第6話 物語という名の監獄
その日から――空気が、変わった。
失敗者の集落は、相変わらず静かだった。焚き火もある。人もいる。昨日と何も変わらない日常が、そこにある。
……なのに。
「……気持ち悪いな」
俺は、空を見上げた。
雲一つない青空。完璧に晴れている。でも、どこか"作り物っぽい"。まるで、絵画の中の空を見ているような、違和感。
セラが隣で、人型のシルエットを小さく揺らしながら頷く。
「うん。世界の"演出レイヤー"が開いてる」
「演出?」
「物語用の処理。イベント発生用の舞台装置」
嫌な予感しかしない。背筋を、冷たいものが走る。
「つまり?」
セラは、真剣な声で答えた。
「世界が、君を"ストーリーの中で殺しに来る"準備を始めた」
その瞬間――地面が、揺れた。
ドン――という、腹の底に響く低い音。
地鳴り。大地そのものが唸りを上げているかのような。
ミラが即座に槍を構える。その動きは反射的で、研ぎ澄まされていた。
「敵襲!?」
だが――違った。
揺れの正体は、攻撃ではなかった。遠くの地平線から立ち上る、巨大な光の柱。天を貫く、圧倒的な存在感。
「……あれ」
誰かが、呆然と呟いた。
光の柱は、まっすぐ天に伸び――まるで世界に"チェックマーク"を付けるかのように、そこに在った。
セラの人型のシルエットが、わずかに震える。
「あれは……」
その声は、恐怖に満ちていた。
「"メインクエスト開始"の演出」
「世界が勇者を動かした合図」
「……は?」
嫌な単語が並びすぎだ。心臓が、激しく跳ねる。
【世界イベント発生】
【勇者覚醒】
【目的:魔王討伐】
そのログが、視界に浮かび上がる。無機質に、でも確実に。
「魔王……?」
ミラが眉をひそめる。その表情には、明らかな困惑があった。
「この世界に、魔王なんて話あったか? 聞いたことないぞ」
セラが、静かに――でも、重く言った。
「今、作られた」
「……え?」
「世界は――"ユウトを殺すための理由"を、たった今用意した」
「それが――」
セラは、ゆっくりと俺の方を向く。
「魔王という役割」
嫌な汗が、背中を伝う。シャツが肌に張り付く感覚。
「待て待て待て」
混乱する思考を、必死に整理する。
「つまり何だ。俺が魔王にされるのか?」
セラは、首を振った。
「違う」
「君は、"魔王に関係する異常存在"として定義された」
「だから――」
遠くから、鐘の音が聞こえてきた。
ゴォォン……
ゴォォン……
重く、荘厳な音。どこかの王都からだ。
勇者誕生を祝う鐘。世界が、新たな英雄の誕生を告げている。
「世界は、こうするつもり」
セラが、淡々と――まるで台本を読むように説明する。
「勇者が旅に出る→魔王を倒すために進む→その途中で"異常存在ユウト"と遭遇→物語上、倒される」
「……物語的に正しい死、ってやつか」
胸が、きゅっと締めつけられる。
「そう」
セラは、はっきりと言った。その声に、迷いはない。
「世界はもう、システム処理を諦めた。観測層でも君を消せなかった」
「だから今度は――」
「ストーリーの都合で、君を消す」
ミラが、怒りを込めて地面を蹴る。乾いた音が響いた。
「ふざけるな……!」
「そんな脚本、誰が決めた! 勝手に人の運命を――」
俺は、苦笑した。笑うしかなかった。
「世界だよ」
「一番タチ悪い脚本家だ」
その時――集落の外から、誰かが走ってきた。
足音が近づいてくる。必死の足音。
「た、大変だ!」
「街道の方で……!」
息を切らした青年が、集落の中心に飛び込んでくる。その顔には、恐怖が浮かんでいた。
「王都から使者が来た!」
「"勇者様の旅の途中、この集落に立ち寄る予定だ"って……!」
……来た。
早すぎる。あまりにも、早すぎる。
セラが、歯を食いしばる音がした。
「もう導線引いたか……速い……」
ミラが、真剣な目で俺を見る。
「ユウト」
その声は、震えていた。
