは……?」
体を起こすと、すぐ隣に老女が立っていた。まるで、目覚めるのを待っていたかのように。
金色の法衣。威厳のある立ち姿。
手には、古びた杖。
「お目覚めですか、勇者様」
その言葉を聞いた瞬間――胸の奥に、"知っている感覚"が流れ込んできた。
まるで、最初からそこにあったかのように。
勇者。
魔王。
世界を救う使命。
全てが、自然に理解できた。説明されなくても、分かった。
「……ああ」
アレクは、自然に――まるでプログラムされていたかのように、頷いていた。
「俺は……勇者、なんですね」
老女――大神官は、満足そうに微笑む。その笑みには、安堵が混じっていた。
「はい。あなたは選ばれました」
「この世界を蝕む魔王を討ち、正しい秩序を取り戻すために」
その言葉に、違和感はなかった。むしろ――しっくり来すぎるほどだった。不自然なほどに。
剣の使い方を、なぜか知っている。
魔法の詠唱も、頭に自然と浮かぶ。
自分が何者か、説明される前から分かっていた。
「……最初から、用意されてたみたいだな」
アレクは、小さく――どこか自嘲的に笑った。
「俺の人生」
大神官は、一瞬だけ表情を曇らせた。その目に、何かが揺れる。
「勇者様」
少し慎重な口調で、続ける。
「あなたの旅は、すでに世界に観測されています」
「観測……?」
聞き慣れない言葉。いや、聞き慣れないはずなのに、なぜか理解できてしまう言葉。
「はい。"予定された導線"の上にある、と」
その言い方に、アレクは首をかしげる。妙な表現だった。
「まるで……」
言葉を選ぶように。
「物語みたいですね」
大神官は、一瞬だけ――本当に一瞬だけ、黙った。
その沈黙が、やけに重く感じられる。
だがすぐ、いつもの穏やかな笑顔に戻る。
「世界とは、常に物語なのです」
「始まりがあり、困難があり、そして――正しい結末がある」
アレクは、その言葉を疑わなかった。疑う理由もない。
王都を出る。
仲間と出会う。
試練を乗り越える。
魔王を倒す。
全部、自然に想像できた。まるで、すでに経験したことがあるかのように。
「……でも」
ふと、胸の奥に何かが引っかかる。小さな違和感。
「魔王って、どんな存在なんですか?」
大神官は――少しだけ間を置いて、答えた。
「世界の最適化を阻害する存在」
「……は?」
アレクの眉が、ぴくりと動く。
「失礼。世界を歪める存在、です」
言い直した。でも、アレクの耳には――最初の言葉だけが、強く残った。
最適化?
RPGの説明なら、「人類の敵」とか「邪悪な存在」とか、そういう表現を使うはずなのに。
「……まあ、悪いやつなんですよね」
「ええ。間違いなく」
大神官は、そう言い切った。その声には、確信があった。
だが――その瞬間。
アレクの視界の端に、一瞬だけ"ノイズ"が走った。
砂嵐のような、黒い点の集まり。まるで、画面にバグが起きたかのような。
「……今、何か……」
「?」
大神官は、首を傾げる。何も気づいていない様子。
「いえ、気のせいです」
そう言ったが――アレクは、確かに見た。
世界の映像が、一瞬だけ乱れた。まるで、この現実そのものがデータであるかのように。
*
王都を出て――三日後。
アレクは、最初の仲間たちと出会った。
剣士の少女。快活で、正義感が強い。
回復魔法使い。優しく、控えめな性格。
弓使いの青年。冷静で、戦略に長けている。
全員、驚くほどスムーズに集まった。まるで、最初から決まっていたかのように。
「まるで……」
焚き火を囲みながら、アレクは小さく呟く。
「イベント消化みたいだな」
弓使いが、不思議そうに笑う。
「何それ。変な言い方するね」
「いや、なんとなく」
でも実際――そうだった。
魔物は、適度に強い。勝てるけど、少し苦戦する。ちょうどいい難易度。
レベルアップも、綺麗なタイミングで起こる。
ドロップアイテムも、必要なものが揃う。
「……出来すぎだろ」
アレクは、星空を見上げる。無数の星が、瞬いていた。
この世界は――正しすぎた。
苦しみはある。悲しみもある。でも全部、"想定内"。予測可能な範囲に収まっている。
そして――その"想定内"の中に、一つだけ奇妙な空白があった。
地図の端。
誰も話題にしない場所。
「失敗者の集落」という、名前だけが記された地域。
「……ここ、何だ?」
地図を広げて、アレクは眉をひそめる。その場所だけ、インクが薄い。
仲間たちは、首を振る。誰も知らないという風に。
「知らないな」
「行く必要ないんじゃない?」
「ストーリー的に関係なさそうだし」
ストーリー的に――その言葉を聞いた瞬間。
また、視界が一瞬だけ乱れた。
ノイズ。
さっきより、はっきりと。長く。
「……今度は、気のせいじゃない」
アレクは、胸を押さえる。心臓が、変なリズムで打っている。
「この場所……」
地図の、薄いインクの部分を指でなぞる。
「何か、引っかかる」
その夜――
アレクは、夢を見た。
真っ白な空間。何もない、無限に広がる白。
その中心に、誰かが立っている。
顔は見えない。でも、なぜか分かる。自分と同じ年くらいの――男。
「……誰だ?」
声をかけると、男はゆっくりと振り向いた。
そして――笑った。どこか寂しげに、でもどこか挑戦的に。
「やあ、勇者」
その瞬間――
世界が、ひび割れた。
白い空間に、黒い亀裂が走る。まるで、現実そのものが壊れていくかのように。
夢から覚めたアレクは、全身汗びっしょりだった。
「……何だ、今の」
胸の奥が、ざわつく。心臓が、激しく跳ねている。
まるで、自分の物語に――"関係ないキャラ"が入り込んできたような、奇妙な感覚。
翌朝――
再び、地図を見る。
失敗者の集落。
そこだけが、インクが薄く――まるで消されかけているかのように、曖昧だった。
「……ここに行こう」
アレクは、ぽつりと言った。
仲間たちが、驚いた顔で振り返る。
「え? なんで?」
「メインルート外れてない?」
「魔王討伐、遅れるけど」
アレクは――はっきりと、言い切った。
「分からないけど」
地図を、しっかりと握りしめる。
「ここに行かないと、俺の物語が"おかしいまま"になる気がする」
その瞬間――
どこからか、鐘の音が聞こえた。
王都の方角から。警告のような、重く低い音。まるで、"それをするな"と告げているかのような。
だが――アレクは、足を止めなかった。
「……世界が用意した正解より」
前を向く。その目には、迷いがない。
「自分で選んだ寄り道の方が、大事な気がするんだ」
仲間たちは、顔を見合わせた。それから――笑った。
「勇者がそう言うなら、付き合うしかないか」
「まあ、たまには予定外も悪くないよね」
こうして――
本来なら、存在しないはずのルートに、勇者は足を踏み入れた。
世界の脚本には、書かれていない場所へ。
誰も行くはずのなかった、地図の端へ。
そしてまだ――アレクは知らない。
その選択が、「世界が最も避けたかった分岐」だということを。
失敗者の集落。
そこには――"倒される予定の存在"ではなく、"物語を壊す存在"が待っている。
勇者は、まだ知らない。
自分がこれから出会うのは、魔王でも敵でもなく――この世界にとって、一番"都合の悪い主人公"だということを。
風が吹く。
地図が、わずかに揺れる。
そして、勇者の一行は――物語の外側へと、歩き出した。