「逃げよう」
「今ならまだ――間に合う」
俺は、首を振った。
「逃げても意味ない」
「世界は"物語"を使う。それは、システムより厄介だ」
拳を握る。
「俺がどこに行っても、"偶然出会った"って展開にされる」
ミラが、言葉を失う。その目には、絶望が浮かんでいた。
「そんな……」
俺は、静かに――でも、はっきりと言った。
「これはもう、RPGだ」
「俺は、ボスでも勇者でもない」
深く息を吸う。
「……イベントキャラだ」
セラが、どこか自嘲的に笑う。
「しかも、"倒されることで物語が綺麗になるタイプ"」
最悪のポジション。
物語の犠牲者。
都合のいい踏み台。
*
その夜――
俺は、一人で焚き火の前に座っていた。
炎が、静かに揺れている。パチパチと薪が弾ける音だけが、闇の中に響く。
そこに、ミラが来た。足音を殺していたが、気配で分かった。
「……眠れない?」
「まあな」
ミラは、俺の隣に座る。槍を横に置いて、膝を抱える。
しばらく、無言。
焚き火の音だけが、二人の間に流れていた。
やがて、彼女が――小さな声で言った。
「もし……」
躊躇うように。
「本当に、勇者が来て」
「君が"物語的に倒される存在"なら」
炎を見つめたまま、続ける。
「……どうするの?」
俺は、焚き火を見る。
炎は、上に伸びては消える。永遠に繰り返される、儚いサイクル。
「分からない」
正直な答えだった。嘘をつく意味もない。
「でも――」
顔を上げる。夜空を見上げる。星が、無数に瞬いていた。
「俺は、世界に都合よく死ぬ気はない」
ミラが、小さく笑った。その笑みには、安堵が混じっていた。
「だよね」
「そうじゃなきゃ、ユウトじゃない」
その時――セラが、俺たちの背後に現れた。いつの間にか、そこにいた。
「一つだけ、希望はある」
その声には、わずかな光があった。
「希望?」
「うん」
セラは、焚き火を見つめる。炎に照らされて、人型のシルエットが揺れる。
「物語は、"登場人物が役割通りに動く"前提で成立する」
「だから――」
セラは、ゆっくりと俺を見る。
「君が、"役割そのもの"を書き換えれば」
「世界は、脚本を失う」
「……つまり?」
「勇者と戦わない」
「魔王にもならない」
「イベントキャラにもならない」
セラは、静かに――でも力強く言った。
「ただ――物語に参加しない存在になる」
その瞬間――頭の奥で、何かが繋がった。
パズルのピースが、はまる感覚。
「……ああ」
立ち上がる。
「なるほどな」
焚き火を見下ろす。炎が、俺の影を長く伸ばしている。
「世界は、物語で俺を殺すつもり」
「なら俺は――」
焚き火の火を、足で踏み消す。暗闇が、一気に広がった。
「物語そのものを、壊す側になる」
セラが、微笑んだ。人間のように。
「やっと、スタートラインだね」
ミラが、俺を見上げる。
少し不安そうで――でも、どこか誇らしげな目。
「……世界を敵に回すの、二回目だけど」
立ち上がって、槍を握る。
「今度は、"物語ごと"か」
俺は、笑った。心の底から。
「失敗作にしては、随分でかい敵だよな」
遠くで、また鐘の音が響いた。
勇者の旅が、始まった合図。
世界が、物語の幕開けを告げている。
でも同時に――
この瞬間から、この世界の物語は、もう"正しく終われなくなった"。
勇者は、救世主じゃない。
魔王も、悪じゃない。
そして俺は、倒されるべき存在じゃない。
世界が用意したストーリーを――登場人物が全員無視し始めたとき。
物語は、初めて"制御不能"になる。
夜空に、星が瞬く。
風が吹き、消えた焚き火の灰が舞い上がる。
俺たちの戦いは、新たな局面に入った。
今度の敵は、システムでも観測層でもない。
"物語"という、最も強固な牢獄。
でも――その鍵は、俺が持っている。
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